お伽の夢想曲

月島鏡

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第三章 深海の星空

第二十四話 間違ったステップで君と

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 部屋の窓からルドルフは外を眺めていた。
 やがて開かれる舞踏会と、瑠璃色の少女の事を思いながら。
 父から突然告げられた事に、ルドルフはまだ心の整理がついていなかった。
 ルレギュール公爵の娘が自分に会いたがってるという事、もしかしたらその娘が将来の自分の結婚相手になるかもしれないという事、八歳の子供が抱え込むには、あまりに大きすぎる問題に、ルドルフはどうすればいいか分からずにいた。

「いきなり連れ帰られて、いきなり舞踏会に参加させられて、いきなり結婚するかもしれない相手が現れてって、いくらなんでもでき過ぎじゃ。一体、儂にどうしろって言うんじゃ」

 なぁ、お月様よ。
 月を見上げながら、ルドルフはそう呟いた。
 ひょっとしたら考え過ぎかもしれない。そう思えるだけの余裕は今のルドルフにはなかった。
 何をしても、どこにいても、リーベの事が頭から離れない。
 あまりに何も手が付かなくて、少しの間だけ忘れようとして、でも、忘れられなかった。
 あの笑顔が、声が、頭の中でずっと木霊している。
 楽しかった時間が遠い昔の事であったかのように感じられ、ルドルフは形容しがたい寂しさを覚える。

「なんで儂は、王族なんじゃろうな」

 王族でなければ、グリム家の長男でなければ、何にも縛られず、自由に生きる事ができたかもしれない。
 リーベと会えなくなってから、その思いが一層強くなった。
 何をしても、何を見ても、リーベがいなければつまらない。

 ーー折角、初めて友達が出来たというのにのぉ。

 手の内にある赤い星のストラップを見ながら、ルドルフは心の中でそう呟いた。






「ねぇペトロニーラ、聞きたい事があるんだけどいい?」

 ルドルフが部屋の中から月を見ているのと同じ頃、リーベがペトロニーラに問いかけた。

「なんだぃ?」

「ペトロニーラって、ルドルフが乗ってた船の護衛だったよね?それならルドルフのパパと知り合いだから、城の中に簡単に入れるんじゃないの?」

「護衛・・・あぁ、そうだったねぇ。ずっと実験してたものだから忘れてたよぉ。あんたの言う通りロドルフ様とは知り合いだが、連絡を取り合う程親しくはないし、あんな事件があった後だからねぇ。ロドルフ様もかなり警戒なされているぅ。実際、一時的に船の護衛として雇われていた魔導士全員に王城への立ち入り禁止令を出されたぁ。そんな状況で私のような怪しい魔女を城に入れるとは考えにくいねぇ」

 あんな事件、というのはルドルフが『ブラックラット』のメンバーに襲われて怪我をしてしまった事件の事だ。
 自分の子供が犯罪ギルドに襲われて怪我をすれば、親は心配し涙を流し、しばらくは自分の傍にいさせなければ不安で仕方ないだろう。
 ましてや、襲われたのが王子で、親が国王ともなれば、その後の対応と後処理はより万全で確実なものとなる。それを考えればロドルフの処置は当然のものと言えるだろう。
 しかし、だとしたら気になるのは現在の城の警備の内情だ。衛兵だけで城を警備していては、ルドルフが城から抜け出してしまう事も考えられるし、護衛として雇っていた魔導士達に王城への立ち入り禁止令を出した後に新たに警備を募集する事も考えにくい。
 ならば一体誰が城の警備をしているのか、それは

「そういえば、一人だけいたよぉ。王城にいる魔導士ぃ」

「それって、誰?」

「ルドルフ様を城に連れて行った男、王家専属魔導士ライゼ=クロスハートさぁ」

 ライゼ=クロスハート。
 その名を聞いて、リーベは数日前に見た金髪の美丈夫の姿を頭に思い浮かべる。
 物腰こそ柔らかかったものの、相対して感じた魔力は、シェルと同等かそれ以上。一目で只者ではないと分かる程の存在感を放っていたのが印象に残っている。

