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第四章 祈りを繋ぐ道
第五十八話 最後の一秒に浮かんだのは
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「今度こそ勝ってみせる。私とニンフ、二人で」
魂と魂を結ぶ契約をニンフと結んだマリ。
身体よりも、心よりも、深い部分で繋がった。
さっきまでよりも、隣にいるよりも、マリはニンフを近くに感じる。
二人で一人になった今なら、きっと何だってできる。どんな壁も越えられる。
今度こそ、次こそ、『プリエール』を取り戻す。
強い想いと覚悟を抱くマリに、パラケルススは
「ーー壊してやるよ。その心」
ただ一言そう言うと、光と化して襲いかかった。
向かってくる白光をマリは動体視力を強化した瞳で捉えて、杖に魔力を集中させる。
大星よりも眩い、青白い光が灯った直後
「岩砕きの乙女の激流‼」
杖の先から放たれた滝のような激流が、パラケルススを吹き飛ばした。
「ぐおぉおっっ‼」
地面を抉る水の暴力。反撃の蒼い嚆矢に押されて、パラケルススは一瞬で遥か遠く、地平線の向こう側へと飛んでいった。
威力が桁違いに跳ね上がった魔法。飛沫を浴びるマリを見て、ニンフは
「・・・よかった。これなら、きっとーー」
掠れた声でそう呟いた後、力尽きて倒れた。
「ニンフ‼」
ニンフの名前を叫び、マリは屈んでニンフの頬に触れる。
深く息を吐き、心を落ち着かせて、マリは掌から緑色の光を放つ。
「クラシオン」
上級の回復魔法の光がニンフの傷を消していく。
数秒後にはニンフの傷は綺麗さっぱり無くなった。ニンフを救えた事に安堵してからマリは立ち上がり
「・・・行ってくるね」
それだけ言って、跳躍力を上昇させる支援魔法を発動して跳躍し、パラケルススが飛んでいった方へと向かった。
守られて、大切に思われて、託された。
皆の気持ちに応える為に、『プリエール』を解放し、パラケルススに縛られ続ける精霊達を救う為に、勝つ。決着を着ける。
マリ=ガーネットの最後の戦いが、始まる。
「もう二度と、負けない。もう二度と、逃げない」
強い決意を口にした後、マリの丸い瞳に、仰向けになって倒れるパラケルススの姿が映った。
気を引き締めて、マリがパラケルススから遠すぎず近すぎない地点に着陸すると、パラケルススはゆっくりと立ち上がった。
二つの視線がぶつかり合い、火花が散る。
数秒の間、静かに睨み合ってから二人は同時に動き出した。
杖の先と掌を互いに向け
「岩砕きの乙女の激流‼」
「浄化の光閃‼」
破壊の激流と聖なる光撃を放つ。
ぶつかり合う水と光の精霊の力。同威力の魔法は激突した途端に弾け、青と白の光を散らした。
花弁のように散る光が消える前に、マリはパラケルススの頭上に黄色の魔法陣を展開し、次の一撃を放つ。
「千刃の雷‼」
魔法陣に向けてマリが杖を向けて叫ぶと、魔法陣から無数の雷が放たれた。
「危ねぇな」
降り注ぐ落雷の豪雨。雷と雷の狭い隙間をパラケルススは難なく潜り抜け、マリに接近する。
正面から突進してくるパラケルススを迎撃する為にマリが杖を構えると、パラケルススの速度のギアが上がった。
動体視力を強化した瞳でもその動きを捉えられず、マリは背後に回り込まれる事を許してしまう。
「そらっ‼︎」
掛け声と共にパラケルススはマリの背中を蹴り飛ばした。
「うあっ、はっーーーー‼︎」
背骨が砕けた。そう錯覚する程の衝撃を背中に叩きつけられ、マリは仰け反りながら吹き飛ぶ。
背を向けて飛んでいくマリに追撃を叩き込むべく、パラケルススはマリへと迫る。
次で背骨を折る。そう考えながら飛び蹴りを繰り出そうとしたパラケルススに
「風刃一閃‼︎」
マリは振り向きながら杖を薙ぎ、風の刃を飛ばした。
至近距離で飛んでくる風刃を避ける事ができず、パラケルススの腹から左肩にかけて斬撃が走り、赤血が噴き出す。
「こいつ・・・」
痛みで体勢を崩し、パラケルススは膝をつき、マリは尻餅をつく。
二人は痛みを感じながらもすぐに飛び起き、その勢いを利用して前に飛び出す。
二人の距離は再びゼロになり、パラケルススはマリの顔に光を纏った拳を突き出す。
白光の拳撃をマリは顔を逸らしてぎりぎりで避け、パラケルススの腹に掌底を叩き込む。
華奢な腕によって放たれた掌底は、凄まじい衝撃を炸裂させ、パラケルススを吹き飛ばした。
「ぶっーーーー‼︎」
驚愕し、吐血しながら、パラケルススは球のように何度も地面の上を跳ねる。
全身を打ちつけ、身体中が痛みで満たされてから、パラケルススはマリを見る。
掌を突き出した姿勢のマリの身体を、赤い光が包んでいた。
「上級以上の筋力上昇の支援魔法を重ねがけしたのか・・・」
支援魔法は重ねがけする事でその効果が倍増する。
マリが現在重ねがけしている支援魔法は 、筋力上昇の上級支援魔法だ。
ーー上級の支援魔法は一度発動するだけでも大量の魔力を消費する。重ねがけなんてすれば並みの魔導師なら即魔力切れを起こす。でも
「そうだよな。お前、ニンフと契約したんだもんな・・・」
精霊術師と精霊の契約には、精霊の力を借りる契約と、精霊と魔力を共有する契約の二種類の契約がある。
パラケルススがエードラムと結んでいるのが前者の契約。マリがニンフと結んだのは後者の契約だ。マリはニンフの膨大な魔力を全て己のものにした。
多少無茶な魔法の使い方をしても、すぐに魔力が切れる事はない。
「だが、エードラムと契約している俺の方が強い」
そう言うとパラケルススは手の内に巨大な光球を作り出し、マリへと投げつけた。
音もなく凄まじい速度で飛んでいく光球。飲み込まれ、骨まで溶かされる前に、マリは足元から岩の柱を隆起させた。
マリを空に押し上げた天を衝く岩の柱。その根本が光球に消し飛ばされ、柱が完全に倒れる前にマリは柱の上から飛び、杖を掲げ
「五霊の星彩弾‼︎」
空に無数の極彩色の星を作り出す。
生み出された精霊の力が宿る星々は、一斉に地上に、その上に立つパラケルススへと降り注ぐ。
虹色の流星群。瞬き閃く星影の制裁は、パラケルススもろとも大地を焼き焦がす。
「ぐ、おぉおぉおおっっ‼︎」
次々と、絶えず落ちてくる星はパラケルススと地面に当たる度に爆発を起こし、地上はあっという間に虹色の炎に包まれる。
この世で最も色鮮やかな炎熱地獄と化した大地。その中で焼かれ、苦しむパラケルススにマリは追い打ちをかける。
「五霊の耀弾‼︎」
全ての契約精霊の力を込めた極光の波動を、マリは眼下にいるパラケルススに向けて放つ。
波動はまっすぐに、疾く突き進んでいき、やがてパラケルススに直撃する。
「ぐぁああぁあぁあっっ‼︎」
波動に飲み込まれたパラケルススは、苦鳴を上げ、波動と共に地面の中に沈む。
魔力をより多く消費して発動した事で威力を増した切り札は、どちらもパラケルススに当たった。
いける。これなら、本当にパラケルススを倒す事がーーと昂揚するマリの右肩に、突如として激痛が走る。
「いっ・・・⁉︎ 何⁉︎」
刺すような痛み。その原因を知る為にマリが自分の右肩を見ると、極彩色の光の刃が突き刺さっていた。
刃は地面から伸びてきている。刃を握るのは
「この位で俺が倒れると思うなよ」
やはり、パラケルススだった。
その身を煌びやかな業火に焼かれ、息を切らしながらも、まっすぐに立ち、パラケルススは光の剣を握っている。
パラケルススが握る剣は
「六霊の煌剣。奴の切り札で、お前を殺す」
