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第四章 祈りを繋ぐ道
第五話 弟子入りの条件
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日が昇り切らない早朝の街を、息を切らしながら走る少女が一人。
石畳の道を駆けて向かう先は、猫の看板を掲げる魔道具専門店『ストラーノ』。扉を開いた少女をカウンターで待っていたのは
「随分早いじゃないかぁ。あたしはさっき起きたばかりだってのにさぁ」
頬杖をついて眠たげな表情を浮かべる『魔女』ペトロニーラだった。
「ふぁあ、眠いねぇ。ていうか寒くないかぃ?もうすぐ冬って事かねぇ」
「そうかもしれませんね」
「乾燥肌のあたしには厳しい季節だぁ。だから最近新しい保湿液の開発に取り組んでいるんだが・・・おっと、長話してる暇は無いんだったぁ。あと一ヶ月であんたを強くしなきゃならないんだからねぇ、マリ」
そう言って片目を閉じながらペトロニーラは少女を、マリを見つめる。
ビルの街での一件で、マリはペトロニーラに認められ、弟子となって修行する事になった。最強の魔女を目指す道、今日はその第一歩だ。
「さて、まずは精霊術の基礎のおさらいから始めようかぁ」
「はいっ‼︎」
「精霊術は、契約した精霊の力を借りて魔法を発動させる技術だぁ。素人が代償無しで契約出来る精霊は、炎の精霊サラマンダー、水の精霊ニンフ、風の精霊シルフ、大地の精霊ノーム、雷の精霊グローム、いわゆる五大精霊と呼ばれる連中で、霊王を守る精霊達の中でも別格の大精霊だ」
「あの、前から少し気になってたんですけど、どうしてそんな凄い人達と代償無しに契約できるんですか?」
それは、マリが以前から感じていた疑問だった。
魔力が並みかそれより少し高い程度の駆け出し魔導士であるマリでも、五大精霊との契約を結ぶ事が出来た。五大精霊と直接会った訳でも無いのに、だ。精霊との契約には何らかの代償や制限が必要で、直接顔を合わせなければならないものだと、精霊術を覚える前はそう思っていたが
「精霊ってやつは特殊な種族でねぇ。どう生まれるか知ってるかぃ?」
「知りません」
「自然にポンと生まれるんだよぉ。何も無い所から」
「え? 何も無い所から? ポンと?」
「あぁ、何も無い所からポンとねぇ。あいつらの吐いた息や涙が小さな精霊、微精霊に変わったり、あいつらが歩いた道から微精霊が生まれる事があるのさぁ。そいつらは形を持たないし、力は五大精霊に遠く及ばなぃ。でも、魔力の質は全く同じぃ。微精霊と五大精霊はある意味で同一の存在、クローンみたいなもんさぁ。あんたが契約したのは、五大精霊と同じ力を持った微精霊。微精霊は形を持たないから、五大精霊の名で呼ばれてるのさぁ」
「なるほど、そうだったんですね」
ペトロニーラの答えをマリは聞きながらメモに書きこむ。
「メモしてんのかぃ。ちょっとした豆知識だから、メモする必要は無いんだけどねぇ」
「いえ、どんな話でも、精霊術に関する話ならちゃんと書き残しておきたいんです。強くなるヒントがあるかもしれないから」
雑談から成功のヒントを掴み、実際に成功を収める事は珍しくない。
歴史に名を残す傑物の中にも、誰かとの他愛無いどうでもいいような話から成功への道を見出した人物は多くいる。だから、たとえどんな小話だろうと、それが精霊術に、自分の唯一の武器に関係する事ならメモとして残しておきたいとマリは思う。
強くなる為に必要だと思うものは全て糧にして、今よりももっと強くなって、少しでもステラの役に立つのだ。
「勉強熱心なのは嫌いじゃないよぉ。教え甲斐があるってもんさぁ。さて、ここからが本題だぁ。あんたが強くなる為には何が必要だと思ぅ?」
「魔力、ですか?」
「正確には魔力と信頼、だねぇ。あんたの魔力が高ければ高い程精霊達はもっと力を出す事が出来るぅ。精霊があんたを信頼すれば、精霊達はこれまで以上にあんたに力を貸してくれるぅ。だが、信頼ってやつはそう簡単に深まるもんじゃなぃ。だから、この一ヶ月の間、あんたには魔力の方を高めてもらぅ」
そう言ってペトロニーラが魔法陣を浮かべた右目でマリを射抜くと、マリの心臓からドクンとペトロニーラにも聞こえる程大きな音が鳴り、マリは胸を押さえる。
脈が速まり、呼吸が荒くなる、顔が熱い。熱は段々と上がっていき、次の瞬間、マリの全身に地獄のような痛みが駆け巡った。
「――――――――っっっ‼」
尋常ではない苦痛に、マリは声が出せない。
全身を熱した針で刺されているような感覚。まともに動く事も出来ない程の痛み。これまでマリが経験した痛みの中で、大きさは最大、だが時間は刹那だった。
僅か数秒で嘘のように痛みが引き、マリはその場にへたり込み、痛みが無くなった代わりに今度は猛烈な倦怠感に襲われる。
「あ、う・・・・あっ、は、はぁ・・・・い、いまのは・・・・」
「あんたの魂を少し弄って、魔力を無理矢理引き出させてもらったぁ。相当痛かったろぅ? でも喜びなぁ。痛みが大きければ大きい程潜在的な魔力は高いって事だからさぁ」
「そうなんですか、でも、なんでそんな事」
「修行だよぉ。決まってるだろぅ?外法だが、一ヶ月で強くなるにはこれが一番手っ取り早ぃ」
外法。
その言葉に顔を上げて反応したマリに、ペトロニーラはいいかぃと
「魔法は魂の一部、魔力は魂に蓄えられるぅ。今あんたの魂には無理矢理魔力を引き出した事によって尋常じゃない程の負荷がかかっているぅ。その状態で一ヶ月過ごせば、負荷をかけられた魂はより強くなって魔力は格段に上がるぅ」
