お伽の夢想曲

月島鏡

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第四章 祈りを繋ぐ道

第十三話 最悪の再来

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 『深海都市エクラン』。
 人魚達が住まう海底の王国。
 海の守護者たる『海鳴騎士団』が守るこの地は、つい数ヶ月前、深く傷付けられた。
 『夜天の箱舟』の襲撃。
 『人魚姫』の『幻夢楽曲』、『海鳴の交響曲アクアシンフォニー』を奪われ、二百余名の『海鳴騎士団』の団員は二十八名を残して全員死んだ。五大聖騎士は全員重症を負わされ、先代団長も左腕を失い、国中を照らしていた七色の宝石も全て奪われた。
 多くを失い、多くを傷付けられ都市は、以前の輝きを取り戻しつつある。その中核を担っているのは

「電水晶はほぼ都市全域に設置が完了しました」

「都市の見回りを行ったところ特には異常無し。今日もエクランは平和です」

 緑髪と赤髪の人魚の報告を聞くのは、外ハネロングの瑠璃色の髪の人魚だ。
 二人の人魚に背を向ける瑠璃色の人魚は静かな声でそうと呟くと、ゆっくりと振り返って、髪と同じ色の瞳を閉じて息を吐く。

「じゃあ、もう終わったんだね」

「えぇ」

「はい」

 瑠璃色の人魚の問いかけに二人が頷いて肯定すると、瑠璃色の人魚は大の字になって海底に倒れる。

「疲れたぁ~~~‼ やっと終わったぁ~~~‼ ベリル~、ルベラ~、おんぶして家まで連れてって~、動きたくない~」

 先程までの落ち着いた雰囲気はどこへやら、子供みたいに駄々を捏ねる瑠璃色の人魚、リーベにベリルとルベライトは困ったように笑う。

「団長、起きてください。疲れたって、そうゆう感じなのは分かりますけど」

「そうですよ団長殿。子供じゃないんだから」

「やぁ~だぁ~。起きれない~。リーベ団長はエネルギー切れなの~。お願いベリルベラ~・・・」

 ぐだるリーベ。それも仕方ないだろう。
 傷付き、光を失った深海都市を元に近い形に戻したのは、リーベの功績による部分が大きい。
 ほとんど眠らずに簡易照明用魔水晶よりも強い光を放つ電水晶を作り続け、消沈した団員達を励まし、聖騎士達の補助を受けつつ全員を指揮して都市全域に電用魔水晶を設置した。
 薄暗かった深海に強い光が灯り、その影響もあってか都市の雰囲気も少し明るくなった。

「仕方ないな。ベリル」

「はいっ」

 ベリルとルベライトはリーベの両脇にしゃがみ込み、肩に腕を回してリーベを立たせて泳ぎだす。
 今日まで頑張ってくれた団長の我儘の一つや二つは聞いたあげたい。
 それでも二人でおんぶというのは難しいので、肩を貸してリーベを家へと送り届ける事にする。


「なんだか酔っ払ったおじさんみたいだね。今の私」

「酔っ払いの方が楽ですよ」

「えー、ひどーい・・・ん?」

 ルベライトの言葉に笑うと、誰かが手を後ろで組んで佇んでいるのが見えた。
 ふわふわとした黄色い髪が特徴的なその人魚は、聖騎士の一人、シトリンだった。
 リーベはベリルとルベライトから肩を外し、シトリンへと近寄る。

「やーシトリーン。お疲れ様ー」

「あ、お疲れ様、ですー」

「どうしたの?シトリンから来るなんて珍しいね」

「あ、えっとー・・・」

 言葉を詰まらせるシトリンに、リーベは笑顔を浮かべたまま首を傾げる。
 そのまま十秒以上が経って、シトリンがようやく言葉を発する。

「こ、今度、時間あったら女子会しましょうー‼ って、それを、言いにきましたー・・・」

「うん。いいよー。でも、今日は疲れたから明日ねー」

「は、はい、じゃあ・・・」

 それだけ言うと、シトリンは急いでどこかへと行ってしまった。
 シトリンがいなくなった後、リーベは笑顔を消してベリルとルベライトの方を見る。

「シトリン、どうしたのかな?なんだかおかしかったよね」

 シトリンの普段との違いに、リーベは言われるまでもなく気付いた。
 言葉の歯切れが悪く、言いたい事を言えずに取り繕ってる感じだ。
 ベリルとルベライトもその事には気付いていた。