エードラムの切り札と同じ、六属性の精霊の力を束ねた精霊剣。
不浄の者を滅ぼす聖なる煌剣だ。
パラケルススが手に力を入れた瞬間にマリが後ろに退くと、その途端に煌剣は振り下ろされた。
ぎりぎりの所で腕を斬り落とされるのを免れ、マリはクラシオンを発動して傷を治す。
相対する敵の悪運の強さに舌打ちし、パラケルススは煌剣の刃を縮め、その切っ先をマリに向け
「遺言は聞いてやる」
それだけ言って跳躍し、マリへと突撃する。
最大の切り札を切り、真の力を解放したパラケルススにマリは杖を向け
「五霊の耀弾‼」
極光の波動を撃った。
何度か食らっている強力な一撃を目にしても、パラケルススは避けようとも防ごうともしない。
このまま当たってくれれば、マリの切実な願いは、次の瞬間打ち砕かれる事になる。
極光の波動はパラケルススに当たる前に真っ二つに裂かれ、残滓すら残さず消滅した。
「やっと高まってきた」
腕を振り切った姿勢のパラケルススが握る煌剣。その周囲の空間は煌剣が放つ熱によって大きく歪んでいた。
さっきはただ痛いだけ、血が出るだけで済んだ。だが、もしまた刺されるか斬られるかすれば、間違いなくそれだけでは済まない。
いくつかの最悪の事態を想定して戦慄するマリに、パラケルススは煌剣を振りかぶりながら間合いを詰めてくる。
「今度は逃がさねぇぞ」
パラケルススの言葉が死の宣告に聞こえ、マリは大きく身震いする。
防ぐのはおそらく、いや、間違いなく不可能だ。避けなければ、一太刀でも受けたら、そのまま斬り刻まれる。
マリは唇を強く噛んで痛みで無理矢理恐怖を掻き消す。
その数秒後にパラケルススはマリのすぐ傍にまでやってきて、煌剣を斜めに振り下ろした。
袈裟斬りの斬撃にマリは胴体を両断される
「シルフ‼︎」
前に、足の裏から高圧の空気を噴き出して大きく後退し、斬撃を躱した。
斬撃が空振り、眉を吊り上げるパラケルススが次の斬撃を放つより先に、マリはもう一度足から空気を噴出させて上昇する。
「はぁ・・・はぁ・・・」
たった一回の攻撃を避けるだけで、神経が衰弱し、精神が摩耗していく。
その影響かマリは疲労感と熱の高まりと息苦しさを感じ始める。
一刻も早く倒さなければまずい。そう思った時、マリの鼻からつーと鼻血が流れた。
何で? とマリが思った瞬間、マリの全身に無数の切り傷が生じ、夥しい量の血が流れ出した。
身体中、衣服までもが瞬く間に朱に染まる。
全身を内と外から焼かれるような痛苦に襲われ、マリは胃の中にあるものと大量の血を吐き出して悶え苦しむ。
「あ、は、ぁあ、かっ・・・は、が・・・」
出血と吐血は一向に止まらない。
パラケルススに攻撃されたのか、先に刺された時に何かを仕掛けられたのかと、痛みに邪魔されながらも必死に脳を働かせてマリは答えを導き出そうとするが
「何だ?」
パラケルススの反応、困惑の表情を見てどちらも違うと判断する。
それならばマリの身に生じた異変。筆舌し難い魂をも蝕む痛苦の原因はーー・・・
「・・・魂?」
そうだ。魂だ。
精霊の契約は魂を繋ぎ合わせる事で結ばれる。
結び合わせた二つの魂の濃度に大きな差があった時、濃度の低い魂は消滅する。
マリの魂はマリ自身が精霊と相性の良かった事、ニンフの加護を授かっていた事で消滅を免れた。だが、それで完全にリスクがなくなる程、ニンフという精霊の魂の濃度は薄くなかった。
「自分の魂より遥かに高い濃度を持つ魂に常に繋がっている状態。魂に莫大な負荷がかかり、肉体にも異常が生じた。そんな所か・・・」
マリの負傷の原因を分析し、独り言のようにパラケルススは呟く。
天性の素質と加護だけでは埋まらない魂の差がマリとニンフの間にはある。
いくら互いに想い合っていようと、信じ合っていようと
「結局はこうなる。ニンフはお前の為にした事でお前の死期を早めた」
「う、うぅ・・・」
「失敗だったんだよ。ニンフと契約を結んだ事は」
「失敗、なんかじゃ・・・」
「失敗でしかないだろ。事実、ニンフと契約を結んだ所為でお前は今死にかけている。本当は少し位思ってる筈だ。ニンフの所為でってな。どうなんだ?」
瞳を鋭いものにして、パラケルススはマリに問いかける。
人の本性は弱った時にこそ現れる。
偽善者ぶった化けの皮を、醜い本性を露わにしてやる。そう思いながらパラケルススが放った問いに、マリは
「そんな事、思う訳、ない・・・」
「あぁ?」
震える唇で否と答え、首を横に振る。
痛くて、熱くて、気持ち悪くて、苦しくて、とてもつらい。涙が溢れて止まらない。
その原因はニンフと契約を結んだ事。でも、それでも
「私は、ニンフを恨んだり、憎んだりしない」
「・・・何でだ? 明確な痛みと苦しみの原因が分かってるのに、どうしてお前はその原因を憎悪しない? 意味不明だ」
「しないよ。だって、契約を結んだのは、私がそうしたいって思ったから。ニンフが契約を結んでくれたのは、私に最後まで力を貸したいって思ってくれたからだから・・・」
憎悪する理由などあろう筈もない。
「どんな事も、私を想ってくれて、私の為にしてくれた事なら、私は嬉しいから」
目の端から涙を流しながら、笑顔を浮かべてマリが口にした言葉を聞いて、パラケルススは下を向く。
「お前は、俺が嫌いな奴と本当によく似ている」
「え・・・?」
「お前は、やっぱり気に食わない。目障りだ。同じ世界で息をしていると思うだけで腸が煮え繰り返る・・・」
怒気のこもった声でそう言うと、パラケルススは煌剣に魔力を流し込み、刃の長さを倍以上に伸ばし、熱を極限まで高める。
真の姿を解放した煌剣の先をマリに向け、パラケルススは自身の周囲に無数の赤、青、黄、緑、橙、白の光球を作り出すと
「塵も残さず消してやる」
そう口にするやいなや、パラケルススは全ての光球を同時にマリに発射した。
色とりどりの光球が撃ち出された瞬間に、マリは大きく息を吸って
「グローム‼︎ シルフ‼︎ サラマンダー‼︎」
身体に金雷を纏い、足裏から爆炎を噴き出してその場から離れる。
「追え」
逃げたマリにパラケルススが煌剣を向けると、それに合わせて光球の群れはマリを追う。
足から噴出させたサラマンダーの炎の勢いを利用して飛行し、シルフの風で炎の勢いを強めて推進力を高め、グロームの雷を全身に纏う事で更に加速する。
マリは普段ならば消費魔力の問題でできない方法で飛行する。
傷は治した所で魂そのものが負荷を負っている以上、また新たな傷が生まれるため放置。
その代わりに上級の鎮痛魔法であるジーレンフィールンを発動し痛みを誤魔化す。
心も身体も侵す灼熱の痛みから解放され、ずっと動きやすくなったが
ーーあくまで痛くないだけ。ダメージが消えた訳じゃないから、早く勝たないと・・・‼︎
いつ身体と魂に限界が来て動けなくなってもおかしくはない。早急に決着を着ける事が求められる。
その為の策をマリが必死に思案していると、六色の光球の群れがマリに追いつき、マリを取り囲んだ。
「爆ぜろ」
パラケルススがそう言うと、全ての光球が眩い閃光を放ち、一気に爆裂した。
耳を聾する爆発音が轟き渡り、空に色彩豊かな光の帯が引かれ、そこから花火を打ち上げた後のように数え切れない程の火花が散る。
火花は霧雨のように燃え盛る地面に降り落ち、光の帯は色を持つ煙に変わる。
パラケルススが掌を前に突き出し、シルフの風で煙を掻き消すと、マリの姿はなくなっていた。
肉体が爆散して死んだか、まだ生きていてどこかに逃げ隠れたのか。
後者の可能性を考慮してパラケルススがマリを探そうとした時、下から突き上げてきた雷にパラケルススは打たれた。