「なんだかズルしてるみたいですね・・・・」
「ズルじゃない、賢いやり方さぁ。そんな事よりさっさと始めるよぉ、修行。あたしの指導は厳しいよぉ。最悪死ぬかもしれないが、死ぬ気でついてきなぁ」
ペトロニーラの精霊アカデミア開講だぁ。
『ディアーナ森林』の中にある小さな家の窓から、ジークフリートは天体望遠鏡で空を見上げていた。
白昼堂々ではやはり星は見えない。
ゴブリン肉の予備は腐る程ある。ジークフリートが猟師をやっているのは自給自足で暮らしていく為、誰かからの依頼を受けて仕事をする訳ではないので他にやる事は無い。
家にある宇宙関連の本は穴が開く程読んだから内容は完全に暗記している。あまり気は進まないが、久しぶりに王都にでも言って本を買いに行こうかと思ったその時だった。
「すいませーん。ジークフリートさーん、いらっしゃいますかー?」
弟子入り志望の少女、ステラの声が玄関から聞こえてきたのは。
開けるか否かでまず迷い、ジークフリートはとりあえず居留守を使う事にして、天体望遠鏡を部屋の中にしまってカーテンを閉め、布団にくるまって狸寝入りをきめる。
ライゼにはステラを強くして欲しいと、弟子にして欲しいと頼まれたが、本当は嫌で嫌で仕方がない。
弟子なんて取りたくない。日がな一日星を眺め続けて、たまに来るライゼとどうでもいい話をする、そんな隠居生活を送っていたい。
でも、条件次第でステラを弟子にすると言ってしまった手前、ステラを放置する訳にはいかない。
きちんと対応しなければいけないが、それを面倒に思う自分がいる。ライゼとの約束と自身の感情との間でジークフリートが揺れ動き、ジークフリートが出した答えは
「やっぱり嫌だな」
嫌なものは嫌というものだった。
ーー明日、明日弟子にする事にしよう。今日は寝る。
「ジークフリートさーん‼︎」
ーー何があろうと反応はしない。反応したが最後無理矢理師匠にさせられ
「ライゼさんが『宇宙雑学大百科』の最新版をジークフリートさんに渡して欲しいって言ってたんですけどーー‼︎」
「なんだと⁉︎ 本当か⁉︎」
あ。
「なんだ、やっぱりいたんですね」
ーーしまった‼︎はめられた‼︎
顔を見せてしまった以上、もう居留守は使えない。仕方なくステラを家の中に招き入れ、ジークフリートは二人分の茶を用意してステラと向かい合う形で座る。
「何をしに来たかは言わなくていい。弟子入りの件だろう?」
「はい。どうしてもあなたの弟子になりたいんです」
「・・・本をもらってしまったしな。いいだろう」
「本当ですか!?」
「ただし、条件がある」
「言わなくても分かると思うが、俺は弟子なんて取りたくないし取る気もない。ライちゃんに頼まれたから仕方なく弟子入りの機会をお前に与えてるんだ」
ジークフリートの家から少し離れた雑木林に移動し、ジークフリートは落ちていた木の棒で地面を軽く叩きながらステラを見る。
気だるそうなジークフリートに対し、ステラの表情は硬い。
これから何が行われるかはまだ分からないが、ジークフリートの機嫌次第で弟子入りが不可能になるのは確かだ。何をやるにしても慎重に臨まねばならない。
「ライちゃんはお前を新星だと言った。その輝きがどれ程のものか、この目で見てお前を弟子にするか否かを決める」
「えっと、つまり・・・」
「俺と戦え。俺に傷を付ける事が出来れば弟子にしてやる。先に言っておくが遠慮はいらん、本気で来い」
「・・・分かりました。本気でいきます」
目を閉じて深呼吸をして、ステラは四肢に血の甲冑を纏い、目を開く。
『竜殺しの英雄』と呼ばれた伝説の魔導士が、今、自分の目の前に立っている。
ジークフリートが言わずとも、手加減などしない。ステラは自分の全てをぶつけてやるつもりだ。
「来い」
ジークフリートが棒を構えるのと同時に、ステラはジークフリートの眼前に迫り、ジークフリートの顔面目掛けて拳を振り抜く。
初撃からトップギア、本気の攻撃はジークフリートに直撃した。だが
「うぐっ・・・‼」
ダメージを受けたのはステラの方だった。
無防備な腹にジークフリートの膝が突き刺さり、そのまま後方へと吹き飛ばされる。
木の幹にぶつかって止まり、ステラがジークフリートを見ると、ジークフリートの顔には傷一つ無かった。
「ほぉ、壊れなかったか。中々頑丈だなその甲冑。今度はこっちから行くぞ」
来る。
ジークフリートの反撃を食らう前にステラが立ち上がって距離を取ろうとした瞬間、ジークフリートが投擲した木の棒がステラの顔を掠め、木の幹に突き刺さった。
一瞬の硬直、その隙にジークフリートはステラとの距離をゼロにしてステラの顎を蹴り上げた。
「――――っ‼」
「今、一瞬ぎょっとしたろ。その一瞬が命取りだ」
顎の衝撃が脳に伝わり、ステラは倒れて立つ事が出来ない。
舌を噛んだ所為で口から血が出て、口の中にほのかな鉄の味が広がる。そんな事を考えられる内は、意識はある内は大丈夫だ。まだどうにかなる。まだ立てると、ステラはなんとか立ち上がる。
「う、ぐ・・・」
「立つのか」
「当たり前、でしょ・・」
「そこそこの根性はあるようだな。だが、根性だけで相手を倒す事はできないぞ」
幹に突き刺さった木の棒を引き抜いて、ジークフリートはその先をステラの喉に突きつける。
「お前ではどう足掻いてもヘルハウンドを討つ事はできない。簡単に殺されるのがオチだ」
「だから、あなたの弟子になって、強く」
「分からないか? それが無理だと言っているんだ。お前じゃ足手まといになるだけだ。他のメンバーに任せて大人しくしていろ」
「なんで、そんな事を」
「なんでそんな事を言うのかか?」
分からないのか?