「そうですね。いつもと雰囲気が違ったというか、何かを伝えようとしていたように思えました」

「言いづらい事なのかな? 無理に聞くのもよくないだろうし・・・」

「明日女子会をするなら何があったのか聞ける場面はある筈です。その時に何かあったのか聞けばいい、そうゆう感じだと思います」

「そうだね。じゃあ明日の女子会はシトリンが好きなベリーを用意しなきゃね」

「ベリーはシトリンではなく団長殿の好物でしょう?」

ルベライトの指摘にリーベはバレたかと舌を出す。
そのやり取りに、建物の影で紫髪の人魚が聞き耳を立てていた。









 ぬいぐるみやらカーテンやらベットやら、何から何までピンクだらけの、いかにも女子っぽさ前回の部屋の隅で、シトリンは蹲っていた。
 電水晶の設置と都市の見回りが終わり、自宅に戻り休息中のシトリンだが、その心はある事が気がかかりで休まれずにいる。
 数か月前のある出来事が、未だにシトリンの心を恐怖と不安で蝕んでいる。
 その事を言うべきか否か、シトリンは迷っていた。
 きっと、言えばリーベは真剣にどうすればいいか考えてくれる。他の団員もそれは同じだろう。でも

「あんな事、言えないよー」

 言えば絶対によくない事になる。
 あの男に、絶対に言うなと口止めされてる。それでも、言わなければもしかしたら『海鳴騎士団』が滅びるかもしれない。

「でも」

「でも、どうしたの~?」

「わぁっ!」

 突然窓から聞こえた気だるげな声に、シトリンは飛び上がる。
 窓の向こうにいたのは、紫の長髪とジト目が特徴的な少女、ターフェことターフェアイトだ。

「入るね~」

 驚くシトリンを気にせず、ターフェは窓から部屋の中に入る。
 ベットの上にあった枕を抱いて床に座ると、ターフェはさてとシトリンを見上げて

「何か悩みがあるなら話してみ~。参考になるか分からないけど~」

「ターフェちゃん・・・大丈夫だよ。なんでもないよ。えへへ」

 笑って誤魔化そうとすると、ターフェはシトリンに顔を近付け、じっと目を合わせる。
 シトリンが五秒も経たない内に目を逸らすのを見て、ターフェは溜息を吐く。

「やっぱり嘘~。リンリン嘘を吐く時目を合わせられないからね~。じっと見つめたら分かるんだよ~。嘘を吐いてるかどうか~」

「うっ」

 やはり自分の事を誰よりも理解しているターフェには嘘を吐けない。
 嘘がバレて、明後日の方向を見るシトリンの手を握り、ターフェはまたしてもシトリンの瞳をじっと見つめる。
 今度は五秒以上目を合わせていられる。その視線からは、嘘を暴く気配ではなく、本気で心配している事が伝わってきたからだ。

「何かあるなら話して欲しい~。私でよければ力になるから~」

「・・・実は、ね」






 『魔神の庭』と戦った日、宴を開いたでしょ?
 あの時、私の所にローザが来たの。

「少し、話がある」

 凄く恐い顔をしてた。
 今にも人を殺しそうな顔。
 なんだろうってびくびくしてたら、急に笑顔になってこう言ったの。

「皆はお前達を許したみたいだけど、僕は許してない。本音を言えば、全員今すぐぶち殺してやりたい」

 ははっ、て笑ってたんだよ。爽やかに。
 それが凄く恐かった。
 逃げたかったけど、逃げたら皆がいるとか関係無しに殺される気がして逃げられなかった。
 動けないでいる私の耳元で、ローザはこう言ったの。