 ――あの人が警備なら、一人でどうにかなるか

「さて、話はこれ位にして、早速始めるよぉ」

「始める? 何を?」

「決まってるだろぅ? ダンスの練習さぁ。舞踏会に行って踊れなきゃ目立つだろぅ?」

「ちょ、ちょっと待って! まさか、正面から行くつもり!?」

「何を言ってんだぃ、当たり前だろぉ。なんで隠れる必要があるってんだぃ」

 なんでも何も当然だ。
 舞踏会に参加するには招待状が必要だ。リーベはその招待状を持っていない。
 普通に参加しようとすれば門前払いされてしまうのがオチだ。

「招待状はどうするの?」

「あたしを誰だと思ってるんだぃ、あたしは魔女だよぉ? 招待状がないなら作ればいぃ」

 そう言って、ペトロニーラが手のひらに小さな竜巻を発生させると、竜巻の中であるものが作られる。竜巻の中で作られたのは、舞踏会の招待状の封筒だ。
 ほら、どうだぃ? と、ペトロニーラは魔法で作り出した舞踏会の招待状をリーベに手渡す。

「魔女に不可能は無い。これで舞踏会への参加はどうにかなったぁ。あとはあんたのダンスの練習だけさぁ。さぁ、練習を始めようじゃないかぁ」

 指を鳴らしたペトロニーラに、リーベは手の中の招待状を見つめてから、ペトロニーラに視線を移して笑顔を向けて

「はいっ! よろしくお願いします、ペトロコーチ‼」

 ダンスの練習を開始した。






 そして迎えた舞踏会当日、ルドルフは会場で沢山の大人に囲まれながら、舞踏会が始まるのを待っていた。
 着慣れない礼服と大勢の大人がいる環境に居心地の悪さを感じ、逃げ出してやろうと思っていたが

「思ってたより人が多いのぉ。誰にも見つからず抜け出すというのは無理そうじゃな。それに」

 後ろを振り向くと、遠くの方でライゼが壁に寄りかかってこちらを見つめているのが見えた。
 どうやら逃がす気はさらさらないらしいと、ルドルフが溜息を吐くと、誰かが後ろから袖を引っ張ってきた。
 振り向くと、そこにいたのは紫色の髪と、緑の瞳が特徴的な、髪と同じ紫色のドレスに身を包んだ柔らかな雰囲気の少女だった。
 年の頃はルドルフと同じ位、身長はルドルフよりやや大きい程度、身長で負けている事にルドルフが密かに打ちひしがれていると、少女はルドルフに微笑みかけた。

「あの、すいません、もしかして、ルドルフ王子ですか?」

「えっ、あっ、そうじゃったな。うむ、儂はルドルフじゃ」

 久しぶりに『王子』と呼ばれ、一瞬誰の事を言っているのか分からず、ルドルフが歯切れの悪い返答をすると、少女はルドルフに恭しくお辞儀をする。

「メリザナ=ルレギュームと申します。この度は舞踏会にご招待いただき、誠にありがとうございます」

 少女の、メリザナの姓がルレギュームと知り、ルドルフは僅かに動揺する。
 会う前は自身を舞踏会へと誘った忌々しい悪女とばかり思っていたが

「今日はよろしくお願いしますね」

 会ってみたら全然悪女じゃなかった。
 礼儀正しいし普通に可愛い。あれ? おかしいな、かなりいい娘っぽいぞ、とルドルフが思っていると

「沢山人がいて、なんだか緊張しちゃいますね。ルドルフ様は大丈夫なのですか?」

「あ、えっと、別に大丈夫じゃ。もし駄目そうなら救護の者を呼ぶが」

「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「そうか、駄目そうなら儂か近くの者にすぐ言うんじゃぞ」

