お伽の夢想曲

月島鏡

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第四章 祈りを繋ぐ道

第二十三話 屠牙

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「ねぇ、ユナ。おおきくなったらっていつ? なんさいになったら?」

 日が暮れた頃、いつもより多く遊んだ後の帰り道で、ローザがユナに尋ねる。問いに対してユナは少しの間考え込んで、そうねと下唇に指を当てながら

「二十歳になったら、かしらね」

「にじゅっさいかー、あとじゅうろくねんまたないといけないんだ。ながい・・・」

 返された答えに気が遠くなる思いを覚えるローザに、ユナは笑いながら首を横に振る。

「十六年なんてあっという間よ。すぐに過ぎるわ」

「そうゆうものなのかなぁ」

「そうゆうものよ。ほら、もう着いたわよ」

 ローザの家に辿り着き、ユナは扉を三回軽く叩くと、ゆっくりと扉が開き、中からエプロンをつけたアマンドが出てきて、二人を満面の笑みで迎える。

「あ、ユナちん、ロザり~ん、お帰り~」

「ただいま。って、私が言うのはおかしいわね」

「今日からうちに住む?」

「前もそれ言ってたけど住まないわよ。ていうかアマンド、手に持ってるそれ何?」

「これ? 包丁だけど。今から料理する所だったから」

「包丁なのそれ?なんか、めちゃくちゃごつくない?」

 アマンドが手に持つ物、アマンドが言うには包丁であるというそれは、刃渡りが通常の包丁の十倍以上で、それに伴い幅も大きなものとなっている上に、鋼色の刀身が所々赤い何かで汚れている。
 包丁というより血濡れの大剣といわれた方が納得できる見た目の刃物。そんなものを料理の為に振るう事など、間違いなくある筈も無く

「魔獣退治に使った時に汚れちゃってさ。別に変な事には使ってない。今ちょっとストレスで、いや、諸事情で包丁破壊しちゃ、ううん、折れちゃったから、代わりにこれを使って料理してやろうと、料理する事になったんだよ」

 質問する前にアマンドに包丁の詳細と何故使うのかを説明され、ユナは大体の事情を理解する。
 イリニ絡みでまた何かあったのだろう。口元は笑っているが、目が笑っていない。その事にローザは気付いてないようだが、ユナは一目で分かった。
 人の家庭事情に口出しし過ぎるのはあまりよくない、というより深く追求するのは恐いので、ユナはそうなんだと言うだけに留める。そのついでにイリニの無事を祈る。

「ロザりん送ってくれてありがとなー。じゃあ、また」

「えぇ。また。ローザも、またね」

「うん。また」

 手を振ってローザとアマンドに別れを言って、ユナは一息ついてから後ろを振り返る。

「さて、そろそろ行かないとね。私に用があるんでしょ。待たせてごめんなさいね。ブレイブ」

 ユナがそう言うと、草むらから音がして、赤い三角帽子に葉っぱをつけたブレイブが現れる。

「いいや、大丈夫だ。ローザとの時間も大事だろ。どうしても決めたい事があるから、今からレアルの家に来てくれ」

「えぇ、分かったわ。あと帽子に葉っぱついてるわよ」

「本当だ。じゃあ行くか」

 帽子についてる葉っぱを取って、歩き出すブレイブに着いてユナはレアルの家に向かう。





 レアルの家に着いた時、明かりはついていなかった。
 いつもなら動いている筈の暖房用魔水晶もついておらず、室温は肌寒い。

「おかしい。寝ている間も暖房をつけたままなのに」

「中に入りゃ分かる。静かにな」

 小声で言うブレイブに従い、ユナは足音を立てないようにリビングに足を踏み入れる。その瞬間

「お前だぁあぁあぁあぁああぁあっっっ‼︎」

「うわぁ‼︎」

 突如響いたあぐらをかく男の叫びにユナが驚きの声を上げて飛び上がると、男も、男の近くにいたレアル、アクル、デルニエールも同じように驚くと、暗い部屋に橙色の明かりが灯る。ブレイブが持つ燭台の上に乗った蝋燭によるものだ。

「恐い話大会中だったんだよ。だから雰囲気作りのために明かりを消して、暖房用魔水晶も切ってたんだ」

「成る程ね・・・で、あなたは誰なの?」

「あぁ、私ですか」

 ユナの視線を受けて、男、フェイは立ち上がって姿勢を正す。

「『イヴォール国』特使フェデーレ=フロントです。フェイと呼んでください。よろしくお願いします」

「私はユナ=マリスタ。よろしく。驚かせてしまってごめんなさいね」

「いえいえ、全然大丈夫ですよ。ちょっと心臓止まりそうになっただけですから。さて、ユナ様も来た事ですし、次は『二つの影』の話をーー」

「いや、一旦その話は後にして明日の話をしよう」

 今は何より大事な話。『プリエール』の、『サルジュの森』の未来を今度こそ切り開くための話。

「デルニエールと『プリエール』の解放に行くのは、ユナかせっかち羽か、どっちかを決める」

「私かフェイ、どっちが『プリエール』に行くか? どうゆう事?」

「実はなーー」

 フェイが来た経緯と目的をブレイブは簡単にユナに説明する。
 大まかな事情を把握して、ユナはそうゆう事だったのと頷く。

「それでせっかち羽根なのね」

「中々的を射た表現ですよね」

「そんな他人事みたいに・・・いえ、それより、明日どうするかの方が重要ね」

 デルニエールと同行するのはユナとフェイどちらか、それを決めなければならない。
 回復を取るか相性を取るか、そのどちらが正解なのか誰もが悩んでいる中、デルニエールが手を挙げる。