「ぐっ‼︎ がぁっ‼︎」
雷に焼かれ、パラケルススは顔を歪める。
激しい痛みと痺れを覚えながらパラケルススが下を見ると、真下に杖を掲げるマリがいた。
「クソ、ガキがぁ・・・‼︎」
額に青筋を立て、パラケルススは突きを放ちながら急降下し、眼下のマリに突貫する。
脳天を煌剣に穿たれる前に、マリはその場から飛び退き、光の刺突を回避した。
マリには当たらず、深々と地面に突き刺さった煌剣を引き抜き、パラケルススは大振りの横薙ぎの一閃を放って光の斬撃をマリに飛ばす。
炎を揺らし、焦げつく大気を裂きながら飛んでくる斬撃に、マリは敢えて自分から突っ込んだ。
パラケルススも、足が焼ける痛みも無視して、マリはただ一点、飛んでくる斬撃を集中して目視する。
動体視力を強化した事で、何とかかろうじて、斬撃の動きを追えている。でも、かろうじてだ。
少しでも気を抜けば、斬り裂かれて死ぬ。
微塵も瞬きせず、目を見開いたまま疾走し、斬撃との距離が一歩分にまで縮まった時
「ふっーーーー‼︎」
マリは身を低くし、斬撃を避けた。
額から滝のように冷や汗を掻きながら、マリは前を向き、杖を突き出して、極彩色の光弾を撃ち出す。
射出された光弾は即座に音を立てて割れ、その中から同じ色の雷が飛び出した。
槍のような形の色鮮やかな雷光は、吸い込まれるようにパラケルススの胸に向かい
「これも懲りてる」
輝く剣閃によって無に帰る。
もう少し、一秒後には届いていたかもしれない攻撃を防がれ、マリは奥歯を噛む。
ーー月閃でも駄目‼︎ 耀弾や星彩弾より速くても斬られるなんて・・・いや
「速いだけじゃ、きっと駄目だ・・・」
速度も重要だが、それ以上に煌剣でも斬れないような威力がなければ、パラケルススには当たらない。
パラケルススは倒せない。
それだけの一撃を放つには
ーーたくさんの魔力がいる。きっと、その一撃を撃ったら、私の魔力はほとんどなくなる。もしも避けられたら
その時点でマリの敗北と死、『プリエール』解放の失敗と『サルジュの森』の滅びが確定する。
六霊の煌剣を破り得る究極の一撃は、絶対に外せない。
緊張で身体が強張り、足が棒のように固くなるマリに
「もう大技は出し尽くしたろ?」
パラケルススが低い声で問いかける。
その声を聞き、目を見開いて、口を開け閉めして何かを言おうとするマリに
「まだ何かあったとしても、もう終わらせる」
そう言ってパラケルススは弾かれたように飛び出し、一気に距離を詰める。
どうすればいい? パラケルススを倒すには、パラケルススに勝って、何もかもを救うには、一体どうすればいい?
自分が知る、自分より強くて、賢い者達ならばどう戦う? どうやって勝つ?
ステラなら、アルジェントなら、リリィなら、ライゼなら、ニンフなら、一体どうする?
大好きで、頼りになって、どんな敵にも最後は必ず勝つ、いつか追いつきたい憧れの人達なら、一体どうする?
思い出せ、考えろ。
皆ならこんな時、どうやってーー・・・
「あっーー」
ーーそうだ。そうすればいいんだ。
これまでの戦い、日々を思い出し、マリはたった一つの、パラケルススに勝つ為の策を思いつく。
それは成功する見込みの薄い、賭けのような策だが、もしも成功すれば
「必ず倒せる」
確信の込められた呟きをマリが漏らした直後、パラケルススはマリの首に刃を振るった。
輝きを放つ刃が首を刎ねる前に、マリは掌を地面に向けて
「炎精の波弾‼」
炎の魔法弾を撃ち、わざと爆発を起こして自分もろともパラケルススを吹き飛ばし、無理矢理パラケルススを引き離した。
鎮痛魔法で抑えられる痛みは、発動前に負った傷の痛みだけ。
爆炎の熱と火傷の痛みを感じながらマリは吹き飛び、背中から倒れないように足を地面につけて踏ん張る。
数秒の間滑るように後退した後にマリは止まった。
同じタイミングでパラケルススも地に足を着け、煌剣を複数回振るって幾多もの光の斬撃を飛ばす。
重なって飛来してくる光の斬撃を目にしたマリは、今度は自ら突っ込んでゆくような事はせず、即座に横に飛んで斬撃の軌道の外に出て
「ヴェーガマーナ‼」
己に速度上昇の支援魔法をかけ、金雷を纏い、足から炎を発して、パラケルススの周囲を全速力で駆け回る。
「ちょこまかと・・・‼︎」
パラケルススは目を動かしてマリの姿を追う。
今までよりも遥かに速いが、集中すれば追い切れない速さではない。
「後ろ‼︎」
振り向き様に煌剣を払い、パラケルススは後方から杖で殴りかかろうとしてきたマリを斬ろうとするーーが、俊敏な反応を見せたマリに、身体を逸らして避けられてしまう。
殺せそうで殺せないもどかしさを感じながらも、パラケルススは続け様に袈裟と逆袈裟の斬撃、閃光のような刺突を放つ。
大気を焦がし、裂いて殺す剣撃は、しかし、いずれも当たりそうで当たらない。
死の圧と強い覚悟が、マリの感覚を極限まで鋭敏にし、集中力を高めている。命を断とうとしてくる攻撃に、意識が追いつかなくても身体が反応できている。
今、マリは間違いなくこれまで生きてきた中で一番のパフォーマンスを発揮できている。まるで魔法にかけられたかのように強くなれている。
魔法が解ける前に、力を出し切る。
「シルフ‼︎」
風の大精霊の名を叫び、マリは突風を起こしてパラケルススを吹き飛ばす。そして杖を地面に立て、杖から緑色の光を放ち
「風神の城‼︎」
竜巻を発生させ、大地を覆う虹色の炎を集めて、自身とパラケルススを取り囲む虹炎の結界を作り出した。
「なっーー・・・」
一瞬にして生まれた霊火の牢獄。燃える風の中に囚われ、パラケルススは目を大きく見開く。
巻き起こった超常の現象にほんの僅かの間だけ驚愕した後、パラケルススはすぐに冷静さになり、自分が取るべき行動が何か考える。
牢獄を壊す事。いや
「五霊ーー」
マリを直接攻撃する事だ。
炎に囲まれ、移動範囲が制限されているのはマリも同じ。この状況ならパラケルススの方が有利だ。
切り札を切ろうとするマリに、パラケルススはその場で力強く踏み込み、腕を振り切って最高威力の斬撃を飛ばそうとする。
その時だった。
「うぁっ‼︎ あぁっ‼︎ あぁあぁあああっっっ‼︎」
苦しみが滲む、掠れた声の絶叫を、マリは喉から響かせた。
突然苦しみ出し、膝と両手を地面につくマリの姿を見て、パラケルススはほらな? と
「言っただろ? 奴と契約を結んだ事は、失敗だったと」
冷たい目で這いつくばるマリを見下ろし、呆れを込めた声で、契約は過ちでしかなかったと再度マリに告げる。
「魔法で誤魔化そうが無駄だ。魂を直接削られてるんだ。痛みはすぐに蘇る」
大精霊との契約の副作用の再発。それがマリがまたしても苦痛に襲われた原因だった。
マリの頭にパラケルススの言葉は入ってこない。
身体を焼きながら裂かれるような地獄の苦痛が骨の髄まで走り、それどころではないからだ。でも
ーー気を、しっかり、もたないと・・・‼︎
痛みに屈してはならない。
心を強く保たなければならない。何故なら、ここまでは
「う、あぁあぁああぁあっっっ‼︎」
マリは喉が枯れ果てんばかりの叫びを上げて、痛む身体を無理矢理動かして立ち上がる。
そのまま足を動かして、パラケルススに飛びかか
「煌牙の魔閃」
一振り。
無音の剣閃が軌跡を描いたその直後、色彩豊かな光が瞬き、荒れ狂う波動となってマリを包み込んだ。
凄まじい勢いで放射される極光。その奔流はマリも、結界の壁も吹き飛ばし、炎の中を突き進んでいく。
パラケルススですら目が眩む程の強い光は少ししてから収まり、波動と結界は完全に消える。