「お前はあまりに弱い。戦ってみて分かった。残り一カ月でヘルハウンドに対抗できる程強くなる訳が無い。諦めろ」
「諦め、ない・・・」
「諦めなければどうにかなると? お前の輝きは六等星だ。六等星の星は巨大な闇を払う事はできない。それが答えだ」
ヘルハウンドという大きな闇の前では、ステラ程度の六等星は掻き消されてしまう。
夜空の下で蝋燭を一つ灯した所で意味は無い。ステラがヘルハウンドと戦う事はそうゆう事だ。
「要するに無駄死にになると言っているんだ」
「無駄死にになんかならない。私は」
「話にならないな」
呆れた目でステラを見て、ジークフリートはステラの顔を棒で殴り、殴られた衝撃でステラは再び地面に倒れる。
「弟子入りの話は無しだ。今すぐ帰れ」
「・・・帰らない」
「もう一度言うぞ。お前は」
「ヘルハウンドと戦える程強くなれない? ふざけないで、なんでそんな事分かるんですか」
「分かる。お前は」
「今弱いから無理だって、そう言いたいんですか? 今弱いから、強くなろうとしてるんじゃないですか」
弱いから、足りないから、強くなりたい。
強くなって、皆の為に戦いたい。そう思って、ステラはジークフリートの元に来た。だから
「何が何でも認めさせてみせます。私は強くなれるって・・・」
ふらふらの足で立ち上がるステラを見てジークフリートは溜息を吐く。
「見込みが無いと、そう言っているんだがなぁ・・・引く気がないなら徹底的に叩きのめして分からせてやる」
棒を構えて、ジークフリートは闘気を研ぎ澄ます。
百戦錬磨の武人が放つ気迫に、ステラは一歩後ずさる。 不用意に近付けば命を取られる。
ジークフリートの間合いに入れず、ステラが一歩も動けずにいると、ジークフリートは
「それがお前の限界だ」
大振りの一撃をステラの脇腹に叩き込み、ステラを宙に吹き飛ばした。
『竜殺しの英雄』の本気の一撃。衝撃は脇腹から内臓へと伝わり、ステラの口から血が吐き出される。
「お前を弟子にはしない。お前の輝きは、俺が見るに値しない」
棒を軽く振ってジークフリートが家へと帰ろうとした時、ジークフリートの襟首を何かが引っ張り、ジークフリートは倒れそうになって後ろを見る。
そこにいたのは、紅い瞳で自身を睨みつけ、拳を構えるステラだった。
「なーー」
「うぉりゃあぁあぁあぁああぁあ‼︎」
ジークフリートの反撃を食らう前に、ステラはジークフリートの頰を殴り、ジークフリートを地面に叩きつけた。
「どう‼︎」
「ふむ、悪くはない」
ジークフリートはまたもや、ステラの攻撃を食らって平然としていた。
いくらなんでもおかしい。
『紅血の協奏曲』の甲冑の一撃を二度も顔面に食らって平気でいられる訳がない。なのに傷一つ無いなんて、そんな事がある訳が
「まさか、魔法?」
「ようやく気が付いたか。何よりも、誰よりも硬くなる。それが俺の魔力『竜皮』の力。とある竜を討伐した時に手に入れた力だ」
「何よりも硬くなる力・・・」
「分かったか? お前じゃ俺に傷一つ付ける事はできはしない」
「くっ‼︎」
ジークフリートの言葉を否定するように、ステラはジークフリートの横っ面を殴りつける。
全力の一撃。しかしジークフリートはピクリとも動かず、逆にステラの甲冑が砕け散る。
「諦めろ。他にも良い師は沢山いる。何も俺である必要は」
「おりゃあ‼︎」
ジークフリートが言い切る前に、爪先で顎を蹴り上げようとするが、やはりジークフリートは動かない。
あまりの動じなさに、ステラは山を相手にしているような錯覚を覚えるが、それでも攻撃の手を緩めない。
回し蹴り、肘打ち、拳撃、頭突き、ありとあらゆる攻撃を叩き込み、その全てをジークフリートは真っ向から受け止める。
「ぐ、うぐ・・・」
最後の頭突きで額が割れ、血が流れる。
届かない、。あまりにも高すぎるーー・・・・
「最後に一つ聞かせてもらおうか。お前は何故俺にこだわる。俺である必要がどこにある。俺でなくても」
「確かに、あなたじゃなくてもいいのかもしれない。別の誰かが師匠でも、強くなれるのかもしれない。それでもあなたにこだわるのは、私の意地です」
「意地?」
「一度師匠になってもらおうと決めたのに、少し頑固だからって別の人を師匠にするのは、負けたみたいで嫌なので」
ステラの答えを聞いて、ジークフリートは一瞬笑って、ステラの腹に拳をねじ込む。
「かっ・・・‼︎」
短い呻きと共にステラは気を失い倒れ、倒れたステラを抱えてジークフリートは歩き出す。
「意地か・・・」
「おい、なんで俺がこんなに怒ってるか分かるか?」
屋敷の広間で、正座するライゼとリリィを見下ろしながら、リオは額に青筋を浮かべる。
誰がどう見てもお説教の現場。二人が一体何をやらかしたのか、それはリオの口から告げられる。
「趣味の悪いびっくり箱、数々のビリビリ魔道具、滑る床、その他にも色々な悪戯があったが、一番許せねぇのはゴキブリのおもちゃだ。俺がゴキブリが嫌いな事知ってるよなぁ?」
「えーと、その・・・」
「言い逃れするつもりなら無駄だぞ。証人は多数いるんだ。お前らが何かを準備してたってなぁ。ライゼ、リリィ」
「うっ」
気まずそうにするライゼとリリィの肩を叩いて、リオは普段から鋭い目付きを更に鋭いものへと変える。
「なんでこんな事をした? 正直に言え」
「えっと、あの、リオ君が驚く所見てみたくないってマスターに言われたから、つい・・・ごめんねリオ君」
「そうか。つまり元凶は」
「いやいやいやいや‼︎ 待って待って待って‼︎ 確かにリリィちゃんにそうゆう事を言いはしたけど‼︎ 悪戯は共犯」
「ゴキブリのおもちゃを用意したのはどっちだ」
「マスター」
早々に自身の犯行を暴露され、ライゼの顔から血の気が抜ける。
リオはただ一言、そうかと言うとライゼの方を見て、これ以上無い程の憤怒の形相を浮かべる。
「覚悟はできてんだろうなぁ? 死ぬ覚悟は」