「ユナ様にお聞きしたいのですが、回復用の魔水晶はお作りになられていないのですか?」

「私の家に百二十個、『デール』に三十個備えてあるわ」

「なら、『プリエール』解放にはユナ様が来ていただき、フェイには私とユナ様が不在の間、森を守ってもらうのが最適かと思います」

「デーさん? どうして」

 自分ではなくユナに同行してもらうとはっきり告げられ、困惑するフェイにデルニエールはごめんと頭を下げる。申し訳ない気持ちも、罪悪感もある。だが

「すまないフェイ。せっかく来てくれたのに悪いと思ってる。けど、回復用の魔水晶が百五十個もあるなら、ユナ様が一時不在でも森に何かあった場合でも対処はできる。今までは僕がやられて立ち上がる事ができなかったから失敗してしまった。でも、ユナ様が来てくれれば、倒れてもまた立ち上がる事ができる」

「だから、ユナ様と一緒に行くって事か」

「そう。それに・・・いや、なんでもない」

 パラケルススは危険だ、と言おうとして、デルニエールは言葉を呑み込む。
 危険だからやめた方がいいなどと言えば、この友はそんなの承知の上だと言って怒るに決まっている。それでも助けになりたいから、文字通り飛んで駆けつけてくれるような、友達思いの男がフェイなのだから。

「頼まれてくれるかな? フェイ」

「そう言われたら、任せろって言うしかないじゃんか。分かったよ。待ってる間はデーさんの黒歴史でも話しながら待ってるから、安心して行ってこい」

「安心できないよ。やめてね。話さないでね」

 冗談を言いながら肩を叩いてくるフェイに、デルニエールは苦笑する。
 自分の意志を曲げてまで送り出そうとしてくれるフェイをデルニエールがありがたく思っていると

「水を差すようで悪いけど、回復用の魔水晶は一つ一つの効果がそこまで強くない。百五十個で瀕死の住人を十人完治させられる程度よ。だから、もしも私とデルニエールが『プリエール』に向かっている間に想定外の事が起きれば」

「――そうはさせない。私と皆で、この森を守り切ってみせる」

 もしもの事態を憂慮するユナに、可憐な少女の声が応じる。
 声の主は、毛布に包まって体育座りをしている銀髪の少女、レアルだ。

「安心して行ってくるといいよ。ユナの分も私が頑張るし、ちゃんとユナの黒歴史話しながら待ってるから」

「そこでフェイの真似しなくていいから。私まで安心して行く事ができなくなるじゃない」

「冗談冗談。でも、頑張るのは本当だから。任せて欲しい」

 瞳の色を変えて自信を見上げるレアルに、ユナはただ首肯する。
 本気の目で、顔で、守り切ると断言したレアルに、ユナが返すべき反応はそれしかなかった。レアルがユナを信頼しているように、ユナもまたレアルを信じている。
 レアルが任せて欲しいと言ったなら、きっと何があっても大丈夫だ。

「結局、当初の予定通りデルニエールと『プリエール』に向かうのはユナって事でいいのか?」

 ブレイブの問いかけに、デルニエール、ユナ、フェイの三人が頷く。
 話し合いは想定よりもずっと早くに終わった。揉める事なく終わらせる事ができたのは、フェイがデルニエールの意思を尊重してくれたお陰だ。

「絶対に『プリエール』を解放するわ。フェイ、任せて頂戴」

「はい。応援してます。『繋界鏡』の前でチアダンス踊ってますね」

「普通にレアルの家で祈ってて」

 もしもそんな事をされたらパラケルススとの戦闘中に思い出し笑いをして、その隙にやられるなんて事態に陥りかねない。そんな事になったら笑い話にもなりはしない。

「ま、何はともあれそろそろ寝なくちゃね。明日は早いし」

「その前にやる事があるよ」

「やる事? 何かあったかしら」

「暖房用魔水晶つけて。このままだと私凍死しちゃうよ」

 ガタガタと震えながら生命の危機を訴えかけてくるレアルに、ユナはそうねと小さく笑う。
 チアダンスで思い出し笑いというのも笑い話にならないが、朝目覚めたら凍死体になっていたというのも笑い話にならない。そうならないようユナは複数の暖房用魔水晶を稼働して、レアルと目を合わせる。

「それじゃあ、私はデールに戻るわね。明日は『繋界鏡』に集合で」

「うん。じゃあね」

「デルニエールも、明日は頑張りましょう」

「はい。今まで以上に死力を尽くします。もう夜遅いですし、お送りいたし」

「俺が送っていく」

 デルニエールの言葉を遮って、ユナの隣にフェイが立つ。

「デーさんは早く寝ろ。ユナ様は俺が紳士的にエスコートしまくるから」

「一度でいいのよ? それだと何往復もする感じになるし」

「確かにそうですね。じゃあそのたった一回に全力を以て臨みます」

「そこまで気合い入れなくてもいいんだけど・・・まぁ、いいわ。そこまで言ってくれるならお言葉に甘えさせてもらうわ」

「はい! 任せてください! 彼女無しのデーさんより先にデートっぽい事してやったぜ。ざまーみろ」

 最後にデルニエールを煽ってから、フェイはユナと共に扉から出ていく。
 扉が乱暴に閉められる音を聞いて、デルニエールは左目を押さえて溜息を吐く。

「やっぱりまだちょっと怒ってるな。今度遊んでやらないとな」

「友達に可愛い女の子と一緒の方が良いって言われたら誰だってムッとしちゃいますよ」

「ははっ。ムッとする、そうですね。フェイは子供っぽい所があるから、その表現はしっくりきます」

 からかってくるレアルに笑いながら答えて、デルニエールは扉の方を見る。

 ――世界旅行、フェイも誘うか。

 そうしたら、素直で子供っぽいあの友人は許してくれるかもしれない。『剣翼』所縁の地に行けば目を輝かせるに違いない。

「もっとも、フェイの事だからもう行った事があるかもしれないけど」






「なーんて、思ってるに違いないんですよあいつは!」

「落ち着いて。落ち着けないのも分かるけど」

 ユナを家へと送りながら、フェイはデルニエールへの不満をぶちまけていた。
 レアルの家を出る時はエスコートすると言っていたが、現状エスコートされているという感覚はユナにはない。不機嫌な時のローザを相手にしている時の気分というのが一番近いだろう。