波動が突き進んでいった方向に目を向け、パラケルススはマリを探す。
「肉体は残ったか・・・」
目を凝らして遠くの方を見ると、マリは仰向けになって倒れていた。
その身に橙色の光を纏っている事から、光に呑まれる寸前に防御力を上げる支援魔法を使った事が窺えるが、ダメージを殺しきる事はできなかった。
雷に打たれかのように身体から黒煙を上げ、陸に上げられた魚のように大きく痙攣している。
許容量を超えたダメージを負った事で、身体が危険信号を発している。
あと一撃。一撃食らわせれば
「必ず殺せる」
パラケルススは煌剣を強く握り締め、足に力を込める。
ひとっ飛び、マリの上に飛び乗り、心臓を吹き飛ばして、それで終わりだ。
溜めた力を爆発させて、跳躍しようとした時、パラケルススの足元に巨大な泥沼が生まれた。
「あぁ?」
底なし沼のような泥沼に吸い込まれ、パラケルススの下半身は泥の中に沈む。その途端に泥沼は硬い岩石に変わり、パラケルススは下半身を固められ、身動きを封じられる。
何の前触れもなく拘束され、パラケルススは動揺する。
犯人は分かりきっている。パラケルススが視線を大地から前方に移すと、先程まで倒れていた筈のマリが立っていた。
ーーノームの力で泥沼を‼︎ いや、何で、何で立っている⁉︎ 立っていられている⁉︎ 煌牙の魔閃は当たった。それ以前に、魂の負荷が限界を超えて、動けなくなってた筈だろうが‼︎ それなのに、何故⁉︎
「お前は、立ち上がれる・・・⁉︎」
パラケルススの問い。それには答えず、マリは右手を上に伸ばし、その中に光の弓を作り出す。
錬成した光弓を前に構え、矢の代わりに右手に持つ杖を番え、マリは弦を強く、大きく引く。
あてがわれた杖は極光を帯びる。
マリが持つ杖はペトロニーラが独自に作り出した『ペトロニーラ鉱石』でできている。
『ペトロニーラ鉱石』は硬く、普通の杖ならば耐えきれない量の魔力を宿す事ができる。
強い魔力を纏わせ、高速で飛ばせば
ーーとんでもない破壊力が生まれる。だがな
「拘束を破ればいいだけだ」
当たらなければ意味が無い。
岩如き煌剣で容易に破壊できる。
自身を封じる岩石に煌剣を突き立て、拘束を破ろうとした時、パラケルススの身体に電流が走った。
「ぐっ‼︎ がぁあぁあぁあああっっっ‼︎」
千の落雷が同時に当たったかのような衝撃と熱が身体を駆け抜け、パラケルススは絶叫する。
電流は爪先から頭に流れてきた。
この痛みを、パラケルススは知っていた。
ーーこれは月閃の・・・‼︎
マリの切り札の一つ、精霊の力を込めた雷撃で敵を貫く五霊の月閃が当たった時と同じ痛み。
でも、おかしい。
月閃は光球から雷を飛び出させる技だ。光球なんてどこにも
「そうか・・・‼︎」
ーー俺の周りを駆け回った時に、地面に光球を埋め込みやがったな‼︎ 魔力を帯びる炎に周りが包まれてる所為で全く気付けなかった。くそ‼︎ こんな、単純な、少し考えれば誰でも思い付くような、陳腐で所々の詰めが甘い策でこの俺を『万象の精霊術師』たる俺を追い詰めるなんて追い詰めた気になるなんて
「ふざけるなよ‼︎ クソガキィッッ‼︎」
激情に任せてパラケルススが叫んだのと同時に、マリは残る全ての魔力を杖に流し込む。
杖は星のように強く美しい輝きを放つ。
サラマンダーと、ニンフと、シルフと、グロームと、ノームの、心強くて優しい精霊達の全ての力が込められた光が、辺りを照らした瞬間に、マリは手を離した。
「輝神の霊弓‼」
星芒の破杖が、光を超える速さでパラケルススに向かっていく。
全身全霊。マリと精霊の全ての魔力と想い、覚悟が込められた一矢。最後にして究極の切り札を目にして、避けるか防ぐか杖を壊さなければばならないとパラケルススは考えるが
「身体が、痺れ・・・‼」
思考を行動に移せるような状態ではなかった。
杖はすぐそこまで来ている。早く手を打たなければ、本当に・・・
「・・・ねぇんだよ」
いや、それだけはあってはならない。
パラケルススは何がっても、絶対に
「てめぇなんかに負けられるかよ‼ 負けられねぇんだよ‼ 俺の・・・俺の、俺のぉ‼」
負けられない。
『プリエール』は譲れない。
「復讐の邪魔をするなぁあぁあぁあぁっっっ‼」
痺れる身体を強い憎悪で強制的に動かして、パラケルススはすぐそこまで迫って来ていた杖を煌剣で止めた。
何とか、当たる前に受け止められた。だが、杖の勢いは少しも弱まらない。耐えるだけで精一杯で、とても杖を破壊できそうにはない。
直接当たらずとも、光の余波で身体が焼かれ、熱で意識が朦朧とし始める。
少しでも気を、力を緩めたらその時点で矢が当たって終わる。しかし、耐え続け、痺れが抜けたならば、杖を壊せる。マリの最後の一撃を打ち破って、勝利を掴む事ができる。
マリはもう何もできない。この一撃さえ、凌げれば、そう思ってたパラケルススは、信じられないものを見た。
杖の後ろに、マリがいた。
傷だらけの拳を強く握りしめ、渾身の拳撃を繰り出そうとしている。
あと少し力が加われば、杖を押し込み、パラケルススを倒せる。きっと、マリ自身もただでは済まない。それが分かっているから、パラケルススは狂人を見るかのような顔でマリを見つめている。
マリだってそれは分かっている。分かっているが、それでも
――今度こそ勝つって、決めたから。ステラちゃんなら、アルジェントさんなら、リリィさんなら、ライゼさんなら、ニンフなら、やれる事は全部やる。何があっても
「絶対諦めない」
マリは杖に全力の一撃を、杖に叩きこんだ。
その瞬間、煌剣は折れ、鋭利な杖の先端がパラケルススの腹に突き刺さり、光が、生まれ、『プリエール』を満たして――・・・
星は死ぬ時、一際眩い輝きを放ってから死ぬ。
杖を核として生じた超新星爆発にも似た爆発は、マリも、パラケルススも、大地を燃やしていた精霊の炎も、何もかもを吹き飛ばした。
死んだ。そう思った。でも
「・・・・・・ぁ、ぁあ」
マリは生きていた。
両肘と両肘から先の感覚はなく、両目も見えなくなっているが、それでも生きたいた。
策は上手くいった。魔力も使い果たした。果たして、自分は勝ったのか、負けたのか、動けず、視界も失ったマリには知る術もない。
もしも、まだパラケルススが戦えるなら、自分が負けてしまっていたならば、そう思い、不安に駆られるマリの耳に
「本当に、本当によく頑張ったね」
聞き覚えのある優しい声が聞こえてきた。
その声の主は、マリを信じ、マリに力を貸してくれた精霊のものだった。
「ニン、フ・・・」
掠れた声でマリはニンフの名を呟く。
姿は見えないが、きっと、泣きそうになっていると、マリは何となくだがそう感じた。
「ねぇ、ニンフ・・・私、勝てた? ちゃんと、役目を、果たせたの、かな?」
今一番大事な事。
『プリエール』を取り戻す為の最後の戦い。その結末はどうなったのかを、マリはニンフに問いかける。
一瞬の静寂。永遠にも感じる刹那の後、ニンフは涙を流しながら、答えた。
「勝ったよ。君の勝ちだ、マリ。テオは、意識を失い、戦闘不能に陥った。君は、役目を果たした。勝った。勝ったんだよ。やっぱり、君は、弱くなんてなかった・・・‼」
マリの勝利。
それが『プリエール』解放の最終決戦の結末だった。
マリにその結果を伝えるニンフの声は震えていて、後半は普段のように低く力強い声を作る余裕もなくなり、素の透明感のある高い声に変わっていた。
自分が勝てた事を知ったマリは、弱々しい笑みを浮かべて
「そう、なんだ・・・よかっ、たぁ・・・」