 心配そうにルドルフがそう言うと、メリザナは頷いてから小さく笑った。
 どうしたんじゃ? とルドルフが聞くと、メリザナはハッとする。

「す、すいません。その、喋り方が大人っぽくて、つい」

「あぁ、喋り方か。ジジィみたいでおかしいじゃろ?」

「いえ、決してその様な事は・・・‼」

「別に構わん。自覚しとるからの」

 笑いながら首を振るルドルフに、メリザナは申し訳なさそうな表情を向けてから、ルドルフの手を取り、顔を近付ける。
 透き通った緑の瞳に見つめられ、ルドルフが息をするのも忘れていると、メリザナは一度瞬きをしてから小さく息をして

「私は、その喋り方凄く良いと思います‼」

 と、先程の穏やかな様子からは考えれぬ程声を張り上げる。
 その瞳に、からかいやおかしな物を見る様な気配は感じられず、ルドルフはメリザナが冗談で言っている訳ではないと理解する。

「喋り方も一つの個性です。先程は笑ってしまいましたが、おかしな所や恥じる所など何もありません。ルドルフ様はルドルフ様のままであられるのが一番良いと思います‼」

「あ、えと・・・」

 最後になるにつれてメリザナの顔が段々近付いていき、ルドルフの顔が赤くなっていくのにメリザナは遅れて気付く。そして、メリザナは咄嗟に顔を離して

「っ、すいません! 近すぎました‼」

 ルドルフ以上に顔を赤くして恥ずかしがる。
 その様子がおかしくて、今度はルドルフの方が小さく笑った。

 ――なんだ、これなら警戒する必要など一切無かったな。

「ありがとのぉ。そう言ってもらえると嬉しいわい」

「いえ、私はただ本当の事を言っただけです。ルドルフ様の喋り方、とても素敵ですよ」

 少ない、短いやり取りでルドルフとメリザナが少しずつ打ち解け始めた所で、舞踏会の始まりを告げるカドリーヌが会場に流れ始めた。
 それを聞いて、メリザナはルドルフへと手を差し出した。

「ルドルフ様、一緒に踊っていただけますか?」

「・・・あぁ、もちろん」

 性格が最悪なら、何を言われても言う事など絶対に聞いてやるものか、そう思っていた。
 何故メリザナが自分に会いたがっていたのか気になっていた事、メリザナが将来結婚相手になるかもしれないという事を、ルドルフはその時忘れていた。
 ルドルフはメリザナの手を取って踊ろうとして―――







 時は遡り、ルドルフがメリザナと出会う数分前。
 リーベとペトロニーラは王城の近くにやって来ていた。
 舞踏会という事で、リーベは水色の可愛らしいドレス、ペトロニーラは漆黒のドレスに身を包んでいる。

「ねぇ、ペトロニーラ」

「ん?なんだぃ?」

「なんでそのドレス選んだの?」

「なんでって、何かおかしな所でもあるかぃ?」

「おかしな所というか・・・」

 包み隠さずはっきりと言えば、露出度が高く、その、目のやり場に困るというのが、リーベが思った事だった。
 ミニ丈のスリッドで脚を大胆に晒し、背中は一切包み隠さず、普段はローブの下に隠されている白い肌が露わになっている。唇には紅いリップを塗って、ペトロニーラの色気は犯罪的なものとなっている。

「ひょっとして、このドレスが大胆だとでも言いたいのかぃ?」

「う、うん」

「あたしは普段の服装が地味だから、大胆過ぎる位が丁度良いのさぁ。幸いあたしはロドルフ様以外とは殆ど喋った事が無い。国王に見つからない限りバレやしないさぁ」

 確かに、初めて会った時にルドルフの護衛をしていたにも関わらずずっと実験していて、ルドルフはペトロニーラが船にいた事すら知らなかった。
 ペトロニーラはほとんど人と接していないらしいが

「本当に大丈夫かな?」

「大丈夫さぁ。ほら行くよぉ」

 ペトロニーラに背中を押され、リーベは王城の前に向かう。
 入り口前にいる衛兵二人がリーベ達に気付き、視線を向けると、ペトロニーラが衛兵達に向かって手を振りながら近付く。