「別にユナ様と一緒に行くのは良いんですけど、もう少し悩んでくれてもよくないですかねぇ!?」

「そ、そうね」

「全くもう、あんちきしょーめ。分かってる。分かってるんですよ。デーさんは一番良いと思った方法を提案しただけ。デーさんは、パラケルススが危険だって事を知ってるから、私に残って森を守って欲しいと言ったんです。デーさんの考えそうな事です」

 長い付き合いだ。考えそうな事は大体分かる。そこに決して他意が無い事だって。
 でも、それでも、本当はフェイ自身がデルニエールと共に『プリエール』を解放したかった。しかし、デルニエールはフェイではなくユナを選んだ。それが最善であると信じて。

「悔しいですけど、俺はデーさんの帰りを待つ事しかできないんです。だから、どうかお願いします」 

 言葉を区切り、フェイは立ち止まってユナに頭を下げる。

「ーーどうか、デルニエールを死なせないでください。あいつは諦めが悪くて、止まる事を知らない。放っておいたらいつ死ぬか分かったものじゃない。そうならないよう、あいつを守ってあげてください」

「分かったわ。絶対に死なせない。『親指姫』の名に懸けて誓う」

 ユナにデルニエールを死なせるつもりはない。
 二人で『プリエール』を解放して、皆で笑う。夢に見たしあわせな未来を現実のものにしてみせるという覚悟。今のユナの胸の中にあるのはそれだけだ。

「今日は送ってくれてありがとうね。あなたも今日はゆっくり休みなさい」

「はい。また明日。明日はチアダンスではなく応援団っぽくエールを送ります」

「だからそうゆう事しなくていいって。まぁ、いいわ。じゃあ、また明日ね」

「はい。ではこれで失礼致します」

 一礼すると、フェイは背中から短剣のように鋭利な羽根で形作られた翼を広げ、レアルの家へと飛んでいった。

「一瞬で見えなくなった。せっかちっていうより高速っていう方が正しいわね。あれは」

 フェイの飛行速度をそう評した――次の瞬間、遠くの方で何かが落ちる音がした。

「何!?」

 音がした方に走ると、フェイが白いモミの木の横で四つん這いんになって呻いていた。

「いたたたた・・・」

「もしかして落ちたの?」

「お恥ずかしい。見られてしまいましたか」

 フェイはユナに気付かれると、気恥ずかしそうな顔をして立ち上がって服についた雪を払う。

「あなた、怪我したの?」

 フェイが雪を払う時に触った箇所に、小さな赤い斑点がついてるのを見てユナが問う。ユナに問われてフェイは左の手のひらを見せながら

「さっき枝で切ってしまいまして、でも大した怪我じゃないので大丈夫ですよ」

 笑いながらそう言うフェイの手首を、ユナは無表情で掴んで、傷口に緑色の光を当てる。ハンカチで手のひらを拭くと、小さな傷口はもう既に塞がっていた。

「小さな傷口でも、痛いものは痛いし、それが命取りになる事だってある。どんな傷も治す為に私がいるんだから、私の前で遠慮なんてしないの。いい?」

「はい。すいません」

「分かったならいいわ。次は怪我しないように気を付けなさい」

「あぁ、いえ、歩いて帰ります。今日はどうやら、上手く飛べない日みたいなので」

 魔法で飛行するには集中力が求められる。雑念が多すぎたり、考え事があって気を取られたりしていると、上手く飛ぶ事はできない。
 明日デルニエールが『プリエール』の解放に挑む事で、頭の中がいっぱいになってしまっているのだろう。見た所、フェイはデルニエールを信頼しているが、全く心配してないという訳ではない。それでデルニエールの事ばかり考えてしまって飛べずとも不思議はない。

「そう。それじゃあまたね。転んで怪我しないよう、注意して歩くのよ」

「はい。気を付けます。では、また明日」

 そうしてユナはフェイと別れ、ユナは『デール』に、フェイはレアルの家に向かって歩いていく。
 当然の事だが、二人の帰る方向は逆であるため、互いに背を向けていた。
 だから、ユナは気付かなかった。互いに背を向けた瞬間、フェイが上着のポケットからクルミを三つ取り出し、音を立てない程度の力でそれらを握っていた事に。



 ユナはデールの中に入って、寝室に向かう前に、机の上に置いてある手紙に目を通す。それは、先日ローザが送ってくれた手紙だ。
 『プリエール』の解放が成功すればローザと一緒にいられる時間が増えるだろう。そうなればローザも喜ぶ筈だ。そんな事を考えながらユナは手紙を三度読み返して、ふふっと笑って笑うと、手紙を寝室に持っていき、机の引き出しの中にしまって鍵をかける。これで風に吹かれて飛んでいったり、失くしてしまう事もない。

「こんな大事な手紙、失くしたら嫌だしね」

 明日もその次の日も、何度だって読みたいものと心の中で呟いて、ユナはベッドに横たわり目を閉じた。










 決戦の日。白日が朝を引き連れて空に昇り、窓から差し込む陽光が『デール』の中を照らし、『繋界鏡』に反射して輝く。
 冷たく厳かな空気が満ちる『デール』に、四つの影が立っている。
 赤いリボンの少女と黒髪の青年、その二人の見送りに来た銀髪の白髪の青年だ。