そう言うと、ゆっくりと目を閉じた。
瞼が下りる最後の一秒に浮かんだのは、笑う星の名を持つ少女の笑顔だった。
魂と魂を結ぶ契約をニンフと結んだマリ。
身体よりも、心よりも、深い部分で繋がった。
さっきまでよりも、隣にいるよりも、マリはニンフを近くに感じる。
二人で一人になった今なら、きっと何だってできる。どんな壁も越えられる。
今度こそ、次こそ、『プリエール』を取り戻す。
強い想いと覚悟を抱くマリに、パラケルススは
「ーー壊してやるよ。その心」
ただ一言そう言うと、光と化して襲いかかった。
向かってくる白光をマリは動体視力を強化した瞳で捉えて、杖に魔力を集中させる。
大星よりも眩い、青白い光が灯った直後
「岩砕きの乙女の激流‼」
杖の先から放たれた滝のような激流が、パラケルススを吹き飛ばした。
「ぐおぉおっっ‼」
地面を抉る水の暴力。反撃の蒼い嚆矢に押されて、パラケルススは一瞬で遥か遠く、地平線の向こう側へと飛んでいった。
威力が桁違いに跳ね上がった魔法。飛沫を浴びるマリを見て、ニンフは
「・・・よかった。これなら、きっとーー」
掠れた声でそう呟いた後、力尽きて倒れた。
「ニンフ‼」
ニンフの名前を叫び、マリは屈んでニンフの頬に触れる。
深く息を吐き、心を落ち着かせて、マリは掌から緑色の光を放つ。
「クラシオン」
上級の回復魔法の光がニンフの傷を消していく。
数秒後にはニンフの傷は綺麗さっぱり無くなった。ニンフを救えた事に安堵してからマリは立ち上がり
「・・・行ってくるね」
それだけ言って、跳躍力を上昇させる支援魔法を発動して跳躍し、パラケルススが飛んでいった方へと向かった。
守られて、大切に思われて、託された。
皆の気持ちに応える為に、『プリエール』を解放し、パラケルススに縛られ続ける精霊達を救う為に、勝つ。決着を着ける。
マリ=ガーネットの最後の戦いが、始まる。
「もう二度と、負けない。もう二度と、逃げない」
強い決意を口にした後、マリの丸い瞳に、仰向けになって倒れるパラケルススの姿が映った。
気を引き締めて、マリがパラケルススから遠すぎず近すぎない地点に着陸すると、パラケルススはゆっくりと立ち上がった。
二つの視線がぶつかり合い、火花が散る。
数秒の間、静かに睨み合ってから二人は同時に動き出した。
杖の先と掌を互いに向け
「岩砕きの乙女の激流‼」
「浄化の光閃‼」
破壊の激流と聖なる光撃を放つ。
ぶつかり合う水と光の精霊の力。同威力の魔法は激突した途端に弾け、青と白の光を散らした。
花弁のように散る光が消える前に、マリはパラケルススの頭上に黄色の魔法陣を展開し、次の一撃を放つ。
「千刃の雷‼」
魔法陣に向けてマリが杖を向けて叫ぶと、魔法陣から無数の雷が放たれた。
「危ねぇな」
降り注ぐ落雷の豪雨。雷と雷の狭い隙間をパラケルススは難なく潜り抜け、マリに接近する。
正面から突進してくるパラケルススを迎撃する為にマリが杖を構えると、パラケルススの速度のギアが上がった。
動体視力を強化した瞳でもその動きを捉えられず、マリは背後に回り込まれる事を許してしまう。
「そらっ‼︎」
掛け声と共にパラケルススはマリの背中を蹴り飛ばした。
「うあっ、はっーーーー‼︎」
背骨が砕けた。そう錯覚する程の衝撃を背中に叩きつけられ、マリは仰け反りながら吹き飛ぶ。
背を向けて飛んでいくマリに追撃を叩き込むべく、パラケルススはマリへと迫る。
次で背骨を折る。そう考えながら飛び蹴りを繰り出そうとしたパラケルススに
「風刃一閃‼︎」
マリは振り向きながら杖を薙ぎ、風の刃を飛ばした。
至近距離で飛んでくる風刃を避ける事ができず、パラケルススの腹から左肩にかけて斬撃が走り、赤血が噴き出す。
「こいつ・・・」
痛みで体勢を崩し、パラケルススは膝をつき、マリは尻餅をつく。
二人は痛みを感じながらもすぐに飛び起き、その勢いを利用して前に飛び出す。
二人の距離は再びゼロになり、パラケルススはマリの顔に光を纏った拳を突き出す。
白光の拳撃をマリは顔を逸らしてぎりぎりで避け、パラケルススの腹に掌底を叩き込む。
華奢な腕によって放たれた掌底は、凄まじい衝撃を炸裂させ、パラケルススを吹き飛ばした。
「ぶっーーーー‼︎」
驚愕し、吐血しながら、パラケルススは球のように何度も地面の上を跳ねる。
全身を打ちつけ、身体中が痛みで満たされてから、パラケルススはマリを見る。
掌を突き出した姿勢のマリの身体を、赤い光が包んでいた。
「上級以上の筋力上昇の支援魔法を重ねがけしたのか・・・」
支援魔法は重ねがけする事でその効果が倍増する。
マリが現在重ねがけしている支援魔法は 、筋力上昇の上級支援魔法だ。
ーー上級の支援魔法は一度発動するだけでも大量の魔力を消費する。重ねがけなんてすれば並みの魔導師なら即魔力切れを起こす。でも
「そうだよな。お前、ニンフと契約したんだもんな・・・」
精霊術師と精霊の契約には、精霊の力を借りる契約と、精霊と魔力を共有する契約の二種類の契約がある。
パラケルススがエードラムと結んでいるのが前者の契約。マリがニンフと結んだのは後者の契約だ。マリはニンフの膨大な魔力を全て己のものにした。
多少無茶な魔法の使い方をしても、すぐに魔力が切れる事はない。
「だが、エードラムと契約している俺の方が強い」
そう言うとパラケルススは手の内に巨大な光球を作り出し、マリへと投げつけた。
音もなく凄まじい速度で飛んでいく光球。飲み込まれ、骨まで溶かされる前に、マリは足元から岩の柱を隆起させた。
マリを空に押し上げた天を衝く岩の柱。その根本が光球に消し飛ばされ、柱が完全に倒れる前にマリは柱の上から飛び、杖を掲げ
「五霊の星彩弾‼︎」
空に無数の極彩色の星を作り出す。
生み出された精霊の力が宿る星々は、一斉に地上に、その上に立つパラケルススへと降り注ぐ。
虹色の流星群。瞬き閃く星影の制裁は、パラケルススもろとも大地を焼き焦がす。
「ぐ、おぉおぉおおっっ‼︎」
次々と、絶えず落ちてくる星はパラケルススと地面に当たる度に爆発を起こし、地上はあっという間に虹色の炎に包まれる。
この世で最も色鮮やかな炎熱地獄と化した大地。その中で焼かれ、苦しむパラケルススにマリは追い打ちをかける。
「五霊の耀弾‼︎」
全ての契約精霊の力を込めた極光の波動を、マリは眼下にいるパラケルススに向けて放つ。
波動はまっすぐに、疾く突き進んでいき、やがてパラケルススに直撃する。
「ぐぁああぁあぁあっっ‼︎」
波動に飲み込まれたパラケルススは、苦鳴を上げ、波動と共に地面の中に沈む。
魔力をより多く消費して発動した事で威力を増した切り札は、どちらもパラケルススに当たった。
いける。これなら、本当にパラケルススを倒す事がーーと昂揚するマリの右肩に、突如として激痛が走る。
「いっ・・・⁉︎ 何⁉︎」
刺すような痛み。その原因を知る為にマリが自分の右肩を見ると、極彩色の光の刃が突き刺さっていた。
刃は地面から伸びてきている。刃を握るのは
「この位で俺が倒れると思うなよ」
やはり、パラケルススだった。
その身を煌びやかな業火に焼かれ、息を切らしながらも、まっすぐに立ち、パラケルススは光の剣を握っている。
パラケルススが握る剣は
「六霊の煌剣。奴の切り札で、お前を殺す」
エードラムの切り札と同じ、六属性の精霊の力を束ねた精霊剣。
不浄の者を滅ぼす聖なる煌剣だ。
パラケルススが手に力を入れた瞬間にマリが後ろに退くと、その途端に煌剣は振り下ろされた。
ぎりぎりの所で腕を斬り落とされるのを免れ、マリはクラシオンを発動して傷を治す。