「やぁ衛兵さん。舞踏会に参加したいんだけど、通してもらえるかぃ?」

「あっ、えっと、招待状を見せていただけますか?」

「いいよぉ、ほら、二人分の招待状だぁ。これで通してもらえるかぃ?」

 魔法で作り出した偽物の招待状を衛兵に見せて、リーベとペトロニーラは王城の中に入る。
 王城の中には赤いカーペットが敷かれていて、壁には絵画が飾られている。照明のシャンデリアが、リーベにはそれが光る宝石の様に思われた。城の内装にリーベが感動していると、ペトロニーラがリーベを見て

「なぁ、一つ聞いていいかぃ?」

「どうしたの?」

「あんたはルドルフ様に会いたいと言っていたが、会ってどうしたいんだぃ?」

「会ってどうしたいって」

 それはと、リーベはどうしたいかを言おうとして、しかし、何も言えなかった。
 ルドルフと会いたい、それは本当の事だった。
 しかし、会ってその先の事をリーベは考えていなかった。改めてどうしたいかと聞かれても、何も分からず、何も浮かばなかった。

「分からない、かぁ」

「うん。分からない、どうしよう」

「ま、今はまだそれでいいさぁ。会えば分かる」

 そうかな? とリーベは不安そうな瞳でペトロニーラを見つめると、ペトロニーラは何も言わずに頷いた。
 ペトロニーラがそう言うならそうなのだろうと、リーベはそうゆう事にする。

「ところで、舞踏会のおまじないって知ってるかぃ?」

「おまじない?」

「王子様と一番最初に踊った女の人が、王子様と結婚するっておまじないさぁ」

「へー、そんなおまじないがあるんだ。ん? 王子様?」

 そういえば、身近に王子様という立場の人がいたような、とリーベは思い出そうとして、一人の少年の姿を思い出した。
 鮮やかな赤髪が特徴的な少年、ルドルフ=グリムの姿を。

「あれ、ちょっと待って、『王子様と一番最初に踊った女の人が王子様と結婚する』っていうおまじないなんだよね?」

「あぁ、そうだよぉ」

「という事は、ルドルフが誰かと踊ったら、その人と結婚しちゃうって事!?」

 もしもそうなったら




「なぁ、リーベ。今日はリーベに紹介したい奴がいるんじゃ」

「紹介したい人? 誰々~~~?」

 そこで、ルドルフの後ろから女が現れる。

「はーい、ダーリンがいつもお世話になってまーす。&'%%$'()'でーす」

「え? ダーリン?」

「おう、儂、この前結婚したから」

「結ばれちゃいましたっ♡ きゃっ♡」

「嘘、本当に・・・?」

「ま、そうゆう訳じゃからこれからはこいつと、儂らの子供の三人で過ごしていく」

 女の後ろから子供が現れる。

「これからは色々忙しくなるから遊べなくなるが、ごめんな」

「ダーリンと末永く幸せに暮らしていきまーすっ♡」

「パパ~、ママ~」



「いやぁああああああああああああああ‼」

 おまじないでルドルフが誰かと結ばれた未来を想像して、リーベは悲鳴を上げる。
 ルドルフが誰かと踊る前に止めなければと、リーベは舞踏会の会場へと走って向かう。
 その背中を見てペトロニーラは思わず噴き出して、腹を抱えながら俯いて笑う。

「くくくく、面白い位分かりやすいリアクションするじゃないかぁ。あ~面白ぃ」

 即興で考えた作り話だったんだけどねぇ、と呟いてからペトロニーラはゆっくりと歩き出した。
 これで、ひとまずは思い通りに事が進んだ。あとはリーベ次第、いや、二人次第だ。
 ーーあたしは遠くからどうなるかを見せてもらうよぉ、実験は成功か、それとも失敗かを、ね。