「必ずお前ら全員殺してやる。まずはお前の目の前でターフェとかいう奴を殺す」

「ーーっ」

「声を出すな。動くな。お前の能力はもう分かってる。おかしな真似をしたらすぐに殺す」

 お腹につんって、何か尖ったものを突き立てられてる感覚がした。
 真っ赤に染まったナイフの先が、少しだけお腹に刺さって、ちょびっとだけ血が出た。

「今は皆が、ユナがいるから殺さないでおいてやる。だけど、いつかまたここに来る。その時は覚悟しておけ」









「ローザは団長や副団長、おじいちゃん団長・・・シェル様に比べると強くない。だから、もし言った通り『エクラン』に来てもどうにかなると思う」

 海中では少なくともそうだ。
 聖騎士クラス以上の相手と正面から戦えば、ローザ一人ではどうにもならない。
 リーベが力を失った今でも、それ以外の団員全員で戦えばローザを完封出来る。だが

「なんとなく、そうじゃない気もするの」

 形容しがたい恐怖が、異常性が、得体の知れない何かをローザは持っている。
 それが『海鳴騎士団』に害を及ぼす気がして

「それで、リンリンは言えなかったんだね~。ローザの事~」

「うん、そうなの。もしも言う事を聞かなかったらどうなるかを考えると恐くて・・・ごめんね」

「別に~。気にしてない~」

 けど

「ちょっとムカついたかな~。リンリンを恐がらせたローザには~」

 顔の左半分の骨を剥き出しにして、間延びした口調でターフェは言う。
 その声音には隠し切れない怒りが僅かに浮かんでいて

「ターフェちゃん恐いよー」

 思わずシトリンが後ずさると、ターフェは顔を元に戻してシトリンに顔を寄せる。

「これで恐くない?」

「うん。いつもの可愛いターフェちゃんだー」

「よかった~。えっと、何の話だっけ~・・・あ、そうだ~、ローザだ~。あいつがもしも本当に皆を殺そうとしてきても大丈夫だよ~。私がどうにかするから~」

 自分の胸に拳を当てて、ターフェは胸を張る。
 普段はやる気のない、どんな些細な事でも面倒臭がる恋人の、珍しくやる気のある答えにしシトリンは

「うん。頼りにしてるねー」

 と、笑顔で頷く。
 信頼できる誰かに相談した事で、胸が一気に軽くなった気がした。
 そうだ。ターフェならきっとどうにかしてくれる。
 やる気にさえなれば誰よりも強い騎士であるターフェならきっと―――

「というか~、その前に『魔神の庭』の人達が止めるでしょ~。ステラとか、リリィさんとか、マリとかユナとかが~」

「そうだねー。『魔神の庭』の人達は皆強いもんねー」

 ローザを絶対止めてくれる筈、だよねー。








「リオ、お前を殺す。ユナを傷付けたんだ。楽に死ねると思うなよ」

 カステリコスにユナを渡し、袖からナイフを取り出してローザはリオと距離を詰め、喉元を狙ってナイフを振るう。一切の躊躇いの無い凶刃をリオは後ろに半歩下がって躱し、ローザは斜めに、横に、第二撃、三撃を放って追撃する。
 ナイフを振る度に速度と精度が上がり、少しずつだが躱し切れなくなり、所々にナイフが掠る。
 弱点であった身体能力の強化訓練は予想以上の効果があったようで、その成果が今、最悪の形で発揮されている。

「くそっ・・・!」

 回避と防御に手一杯で反撃出来ない状況に、リオが悪態をつく。
 いつの間にかカステリコスはいなくなっていた。
 そもそもの原因はあの灰色の三角帽子だ。一体何故嘘を吐いてリオとローザを戦わせようとしたのか。
 その目的は一体

「ぎっ!」

 左足に激痛が走った。
 見ると、ローザに思い切り踏まれていた。
 一瞬怯んだその隙に、ローザはナイフでリオの顔面を貫こうと刺突を放つ。リオは顔を動かしてナイフを躱し、逆にローザの顔面を殴ってカウンターを叩きこむ。
 リオの拳をまともに食らい、ローザは仰け反るが、それでも倒れず、リオの腕を掴んでナイフを突き刺す。

「死ねよ」

「死ぬかっ!」

 蹴りでローザを引き離し、リオはナイフを抜いて地面に捨てる。
 息を切らすリオに対して、ローザは汗一つ掻いていない。
 カステリコスの制約の逆十字リミットクロス賛美歌プサルムの効果が切れ始めている。
 効果が切れる前に決着を着けなければ、今度こそ死ぬ。
 完全に戦闘不能にしなければ、今のローザは地の果てまでも追ってきて必ず殺しに来るだろう。
 そう確信できる程に、深く昏い負の気配がローザからは漂っている。

