お伽の夢想曲

月島鏡

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第ニ章 舞い降りた月

第七話 助けると決めたから

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「もう苦しい思いはさせない」

 マリ=ガーネットは目の前の敵と戦い、腕の中の小さな命を守り抜く決意をした。
 男は鉈を構えるとマリに向かって走り寄ってくるが、動きはそれほど速くない。簡単に躱す事が出来る。
 マリは片足軸回転で大男を避け、足を引っ掛けて転ばせる。杖を拾い、その先を大男へ向けて

「それ以上近付かないで‼︎ 近付いたら魔法を使う‼︎」

 武力行使をすると脅迫する。
 しかし、男は何の反応も示さず呼吸を荒くするだけだ。
 男から先程子供を襲った時、マリに向かってきた時の様な殺気が消えた。その事が余計マリの恐怖を掻き立てた。
 マリが生唾を飲み込むと、男は目を見開いて

「アァ、アー、シ、アー、シ、シ、シ、シシ、シシッシ、アー、アー、アー。」

 突然頭を押さえて苦しみだした。
 膝をつき、地面に何度も頭を打ち付けて、呻きながら頭を血が出るまで掻き毟る。

「ルキャキャキャ、ロロロロ、キキルキキキキキキキキ、ル、ルゥゥゥウッ、ウー‼︎」

 男は意味不明な叫びを上げると、再び殺気を膨らませて、マリに突進する。

「うわっ‼︎」

 ぶつかってきた衝撃では吹き飛ばされ、マリは子供を庇うようにして転んで、腕の中の子供が無事である事を確認してに安堵する。
 ほっとしたのも束の間、鉈を振りかざして男がマリに飛びかかってきた。
 マリは飛びかかってきた男に、杖を向けて

風精の霊弾シルフバレット‼︎」

 風属性の弾丸を男に放ち、男を吹き飛ばした。
 男との距離が離れた隙に、マリは立ち上がって子供を離して、瓦礫の下敷きになっている親の元へと向かわせようとするが、子供はマリにしがみついたまま離れようとしない。

「私の近くにいる方が危ないから、お母さんの所に行ってあげて。ね?」

 優しく言い聞かせると、子供はゆっくりとマリから手を離し、涙を流しながら走って母親の元へと向かっていた。
 走っていく子供を見送った後、マリは男が吹き飛んだ先に視線を向ける。
 もう既に男は立ち上がっており、鉈を握りしめ、充血して赤くなった目でマリを睨んでいた。
 マリは男を見据えて杖を構えて、目を閉じ、呼吸を整えてから、目を開けて

「絶対倒す。あの子には手は出させない」

 杖から炎の一撃を放ち、男の全身を炎で包み込んだ。








「ねぇ、聞きたい事があるんだけど良いかな?」

 襲いくる黒い虫の群れのような何かを躱しながら、ライゼは目の前にいるガルシアに問いかける。

「一体どうしていきなりこんな強行手段に出たのかな? 理由があれば是非聞かせてもらいたいんだけど」

「理由なんて無い。ただなんとなく奪いたくなった、それだけだ」

「そうゆうキャラじゃないから聞いてるの分からないかな。まぁ、本当は分かってるんだけどさ。君の所のリザードマンが捕まったのがきっかけだろ?」

 ライゼがガルシアが後先考えない凶行に走った理由を推測した次の瞬間、黒の群れが、一斉にライゼ目掛けて急降下して、民家諸共押し潰した。

「死んだか?」

 とガルシアが呟いて

「うらめしや~。」

 同時に声が聞こえた方に振り向くと、背後に現れたライゼに蹴り飛ばされ、ガルシアは何度も地面を転がる。
 立ち上がったガルシアがライゼを睨みつけると、ライゼは笑みを浮かべていた。

「よくも僕を殺したな~。呪ってやるぞ~」

「幽霊なら、成仏させるだけで済むからやりやすくて済むんだがな」

「君は僕が死なない事知ってるだろう?」

「そうだったな。どうしてこんな手段に出たか、だったか」

 ガルシアが目を見開くと、黒い虫の群れの数が増えて、ガルシアの周囲に漂う。

「貴様らが我々の仲間を降した。その報いを受けさせてやる為だ」

「やっぱりね。君って意外と熱いもんね。もう一つ聞かせてくれないかな? マリちゃんが戦ってるあの男、一体どこで拾ってきた?」





炎精の波弾サラマンダーオーラ‼︎」

 杖に込めた炎の魔力をマリが男に放つと、男の全身が炎で包まれ、男が地面でのたうち回る。
 その様子を見てマリは必死に思考を巡らせる。この一撃で倒せなかった場合の事を。