 城の廊下を、人目も気にせず全力でリーベは走る。
 舞踏会が始めるまでにもう時間はない。
 ルドルフが誰かと踊ってしまったら、ルドルフはその誰かと結ばれてしまう。そうしたらきっと、ルドルフは自分の事を忘れてしまう。
 そうなってしまう前に、忘れられる前に、リーベには言いたい事があった。いや、その話を聞いてやっと分かった。
 自分はルドルフと会ってどうしたいかを。
 やがて、リーベが舞踏会の会場の扉の前に辿り着き、扉を開けたのはルドルフがメリザナの手を取ろうとした時だった。




 ルドルフがメリザナの手を取ろうとした時、会場の扉が音を立てて勢い良く開かれた。
 カドリーヌが止まり、会場にいる全員が開かれた扉に、その向こうで息を切らし立っていた瑠璃色の少女に釘付けになる。
 リーベは自身に向けられる多数の視線を気にせず、ずっと会いたかった少年の姿を見て、涙を溢しそうになるが、必死に泣きそうになるのをこらえてルドルフへと駆け寄る。
 近くで見るルドルフの顔は、当たり前だが前と変わっていなくて、それが何故だか嬉しかった。

「リーベ、何故ここに? 一体どうやって」

「会いたかったから、ペトロニーラに手伝ってもらったの。ペトロニーラも来てる筈だけど・・・」

「マジか、あの魔女もここに来とるんか」

「あの、そのお方は?」

「えっと、こいつはリーベ、儂の友達のん? リーベ、どうした?」

 メリザナにリーベを紹介しながらルドルフがリーベの方を振り向くと、リーベは俯いて震えていた。
 大丈夫か、と言いながらルドルフがリーベに手を伸ばそうとすると、リーベは俯いたまま、ねぇ、と言ってきた。

「ルドルフは、もう誰かと踊っちゃった?」

「なんじゃ? まだ踊っとらんが」

「本当に? 本当に本当に踊ってない?」

「本当の本当の本当じゃ」

 頷きながらルドルフがそう言うのを聞いて、リーベは安堵する。
 それからゆっくりと顔を上げて、ルドルフの手を掴んだ。

「なら、私と踊って!」

「えっ?」

「ペトロニーラに聞いたの、舞踏会で王子様と一番最初に踊った女の人が王子様と結婚するって、もしも、ルドルフが誰かと結婚したら、きっとルドルフは私の事を忘れちゃう、だから、私の事、忘れて欲しくないから・・・」

「リーベ・・・」

 ふっ、とルドルフは笑ってから、リーベの頭に手を伸ばしてーー思い切りチョップした。

「痛ぁ‼」

 理不尽な暴力にリーベは頭を押さえその場に蹲る。
 一体何をするのかとルドルフを見上げると、ルドルフはニヤニヤと笑っていた。

「ひどい‼何するの‼」

「すまんすまん、つい手が出てしまった。許せ」

「許さないよ⁉︎ なんでいきなり」

「儂がお前を忘れる? んな事ある訳ないじゃろうが」

 ルドルフの口から放たれた言葉に、リーベは耳を疑った。
 ーー聞き間違い? 空耳? 今、なんて

「いいか、お前が馬鹿な勘違いしとる様だからはっきりと言ってやる。儂はお前の事を忘れたりしない。忘れない。何故か教えてやろうか? 儂にとって、お前と一緒にいる時間が、これまで生きてきた中で何よりも楽しい時間だったからじゃ」

「何よりも、楽しい時間・・・」

「そうじゃ、儂はずっとひとりぼっちじゃった。同い年の友達と遊んだ事など一度もなかった。でも、お前が現れた。一緒に動物園に行って、一緒に遊園地に行って、一緒にピクニックに・・・は、少しアクシデントがあったが、それでも楽しかった」