「わぁああぁあぁあぁあぁあぁあぁあ‼︎」
正座したままライゼが気絶しかけた直後、広間の扉が勢いよく開かれ、息を切らしたローザが部屋の中に入ってきた。
「ローザ、いきなりどうした」
「大変なんだ‼ ステラちゃんが‼」
屋敷の正門前にマリを除く『魔神の庭』のメンバーが向かうと、倒れるステラを抱えたジークフリートが無言で立っていた。
ジークフリートの腕の中で眠るステラの額から血が出てるのを見て、ユナとアルジェントがジークフリートの元へと飛び出す。
ユナはステラを治療する為に、アルジェントはジークフリートをその爪で引き裂く為に。
「アル君、待て‼ その人はジークフリート‼ 敵じゃない‼」
ライゼの叫びを聞き、アルジェントは獣化で鋭くした爪をジークフリートの顔の前で止め、紅い瞳でジークフリートを睨む。
「ジークフリート、あなたがあの『竜殺しの英雄』でマスターの友人のジークフリート=レイライトですか?」
「あぁ、そうだ」
「どうゆう事か、説明してください。何故ステラはそんな事に」
「弟子入り志願してきたから、試験をした。その結果こうなった」
「それは本当ですか?」
丁寧な口調に抑えきれない敵意を乗せて問うアルジェントに答えたのはジークフリートではなく
「本当だ。ステラちゃんの師匠にはレイちゃんが良いと、僕が推したんだ」
後ろにいたライゼだった。
ライゼの言葉を聞いてアルジェントは腕を下げ、ジークフリートは腕の中のステラをアルジェントに渡し、飛んできたユナがステラの治療を開始する。
「頭の血は軽く皮が剥けた程度で、骨折や内臓の損傷も無い。殺すつもりはなかったみたい」
症状の確認というより、アルジェントに言い聞かせるようにユナは呟く。
それを受けてアルジェントはジークフリートと目を合わせて
「ステラは、あなたの試験に合格したんですか?」
「不合格だ。てんで駄目だった」
「そうですか・・・」
「俺はもう帰る。少し寝かせておけばすぐに目は覚めるはずだ」
「ジークフリートさん」
手を振って家に帰ろうとして、アルジェントに名を呼ばれてジークフリートは立ち止まる。
ジークフリートが振り向いた時、アルジェントの瞳は紅から青に戻っていた。
「ステラはあなたの試験に必ず合格する。あまりステラを見くびらないでください」
「そうか。楽しみにしている」
素っ気ない返事をして、ジークフリートは去っていた。
その背中を、アルジェントは見えなくなるまでステラを腕の中で抱きながら見つめていた。
「しかし、意外だったな」
「何がだい?」
「お前がっ、ジークフリートをっ、ぶっ飛ばさなかった事がっ、だよ」
ステラの部屋のベットの近くで、心配そうにステラを見るアルジェント、その横で百キロの鉄アレイでトレーニングしながらリオは呟く。
「お前ならっ、あの状況だったらっ、即座にっ、ジークフリートをっ、ぶっ飛ばすとっ、思ってたんだがっ、なっ」
「人を狂犬か何かみたいに言うのやめてくれないかい? マスターに止められれば僕だって止まるし、ジークフリートさんとはこれまで面識は無かったけど、マスターの友人だって事は前から聞いてたからね。あと筋トレやめてくれる? なんで今? 今じゃなくてよくない?」
「今がっ、筋トレの時間なんだよっ」
「じゃあせめて外でやってくれない? それかやめて」
「分かったよっ」
鉄アレイをゆっくりと地面に置き、顔を袖で拭う。
「ねぇリオ君、一つ聞いていいかな?」
「どうした?」
「君、もしかしてとは思うけど、今も重りをつけて生活してるの?」
「そうだが、どうして分かった?」
「普段よりも呼吸が少し荒いのと、挙動の一つ一つが遅いのと、疲れが顔に出てるから」
指を一本ずつ立てて、アルジェントはリオが重りをつけていると思った根拠を述べる。
そのどれもが当たりだが、注意深く見ても分からない程度の微々たる変化でしかない。それに気付けたのはアルジェントの鋭い感覚と観察眼によるものだ。
「それより、ローザ君も同じトレーニングしてるんだよね? 彼かなり息切れしてたけど、一体何キロの重りをつけてるんだい?」
「九十キロちょっとだ。来週から百二十キロにする予定だ」
「鬼か」
『魔神の庭』でもユナと双璧を成す肉体的貧弱さを誇るローザに百二十キロの重りを背負わせる等など、拷問以外の何者でもない。ある朝ローザの部屋に入ったらローザがぺしゃんこになっていた、という事件が起こらないか不安なアルジェントにリオは
「大丈夫だ。あいつはあれで意外と根性がある方だ。すぐに慣れる」
そんな心配は無いと、腕を組んで保証する。
九十キロに慣れてないから息切れしていたのでは? というツッコミは胸の中に留め、アルジェントはステラを見る。
「ステラ・・・」
「ステラなら大丈夫だ。ユナが治療したんだし、見かけ程凄い怪我じゃなかったんだろ?」
「確かにそうだけど」
「俺らが暗い顔をしていても仕方がない。一度気分転換に腕相撲をするぞ」
「ごめん意味が分からない」
「暗い気持ちの時は身体を使うのが一番だって言うだろ? それに、なんだか最近力がついてきてる気がしてな。どれ位強くなったのか試してぇ。つー訳で、俺と腕相撲で勝負しろ」
床に伏せて、肘を立てるリオに、アルジェントは苦笑して同じように床に伏せてリオの手を掴む。
「これまでの戦績は三百五十七勝三百五十七敗で引き分けだったな。今日で勝ち越してやる」
「そんな重りをつけたままの状態の僕に勝てるとでも?」
「これも修行だ。このまま勝ってやる」
「いいだろう。レディファイト‼」
アルジェントが勝負開始の合図をした直後、両者は腕に全力を込める。
片や三百キロの重りをつけて、片やライゼとの連戦で筋肉痛、互いにハンデを負った状態での勝負。床が軋み、互いの顔に汗が流れる。
「うおおおおおおおおおっ‼」
これまでで一番の接戦、最高潮に極限の勝負を
「何してんのあんたら」
ステラは冷めきった目でベットの上から見つめていた。