「殺す」

「殺されてたまるかよ。それも仲間に」

「仲間? 笑わせるなよ。お前はもう仲間じゃない、敵だ。お前はユナを傷付けた。可愛いユナ、大事なユナ、暖かいユナ、可憐なユナ、優しいユナ、美しいユナ、僕のユナ、ユナ、ユナユナ、ユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナユナを」

 首を傾け目を見開いて、何度も何度も狂気的に想い人の名を口にするローザに、リオはおぞましさを覚える。その姿がまるで悪霊にでも憑かれているかのようで、ただひたすらに恐ろしい。

「お前ってそんなキャラだったか? 俺の記憶じゃヘタレだがやる時はやる優しい奴、ローザって奴はそんな奴だったんだが」

「お前が僕を語るなよ。お前が僕の何を知ってるっていうんだ」

「お前は」

「黙れ」

 殺気と共に弾丸の如き速度で放たれた周囲のモミの葉が、鋼鉄をも貫く針となって、リオへと突き刺さる。
一瞬で数十本。
 反応する事も出来ず葉針を食らったリオは苦痛に顔を歪める。

「ぐっ・・・‼︎」

「痛いか? 苦しいか? ユナはもっと痛かった。苦しかった。その程度じゃまだ罰にならない。痛めつけて殺してやる。来世でも二度とユナに手を出そうなんて思えないように、深く深く後悔させてやる」

 地面から次々と蔓を出し、ローザはゆっくりとリオへと歩み寄る。
 全身に突き刺さった葉針を炎で焼き消し、リオは

「何を言っても無駄みてぇだな」

「お前が何を言っても聞く気はない」

「じゃあ、戦うしかねぇか」

 両手に炎の剣を握り、構える。
 本当は、戦いたくない。仲間同士で争ってどちらが勝っても、残るのは傷と虚しさだけだ。
 それでも、戦わなければ死ぬというのなら、生きる為に戦う。戦って勝って、まずは誤解を解く。

「そんで元に戻す」

 ローザも、ローザとの関係も。ユナも。
 おかしくなったもの全部を元に戻して、前みたいに笑い合う。その為に必ず勝つ。

「来い、ローザ。ぶった斬って止めてやるよ」

 壊れた居住区の中心で、傷だらけの盗賊と殺意に満ちた妖精が向かい合う。
 両者はどちらともなく互いへの距離を詰め、刃と蔓を同時に振るった。







「あんた、もしも私が死んだらどうするの?」

 ローザが『魔神の庭』に入って三ヶ月が過ぎた頃。
 剪定鋏で庭園の植物の余分な枝を切っているローザに、ユナが突然そんな事を言い出した。
 縁起でもない質問に戸惑ってから顔を青くして、ローザは剪定鋏を置いて瞬時にユナの傍に移動する。

「どうしたのユナ? ななな悩み事? 病気? いや、それとも占いとかで『あなたは今日死にます』って出たの? なんでそんな事聞くの?何があったの? ねぇ、ユナ、嫌だよ、死なないで、ユナが死んだら僕泣くよ。後追い自殺するよ。いっそ一緒に火葬して」

「落ち着きなさい‼ いきなり変な質問した私も悪かったけど。違うのよ、私が言いたいのは私が死ぬかもしれないって事じゃなくて、あんた私以外に誰か仲良い作りなさいって事」

「ユナ以外に? 僕が?」

 どうして? と言いたげな表情で自身を指さすローザに、ユナはそうよと

「あんた、ここに来てから私としか会話してないじゃない。あんたを誘ったアルとも、他のメンバーとも全然会話してないし、人見知りにも程があるでしょ。もしも私が死んだら、あんたひとりぼっちよ」

「えっとー、別にいいかなぁー・・・」

 弱々しく自身の忠告を否定して頬を掻くローザに、ユナは眉を寄せる。
 一歩後ろに下がるローザに詰め寄って、ユナはローザの頬を引っ叩く。
 力が弱すぎて顔を弾く事が出来ず、軽く指で突かれたような感覚がローザの頬に残った。