「本当?」

 不安そうに問いかけてくるリーベに、ルドルフは力強く頷く。

「楽しかった。ライゼに見つからきゃ、もっと色んな所に遊びに行きたかったわい」

「じゃあ、約束して」

「約束?」

「うん、約束、次はいつどこで会うのか、約束して欲しい。じゃなきゃ、私、どこに行けばルドルフに会えるのか、分からないから」

「まさか、その為にここまで?」

 ルドルフが問いかけると、リーベはゆっくりと頷き返した。
 すると、ルドルフは優しく微笑んで

「そうじゃなぁ、本当なら明日にでも遊びたいんじゃが」

「駄目なの?」

「あぁ、残念ながらな、儂は、変わらなきゃいけなくなった」

「変わらなきゃいけなくなった?」

「あぁ、儂は、お前を一人にして、チンピラにボコボコにされた。いずれ世界最強の魔導士となる男が、情けない話じゃ」

 思い出されるのは、苦い後悔の記憶だ。
 マロンの飼い主探しの途中でリーベを一人にし、リーベを探そうとして『ブラックラット』のメンバーに傷付けられて、リーベを不安にさせて、泣かせてしまった。
 情けない。カッコ悪い。不安だったのはリーベの方だったのに。

「違うよ。あれは私が勝手に一人でマロンを探しに行ったから、私が、ルドルフの傍にいなかったから」

 後悔していたのは、リーベも同じだった。
 自分が勝手にマロンの飼い主を探しに行かなければ、ルドルフの近くにいれば、リーベの実力なら『ブラックラット』のメンバーを退ける事ができた。その場にいればどうにかなった場に、自身がいなかった事に対する後悔は、今もリーベを苦しめている。でも

「何言っとるんじゃ、それでマロンを飼い主に届ける事が出来たんじゃろ? よかったではないか。あの時は、本当にありがとうな」

 そんな事はないと、ルドルフはリーベに優しく言い聞かせる。
 それからリーベを指さして

「というか、強さでお前に負けてるようじゃ駄目なんじゃ」

 ルドルフが目指すのは世界最強の魔導士、誰よりも強い魔導士だ。
 この世の誰よりも、もちろんリーベよりも強くならなければならない。だから

「今にお前よりも強くなってやる。そうすれば世界最強に一歩近付ける、そうすればもうお前を不安にさせて、泣かせなくて済む。儂がそれ位強くなるまでの時間を、儂にくれないか?」

「強くなるまでの、時間?」

「あぁ、一年だ。一年でいい。その間儂は全力で強くなる、強くなってまたお前に会いに行く。そうしたら、初めて会った場所で、『リトス海岸』でまた会おう」

 もう、あんな思いをさせるのはごめんだ。
 自分の弱さで誰かを泣かせるのは嫌だ。だからルドルフは強くなる事を決めた。
 幸いにも、指導を任せられるライゼきょうしがいる。
 本気で学べばそれなり以上には強くなる筈だ。いや、強くなってみせる。

「それじゃ駄目か?」

 ルドルフは再度リーベに問いかける。
 真剣な表情のルドルフに、リーベは笑いかけて

「分かった。私、待ってるから、おばあちゃんになっても」

「一年間じゃ、流石にそこまで待たせはせんわい」

「え~、本当に~?」

「あぁん⁉︎ やんのか、おぉ⁉︎」

 そう言ってから少しの間見つめ合って、お互いに小さく笑った。それからリーベはルドルフに手を伸ばして

「ねぇ、ルドルフ、一緒に踊ろ?」

「お? お前踊れるのか?」

「踊れるよー、練習したもん」

「そうか、じゃあ、腕前を見せてもらおうか」

 そう言って、ルドルフがリーベの手を取ると、再びカドリーヌが鳴り響いた。
 美しく幻想的な旋律が響く中、瑠璃色の少女と赤髪の少年が舞う。
 その光景をメリザナも、ライゼも、ペトロニーラも、周囲の大人達も、息をするのを忘れて見つめていた。
 まるで、二人以外の時間が止まってしまったかのようだった。
 互いにおぼつかない、所々間違いのあるステップだが、それでも心は確かに通じ合っている事は、二人の表情を見れば明らかだった。
 今この瞬間、世界は二人の為だけに回っていた。
 二人の再開を、二人の舞踏を、二人を、祝福し、見守り、結んでいた。
二人だけの世界が、この時間が永遠に続けばいいと、二人は心の底からそう思っていた。
 けれど、終わりのないものなどこの世のどこにもない。
 この時間にだって、いつか必ず終わりが来る。
 だから、その時までは間違ったステップで踊り続けよう。
 間違いのない世界で、君と――――・・・