 マリは魔法の覚えがとても良く、すぐに五属性の攻撃魔法を使える様になったが、威力も下の中、魔力量も少なく回数上限は僅か六回。
 また、マリが扱う魔法は、精霊の力を借りて発動する精霊術と呼ばれるものだ。


 マリが契約を結んでいる精霊は、炎の精霊サラマンダー、水の精霊ニンフ、風の精霊シルフ、土の精霊ノーム、雷の精霊グロームの五体。
 属性毎に力を借りる事が出来る精霊と力を借りられる回数は限られ、その回数はシルフが二回、サラマンダーが一回、ニンフが一回、ノームが一回、グロームが一回となっている。
 精霊との絆が高まれば、魔法の発動回数の上限はなくなるが、願った所で今その領域には辿り着く事は出来ない。


 もしも男が立ち上がれば、今持ち得る力で全力で抗うしか無い。その為の作戦をマリが考え終わるのと同時に、男が身体に火をつけたまま起き上がる。
 微かに見える瞳には、今までで一番明確な殺意が宿っていた。しかし、マリは怯まない。まっすぐに男を見据え、杖を握る手に力を込める。

「絶対勝つ‼︎」

 身体を炎に包まれたまま、男はマリに突進して来る。
 ギリギリでは回避出来ない事はもう分かっている。
 言動を見る限り、恐らく精神状態は安定しておらず、あまり複雑な動きは出来ない筈だ。そう踏んで、男が自分から一メートル程の距離まで接近してきた段階で、マリは横に飛んだ。
 男が猛スピードで通り過ぎて止まった所で、マリは近くにあった小さな瓦礫を男に投げつけ、男の注意を自分に向けさせる。

「フーッ、フーッ・・・」

「えい‼︎」

 男の注意が自分に向いた事を確認して、マリはもう一度瓦礫を投げつける。 自分を睨みつける男にマリは

「こっちだよ。」

 震えを無理矢理抑えて、男を挑発する。
 その後、男が怒り、マリを殺す為にマリへと走り寄って来たのは当然の帰結だった。
 マリは男から逃げる為、いや、男を子供と親から引き離す為に、走ってその場から離れる。

「マリちゃん‼︎」

 無謀ともいえる策を実行に移したマリを視界の端に映したライゼは、止めようとマリの名前を叫ぶが、ライゼの叫びはマリの耳には届かず、マリは走り去ってしまった。
 なんとかしなければ、そう思ってライゼはマリの元に向かおうとするが

「おい」

 黒い虫の群れに行く手を阻まれる。

「貴様の相手は俺だ。余所見をする暇は与えん」

「本当、鬱陶しいな」

 心の中で舌打ちしながら、ライゼは呟く。
 自分の目の届かない所に、それも敵と共にマリはどこかに行ってしまった。
 精霊術を使えるとはいえ、一人で敵と戦うのはあまりに危険だ。だからライゼは今すぐに加勢に行きたいが、目の前の獣はそれを許さない。

「行かせはしない。お前はここで、俺が確実に殺す。しかと苦しみながら死んで逝け」

 殺意を言葉にした次の瞬間、ガルシアが動かした黒の虫の群れが、ライゼの全身を斬り裂いた。









「はっ……はっ……」

 男を子供から引き離す為に、マリは今『ディアーナ森林』に向かっていた。
 そこなら人気も少なく、水と大地の精霊の力が増大する。精霊術師のマリが敵と一対一で戦うには絶好の場所だ。
 やがて『ディアーナ森林』に辿り着くと、いつの間にか男の身体から炎が消えていたが、好都合だ。
 森林に火達磨の男を連れ込めば火事になる可能性が高い。そうなればマリもただではすまなかっただろう。

「作戦は考えた。後は実行するだけ」

「フーッ、フーッ・・・」

「いくよ・・・‼︎」

「ガァアァアァアァア‼︎」

 鉈を振りかざし、吠えながら向かってくる男から、マリは木の間と間を通って逃げる。
 男は木の枝を鉈で斬り落としてマリへと向かい、またマリが木と木の間を通って逃げて、また男が木の枝を切り落としてマリに向かう、そんな事を繰り返している内に、森の中でも特に木が多い場所に辿り着いた。
 マリにとっては身を隠すのにうってつけで、男にとっては動きにくい場所。状況はマリに有利に進んでいる。