ステラが目を覚ました事に気付き、アルジェントとリオは立ち上がって、何事も無かったかのように笑う。
「よかった、目を覚ましたんだねステラ」
「ったく、一時はどうなる事かと思ったぞ」
「あ、無かった事にしたわね。それより、私はどうしてここに・・・ジークフリートさんと戦ってた筈じゃ」
「そのジークフリートが気を失ったお前を連れてここまで来たんだよ」
リオの説明を聞いて、ステラは全て理解した。
―――そうか、私はジークフリートさんに倒されたんだ。試験は当然不合格・・・・
拳を握り、俯くステラにの肩にアルジェントは手を置く。
「仕方ないよステラ。相手は伝説の魔導士だ。そう簡単に弟子入りを認めさせる事はできない。めげずに次の手を考えれば」
「ねぇ、聞きたい事があるんだけどいいかしら」
「ん? 僕が答えられる事なら何でも聞いて」
「ジークフリートさんを壊すにはどうしたらいい?」
石畳の道を駆けて向かう先は、猫の看板を掲げる魔道具専門店『ストラーノ』。扉を開いた少女をカウンターで待っていたのは
「随分早いじゃないかぁ。あたしはさっき起きたばかりだってのにさぁ」
頬杖をついて眠たげな表情を浮かべる『魔女』ペトロニーラだった。
「ふぁあ、眠いねぇ。ていうか寒くないかぃ?もうすぐ冬って事かねぇ」
「そうかもしれませんね」
「乾燥肌のあたしには厳しい季節だぁ。だから最近新しい保湿液の開発に取り組んでいるんだが・・・おっと、長話してる暇は無いんだったぁ。あと一ヶ月であんたを強くしなきゃならないんだからねぇ、マリ」
そう言って片目を閉じながらペトロニーラは少女を、マリを見つめる。
ビルの街での一件で、マリはペトロニーラに認められ、弟子となって修行する事になった。最強の魔女を目指す道、今日はその第一歩だ。
「さて、まずは精霊術の基礎のおさらいから始めようかぁ」
「はいっ‼︎」
「精霊術は、契約した精霊の力を借りて魔法を発動させる技術だぁ。素人が代償無しで契約出来る精霊は、炎の精霊サラマンダー、水の精霊ニンフ、風の精霊シルフ、大地の精霊ノーム、雷の精霊グローム、いわゆる五大精霊と呼ばれる連中で、霊王を守る精霊達の中でも別格の大精霊だ」
「あの、前から少し気になってたんですけど、どうしてそんな凄い人達と代償無しに契約できるんですか?」
それは、マリが以前から感じていた疑問だった。
魔力が並みかそれより少し高い程度の駆け出し魔導士であるマリでも、五大精霊との契約を結ぶ事が出来た。五大精霊と直接会った訳でも無いのに、だ。精霊との契約には何らかの代償や制限が必要で、直接顔を合わせなければならないものだと、精霊術を覚える前はそう思っていたが
「精霊ってやつは特殊な種族でねぇ。どう生まれるか知ってるかぃ?」
「知りません」
「自然にポンと生まれるんだよぉ。何も無い所から」
「え? 何も無い所から? ポンと?」
「あぁ、何も無い所からポンとねぇ。あいつらの吐いた息や涙が小さな精霊、微精霊に変わったり、あいつらが歩いた道から微精霊が生まれる事があるのさぁ。そいつらは形を持たないし、力は五大精霊に遠く及ばなぃ。でも、魔力の質は全く同じぃ。微精霊と五大精霊はある意味で同一の存在、クローンみたいなもんさぁ。あんたが契約したのは、五大精霊と同じ力を持った微精霊。微精霊は形を持たないから、五大精霊の名で呼ばれてるのさぁ」
「なるほど、そうだったんですね」
ペトロニーラの答えをマリは聞きながらメモに書きこむ。
「メモしてんのかぃ。ちょっとした豆知識だから、メモする必要は無いんだけどねぇ」
「いえ、どんな話でも、精霊術に関する話ならちゃんと書き残しておきたいんです。強くなるヒントがあるかもしれないから」
雑談から成功のヒントを掴み、実際に成功を収める事は珍しくない。
歴史に名を残す傑物の中にも、誰かとの他愛無いどうでもいいような話から成功への道を見出した人物は多くいる。だから、たとえどんな小話だろうと、それが精霊術に、自分の唯一の武器に関係する事ならメモとして残しておきたいとマリは思う。
強くなる為に必要だと思うものは全て糧にして、今よりももっと強くなって、少しでもステラの役に立つのだ。
「勉強熱心なのは嫌いじゃないよぉ。教え甲斐があるってもんさぁ。さて、ここからが本題だぁ。あんたが強くなる為には何が必要だと思ぅ?」
「魔力、ですか?」
「正確には魔力と信頼、だねぇ。あんたの魔力が高ければ高い程精霊達はもっと力を出す事が出来るぅ。精霊があんたを信頼すれば、精霊達はこれまで以上にあんたに力を貸してくれるぅ。だが、信頼ってやつはそう簡単に深まるもんじゃなぃ。だから、この一ヶ月の間、あんたには魔力の方を高めてもらぅ」
そう言ってペトロニーラが魔法陣を浮かべた右目でマリを射抜くと、マリの心臓からドクンとペトロニーラにも聞こえる程大きな音が鳴り、マリは胸を押さえる。
脈が速まり、呼吸が荒くなる、顔が熱い。熱は段々と上がっていき、次の瞬間、マリの全身に地獄のような痛みが駆け巡った。
「――――――――っっっ‼」
尋常ではない苦痛に、マリは声が出せない。
全身を熱した針で刺されているような感覚。まともに動く事も出来ない程の痛み。これまでマリが経験した痛みの中で、大きさは最大、だが時間は刹那だった。
僅か数秒で嘘のように痛みが引き、マリはその場にへたり込み、痛みが無くなった代わりに今度は猛烈な倦怠感に襲われる。
「あ、う・・・・あっ、は、はぁ・・・・い、いまのは・・・・」
「あんたの魂を少し弄って、魔力を無理矢理引き出させてもらったぁ。相当痛かったろぅ? でも喜びなぁ。痛みが大きければ大きい程潜在的な魔力は高いって事だからさぁ」
「そうなんですか、でも、なんでそんな事」
「修行だよぉ。決まってるだろぅ?外法だが、一ヶ月で強くなるにはこれが一番手っ取り早ぃ」
外法。
その言葉に顔を上げて反応したマリに、ペトロニーラはいいかぃと