「ユナ、頑張ってね。今回私は何もしてあげられないけど、ずっと祈ってるから」

「ありがとうレアル。それだけで十分よ」

「デーさんも、張り切って行ってこい」

「ありがとうフェイ。じゃあ、行ってくるよ」

 ユナとデルニエールは、それぞれの友人から激励の言葉を受け取ると手を繋ぎ、空いている方の手を『繋界鏡』にかざして

「我、二つの世界と繋がり、二つの世界を繋ぐ者。霊王の加護を以て、我と我が認めし者を此方から彼方へ渡らせてたまえ」

 デルニエールが『プリエール』へと渡るための合言葉を唱えると、『繋界鏡』が光を放ち、その直後、ユナとデルニエールの姿が消える。こちらから『プリエール』へと渡ったのだ。
 二人が行ってしまった今、取り残されたレアルとフェイにできることは、心の中で祈る事だけだ。

「ユナ、どうか生きて帰ってきて」

 両手を顔の前で組んで目を閉じ、レアルはユナの無事を祈る。十数秒の間祈りを捧げて、レアルは目を開いてフェイの方を見る。
 フェイもまた、レアルにならい手を組み、無言で祈りを捧げていた。フェイはレアルの倍以上の時間祈りを捧げると、目を開いてレアルに笑いかける。

「ユナ様って良い人ですよね」

「え?」

「昨日怪我してしまいましてね。手のひらを少し切った程度の軽い怪我でしたが。ユナ様が治してくださったんですよ」

「ユナは優しいですからね。かすり傷でも放っておけないんです」

「えぇ。そうみたいですね――だからこそ、もったいない」

 フェイの声のトーンが低いものになり、それと同時にレアルの身体がくの字に曲がって吹き飛んで『デール』の壁に激突する。激突の勢いで木製の壁を突き破り、雪の上にレアルは仰向けに倒れる。
 上体を起こそうとすると、腹部に鋭い痛みが走った。手を当てると、雪のように白い肌が真っ赤な血に染まっていた。
 蹴りを放った体勢のフェイの靴裏から血で濡れた刃が突き出ているのと、腹に傷口が生じているのを確認して、ようやくレアルはフェイに攻撃されたのだと気付く。

「あの『親指姫』みたいなお人好しやお前に『幻夢楽曲』の力が備わっているのがな」

「フェイさん? 何を言って」

「違う。俺はフェデーレ=フロントじゃない」

 フェイーーではない何者かは、前髪をかき上げながら、上着のポケットからクルミを三つ取り出し、それらを左の手の中で強く握りしめる。
 殺意に満ちた瞳でレアルを射抜いて男はその名を告げる。

「俺はアノニム。お前と『親指姫』を屠る陛下の牙だ」





 突如として現れたフェイに扮した男、アノニムに対し、レアルは警戒を高める。
 正体を明かした途端、魔力が、鬼気が、爆発的に高まり、雰囲気が変わった。それは明らかにフェイと異なるもので、目の前の男が姿形は似ているとはいえ、フェイとは別人である事は本当なのだと分かった。そして、このアノニムという男は自分と同じかそれ以上の実力を持っている。それにも関わらず、レアルがそれに気付けなかったのは、アノニムが上手く自身の実力を隠していたからだ。

「実力を隠すのが上手くて強い・・・あなた、暗殺者かスパイ?」

「前者だとだけ言っておく」

「そう。じゃあ、フェイさんは? フェイさんはどうしたの?」

「知る必要はない。お前ももうすぐ死ぬから」

 そう言うとアノニムは黒いナイフを取り出し、レアルに襲いかかる。
 迫るアノニムの黒刃を、レアルは立ち上がらずに結晶剣で受け止め、強引に弾いてから立ち上がりアノニムの首を斬ろうとする

「おっと」

 が、アノニムは軽々と凍れる斬撃を回避し、レアルの顔めがけてナイフを投擲する。レアルはそれを顔だけ動かして躱し、大きく踏み込んでアノニムとの距離を詰め、斜めに結晶剣を振り下ろす。

「腹に傷がある状態でよくそれだけ動けるな」

 振り下ろされた結晶剣を左腕で受け止めてアノニムは感心し、易々と結晶剣を受け止められたレアルは目を見開く。生身で受け止めれば斬られて傷口から凍結してゆく剣を、腕一本で受け止められた。その事に驚きを隠せないレアルに、アノニムは上着の袖を破って種を明かす。アノニムの腕には手甲が嵌められていた。

「お前対策に氷属性の魔法の効果を半減する魔鉱石を加工した甲冑を着込んである」

「本気で私を殺すつもりで来たんだね。目的はやっぱり、私の『雪月の輪舞曲ニクス・ルナ・ワルツ』と」

「『親指姫』の『残英の対舞曲ブルームンコントルダンス』。その二つを使って陛下の望みを叶える。その為に、まずはお前を殺す」

 手の中のクルミを粉々に砕いて、アノニムは拳でレアルの顔面破壊を試みる。
 アノニムの拳をレアルは大気に氷の盾を作ることで防ぎ、アノニムの鳩尾を蹴って後方に飛び距離を取る。無防備な鳩尾に鉄すら砕く蹴りが直撃するが、アノニムは怯まない。