 それからしばらくして舞踏会が終わり、ルドルフはメリザナに頭を下げていた。
 結局あの後、ルドルフはずっとリーベと踊り、メリザナはルドルフと一度も踊る事ができなかったのだ。
 メリザナは大丈夫ですよと許してくれたが

「本当にすまなかった。いつかまた必ず」

 ルドルフは珍しく本気で反省していた。
 初対面の自分にはこんなに優しくなかったのに、この扱いの差はなんだと不満に思いながらリーベがルドルフを見つめているとメリザナは

「いえ、本当は少し残念ですが。恋人を大切にするのは当然の事です。私が割り込むのは筋が違います」

「なっ――‼︎ 違う違う! 恋人ではなくてだな」

「あら? そうなんですか? そちらのリーベ様がおっしゃっていた事に乗っ取れば、お二人はもう恋人同然かと」

 冗談めかしたメリザナの言葉にルドルフは顔を赤くして、話題を変えようと、そうだ‼ とおおげさに手を叩く。

「舞踏会が始まる前に儂に何か聞こうとしていたじゃろ!? 一体何を聞こうとしていたんじゃ!?」

「あっ、そうでした!ルドルフ様に聞きたい事があったのでした‼」

 メリザナはルドルフに聞こうとしていた事を思い出し大きな声を出してから、咳ばらいをしてルドルフの目をまっすぐ見つめる。
 熱意を持った瞳に見つめられ、ルドルフが緊張しているとメリザナは自分の胸に手を当てて、次の瞬間こう言った。

「私は、将来魔導士になりたいのです。どうしたらなれるか教えてください」

「えっ? 魔導士?」

「はい。ルドルフ様は魔導士だとお聞きしています。私もずっと魔法の勉強をしているのですが、一向に魔法を使える様になりません。一体どうしたら魔導士になれるのか教えてください」

 予想外の質問を聞いて、ルドルフは今日の舞踏会に隠された全てを理解した。
それから、目の前のメリザナと目を合わせてから、そうじゃなと

「魔法を習い始めてからどれ位経つ?」

「えっと、一年程です」

「なら使えなくて当然じゃ」

「え?」

「魔法というのは覚えるのが大変なんじゃ。普通の人間なら短くて二年、長くて三年以上かかる。儂が魔法を使える様になったのは魔法を習い始めて二ヶ月程、たまたま覚えがよかったんじゃな。きっと、同い年の儂が魔法を使えると聞いて不安に思ったんじゃろうが、安心せい、八歳で魔法を使えるものなどそうおらん。努力していれば、必ず魔法を使える様になる。お主は魔力がある方じゃから魔法を使える様になれば、きっと凄い魔導士になる。地道に頑張れ」

「・・・はい‼ 頑張ります‼」

 そして、メリザナはルレギューム公爵と共に馬車に乗り帰っていった。
 馬車を見送ってからルドルフは大きな溜息を吐いた。

「どうしたのルドルフ?」

「いや、大人って奴は薄汚いなと思っての」

「どうゆう事?」

「儂は今回クソ親父からルレギューム公爵の娘、メリザナが儂に会いたがっている、メリザナが将来の結婚相手になるかもしれないと聞かされて今回の舞踏会に参加したんじゃ。そして、メリザナが儂に会いたがっていた理由は魔導士になるにはどうしたらいいかを聞く事、『ルレギューム公国』との連絡を行っていたのはライゼじゃ」

 苦々しい表情でルドルフは今回の舞踏会の裏事情を語る。
 それが一体どうしたのかとリーベが思っていると、ルドルフはリーベの方を向いてきた。

「もう一度言うぞ、メリザナが儂に会いたがってた理由は魔導士になるにはどうすればいいかを聞く事、クソ親父はメリザナが儂に会いたがってる理由を知らなかった。一体何故だと思う?」