「魔法は魂の一部、魔力は魂に蓄えられるぅ。今あんたの魂には無理矢理魔力を引き出した事によって尋常じゃない程の負荷がかかっているぅ。その状態で一ヶ月過ごせば、負荷をかけられた魂はより強くなって魔力は格段に上がるぅ」
「なんだかズルしてるみたいですね・・・・」
「ズルじゃない、賢いやり方さぁ。そんな事よりさっさと始めるよぉ、修行。あたしの指導は厳しいよぉ。最悪死ぬかもしれないが、死ぬ気でついてきなぁ」
ペトロニーラの精霊アカデミア開講だぁ。
『ディアーナ森林』の中にある小さな家の窓から、ジークフリートは天体望遠鏡で空を見上げていた。
白昼堂々ではやはり星は見えない。
ゴブリン肉の予備は腐る程ある。ジークフリートが猟師をやっているのは自給自足で暮らしていく為、誰かからの依頼を受けて仕事をする訳ではないので他にやる事は無い。
家にある宇宙関連の本は穴が開く程読んだから内容は完全に暗記している。あまり気は進まないが、久しぶりに王都にでも言って本を買いに行こうかと思ったその時だった。
「すいませーん。ジークフリートさーん、いらっしゃいますかー?」
弟子入り志望の少女、ステラの声が玄関から聞こえてきたのは。
開けるか否かでまず迷い、ジークフリートはとりあえず居留守を使う事にして、天体望遠鏡を部屋の中にしまってカーテンを閉め、布団にくるまって狸寝入りをきめる。
ライゼにはステラを強くして欲しいと、弟子にして欲しいと頼まれたが、本当は嫌で嫌で仕方がない。
弟子なんて取りたくない。日がな一日星を眺め続けて、たまに来るライゼとどうでもいい話をする、そんな隠居生活を送っていたい。
でも、条件次第でステラを弟子にすると言ってしまった手前、ステラを放置する訳にはいかない。
きちんと対応しなければいけないが、それを面倒に思う自分がいる。ライゼとの約束と自身の感情との間でジークフリートが揺れ動き、ジークフリートが出した答えは
「やっぱり嫌だな」
嫌なものは嫌というものだった。
ーー明日、明日弟子にする事にしよう。今日は寝る。
「ジークフリートさーん‼︎」
ーー何があろうと反応はしない。反応したが最後無理矢理師匠にさせられ
「ライゼさんが『宇宙雑学大百科』の最新版をジークフリートさんに渡して欲しいって言ってたんですけどーー‼︎」
「なんだと⁉︎ 本当か⁉︎」
あ。
「なんだ、やっぱりいたんですね」
ーーしまった‼︎はめられた‼︎
顔を見せてしまった以上、もう居留守は使えない。仕方なくステラを家の中に招き入れ、ジークフリートは二人分の茶を用意してステラと向かい合う形で座る。
「何をしに来たかは言わなくていい。弟子入りの件だろう?」
「はい。どうしてもあなたの弟子になりたいんです」
「・・・本をもらってしまったしな。いいだろう」
「本当ですか!?」
「ただし、条件がある」
「言わなくても分かると思うが、俺は弟子なんて取りたくないし取る気もない。ライちゃんに頼まれたから仕方なく弟子入りの機会をお前に与えてるんだ」
ジークフリートの家から少し離れた雑木林に移動し、ジークフリートは落ちていた木の棒で地面を軽く叩きながらステラを見る。
気だるそうなジークフリートに対し、ステラの表情は硬い。
これから何が行われるかはまだ分からないが、ジークフリートの機嫌次第で弟子入りが不可能になるのは確かだ。何をやるにしても慎重に臨まねばならない。
「ライちゃんはお前を新星だと言った。その輝きがどれ程のものか、この目で見てお前を弟子にするか否かを決める」
「えっと、つまり・・・」
「俺と戦え。俺に傷を付ける事が出来れば弟子にしてやる。先に言っておくが遠慮はいらん、本気で来い」
「・・・分かりました。本気でいきます」
目を閉じて深呼吸をして、ステラは四肢に血の甲冑を纏い、目を開く。
『竜殺しの英雄』と呼ばれた伝説の魔導士が、今、自分の目の前に立っている。
ジークフリートが言わずとも、手加減などしない。ステラは自分の全てをぶつけてやるつもりだ。
「来い」
ジークフリートが棒を構えるのと同時に、ステラはジークフリートの眼前に迫り、ジークフリートの顔面目掛けて拳を振り抜く。
初撃からトップギア、本気の攻撃はジークフリートに直撃した。だが
「うぐっ・・・‼」
ダメージを受けたのはステラの方だった。
無防備な腹にジークフリートの膝が突き刺さり、そのまま後方へと吹き飛ばされる。
木の幹にぶつかって止まり、ステラがジークフリートを見ると、ジークフリートの顔には傷一つ無かった。
「ほぉ、壊れなかったか。中々頑丈だなその甲冑。今度はこっちから行くぞ」
来る。
ジークフリートの反撃を食らう前にステラが立ち上がって距離を取ろうとした瞬間、ジークフリートが投擲した木の棒がステラの顔を掠め、木の幹に突き刺さった。
一瞬の硬直、その隙にジークフリートはステラとの距離をゼロにしてステラの顎を蹴り上げた。
「――――っ‼」
「今、一瞬ぎょっとしたろ。その一瞬が命取りだ」
顎の衝撃が脳に伝わり、ステラは倒れて立つ事が出来ない。
舌を噛んだ所為で口から血が出て、口の中にほのかな鉄の味が広がる。そんな事を考えられる内は、意識はある内は大丈夫だ。まだどうにかなる。まだ立てると、ステラはなんとか立ち上がる。
「う、ぐ・・・」
「立つのか」
「当たり前、でしょ・・」
「そこそこの根性はあるようだな。だが、根性だけで相手を倒す事はできないぞ」
幹に突き刺さった木の棒を引き抜いて、ジークフリートはその先をステラの喉に突きつける。
「お前ではどう足掻いてもヘルハウンドを討つ事はできない。簡単に殺されるのがオチだ」
「だから、あなたの弟子になって、強く」
「分からないか? それが無理だと言っているんだ。お前じゃ足手まといになるだけだ。他のメンバーに任せて大人しくしていろ」
「なんで、そんな事を」
「なんでそんな事を言うのかか?」
分からないのか?