「よし、やるよ‼︎」

 あらかじめ拾っておいた瓦礫を男の胸に投げつけて、マリは男の意識を自分に向けさせる。

「グゥゥゥ」

「こっち‼︎」

「ウゥアァアァアァアァアァア‼︎」

 雄叫びを上げながら、男がマリに向かってくるが、マリは怯む事なく杖を構えて、大地の魔力を杖の先に込める。そして

土精の泉水ノームパルーデ‼︎」

 魔力を放つと、男の立つ地面が沼に変わり、男は膝まで沈み、沼はすぐさま硬い岩に変わって、男は固められて動けなくなる。

「ガァッ‼︎」

 男は鉈で岩を砕こうとするが、岩を砕く事はできず、鉈の方が根本から折れた。
 これで武器は無くなった、マリは油断する事なく、次の手を打つ。

水精の雫ニンフドロップ‼︎」

 男の頭上に水色の魔法陣が現れ、男は頭から水を浴びる。
 準備は、整った。

「これで、倒す‼︎」

 杖を空にかざし、魔力を込めてマリは詠唱を始める。

「汝、五霊の一柱グロームよ、我が意志に応え汝の力を振るいたまえ。その閃光と神鳴しんめいを以て我が敵を討ち滅ぼせ」

 土の精霊の力で動きを止め、水の精霊の力で身体を濡らし、次に発動する魔法の影響をより強く受けるようにした。後は食らわせるだけだ。

雷精の裁きグロームジャッジメント‼︎」

 直後、空から放たれた一筋の黄色い閃光が、轟音と共に男へと降り注ぎ、男の体を焼き焦がした。

「ガ、ァ・・・」

 短い呻き声と共に倒れた男を、マリは息を切らしながら見つめる。

「やっ、た?」

 小さな声でマリが呟くと、男の指先がピクリと動いた。

「・・・⁉︎」

 男の身体が痙攣して、筋肉がボコボコと膨らみ変形しだす。
 男の背中の皮膚を筋肉が突き破って、生物の、いや生物と呼ぶのも躊躇われる様な異形に変わる。
 男の身体の中から現れたのは、紫色の筋繊維が集合し、いくつもの口と手足を持った醜悪な外見と、鼻をつく様な生臭い体臭が特徴的な怪物だ。

「何、これ・・・」

 マリが恐怖に後ずさりすると、それに反応するかの様に、怪物は口を開けてマリに襲いかかった。








「ぐあっ、がっーー‼︎」

黒の群れがライゼの全身を斬り裂いてライゼの身体が血に染まる。膝をつき息を切らすライゼにガルシアは冷たい眼差しを向ける。

「どうした?その程度か?」

「やっぱり強いなぁ。君の『支配者の欲望マスターデザイア』は。小さな兵士数千体から数万体を操る能力、だっけ? 十九年前より精密さもパワーも上がってる。こうして君の成長を見ると、時の流れってやっぱり早いんだなって」

「黙れ。」

 一体の虫ーーではなく、兵士がライゼの鳩尾に拳を叩き込み、ライゼを吹き飛ばす。
 宙を舞い、受け身も取れずに地面に落ちたライゼは、苦しげに呻きながら、ガルシアを見上げる。
 
「ぐっ、うぐ・・・」

「あの男をどこで拾ってきたかか。あれは『命脈の忌み子』、『狂帝きょうてい』が作り出した化け物だ。」

 『狂帝』の名が出た瞬間、ライゼの表情が大きく強張る。

「狂帝だと⁉︎ なんで君がそいつの」

「化け物を生み出す狂人として名を馳せる『狂帝』。そいつが廃棄する予定だった失敗作を以前拾う機会があってな。何かに使えるかもしれないと思い、ジャックに保管させていた」

「人間とは思えない気持ち悪い魔力を纏っていたのは、あの『狂帝』が作り出した化け物だからか」

「そうだ。だが、扱いが難しくてな。今日、貴様と貴様の仲間を殺すまで使う事はできなかった」

「殺せないよ。あの化け物には、君達にも、僕も、僕の仲間も殺せはしない」

「・・・前もそう言っていたな。何を根拠に誰も死なないなどと嘯ける」

目を細め、眉間に皺を寄せるガルシアに、ライゼは牙を見せて笑って

「信じてるから。理由なんてそれだけさ」

 力強い口調でそう言った。









 怪物の牙を、マリは転ぶ様にして回避する。

「うわぁ‼︎」

 怪物の牙から辛うじて逃れたマリは、怪物の顎が地面を大きく抉ったのを見て、ぞっとする。
 あれだけ巨大な顎に噛み付かれてはひとたまりもない。間違いなく即死する。

「グルルルルル・・・」

 唸りながら自分を見てくる怪物と目が合って、マリの脈が早くなり呼吸が荒くなる。
 心臓の鼓動が、うるさく聞こえる。
 目の前の怪物は危険だ。今すぐ逃げろと、身体中が警告音を発している。