「よくない。どうしてそうゆう事言うの」

「だって僕は、ユナだけが好きだから。ユナ以外の事はどうでもいいんだ。僕は、ユナさえいてくれればいい」

 純粋な本心だった。
 ユナさえいてくれればいい。その言葉は口説き文句でもなんでもなく、ローザのただ一つの願いだ。
 遠慮がちで気弱なローザの、唯一絶対に譲れない願い。
 誰が犠牲になろうと、極端な話もしも世界中の生きとし生ける命が全て死んだとしても、ユナさえ無事ならローザにとって被害は無いも同じだ。

「『サルジュの森』の門番をやめて『魔神の庭』に入る事を決めたのは、ユナがこのギルドにいると知ったからなんだ。ユナが望んでこのギルドにいるって知らなかったら、僕は『魔神の庭』に入ったりしなかった」

 ユナがいたから、ただそれだけの理由でローザは『魔神の庭』に入った。
 ローザの行動原理にはどんな時もユナが付き纏う。ユナが喜ぶから、ユナが悲しむから、ユナが怒るから、ユナの為に、全部ユナだ。
 今回だってそうだ。ユナがいたから『魔神の庭』に入った。
 ユナと同じギルド、同じ場所にいる。それでいい、それだけでいい。だから

「他の人と態々関わったりしなくていいかなー、って・・・」

「成程、よく分かったわ。あんたが馬鹿だって事がね」

 厳しい口調でユナはきっぱり言い切る。
 そこには一切の配慮も遠慮も無い。思った事をユナは続けて口にする。

「あんた馬鹿ね。本当馬鹿。私以外と関わる必要が無い? そんな訳ないでしょ馬鹿」

「馬鹿馬鹿言い過ぎじゃ」

「いいえ、言い足りない位よ。誰とでも仲良くしなさいとも、積極的に話なさいとも、人見知りを直しなさいとも言わないわ。相性もあるし、話すのが好きじゃない人もいるし、人と関わるのが苦手って人もいるしね。だから、少しずつでいいから他のメンバーとも話してみなさい。今日はそうゆう話をするつもりだったけど」

 あんたそれ以前の問題だわ。

「私以外と関わる気がないって、自分から仲良くなるきっかけ閉ざしてどうすんのよ」

「それは」

「話してみたら気が合ったなんて事たくさんあるわよ。だから話してみなさい」

「でも」

「でもなんて言わせない。まずは一日一回、どんな事でもいいから話してみなさい。難しい事は話さなくていいから。他愛無い普通の事でいいから」

 心配なのよ。

「私としか話せないんじゃ、ギルドじゃ色々やりづらいだろうし。私の方が歳上だから、いつか私が死んで、その後あんたがひとりぼっちになるのが嫌なのよ」

 ユナにとってローザは息子のようなものだ。
 自分を慕い、好いてくれる年下の少年。もっとも、ユナはその好意の意味を完全に理解してる訳ではないが。
 それは置いておいて、ともかくユナはローザにもっと周りと打ち解けて欲しいと願っている。
 その意図は充分に伝わってきたから、ローザは

「分かったよ。他のメンバーとも、話してみる」

 不本意ながら、ユナの言う事を聞く事にする。
 ローザ本人としては別に他のメンバーと話したりしなくてもいいのだが、そうしないとユナが心配するのなら話は別だ。

「えぇ、そうして頂戴。さっきも言ったけど、最初はそんな難しい事話さなくていいから。最初は挨拶出来ればいいから。もしもそれでいじめられたりしたらすぐに」

「大丈夫だよ。ユナは心配症だなぁ」

「だってあんたよ」

「僕だからかぁ」

 肩を落として俯くローザ。
 落ち込む言い方だが、ユナの言う事も一理ある。
 ユナはローザだから心配している。頼りなくて、弱くて、優柔不断で、その上ユナ以外の他人に興味が無いローザだから心配している。でも