「甲冑が硬い。壊すの大変かも」

「陛下から賜わった世界でただ一つの甲冑だ。お前なんかに壊せるものか」

「どうかな? やってみないと分からないと思うけど」

 腹の傷に手を当てて、傷口を凍らせて無理矢理止血すると、レアルは結晶剣を消し、代わりに氷の大槌を二つ作り出して地面を叩く。

「これであなたの甲冑を壊す」

 大槌を構え、レアルはアノニムに飛びかかる。
 大槌を棒切れを振り回すみたいに軽々と振り回し、レアルはアノニムの甲冑を砕こうとする。氷の大槌の一撃は、当たれば甲冑も骨も何もかも凍らせ、必ず砕く。故に一度食らえばそこから崩れ、一気に死は近付く。だが、それは当たればの話だ。

「ふっ、むっ、中々、良い動きを、する」

 大槌の連撃を回避しながら、アノニムはレアルの動きを称賛する。表情一つ変えず、軽々と避け続けていられるのはアノニムに余裕があるからだ。
 身体能力ではアノニムに分がある。ならば魔法で攻めたい所だが、現在の『サルジュの森』の状況を無視しても、全力で魔法を放てない理由がある。

 ーー『繋界鏡』が割れたら、二人が帰ってこれなくなる。

 『レーヴ』と『プリエール』、二つの世界を繋ぐ扉である『繋界鏡』。それが割れてしまえばユナとデルニエールは『プリエール』から帰って来れなくなる、だけではなく『サルジュの森』を救う手段がなくなる。

「氷の剣と槌を振り回すだけ。『白雪姫』の力がこんなものなら、陛下の望みを叶えられない。他に力があるなら見せてみろ」

 それが分かっている上で、アノニムはレアルをこの場所で襲い、力を見せろなどと宣っている。いいだろう。そんなに力が見たいのなら見せてやる。

「ここ以外の場所でね」

 レアルは大槌を二つ共空に放り投げて、掌から複数の氷柱を射出する。アノニムは全ての氷柱を手刀で叩き落とし、レアルとの距離を一瞬で消して、レアルの浅緑色の目を人差し指と中指で潰そうとする。
 後一ミリで二指が眼球を貫き、取り返しがつかなくなる寸前で、アノニムの腕の軌道がずれる。

「なっ」

 アノニムの狙いが外れた原因、それはレアルの足元から突き上がった氷柱だ。氷柱がアノニムの肘を打ち上げた事で狙い外れた。それにより生じた隙に乗じて、レアルはアノニムのこめかみに蹴りを叩き込む。

「あがっーー‼︎」

 甲冑を纏っていない、生身の部分にまともに蹴りを食らって、アノニムの足がふらつく。ようやくアノニムにダメージらしいダメージを与えると、先程空に放り投げた二つの大槌がレアルの元に落ちてくる。
 レアルは大槌を華麗に掴むと、左の大槌をアノニムの頭に振り下ろし、右の大槌を振り抜いて胴を打つ。
 氷の鈍器で殴られた衝撃で、アノニムは達磨落としのように数メートル先まで勢いよく吹き飛ぶ。

「ちっ、くそ、がぁっ⁉︎」

 倒れた先で立ち上がろうとした時、顎を蹴り上げられ、アノニムの身体が宙に浮かび上がる。
 宙に浮くアノニムのすぐ近くに、足を上げた体勢のレアルがいた。レアルが上げた足を下ろして思い切り地面を踏みしめると、またしても地面から氷柱が発生する。ただし、今度は突き上げるのではなく、突くための大氷柱だ。

「おあっ‼︎」

 氷柱はアノニムの腹を突くと、そのまま成長してアノニムを白いモミの木に叩きつける。氷柱の鉄槌を食らい、アノニムは腹と背中に衝撃が加わり吐血する。
 甲冑の効果で氷の魔法の効力を半減しても、衝撃までは殺せない。巨大な質量で殴られれば痛手を負う。それでも、凍結していないだけ甲冑は充分に役目を果たしているといえる。

「陛下がこれをくださらなかったら、どうなっていた事か・・・ん?」

 身体を冷気に包まれる感覚がして、アノニムは自身の身体を見ると、氷柱に触れている箇所の付近から身体が凍結し始めているのが見えた。

「何⁉︎」

 氷の魔法の効力を半減する甲冑を身につけているにも関わらず、身体が凍っていく状況にアノニムは動揺を隠せない。
 動揺で動けなくなった数秒で、氷はアノニムの首から下とモミの木を包み込む。完全に身動きを封じられたアノニムの近くに、軽やかな靴音と共に一人の少女が舞い降りる。
 少女はアノニムの眉間に氷の剣を突きつけて、一切の感情を宿さない、雪よりも遥かに冷たい瞳でアノニムを見下ろして

「三つ、聞きたい事がある。正直に答えて。まず一つ目、フェイさんをどうしたの?」

 抑揚のない、平坦な声で問いかける。嘘偽りを口にすれば、間違いなく首が飛ぶ。仮に今この場で事実を誤魔化せたとしても

 ――識別魔法の使い手がいたんじゃ、遅かれ早かれバレるか。

 下手な嘘を吐いても無意味。そう判断したアノ二ムはレアルの質問に正直に答える事にする。

「昨日の夜殺した」

 残酷な事実を端的に告げられ、レアルは僅かに目を見開く。その目がほんの一瞬だけ悲しみに揺れるが、またすぐに元の冷たいものに戻る。

「じゃあ二つ目、あなたはどこの誰の命令でここに来たの?」

「――っ、それは・・・‼」

「誰の命令で来たの?」

 再度、同じ質問をするレアルに、アノニムの顔が強張る。
 言わずとも暴かれる。隠し通す事はできない。ここで言おうが言わまいが結果は同じ。それなら自分の口から言った方が幾分かは楽に死ねるだろう。だが、雇い主であり崇拝する人物の情報を明かすのは矜持に反する。