「何故って、おかしな所ある?」

「連絡を行っていたのがライゼというのが重要なんじゃ。奴は恐らく、『ルレギューム公国』との連絡内容を一部隠してクソ親父に伝えていた。魔導士になる方法を聞きたいという隠す必要の無い事実をクソ親父が知らなかったのは、きっとそうに違いない」

「成程、でもなんでそんな事を?」

「儂を必ず舞踏会に参加させる為じゃろうな」

 もしもロドルフがメリザナがルドルフに会いたがってる理由が、魔導士になるにはどうすればいいかという事を知っていて、それをルドルフに伝えた場合、ルドルフが言伝を頼んで舞踏会を欠席する可能性があったからだ。
 まぁ、そうしようとしてもライゼとロドルフはルドルフを無理矢理にでも舞踏会に参加させようとしただろうが、少しでも逃げ道を減らしておく為に敢えて言わなかったのだろう。
 メリザナがルドルフとの婚約を目的に舞踏会に来ると思い込ませておけば、ロドルフはより積極的にルドルフを舞踏会に参加させようとするから。
 そして、ライゼが態々嘘を吐いた理由はもう一つある筈だ。

 それは、リーベが舞踏会に乗り込んでくる事を分かっていたからだ。
 数日の付き合いでルドルフがライゼについて分かった事は、化け物レベルの予知能力を持っている事と、面白い物が好きだという事、自分が面白いと思う状況に誘導する為ならなんだってするという確信がルドルフにはあった。
 しかし、どれだけ知恵を絞ってライゼの狙いを推察しても時間の無駄だ。
 舞踏会は既に終わったし、『魔神』の腹の中など、誰にも分かりはしないのだから。

「それよりリーベ、お前が言っていた事なんじゃが」

「どうしたの?」

「えっと、いや、やめた」

「え~、気になる教えて~」

「あー分かった分かった‼ 練習してきたとか言ってた割にはダンス下手だったな‼」

「なにそれひどーい‼」

 涙目で頬を膨らませるリーベから顔を逸らして、ルドルフは赤くなる顔を元に戻そうと努める。

『舞踏会で王子様と一番最初に踊った女の人が王子様と結婚する』

 ペトロニーラから聞いたおまじないを信じ、もしもルドルフが誰かと踊って、その誰かと結ばれてないように、忘れられないようにする為にリーベは誰よりも早くルドルフと踊ろうとして、実際に一番最初にルドルフと踊った。それはつまり

 ーーまじないに則れば、儂と結ばれるのはリーベという事に・・・

「ルドルフだって所々間違ってた癖に✔️」

 しかし、リーベはそれに気付いてない様子だ。
 余計タチが悪い。こっちはメリザナの言葉を聞いて意味を理解してから意識しっぱなしというのに、とルドルフが思っていると

「ねぇ、ルドルフ、本当に一年後また会える?」

「どうした突然」

「私、不安なの。なんでか分からないけど、すっごく不安で・・・」

「はぁ、リーベ、小指立てろ」

「こう?」

 リーベが小指を立てると、ルドルフも小指を立てて、リーベの小指に自分の小指をひっかける。

「いいか? 人間の間では、小指と小指をひっかけて約束する指切りという文化があるんじゃ。そうして結んだ約束は絶対に守らなければならない」

「絶対に守らなきゃならない約束」

「だから、儂はお前と指切りする。一年後、絶対に会いに行く」

「・・・約束だよ」

 そう言って、リーベもルドルフの小指に自分の小指をひっかけて指切りをした。
 指と指を離して、それからは何も言わず二人は互いに背を向けて歩き出した。
 これ以上言葉を交わせば泣き出してしまいそうだったから、そうしたら決心が鈍ってしまいそうだったから。
 それに、これ以上何か言う必要は無いと、そう思ったから。
 絶対に守らなきゃいけない約束をした、ならばもう何も心配する事は無い。

「またね、ルドルフ」

 少女の呟きは、夏の空に溶けて消えた。







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