「そんな僕でも、出来る事がある」

 たった一つ、心に決めた事。それは

「ユナを守る事」

 顔を上げて、ローザはユナに笑いかける。

「死なせないよ。ユナは絶対死なせない。僕が必ず守る」

 もう二度と傷付けさせはしない。
 必ず守ってみせるから。









 炎の刃と蔓がぶつかり合う。
 本来簡単に焼き斬れる筈の蔓が炎刃と拮抗しているのは、ローザの『翡翠の共鳴エメラルドレゾナンス』により蔓が鋼鉄以上の硬さと耐熱性を持つ緑鞭と化しているからだ。
 植物を強化し、感覚を共鳴する能力。
 植物を強化すればする程、感覚の共有率も高まり、植物の感覚はより鮮明にローザに伝わってくる。よって今この瞬間も、刃の痛み、炎の熱は余さずローザに伝わっている。
 それでもローザがそれを顔に出さないのは、炎よりも熱い感情に心を支配されているからだ。

「死ね」

 殺意。
 『サルジュの森』に来てから既に何度も感じている感情。
 マルジューを殺された事、多くの住人を魔獣が死に追いやった事、それらの元凶である魔獣がユナの嫌いな生き物の形をしていた事に対して、何度も殺意を感じた。
 今感じている殺意は、間違いなくそれらよりも大きな殺意だ。ボヤ騒ぎと大火程の違いがある。
 心の火を消すには殺すしかない。葬るしかない。目の前の男を一秒でも早く抹殺する。その為なら熱さや痛みなどいくらでも我慢できる。二度とユナを傷付けようなどと、愚かな事を考えぬよう残酷に殺す。そうして心の火を鎮めたら、ユナにこう言うんだ。もう大丈夫、もう

「ユナを傷付ける奴なんてどこにもいないから」

 ローザが人差し指を下から上に曲げると、リオの足元から先端が槍のように鋭利な蔓が飛び出してくる。
 自分の顔に迫る蔓を炎刃で斬り裂いて、残る右腕を大きく薙いでリオはローザの胴を一文字に斬ろうとして、斬撃は、ローザの脇腹にあと少しで触れるという所で防がれる。
 周囲を囲むモミの木の枝が一斉に伸びてローザの壁となった。
 木々そのものがローザに味方しているかのような現象にリオが瞠目すると、ローザはネクタイを締めなおしながら言う。

「何を驚いてる。僕の能力は知ってるだろ?」

「そうか。そうだったな。自分が育てた植物なら操れるんだったが」

 『サルジュの森』に来た時ローザは言っていた。
 『サルジュの森』にある木のほとんどは自分が育てたと。それはつまり、『サルジュの森』全域がローザの領域だという事だ。
 木々そのものがローザの味方というのは的を射ている。

「戦場そのものが敵ってのは中々キツイな」

 傷の痛みも大分戻って来た。その内毒の効果も再発するだろう。

 ―――この調子だともって五、六分ってところか。

 人生は苦難の連続というがこれはあまりにもだろうと、リオは心の内で神に不満を漏らす。

「んな事言っても仕方ねぇのは分かってるけどよ」

「諦める気になったか?」

「いいや?」

 不敵に笑った直後、力任せに二本の大剣を袈裟切りに振るって枝の壁を破壊する。
 壁が再生する前にローザの懐に飛び込んで、ローザの顎に頭突きをお見舞いする。数歩後ろに下がり、ローザはリオを睨む。
 その口からは血が流れていた。頭突きの衝撃で舌を噛み、出血したのだろう。袖で乱暴に口を拭ってローザはリオに手のひらを向ける。リオを背後から三メートルもの太さがある蔓で圧殺しようとする。
 太く逞しい蔓がリオを押し潰そうとした瞬間、リオの姿が消える。

「――――っ!?」

 重い音と共に蔓が倒れるのと同時、ローザの左頬を熱が掠めた。
 反射的に熱が迫ってきた方を見ると、刃の形を成した炎がすぐそこにあって、自分を斬り裂こうとしていた。赤々と燃え、揺らめく刃に顔を二つにされる想像が脳裏に浮かんだ時、刃は火の粉となって消えた。

「え?」

 助かった事は、安堵ではなく大きな混乱をローザにもたらした。あの瞬間は、ローザを討つ絶好のチャンスだった筈だ。なのにそれを手放すなど――――・・・

「リオは?」

 消えた刃、それを振るっていたリオの姿が無い事に気付く。一体どこに

「ここだ」

 刃が飛んできたのとは逆方向から声がして、振り向いた瞬間、炎を纏った赤い拳がローザの頬に突き刺さった。打撃と熱によるダメージを同時に食らい、倒れかけたローザの腕を掴んで引き寄せると、リオはそのままローザを何度も殴る。
 炎拳で、何度も、何度も、何度も、殴って、殴って、殴り続ける。
 叩きこんだ拳打の数が百を超えると、リオは片腕の力だけでローザを思い切り投げ飛ばした。額は割れ、そこから流れた血で左目が塞がり、打撲と骨折が複数、痛みと冷たさ以外の感覚は今のローザにはない。