「それは言えない。絶対に言わない。今ここで首を刎ねると言われても絶対に明かさない。陛下を裏切るような真似は絶対にしない」

「そう。じゃあいいや。答えなくても」

 斬首されるとアノ二ムは覚悟していたが、レアルはあっさりと回答拒否を認める。
 どうせ分かるからだ。アクルを連れてくればどんな真実も明らかになる。情報を読み取って、その後にアノニムとアノニムの雇い主を殺せば万事解決だ。故に二つ目の質問だけは回答拒否を認めたが、次の質問ではそれは認めない。

「次の質問には正直に、今すぐ答えてね。仲間はいるの? いるなら人数と配置を教えて」

「分かった。教える。人数は二十一人。その内一人はーーもうすぐ来るよ」

 アノニムがレアルの後ろを見ながら言うと、背中に翼を生やした人影が、高速で近付いてきていた。
 レアルが振り向いて近付いてくる人影の姿を目視した時、人影は翼でレアルを殴ろうとしていた。

「ーーふっ‼︎」

 翼の殴打を咄嗟に剣撃で防ぎ、レアルは人影の顔を見る。その顔は、昨日まで活き活きと憧れの英雄について語っていた青年の顔だった。

「フェイ、さん・・・」

「ーーーー」

 名前を呟くレアルに、フェイは言葉ではなく翼による一撃で答える。僅かに反応が遅れ、右腕に翼が叩きつけられ、レアルは氷柱の上から叩き落とされる。
 雪の上を何度も転がり、剣を杖にして立ち上がったレアルの右腕は赤く染まっていた。
 爪の先から付け根に至るまで、右腕は無数の刃で斬り刻まれたかのようにずたずたになっている。
 痛みに顔をしかめながら上を見ると、氷柱の上に立つフェイの、無数の短剣が集い形を成す翼の左側も、滴る血で赤くなっていた。

「フェイさん。どうして? 死んだんじゃ」

「呪術で死体を動かしてるんだよ」

レアルの疑問に、フェイの後ろで未だに氷に動きを封じられているアノニムが答える。

「『巫蠱ふこの骸』っていう呪術だ。今じゃ使う奴はほとんどいないレアな呪術だ。見る事ができてよかったな」

「見る事ができてよかっただって?」

「恐い恐い。そう怒るなよ。あぁ、そうだ。残り二十人の仲間の居場所、教えてやるよ。あいつらならーー・・・」







 レアルがアノニムと戦い始めた頃、『サルジュの森』の居住区は地獄と化していた。
 多くの民間が破壊され、木々がへし折られ、あちこちに死体が転がっている。どの死体も急所を一撃で傷付けられていて、無駄がない殺され方をしている。見る者が見れば下手人は相当な実力を持っている殺しの達人という事が分かる殺し方だ。
 そんな達人二十人の前に、立ちはだかる小人が七人。
 『白雪の森』所属の『七人の小人』達だ。

「はぁ・・・はぁ、ったく、なんなんだこいつら。畜生」

 赤い三角帽子を被った小人、ブレイブが悪態をつきながら二十人の白い衣装に身を包んだ男達を睨む。
 その身は既に傷だらけで、立っているのがやっとという状態だ。
 他の六人も似たような状態であり、相対する男達はいずれも無傷だ。どちらが優勢でどちらが劣勢なのか、語るまでもない。勝負も見えたようなものだ。

「それでも、諦める気はさらさらねぇけどよぉ・・・」

 『白雪の森』は『サルジュの森』を守るためのギルドだ。そのギルドに所属している以上、森を必ず守らなければならない。もうこれ以上、誰も死なせてはならない。

「もう一度やるぞお前ら。レアルとせっかち羽が来る前に、やっつけちまおうぜ‼︎」

「おぉっ‼︎」

 ブレイブが鼓舞すると、他の六人がそれに応える、フスティーシアとカステリコスが前に出て、遅れてブレイブも前に飛び出す。
 小人の中でも特に戦闘力の高い三人。
 この三人が共に戦えば、魔獣一匹なら対処できる。かつてユナは三人の実力をそのように評価した事がある。だが、今回の相手は二十人。総合的な戦闘力は魔獣一匹よりずっと高い。返り討ちに遭うのは火を見るより明らかだ。しかし、無策で前に出た訳ではない。

「仲間に送る念仏を読むなど、拙僧は御免被る」

 ナンバは厳しい修行を耐えた僧侶で、精神力の高さは七人の小人の中でも随一だが、仲間の死には耐えられない。だからナンバは修行の中で、仲間が死ぬ確率を少しでも減らせる力を会得した。その力は

「『三威一体』」

 ナンバが柏手を打った瞬間、ブレイブ、フスティーシア、カステリコスの身体に黄色い光が宿り、三人の速度が上がる。
 『三威一体』は一定数の生物や物質の能力や性質を特定の条件を満たした時に強化する恒数魔法の一種だ。
 その力は心を通い合わせる三人の身体能力と魔力を強化するというものだ。
 三人は白装束の内一人に飛びかかると、まずカステリコスが灰色の十字架を男に突き刺す。

制約の逆十字リミットクロス影像イドロ

 十字架の力で白装束の動きが止まり、ブレイブが鼻に拳を、フスティーシアが黒い光を纏った蹴りを首に叩き込む。十字架が消えて動けるようになった白装束は膝をつく。
 戦闘を開始してから初めて訪れた白装束を倒すチャンス。そのチャンスを逃すまいとブレイブ達は一斉に白装束に攻撃しようとするが、膝をつく白装束の後ろから現れた白装束が放った紫の炎弾をまともに食らってしまう。