相対する敵の悪運の強さに舌打ちし、パラケルススは煌剣の刃を縮め、その切っ先をマリに向け
「遺言は聞いてやる」
それだけ言って跳躍し、マリへと突撃する。
最大の切り札を切り、真の力を解放したパラケルススにマリは杖を向け
「五霊の耀弾‼」
極光の波動を撃った。
何度か食らっている強力な一撃を目にしても、パラケルススは避けようとも防ごうともしない。
このまま当たってくれれば、マリの切実な願いは、次の瞬間打ち砕かれる事になる。
極光の波動はパラケルススに当たる前に真っ二つに裂かれ、残滓すら残さず消滅した。
「やっと高まってきた」
腕を振り切った姿勢のパラケルススが握る煌剣。その周囲の空間は煌剣が放つ熱によって大きく歪んでいた。
さっきはただ痛いだけ、血が出るだけで済んだ。だが、もしまた刺されるか斬られるかすれば、間違いなくそれだけでは済まない。
いくつかの最悪の事態を想定して戦慄するマリに、パラケルススは煌剣を振りかぶりながら間合いを詰めてくる。
「今度は逃がさねぇぞ」
パラケルススの言葉が死の宣告に聞こえ、マリは大きく身震いする。
防ぐのはおそらく、いや、間違いなく不可能だ。避けなければ、一太刀でも受けたら、そのまま斬り刻まれる。
マリは唇を強く噛んで痛みで無理矢理恐怖を掻き消す。
その数秒後にパラケルススはマリのすぐ傍にまでやってきて、煌剣を斜めに振り下ろした。
袈裟斬りの斬撃にマリは胴体を両断される
「シルフ‼︎」
前に、足の裏から高圧の空気を噴き出して大きく後退し、斬撃を躱した。
斬撃が空振り、眉を吊り上げるパラケルススが次の斬撃を放つより先に、マリはもう一度足から空気を噴出させて上昇する。
「はぁ・・・はぁ・・・」
たった一回の攻撃を避けるだけで、神経が衰弱し、精神が摩耗していく。
その影響かマリは疲労感と熱の高まりと息苦しさを感じ始める。
一刻も早く倒さなければまずい。そう思った時、マリの鼻からつーと鼻血が流れた。
何で? とマリが思った瞬間、マリの全身に無数の切り傷が生じ、夥しい量の血が流れ出した。
身体中、衣服までもが瞬く間に朱に染まる。
全身を内と外から焼かれるような痛苦に襲われ、マリは胃の中にあるものと大量の血を吐き出して悶え苦しむ。
「あ、は、ぁあ、かっ・・・は、が・・・」
出血と吐血は一向に止まらない。
パラケルススに攻撃されたのか、先に刺された時に何かを仕掛けられたのかと、痛みに邪魔されながらも必死に脳を働かせてマリは答えを導き出そうとするが
「何だ?」
パラケルススの反応、困惑の表情を見てどちらも違うと判断する。
それならばマリの身に生じた異変。筆舌し難い魂をも蝕む痛苦の原因はーー・・・
「・・・魂?」
そうだ。魂だ。
精霊の契約は魂を繋ぎ合わせる事で結ばれる。
結び合わせた二つの魂の濃度に大きな差があった時、濃度の低い魂は消滅する。
マリの魂はマリ自身が精霊と相性の良かった事、ニンフの加護を授かっていた事で消滅を免れた。だが、それで完全にリスクがなくなる程、ニンフという精霊の魂の濃度は薄くなかった。
「自分の魂より遥かに高い濃度を持つ魂に常に繋がっている状態。魂に莫大な負荷がかかり、肉体にも異常が生じた。そんな所か・・・」
マリの負傷の原因を分析し、独り言のようにパラケルススは呟く。
天性の素質と加護だけでは埋まらない魂の差がマリとニンフの間にはある。
いくら互いに想い合っていようと、信じ合っていようと
「結局はこうなる。ニンフはお前の為にした事でお前の死期を早めた」
「う、うぅ・・・」
「失敗だったんだよ。ニンフと契約を結んだ事は」
「失敗、なんかじゃ・・・」
「失敗でしかないだろ。事実、ニンフと契約を結んだ所為でお前は今死にかけている。本当は少し位思ってる筈だ。ニンフの所為でってな。どうなんだ?」
瞳を鋭いものにして、パラケルススはマリに問いかける。
人の本性は弱った時にこそ現れる。
偽善者ぶった化けの皮を、醜い本性を露わにしてやる。そう思いながらパラケルススが放った問いに、マリは
「そんな事、思う訳、ない・・・」
「あぁ?」
震える唇で否と答え、首を横に振る。
痛くて、熱くて、気持ち悪くて、苦しくて、とてもつらい。涙が溢れて止まらない。
その原因はニンフと契約を結んだ事。でも、それでも
「私は、ニンフを恨んだり、憎んだりしない」
「・・・何でだ? 明確な痛みと苦しみの原因が分かってるのに、どうしてお前はその原因を憎悪しない? 意味不明だ」
「しないよ。だって、契約を結んだのは、私がそうしたいって思ったから。ニンフが契約を結んでくれたのは、私に最後まで力を貸したいって思ってくれたからだから・・・」
憎悪する理由などあろう筈もない。
「どんな事も、私を想ってくれて、私の為にしてくれた事なら、私は嬉しいから」
目の端から涙を流しながら、笑顔を浮かべてマリが口にした言葉を聞いて、パラケルススは下を向く。
「お前は、俺が嫌いな奴と本当によく似ている」
「え・・・?」
「お前は、やっぱり気に食わない。目障りだ。同じ世界で息をしていると思うだけで腸が煮え繰り返る・・・」
怒気のこもった声でそう言うと、パラケルススは煌剣に魔力を流し込み、刃の長さを倍以上に伸ばし、熱を極限まで高める。
真の姿を解放した煌剣の先をマリに向け、パラケルススは自身の周囲に無数の赤、青、黄、緑、橙、白の光球を作り出すと
「塵も残さず消してやる」
そう口にするやいなや、パラケルススは全ての光球を同時にマリに発射した。
色とりどりの光球が撃ち出された瞬間に、マリは大きく息を吸って
「グローム‼︎ シルフ‼︎ サラマンダー‼︎」
身体に金雷を纏い、足裏から爆炎を噴き出してその場から離れる。
「追え」
逃げたマリにパラケルススが煌剣を向けると、それに合わせて光球の群れはマリを追う。
足から噴出させたサラマンダーの炎の勢いを利用して飛行し、シルフの風で炎の勢いを強めて推進力を高め、グロームの雷を全身に纏う事で更に加速する。
マリは普段ならば消費魔力の問題でできない方法で飛行する。
傷は治した所で魂そのものが負荷を負っている以上、また新たな傷が生まれるため放置。
その代わりに上級の鎮痛魔法であるジーレンフィールンを発動し痛みを誤魔化す。
心も身体も侵す灼熱の痛みから解放され、ずっと動きやすくなったが
ーーあくまで痛くないだけ。ダメージが消えた訳じゃないから、早く勝たないと・・・‼︎
いつ身体と魂に限界が来て動けなくなってもおかしくはない。早急に決着を着ける事が求められる。
その為の策をマリが必死に思案していると、六色の光球の群れがマリに追いつき、マリを取り囲んだ。
「爆ぜろ」
パラケルススがそう言うと、全ての光球が眩い閃光を放ち、一気に爆裂した。
耳を聾する爆発音が轟き渡り、空に色彩豊かな光の帯が引かれ、そこから花火を打ち上げた後のように数え切れない程の火花が散る。
火花は霧雨のように燃え盛る地面に降り落ち、光の帯は色を持つ煙に変わる。
パラケルススが掌を前に突き出し、シルフの風で煙を掻き消すと、マリの姿はなくなっていた。
肉体が爆散して死んだか、まだ生きていてどこかに逃げ隠れたのか。
後者の可能性を考慮してパラケルススがマリを探そうとした時、下から突き上げてきた雷にパラケルススは打たれた。
「ぐっ‼︎ がぁっ‼︎」
雷に焼かれ、パラケルススは顔を歪める。
激しい痛みと痺れを覚えながらパラケルススが下を見ると、真下に杖を掲げるマリがいた。
「クソ、ガキがぁ・・・‼︎」