「う、ぐぅ・・・」

 呻きながらも立ち上がろうとするが、痛みが勝って身体を動かす事すら出来ない。
 早く立ち上がらなければ、殺さなければ、絶対に殺して

「俺の勝ちだ。ローザ」

 ローザを見下ろして、リオが炎刃を鼻先に突き付ける。
 刃の先とリオの顔とを交互に見て、ローザは掠れた声で問う。

「あれは、さっきのは、一体・・・」

「あぁ、種は単純だ。全速力で走ってお前に刃を投げて、俺はその逆方向から」

「分かった」

「話は最後まで聞けよ。で?降参する気になったか?」

 リオの言葉に、ローザはゆるゆると首を横に振る。
 あくまで徹底抗戦、屈する気などは断じてない。殺すまで諦める気などローザにはない。だが、今のローザにはどう考えてもそれは不可能だ。

「ローザ。確かに俺は、ユナを傷付けた。その事実は嘘じゃねぇ。許されねぇ事をした。俺の事は許さなくていい。だが、意図して殺そうとした訳じゃねぇ」

 傷付けた事は償わなければならない。それが故意だろうと事故だろうとだ。
 しかし、今回はそれだけでは終わらない。カステリコスの嘘、その真意を見抜かなければ終わらない。態々あのような嘘を吐いたのには、何かしらの理由がある筈だ。
 場合によっては『サルジュの森』に留まるメンバーに危険が及ぶような理由が。それを明らかにしなければ、今回の事は解決したといえない。

「ユナも連れ去られたしな」

 カステリコスはローザにとって信頼出来る相手なのだろうが、リオにとってはそうではない。何を考えているのか分からない、油断ならない相手だ。
 そんな者の傍にユナをいさせてはいられない。

「お前が俺を許せないなら、それでいい。『死』以外の償いならなんだってしてやるよ。だから、今はユナを」

「ユナを守れるのは、僕だけだ」

 リオの言葉を遮り、ローザはゆっくりと立ち上がる。歯を食いしばり、膝に手を置き、足を震わせている様子から、限界なのは明らかだ。

「よせ、動くな。そんな状態で動いたら」

「動いたら、なんだ?」

 膝から手を離し、前屈みの姿勢を直して、ローザは背筋を正して立つ。

「僕が動かなかったら、誰がユナを守るんだ」

「ローザ・・・」

「僕以外は駄目だ。僕じゃ、なきゃ・・・駄目だ‼︎」

 ローザが叫ぶと、居住区一帯が大きく震える。揺れは強く、なんとか立つのがやっとの程だ。
 地面に炎刃を刺して握り締め、両足で踏ん張って耐えていると、雪の下の地面が割れて、そこから複数の木の根が飛び出してきた。ただし

「おい、なんだこりゃあ・・・」

 飛び出してきたのは、ただの木の根ではない。
 一つ一つが大樹といっても過言ではない程太い、翡翠色の木の根。それらは龍を模した形をしており、いずれも鋭い牙を持っている。

郡龍翠牙リュイ・クルイークーー怒り狂え」

 ローザの声で木の根、否、翡翠色の龍の群れがリオへと牙を剥く。
 襲い来る龍にリオは刃を振るうが、龍に擦り傷を負わせる事も叶わず吹き飛ばされる。

「ぐぁっ‼︎」

 倒れるリオに、龍達は追い打ちをかける。
 リオの周囲を固めて逃げ道を無くし、リオを頭上から見下ろす。

「ちっ、厄介な龍共」

 その時、身体から力が抜ける感覚がして、リオは倒れる。
 突如訪れた脱力感、その理由をリオは理解していた。

「カステリコスの魔法の効果が、切れたか」

 傷の痛み、寒さ、毒の効果、それらを押さえるカステリコスの魔法の効果が切れたのだ。
 カステリコスの魔法の恩恵を受ける前と受けた後のダメージが積み重なり、リオは完全に動けなくなる。意識も霞んできた。このままでは