「ぐぉあっ‼︎」

 炎弾は白装束からすれば小さな火種だが、小人であるブレイブ達からすれば巨大な火炎球だ。
 直撃して無事でいられる訳もなく、三人は雪の上に倒れ落ちる。

「ブレイブ‼︎ フスティーシア‼︎ カステリコス‼︎」

 アクルが倒れた三人の名前を呼ぶが誰も答えない。気絶してしまっている。
 『三威一体』の強化も虚しく、『七人の小人』の筆頭である戦士達は敗れてしまった。残るは四人だが

「まずいですね。私達は全員戦闘向きの魔法を使えないんですよ」

 誰一人として戦える者はいない。
 非戦闘員ばかりが生き残り、敵対する白装束は誰一人として倒されていない。ブレイブとフスティーシアの攻撃を受け、膝をついた白装束も鼻から少し血が出てるだけでほぼ無傷。もう既に何の問題もなく立ち上がってしまっている。
 戦況は絶望的で、白装束への勝ち目はほぼゼロだ。

「勝つ確率はともかく、生きる確率ならまだ少しはありますかね」

 アクルはメガネのブリッジを上げ、白装束達を見上げてから後ろにいる仲間に振り向いて

「ナンバ‼︎ ヨネ‼︎ イステキ‼︎ 最後の悪足掻きです‼︎ 指示通り動いてください‼︎」

 勝つのではなく生き残るための戦い。最後の悪足掻きをすべく、そう声をかけた。







「今頃、お前の仲間の小人達が必死に戦ってる頃だろう。暗殺しか能が無い俺の部下相手に何分持つかな」

「何で、そんな事‼︎」

「念の為に七人の小人を殺しておきたかった。二十人も連れてきたら気配でバレる。嫌がらせ。これが理由だ。そんな事より急がなくていいのか? 俺とフェデーレを倒せずここに長居して、その後むこうに行った時、どれだけの死体が転がってるだろうな?」

 アノニムの配下の居場所を聞き、居住区の状況を想像したレアルの顔に焦燥が浮かび上がる。
 先程自分を追い詰めていた時は、感情が無いと思わされる程に冷たい表情をしていたのに、森の住人と仲間が危険に晒されていると知った途端焦り始めた。そのレアルの変化にアノニムは思わず口角を吊り上げる。

「くくくく、いい気味だ。さっきまでの冷徹さが吹き飛んで、あたふたする様を見るのは、とてもいい気味だ」

「―――っ‼」

「お?」

 瞳孔を最大限に開いてレアルは跳躍し、一気にアノニムに近付いて剣を振るう。
 狙いは首だ。一振りで絶命させてフェイを操る『巫蟲の骸』も解除し、一刻も早く居住区に向かい敵を掃討する。全てが手遅れになる、その前に。

「フェデーレ‼」

 アノニムが叫ぶと、氷の剣が命を絶つ寸前でフェイがレアルとアノニムの前に割って入り、翼で剣閃を受け止める。

「フェイさん‼」

「――――」

 レアルの呼びかけにフェイは応じない。
 フェイにはもうアノニムの声しか聞こえていない。アノニムにのみ従う骸の戦士、それが今のフェイだ。たとえもう死んでいるとしても、痛みも苦しみも感じないと分かっていても、レアルはフェイと戦いたくない。
 決して長い付き合いではないが、その人柄が好ましいものだという事は知っている。好きな事について楽しそうに話す青年だった。もっとたくさんの事を話したかった。『剣翼』についての事を、もっとたくさん教えて欲しかった。でも

「あなたはもう死んでしまった。もう、眠るべきなんです。そんな奴に操られるべきじゃない」

 もう既にフェイは死んだ。死んだ者はただ安らかに眠り土に還る、それが死という終わりを迎えた者の本来の在り方だ。失われ、邪悪の手に拾われてしまった命を、再び元の場所へ還す。その為に、レアルは凍てつく風を纏った全力の刺突をフェイの翼に放った。金属同士がぶつかり合った時のような甲高い音が周囲に響いて、フェイの翼に亀裂が走る。

「――――‼」

 翼が完全に破壊される前にフェイは後ろに下がろうとするが、足が動かずレアルから離れられない。
 何故? とフェイが足元を見ると、いつの間にか膝上までが凍らされていた。翼と剣がぶつかり合った時、既に凍らせておいたのだ。飛んで攻撃を避けられ、とどめを刺し損ねる事がないように。

「はああああああっ‼」

 亀裂が生じた翼に氷剣を押し込むと翼全体に亀裂が走り、英雄と同じ形をした翼は粉々に砕け散って、フェイの胸に氷剣が突き刺さる。
 死人であるフェイには痛覚は無く、急所を刺そうが決定打とはならない。心臓を穿ってもお構いなしにレアルを殺そうとしてくるだろう。完全に止めるには、バラバラにして動けなくする他は無い。

「すいません。フェイさん」

 謝罪の言葉を口にして、レアルは突き刺した剣から冷気を放ってフェイを内側から凍らせる。剣を引き抜き、剣の柄頭でフェイの胸を軽く叩くと、一切の音を立てずに、フェイの身体は氷の粉と化して散った。
 フェイに二度目の死を与え、レアルは感傷に浸るのではなく、すぐにアノニムをその目に映して、今度こそ首を刎ねようとする。
 この男は、ここで殺さなければならない。もう二度とフェイのように命を弄ばれる者を出さないために。もう二度と誰も殺させないために。そうして、剣の切っ先がアノニムの首に掠った瞬間、レアルは氷柱の上から転がり落ちた。

「あ、れ・・・?」

 転がり落ちたのは、バランスを崩したのが原因だ。氷上の戦いに慣れているレアルがバランスを崩したのにも原因がある。それは、不意に背中に走った激痛だ。
 地面に落ちる前に背中を見ると、無数の短剣、のような羽根が突き刺さっているのと、氷柱の上から誰かが自分を見下ろしているのが見えた。
 レアルを見下ろしていたのは、レアルが二度目の死を与え、消滅させた筈の青年――フェイだった。