「お前はあまりに弱い。戦ってみて分かった。残り一カ月でヘルハウンドに対抗できる程強くなる訳が無い。諦めろ」
「諦め、ない・・・」
「諦めなければどうにかなると? お前の輝きは六等星だ。六等星の星は巨大な闇を払う事はできない。それが答えだ」
ヘルハウンドという大きな闇の前では、ステラ程度の六等星は掻き消されてしまう。
夜空の下で蝋燭を一つ灯した所で意味は無い。ステラがヘルハウンドと戦う事はそうゆう事だ。
「要するに無駄死にになると言っているんだ」
「無駄死にになんかならない。私は」
「話にならないな」
呆れた目でステラを見て、ジークフリートはステラの顔を棒で殴り、殴られた衝撃でステラは再び地面に倒れる。
「弟子入りの話は無しだ。今すぐ帰れ」
「・・・帰らない」
「もう一度言うぞ。お前は」
「ヘルハウンドと戦える程強くなれない? ふざけないで、なんでそんな事分かるんですか」
「分かる。お前は」
「今弱いから無理だって、そう言いたいんですか? 今弱いから、強くなろうとしてるんじゃないですか」
弱いから、足りないから、強くなりたい。
強くなって、皆の為に戦いたい。そう思って、ステラはジークフリートの元に来た。だから
「何が何でも認めさせてみせます。私は強くなれるって・・・」
ふらふらの足で立ち上がるステラを見てジークフリートは溜息を吐く。
「見込みが無いと、そう言っているんだがなぁ・・・引く気がないなら徹底的に叩きのめして分からせてやる」
棒を構えて、ジークフリートは闘気を研ぎ澄ます。
百戦錬磨の武人が放つ気迫に、ステラは一歩後ずさる。 不用意に近付けば命を取られる。
ジークフリートの間合いに入れず、ステラが一歩も動けずにいると、ジークフリートは
「それがお前の限界だ」
大振りの一撃をステラの脇腹に叩き込み、ステラを宙に吹き飛ばした。
『竜殺しの英雄』の本気の一撃。衝撃は脇腹から内臓へと伝わり、ステラの口から血が吐き出される。
「お前を弟子にはしない。お前の輝きは、俺が見るに値しない」
棒を軽く振ってジークフリートが家へと帰ろうとした時、ジークフリートの襟首を何かが引っ張り、ジークフリートは倒れそうになって後ろを見る。
そこにいたのは、紅い瞳で自身を睨みつけ、拳を構えるステラだった。
「なーー」
「うぉりゃあぁあぁあぁああぁあ‼︎」
ジークフリートの反撃を食らう前に、ステラはジークフリートの頰を殴り、ジークフリートを地面に叩きつけた。
「どう‼︎」
「ふむ、悪くはない」
ジークフリートはまたもや、ステラの攻撃を食らって平然としていた。
いくらなんでもおかしい。
『紅血の協奏曲』の甲冑の一撃を二度も顔面に食らって平気でいられる訳がない。なのに傷一つ無いなんて、そんな事がある訳が
「まさか、魔法?」
「ようやく気が付いたか。何よりも、誰よりも硬くなる。それが俺の魔力『竜皮』の力。とある竜を討伐した時に手に入れた力だ」
「何よりも硬くなる力・・・」
「分かったか? お前じゃ俺に傷一つ付ける事はできはしない」
「くっ‼︎」
ジークフリートの言葉を否定するように、ステラはジークフリートの横っ面を殴りつける。
全力の一撃。しかしジークフリートはピクリとも動かず、逆にステラの甲冑が砕け散る。
「諦めろ。他にも良い師は沢山いる。何も俺である必要は」
「おりゃあ‼︎」
ジークフリートが言い切る前に、爪先で顎を蹴り上げようとするが、やはりジークフリートは動かない。
あまりの動じなさに、ステラは山を相手にしているような錯覚を覚えるが、それでも攻撃の手を緩めない。
回し蹴り、肘打ち、拳撃、頭突き、ありとあらゆる攻撃を叩き込み、その全てをジークフリートは真っ向から受け止める。
「ぐ、うぐ・・・」
最後の頭突きで額が割れ、血が流れる。
届かない、。あまりにも高すぎるーー・・・・
「最後に一つ聞かせてもらおうか。お前は何故俺にこだわる。俺である必要がどこにある。俺でなくても」
「確かに、あなたじゃなくてもいいのかもしれない。別の誰かが師匠でも、強くなれるのかもしれない。それでもあなたにこだわるのは、私の意地です」
「意地?」
「一度師匠になってもらおうと決めたのに、少し頑固だからって別の人を師匠にするのは、負けたみたいで嫌なので」
ステラの答えを聞いて、ジークフリートは一瞬笑って、ステラの腹に拳をねじ込む。
「かっ・・・‼︎」
短い呻きと共にステラは気を失い倒れ、倒れたステラを抱えてジークフリートは歩き出す。
「意地か・・・」
「おい、なんで俺がこんなに怒ってるか分かるか?」
屋敷の広間で、正座するライゼとリリィを見下ろしながら、リオは額に青筋を浮かべる。
誰がどう見てもお説教の現場。二人が一体何をやらかしたのか、それはリオの口から告げられる。
「趣味の悪いびっくり箱、数々のビリビリ魔道具、滑る床、その他にも色々な悪戯があったが、一番許せねぇのはゴキブリのおもちゃだ。俺がゴキブリが嫌いな事知ってるよなぁ?」
「えーと、その・・・」
「言い逃れするつもりなら無駄だぞ。証人は多数いるんだ。お前らが何かを準備してたってなぁ。ライゼ、リリィ」
「うっ」
気まずそうにするライゼとリリィの肩を叩いて、リオは普段から鋭い目付きを更に鋭いものへと変える。
「なんでこんな事をした? 正直に言え」
「えっと、あの、リオ君が驚く所見てみたくないってマスターに言われたから、つい・・・ごめんねリオ君」
「そうか。つまり元凶は」
「いやいやいやいや‼︎ 待って待って待って‼︎ 確かにリリィちゃんにそうゆう事を言いはしたけど‼︎ 悪戯は共犯」
「ゴキブリのおもちゃを用意したのはどっちだ」
「マスター」
早々に自身の犯行を暴露され、ライゼの顔から血の気が抜ける。
リオはただ一言、そうかと言うとライゼの方を見て、これ以上無い程の憤怒の形相を浮かべる。
「覚悟はできてんだろうなぁ? 死ぬ覚悟は」
「わぁああぁあぁあぁあぁあぁあぁあ‼︎」
正座したままライゼが気絶しかけた直後、広間の扉が勢いよく開かれ、息を切らしたローザが部屋の中に入ってきた。
「ローザ、いきなりどうした」
「大変なんだ‼ ステラちゃんが‼」
屋敷の正門前にマリを除く『魔神の庭』のメンバーが向かうと、倒れるステラを抱えたジークフリートが無言で立っていた。
ジークフリートの腕の中で眠るステラの額から血が出てるのを見て、ユナとアルジェントがジークフリートの元へと飛び出す。