「死ぬなぁ、俺・・・」

 己の結末を悟り、リオは目を閉じた。
 抗う術も力も残っていない。もう、受け入れるしかない。性に合わないが、そうするしかない。それしか選択肢が残されていないのだから。

 ーー誤解を解く事も、リリィにまた会う事もできなかったな・・・

「もーちょい優しくしてやればよかったなぁ・・・」

 桃色の少年の姿を思い浮かべてリオがそう呟いた時、龍はその牙でリオに喰らいついた。








 『サルジュの森』の外れから、ステラとブレイブは翡翠の龍が暴れ狂うのを見ていた。
 天災の如きその光景が、一人の男によって引き起こされたものである事を、ブレイブは知っていた。

「あれは、ローザの郡龍翠牙リュイ・クルイーク・・・何故あの技を」

「あれ、ローザの魔法なの?」

「あぁ。大技の一つで、あれを使う時は本当に強い敵が現れた時だけだ。一体相手は誰だ?」

 ローザが戦っているのはリオだと知らぬブレイブは、緊張の面持ちを浮かべる。

 ーーまさか『夜天の箱舟』か?

 考えられる最悪の可能性にぞっとする。もしもそうであれば、ローザ一人では勝てない。
 

「ローザがいるのは西の居住区だな。走るぞ赤ずきん、俺とお前なら五分もすれば着く」

「えぇ」

 戦うローザの元に急いで向かおうとした時、ステラ達の後ろで、突然何かが落ちてくるような大きな音がして、地面が大きく揺れた。

「何⁉︎」

 ステラが咄嗟に振り向くと、少し離れた所に黒い人影が立っているのが見えた。
 大きさは三メートル程。肩幅もかなり大きい、遠目から見ても鍛えられている事がよくわかる肉体だ。段々と近付いてくる人影、その姿が少しずつ鮮明になってきて、はっきりと姿を認識出来るようになった時、ステラは驚愕した。

 その人影の正体は、人間ではなかった。
 傷だらけの身体、世界を睨む赤い双眸、邪悪に満ちた犬顔。それだけの特徴があれば間違う筈がない。その人影の正体はーー・・・

「『魔王』ヘルハウンド・・・」

 『終曲戦争』の悪夢の象徴にして、人類最大の脅威といわれた厄災。
 数多の命を消し去り、その名は悪の代名詞として語り継げられている存在。
 文字通り最悪の化け物との邂逅に、ステラは拳を握り、怒りに肩を震わせる。

「こんな所で会うなんてね。探す手間が省けたわ」

 ステラにとってヘルハウンドは、リーベを、『海鳴騎士団』を傷付けた者の一人だ。絶対に許せない相手を前にして、ステラの闘気はどんどん高まっていく。
 対するヘルハウンドは感情の起伏が見られず、ただただ不機嫌そうにステラ達を見つめている。

「なんであいつが生きてんだ。あいつは『終曲戦争』で死んだ筈じゃ」

「『夜天の箱舟』が生き返らせたのよ」

「『夜天の箱舟』だと? あいつらが」

「えぇ、でも、今日また死ぬ」

 憎むべき敵を見据え、ステラはゆっくりと歩き出す。一歩歩く度に怒りを燃やし、やがてヘルハウンドのすぐ傍まで近付くと、ステラはヘルハウンドを見上げて睨みつける。

「おい、馬鹿‼︎戻って来い‼︎」

 自殺行為にも近いステラの行動にブレイブが声を張り上げるが、ステラは一歩たりとも退かない。退かない、逃げない、負けられない。
 今までの修行は、すぐ近く、目の前にいる『魔王』を倒すためのものだ。その目的を、今日ここで果たす。

「いきなりで悪いけど、倒させてもらうわよ。『魔王』」

 四肢に血の甲冑を纏い、臨戦態勢のステラにヘルハウンドは深い溜息を吐く。

「アホが」

 可能性を超えた最悪の再来。
 二度と蘇らせてはいけなかった悪夢と『赤ずきん』が、常雪の聖地でぶつかり合う。

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