「なん、で・・・」

 信じられない光景を目に映して、口から血と一緒に疑問の言葉を吐き出して、レアルは地面の上に倒れる。
 口からだけでなく背中からも血が流れ、レアルを中心に血溜まりが広がり、純白のドレスが真紅に染まる。
 フェイは倒れたレアルから目を逸らして、自身が立つ氷柱をじっと見る。強度を確かめるように足踏みすると翼をはためかせて空に浮かび上がり、一度に三十以上の羽根を氷柱の一点、アノニムに当たるかどうかの場所に撃ち込んで氷柱を二つに折る。轟音と共に氷柱が雪の上に倒れた事で、凄まじい勢いで雪煙が吹き荒れてレアルの視界が白一色に染まる。
 少しして雪煙が晴れた時、レアルの傍にフェイともう一人、フェイと同じ顔をして、歪んだ笑みをたたえる男が立っていた。

「アノ、ニム・・・」

「まだ生きてたか。さっきので死んでくれてたら楽だったんだが」

 レアルの生存を確認して落胆するアノニム。その横に立つフェイには一切の傷が無い。確実に凍らせて砕いた。手応えはあった。なのに、そんな事は無かったかのようにフェイは平然としている。そのカラクリが分からずにいると

「これが『巫蠱の骸』の力だ。『巫蠱』は『蠱毒』の別名。『蠱毒』っていうのはーー」

「大量の虫を共食いさせて、勝ち残った一匹を媒体に、対象に呪いをかける、『蠱道』や、『蠱術』とも呼ばれる呪術の名前」

「なんだ。知ってたのか」

「昔、僧侶の仲間が、『蠱毒』関連の事件に巻き込まれた事があったから、その時の話を聞いて、知った」

 僧侶の仲間というのは無論ナンバの事だ。
 修行時代、まだ小僧だった頃にナンバはとある術師が起こした集団呪殺未遂事件に巻き込まれた事がある。
 その際術師が用いていた呪術が『蟲毒』の発展形であり、事件に巻き込まれてから解決するまでの経緯をレアルはナンバから聞いた事がある。その事件は決して風化させてはならない凄惨な事件であったが、今はその事より、アノニムの能力である『巫蟲の骸』についてだ。

「『巫蟲の骸』は発動に三つの手順がいる。一つ目の手順で普通の『蟲毒』と同じで共食いさせる。二つ目の手順は容れ物を用意する事だ。今回の場合はフェデーレだな」

「まさ、か」

「もう大体分かるだろ? 虫を死体の中に入れるんだよ」

 フェイを操る呪術。そのおぞましい全容を、アノニムはさも楽しげに語る

「通常の『蠱毒』は生き残った虫の毒を呪う対象の飲食物にいれて殺す。だが、俺は優しいから虫を殺すなんて事できない」

 胸に手を当てながら首を振ると、アノニムはフェイの胸をナイフで刺す。刺されたフェイの身体からは血も流れず、ナイフで刺した場所はすぐに元通りとなる。

「だから、三つ目の手順で用意した容れ物に虫を入れた後、支配してから容れ物と融合させて再生能力を付与するんだ。そうすれば、フェデーレの肉体は何をされても壊れず、虫も死なない。使い勝手の良い道具の出来上がりだ」

 『巫蠱の骸』、それはおぞましく、吐き気すら覚えるような、人道と倫理に背く最悪の呪術だった。
 徒に虫の命を無駄にして、穢れなき身体に呪詛に塗れた虫を溶け込ませ、死者を道具として良いように扱う。これ程までに悪辣な呪詛魔法はそうそうあるものではない。あってはならない。

「しかし、本当にいい呪術だよこれは。死体の性能を引き出せる上に、死体の持ってた魔法まで使えるんだから」

「あなた・・・」

「フェデーレみたいな雑魚でも、こんなに強い道具に早変わり。あの世できっと俺に感謝して」

「あなたーー、今すぐ死んで」

 再度、瞳から温度を消して、レアルはうつ伏せのままアノニムの頭上に巨大な氷柱を作り出す。自身に落ちてくる氷柱を、アノニムが後ろに飛んで避けて前を見ると、レアルがゆっくり立ち上がる。
 レアルは背中に突き刺さる羽根を凍らせて砕き、隠していた自分の翅を背中から生やす。透明な蝶を思わせる形をしたフェイの翼と同程度のサイズの翅。
 レアルはその翅で優雅に空に舞い上がると、アノニムを冷たく見下ろす。

「今度こそ確実に殺す。フェイさんも今後こそ眠らせて、二度と操られないようにする。だから、あなたはもうさよなら」

「何がきっかけで怒ったのかよく分からないがいいぜ。その前に俺も言わせてもらおうか」

 アノニムは何もない空間から、刀身が湾曲し、刃の先端から半分が両刃、それ以降の部分が片刃となっているファルカタと呼ばれる刀剣を二対取り出して笑い

「お前はもうさよならだ」

 レアルと同じような言葉を口にして、二本のファルカタを構えると、その途端に雰囲気が変わる。
 恐らくファルカタが本命の得物であり、アノニムの方もレアルを本気で殺すつもりになったのだろう。

「陛下の望みの為にここで死ね」

「森の平和の為にここで殺す」

 剣を握る暗殺者に、『白雪姫』は死の宣告をして自身の周囲に文字通り無数の氷柱を作り出す。
 暗殺者が跳ぶのと同時に、『白雪姫』は氷の雨を降らせる。時として人の命を奪う数えきれない氷の凶器が、全力で己を葬ろうと向かってくる中で暗殺者は不敵に笑った。




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