額に青筋を立て、パラケルススは突きを放ちながら急降下し、眼下のマリに突貫する。
脳天を煌剣に穿たれる前に、マリはその場から飛び退き、光の刺突を回避した。
マリには当たらず、深々と地面に突き刺さった煌剣を引き抜き、パラケルススは大振りの横薙ぎの一閃を放って光の斬撃をマリに飛ばす。
炎を揺らし、焦げつく大気を裂きながら飛んでくる斬撃に、マリは敢えて自分から突っ込んだ。
パラケルススも、足が焼ける痛みも無視して、マリはただ一点、飛んでくる斬撃を集中して目視する。
動体視力を強化した事で、何とかかろうじて、斬撃の動きを追えている。でも、かろうじてだ。
少しでも気を抜けば、斬り裂かれて死ぬ。
微塵も瞬きせず、目を見開いたまま疾走し、斬撃との距離が一歩分にまで縮まった時
「ふっーーーー‼︎」
マリは身を低くし、斬撃を避けた。
額から滝のように冷や汗を掻きながら、マリは前を向き、杖を突き出して、極彩色の光弾を撃ち出す。
射出された光弾は即座に音を立てて割れ、その中から同じ色の雷が飛び出した。
槍のような形の色鮮やかな雷光は、吸い込まれるようにパラケルススの胸に向かい
「これも懲りてる」
輝く剣閃によって無に帰る。
もう少し、一秒後には届いていたかもしれない攻撃を防がれ、マリは奥歯を噛む。
ーー月閃でも駄目‼︎ 耀弾や星彩弾より速くても斬られるなんて・・・いや
「速いだけじゃ、きっと駄目だ・・・」
速度も重要だが、それ以上に煌剣でも斬れないような威力がなければ、パラケルススには当たらない。
パラケルススは倒せない。
それだけの一撃を放つには
ーーたくさんの魔力がいる。きっと、その一撃を撃ったら、私の魔力はほとんどなくなる。もしも避けられたら
その時点でマリの敗北と死、『プリエール』解放の失敗と『サルジュの森』の滅びが確定する。
六霊の煌剣を破り得る究極の一撃は、絶対に外せない。
緊張で身体が強張り、足が棒のように固くなるマリに
「もう大技は出し尽くしたろ?」
パラケルススが低い声で問いかける。
その声を聞き、目を見開いて、口を開け閉めして何かを言おうとするマリに
「まだ何かあったとしても、もう終わらせる」
そう言ってパラケルススは弾かれたように飛び出し、一気に距離を詰める。
どうすればいい? パラケルススを倒すには、パラケルススに勝って、何もかもを救うには、一体どうすればいい?
自分が知る、自分より強くて、賢い者達ならばどう戦う? どうやって勝つ?
ステラなら、アルジェントなら、リリィなら、ライゼなら、ニンフなら、一体どうする?
大好きで、頼りになって、どんな敵にも最後は必ず勝つ、いつか追いつきたい憧れの人達なら、一体どうする?
思い出せ、考えろ。
皆ならこんな時、どうやってーー・・・
「あっーー」
ーーそうだ。そうすればいいんだ。
これまでの戦い、日々を思い出し、マリはたった一つの、パラケルススに勝つ為の策を思いつく。
それは成功する見込みの薄い、賭けのような策だが、もしも成功すれば
「必ず倒せる」
確信の込められた呟きをマリが漏らした直後、パラケルススはマリの首に刃を振るった。
輝きを放つ刃が首を刎ねる前に、マリは掌を地面に向けて
「炎精の波弾‼」
炎の魔法弾を撃ち、わざと爆発を起こして自分もろともパラケルススを吹き飛ばし、無理矢理パラケルススを引き離した。
鎮痛魔法で抑えられる痛みは、発動前に負った傷の痛みだけ。
爆炎の熱と火傷の痛みを感じながらマリは吹き飛び、背中から倒れないように足を地面につけて踏ん張る。
数秒の間滑るように後退した後にマリは止まった。
同じタイミングでパラケルススも地に足を着け、煌剣を複数回振るって幾多もの光の斬撃を飛ばす。
重なって飛来してくる光の斬撃を目にしたマリは、今度は自ら突っ込んでゆくような事はせず、即座に横に飛んで斬撃の軌道の外に出て
「ヴェーガマーナ‼」
己に速度上昇の支援魔法をかけ、金雷を纏い、足から炎を発して、パラケルススの周囲を全速力で駆け回る。
「ちょこまかと・・・‼︎」
パラケルススは目を動かしてマリの姿を追う。
今までよりも遥かに速いが、集中すれば追い切れない速さではない。
「後ろ‼︎」
振り向き様に煌剣を払い、パラケルススは後方から杖で殴りかかろうとしてきたマリを斬ろうとするーーが、俊敏な反応を見せたマリに、身体を逸らして避けられてしまう。
殺せそうで殺せないもどかしさを感じながらも、パラケルススは続け様に袈裟と逆袈裟の斬撃、閃光のような刺突を放つ。
大気を焦がし、裂いて殺す剣撃は、しかし、いずれも当たりそうで当たらない。
死の圧と強い覚悟が、マリの感覚を極限まで鋭敏にし、集中力を高めている。命を断とうとしてくる攻撃に、意識が追いつかなくても身体が反応できている。
今、マリは間違いなくこれまで生きてきた中で一番のパフォーマンスを発揮できている。まるで魔法にかけられたかのように強くなれている。
魔法が解ける前に、力を出し切る。
「シルフ‼︎」
風の大精霊の名を叫び、マリは突風を起こしてパラケルススを吹き飛ばす。そして杖を地面に立て、杖から緑色の光を放ち
「風神の城‼︎」
竜巻を発生させ、大地を覆う虹色の炎を集めて、自身とパラケルススを取り囲む虹炎の結界を作り出した。
「なっーー・・・」
一瞬にして生まれた霊火の牢獄。燃える風の中に囚われ、パラケルススは目を大きく見開く。
巻き起こった超常の現象にほんの僅かの間だけ驚愕した後、パラケルススはすぐに冷静さになり、自分が取るべき行動が何か考える。
牢獄を壊す事。いや
「五霊ーー」
マリを直接攻撃する事だ。
炎に囲まれ、移動範囲が制限されているのはマリも同じ。この状況ならパラケルススの方が有利だ。
切り札を切ろうとするマリに、パラケルススはその場で力強く踏み込み、腕を振り切って最高威力の斬撃を飛ばそうとする。
その時だった。
「うぁっ‼︎ あぁっ‼︎ あぁあぁあああっっっ‼︎」
苦しみが滲む、掠れた声の絶叫を、マリは喉から響かせた。
突然苦しみ出し、膝と両手を地面につくマリの姿を見て、パラケルススはほらな? と
「言っただろ? 奴と契約を結んだ事は、失敗だったと」
冷たい目で這いつくばるマリを見下ろし、呆れを込めた声で、契約は過ちでしかなかったと再度マリに告げる。
「魔法で誤魔化そうが無駄だ。魂を直接削られてるんだ。痛みはすぐに蘇る」
大精霊との契約の副作用の再発。それがマリがまたしても苦痛に襲われた原因だった。
マリの頭にパラケルススの言葉は入ってこない。
身体を焼きながら裂かれるような地獄の苦痛が骨の髄まで走り、それどころではないからだ。でも
ーー気を、しっかり、もたないと・・・‼︎
痛みに屈してはならない。
心を強く保たなければならない。何故なら、ここまでは
「う、あぁあぁああぁあっっっ‼︎」
マリは喉が枯れ果てんばかりの叫びを上げて、痛む身体を無理矢理動かして立ち上がる。
そのまま足を動かして、パラケルススに飛びかか
「煌牙の魔閃」
一振り。
無音の剣閃が軌跡を描いたその直後、色彩豊かな光が瞬き、荒れ狂う波動となってマリを包み込んだ。
凄まじい勢いで放射される極光。その奔流はマリも、結界の壁も吹き飛ばし、炎の中を突き進んでいく。
パラケルススですら目が眩む程の強い光は少ししてから収まり、波動と結界は完全に消える。
波動が突き進んでいった方向に目を向け、パラケルススはマリを探す。
「肉体は残ったか・・・」
目を凝らして遠くの方を見ると、マリは仰向けになって倒れていた。