ユナはステラを治療する為に、アルジェントはジークフリートをその爪で引き裂く為に。
「アル君、待て‼ その人はジークフリート‼ 敵じゃない‼」
ライゼの叫びを聞き、アルジェントは獣化で鋭くした爪をジークフリートの顔の前で止め、紅い瞳でジークフリートを睨む。
「ジークフリート、あなたがあの『竜殺しの英雄』でマスターの友人のジークフリート=レイライトですか?」
「あぁ、そうだ」
「どうゆう事か、説明してください。何故ステラはそんな事に」
「弟子入り志願してきたから、試験をした。その結果こうなった」
「それは本当ですか?」
丁寧な口調に抑えきれない敵意を乗せて問うアルジェントに答えたのはジークフリートではなく
「本当だ。ステラちゃんの師匠にはレイちゃんが良いと、僕が推したんだ」
後ろにいたライゼだった。
ライゼの言葉を聞いてアルジェントは腕を下げ、ジークフリートは腕の中のステラをアルジェントに渡し、飛んできたユナがステラの治療を開始する。
「頭の血は軽く皮が剥けた程度で、骨折や内臓の損傷も無い。殺すつもりはなかったみたい」
症状の確認というより、アルジェントに言い聞かせるようにユナは呟く。
それを受けてアルジェントはジークフリートと目を合わせて
「ステラは、あなたの試験に合格したんですか?」
「不合格だ。てんで駄目だった」
「そうですか・・・」
「俺はもう帰る。少し寝かせておけばすぐに目は覚めるはずだ」
「ジークフリートさん」
手を振って家に帰ろうとして、アルジェントに名を呼ばれてジークフリートは立ち止まる。
ジークフリートが振り向いた時、アルジェントの瞳は紅から青に戻っていた。
「ステラはあなたの試験に必ず合格する。あまりステラを見くびらないでください」
「そうか。楽しみにしている」
素っ気ない返事をして、ジークフリートは去っていた。
その背中を、アルジェントは見えなくなるまでステラを腕の中で抱きながら見つめていた。
「しかし、意外だったな」
「何がだい?」
「お前がっ、ジークフリートをっ、ぶっ飛ばさなかった事がっ、だよ」
ステラの部屋のベットの近くで、心配そうにステラを見るアルジェント、その横で百キロの鉄アレイでトレーニングしながらリオは呟く。
「お前ならっ、あの状況だったらっ、即座にっ、ジークフリートをっ、ぶっ飛ばすとっ、思ってたんだがっ、なっ」
「人を狂犬か何かみたいに言うのやめてくれないかい? マスターに止められれば僕だって止まるし、ジークフリートさんとはこれまで面識は無かったけど、マスターの友人だって事は前から聞いてたからね。あと筋トレやめてくれる? なんで今? 今じゃなくてよくない?」
「今がっ、筋トレの時間なんだよっ」
「じゃあせめて外でやってくれない? それかやめて」
「分かったよっ」
鉄アレイをゆっくりと地面に置き、顔を袖で拭う。
「ねぇリオ君、一つ聞いていいかな?」
「どうした?」
「君、もしかしてとは思うけど、今も重りをつけて生活してるの?」
「そうだが、どうして分かった?」
「普段よりも呼吸が少し荒いのと、挙動の一つ一つが遅いのと、疲れが顔に出てるから」
指を一本ずつ立てて、アルジェントはリオが重りをつけていると思った根拠を述べる。
そのどれもが当たりだが、注意深く見ても分からない程度の微々たる変化でしかない。それに気付けたのはアルジェントの鋭い感覚と観察眼によるものだ。
「それより、ローザ君も同じトレーニングしてるんだよね? 彼かなり息切れしてたけど、一体何キロの重りをつけてるんだい?」
「九十キロちょっとだ。来週から百二十キロにする予定だ」
「鬼か」
『魔神の庭』でもユナと双璧を成す肉体的貧弱さを誇るローザに百二十キロの重りを背負わせる等など、拷問以外の何者でもない。ある朝ローザの部屋に入ったらローザがぺしゃんこになっていた、という事件が起こらないか不安なアルジェントにリオは
「大丈夫だ。あいつはあれで意外と根性がある方だ。すぐに慣れる」
そんな心配は無いと、腕を組んで保証する。
九十キロに慣れてないから息切れしていたのでは? というツッコミは胸の中に留め、アルジェントはステラを見る。
「ステラ・・・」
「ステラなら大丈夫だ。ユナが治療したんだし、見かけ程凄い怪我じゃなかったんだろ?」
「確かにそうだけど」
「俺らが暗い顔をしていても仕方がない。一度気分転換に腕相撲をするぞ」
「ごめん意味が分からない」
「暗い気持ちの時は身体を使うのが一番だって言うだろ? それに、なんだか最近力がついてきてる気がしてな。どれ位強くなったのか試してぇ。つー訳で、俺と腕相撲で勝負しろ」
床に伏せて、肘を立てるリオに、アルジェントは苦笑して同じように床に伏せてリオの手を掴む。
「これまでの戦績は三百五十七勝三百五十七敗で引き分けだったな。今日で勝ち越してやる」
「そんな重りをつけたままの状態の僕に勝てるとでも?」
「これも修行だ。このまま勝ってやる」
「いいだろう。レディファイト‼」
アルジェントが勝負開始の合図をした直後、両者は腕に全力を込める。
片や三百キロの重りをつけて、片やライゼとの連戦で筋肉痛、互いにハンデを負った状態での勝負。床が軋み、互いの顔に汗が流れる。
「うおおおおおおおおおっ‼」
これまでで一番の接戦、最高潮に極限の勝負を
「何してんのあんたら」
ステラは冷めきった目でベットの上から見つめていた。
ステラが目を覚ました事に気付き、アルジェントとリオは立ち上がって、何事も無かったかのように笑う。
「よかった、目を覚ましたんだねステラ」
「ったく、一時はどうなる事かと思ったぞ」
「あ、無かった事にしたわね。それより、私はどうしてここに・・・ジークフリートさんと戦ってた筈じゃ」
「そのジークフリートが気を失ったお前を連れてここまで来たんだよ」
リオの説明を聞いて、ステラは全て理解した。
―――そうか、私はジークフリートさんに倒されたんだ。試験は当然不合格・・・・
拳を握り、俯くステラにの肩にアルジェントは手を置く。
「仕方ないよステラ。相手は伝説の魔導士だ。そう簡単に弟子入りを認めさせる事はできない。めげずに次の手を考えれば」
「ねぇ、聞きたい事があるんだけどいいかしら」
「ん? 僕が答えられる事なら何でも聞いて」
「ジークフリートさんを壊すにはどうしたらいい?」
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