その身に橙色の光を纏っている事から、光に呑まれる寸前に防御力を上げる支援魔法を使った事が窺えるが、ダメージを殺しきる事はできなかった。
雷に打たれかのように身体から黒煙を上げ、陸に上げられた魚のように大きく痙攣している。
許容量を超えたダメージを負った事で、身体が危険信号を発している。
あと一撃。一撃食らわせれば
「必ず殺せる」
パラケルススは煌剣を強く握り締め、足に力を込める。
ひとっ飛び、マリの上に飛び乗り、心臓を吹き飛ばして、それで終わりだ。
溜めた力を爆発させて、跳躍しようとした時、パラケルススの足元に巨大な泥沼が生まれた。
「あぁ?」
底なし沼のような泥沼に吸い込まれ、パラケルススの下半身は泥の中に沈む。その途端に泥沼は硬い岩石に変わり、パラケルススは下半身を固められ、身動きを封じられる。
何の前触れもなく拘束され、パラケルススは動揺する。
犯人は分かりきっている。パラケルススが視線を大地から前方に移すと、先程まで倒れていた筈のマリが立っていた。
ーーノームの力で泥沼を‼︎ いや、何で、何で立っている⁉︎ 立っていられている⁉︎ 煌牙の魔閃は当たった。それ以前に、魂の負荷が限界を超えて、動けなくなってた筈だろうが‼︎ それなのに、何故⁉︎
「お前は、立ち上がれる・・・⁉︎」
パラケルススの問い。それには答えず、マリは右手を上に伸ばし、その中に光の弓を作り出す。
錬成した光弓を前に構え、矢の代わりに右手に持つ杖を番え、マリは弦を強く、大きく引く。
あてがわれた杖は極光を帯びる。
マリが持つ杖はペトロニーラが独自に作り出した『ペトロニーラ鉱石』でできている。
『ペトロニーラ鉱石』は硬く、普通の杖ならば耐えきれない量の魔力を宿す事ができる。
強い魔力を纏わせ、高速で飛ばせば
ーーとんでもない破壊力が生まれる。だがな
「拘束を破ればいいだけだ」
当たらなければ意味が無い。
岩如き煌剣で容易に破壊できる。
自身を封じる岩石に煌剣を突き立て、拘束を破ろうとした時、パラケルススの身体に電流が走った。
「ぐっ‼︎ がぁあぁあぁあああっっっ‼︎」
千の落雷が同時に当たったかのような衝撃と熱が身体を駆け抜け、パラケルススは絶叫する。
電流は爪先から頭に流れてきた。
この痛みを、パラケルススは知っていた。
ーーこれは月閃の・・・‼︎
マリの切り札の一つ、精霊の力を込めた雷撃で敵を貫く五霊の月閃が当たった時と同じ痛み。
でも、おかしい。
月閃は光球から雷を飛び出させる技だ。光球なんてどこにも
「そうか・・・‼︎」
ーー俺の周りを駆け回った時に、地面に光球を埋め込みやがったな‼︎ 魔力を帯びる炎に周りが包まれてる所為で全く気付けなかった。くそ‼︎ こんな、単純な、少し考えれば誰でも思い付くような、陳腐で所々の詰めが甘い策でこの俺を『万象の精霊術師』たる俺を追い詰めるなんて追い詰めた気になるなんて
「ふざけるなよ‼︎ クソガキィッッ‼︎」
激情に任せてパラケルススが叫んだのと同時に、マリは残る全ての魔力を杖に流し込む。
杖は星のように強く美しい輝きを放つ。
サラマンダーと、ニンフと、シルフと、グロームと、ノームの、心強くて優しい精霊達の全ての力が込められた光が、辺りを照らした瞬間に、マリは手を離した。
「輝神の霊弓‼」
星芒の破杖が、光を超える速さでパラケルススに向かっていく。
全身全霊。マリと精霊の全ての魔力と想い、覚悟が込められた一矢。最後にして究極の切り札を目にして、避けるか防ぐか杖を壊さなければばならないとパラケルススは考えるが
「身体が、痺れ・・・‼」
思考を行動に移せるような状態ではなかった。
杖はすぐそこまで来ている。早く手を打たなければ、本当に・・・
「・・・ねぇんだよ」
いや、それだけはあってはならない。
パラケルススは何がっても、絶対に
「てめぇなんかに負けられるかよ‼ 負けられねぇんだよ‼ 俺の・・・俺の、俺のぉ‼」
負けられない。
『プリエール』は譲れない。
「復讐の邪魔をするなぁあぁあぁあぁっっっ‼」
痺れる身体を強い憎悪で強制的に動かして、パラケルススはすぐそこまで迫って来ていた杖を煌剣で止めた。
何とか、当たる前に受け止められた。だが、杖の勢いは少しも弱まらない。耐えるだけで精一杯で、とても杖を破壊できそうにはない。
直接当たらずとも、光の余波で身体が焼かれ、熱で意識が朦朧とし始める。
少しでも気を、力を緩めたらその時点で矢が当たって終わる。しかし、耐え続け、痺れが抜けたならば、杖を壊せる。マリの最後の一撃を打ち破って、勝利を掴む事ができる。
マリはもう何もできない。この一撃さえ、凌げれば、そう思ってたパラケルススは、信じられないものを見た。
杖の後ろに、マリがいた。
傷だらけの拳を強く握りしめ、渾身の拳撃を繰り出そうとしている。
あと少し力が加われば、杖を押し込み、パラケルススを倒せる。きっと、マリ自身もただでは済まない。それが分かっているから、パラケルススは狂人を見るかのような顔でマリを見つめている。
マリだってそれは分かっている。分かっているが、それでも
――今度こそ勝つって、決めたから。ステラちゃんなら、アルジェントさんなら、リリィさんなら、ライゼさんなら、ニンフなら、やれる事は全部やる。何があっても
「絶対諦めない」
マリは杖に全力の一撃を、杖に叩きこんだ。
その瞬間、煌剣は折れ、鋭利な杖の先端がパラケルススの腹に突き刺さり、光が、生まれ、『プリエール』を満たして――・・・
星は死ぬ時、一際眩い輝きを放ってから死ぬ。
杖を核として生じた超新星爆発にも似た爆発は、マリも、パラケルススも、大地を燃やしていた精霊の炎も、何もかもを吹き飛ばした。
死んだ。そう思った。でも
「・・・・・・ぁ、ぁあ」
マリは生きていた。
両肘と両肘から先の感覚はなく、両目も見えなくなっているが、それでも生きたいた。
策は上手くいった。魔力も使い果たした。果たして、自分は勝ったのか、負けたのか、動けず、視界も失ったマリには知る術もない。
もしも、まだパラケルススが戦えるなら、自分が負けてしまっていたならば、そう思い、不安に駆られるマリの耳に
「本当に、本当によく頑張ったね」
聞き覚えのある優しい声が聞こえてきた。
その声の主は、マリを信じ、マリに力を貸してくれた精霊のものだった。
「ニン、フ・・・」
掠れた声でマリはニンフの名を呟く。
姿は見えないが、きっと、泣きそうになっていると、マリは何となくだがそう感じた。
「ねぇ、ニンフ・・・私、勝てた? ちゃんと、役目を、果たせたの、かな?」
今一番大事な事。
『プリエール』を取り戻す為の最後の戦い。その結末はどうなったのかを、マリはニンフに問いかける。
一瞬の静寂。永遠にも感じる刹那の後、ニンフは涙を流しながら、答えた。
「勝ったよ。君の勝ちだ、マリ。テオは、意識を失い、戦闘不能に陥った。君は、役目を果たした。勝った。勝ったんだよ。やっぱり、君は、弱くなんてなかった・・・‼」
マリの勝利。
それが『プリエール』解放の最終決戦の結末だった。
マリにその結果を伝えるニンフの声は震えていて、後半は普段のように低く力強い声を作る余裕もなくなり、素の透明感のある高い声に変わっていた。
自分が勝てた事を知ったマリは、弱々しい笑みを浮かべて
「そう、なんだ・・・よかっ、たぁ・・・」
そう言うと、ゆっくりと目を閉じた。
瞼が下りる最後の一秒に浮かんだのは、笑う星の名を持つ少女の笑顔だった。
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