「あ、ぅ・・・」

「グルルルルル……」

 涎を垂らし、唸り声をあげて、全身の筋肉を脈動させる怪物から離れようとマリが一歩下がった、次の瞬間、怪物は口を開けてマリに飛びかかってきた。

「うわっ‼︎」

 咄嗟に体を横にずらして、怪物の牙を躱すと、怪物は噛み付いた木を菓子でも噛み砕くみたいに、容易く二つにへし折った。

「ウゥウゥウウ‼︎」

「えっと、えーっと」

 凄まじい破壊力を持つ怪物と、魔力が残り僅かの精霊術師。
 どちらが優勢かは、マリが劣勢である事は、誰の目から見ても明らかだ。
 絶対絶命の状況を覆せる様な素晴らしい策を、マリは考えようとするが

「とりあえず逃げる‼︎」

 いきなり都合良くそんな策は浮かばず、一目散に逃げた。




「はっ、はっ、ふっ」

 手足を使って這うように追ってくる怪物から、マリは必死に逃げる。
 破壊力と恐怖は増したものの、移動速度が僅かに落ちたのが唯一の救いだ。
 速度まで増していたらマリは今頃食い殺されていただろう。というか

「普通に逃げてるけど、よく考えたらおかしいよね⁉︎ 何あの怪物⁉︎ 何の種族⁉︎ 目も鼻も耳も無いのに、どうして私の位置が分かるの⁉︎」

 見た目や種族以前の問題にマリは頭を悩ませる。
 怪物には周りの状況を確認する為に必要な器官が一切無いのだ。それなのにマリの位置を認識出来ている矛盾。その問いに、マリは一つの答えを見出す

「あっ、もしかして考えるだけ無駄?そうだ絶対無駄だ。」

 目と鼻と耳が無い位一体なんだ。
 普段からあんな怪物など霞む位に我が強い常識外れな仲間達に囲まれているではないかと。
 それに今そんな事を考えたところで状況は転じはしない。今はあの怪物を倒す手段を考える事の方が先決だ。

「今日使った魔法は風一回、火一回、水一回、土一回、雷一回。あと使える事ができるのは風一回だけ。これでどうやって倒せば」

「ガァアァアァアァア‼︎」

 怪物を倒す手段を考えていると、唸り声をあげて再び怪物が飛びかかってきた。
 怪物の毒牙をマリはギリギリのところで躱したが、その所為で足をくじいてしまう。

「痛っ‼︎」

 尻餅をついて倒れるマリ。
 足首に走った激痛に涙している暇は無い。動かなければ死んでしまう。それは分かっている。分かっているが、痛みで足が動かせない。
 今すぐ逃げなければ、間違いなく死ぬ。なのに、動けない。

「グルァアァアァアァアァア‼︎」

 足首を押さえるマリに、怪物は口を開けて、マリの頭を噛み砕こうと牙を剥いて飛びかかってきた。

「あっ」

 今度こそ終わりだ。
 そう思った瞬間、マリの脳裏に一人の少女の姿が浮かんだ。






 
 青い少女が憧れたのは、敗北とも苦戦とも無縁の、完全無欠のヒーローの様な星の少女だった。
 青い少女はいつか自分も、星の少女みたいになれればいいなと願っていた。願っいた、だけだった。
 青い少女はある日知った。
 青い少女の憧れは、完全無欠のヒーローではない、自分と同じ、一人の人間なのだと。
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 願うだけの日々はもうやめた。願うだけではなく、努力して、自分の足で走って、星の少女に近付く。星の少女が自分を助けてくれたみたいに、青の少女は誰かを助けてみせると決めたから。
 ーーもう、諦めない。





「うっ、うわぁあぁぁあぁあ‼︎」

 自分の頭を噛み砕こうとした怪物の口に、マリは杖を突き刺した。
 怪物は驚いて一瞬固まってから、杖を噛み砕こうと顎を閉じ、牙を立てた。だが、杖は折れなかった。それどころか、杖を噛み砕こうとした怪物の牙の方が、根本から折れた。

「ガッ⁉︎」

「この杖はただの杖じゃないよ。この杖は・・・えっと、ライゼさん、なんて言ってたっけ? とにかくただの杖じゃないよ‼︎」

「ウゥウゥウゥウ‼︎」

 怪物が杖とマリの腕を掴み、凄まじい力で掴まれる杖とマリの腕が、ミシミシと音を立てて軋む。

「う、くあっ‼︎」

「グゥゥゥ・・・」

 噛み砕けないなら握りつぶすまでとでも言うように、怪物はマリの腕と杖を掴む力を強くしていくが、マリは怯まず、杖を怪物の口の中更に奥深くに押し込み

「ゴアッ⁉︎」

「今日最後の魔法、最大出力・・・風精の霊弾シルフバレット‼︎」

 全魔力を込めた風の魔法弾を放ち、怪物を内部から爆散させた。

「グキャッ‼︎」

 短い断末魔と共に怪物が散ったのを見て、緊張が解けマリの身体から力が抜ける。

「勝った。死ぬかと思った・・・」

 もう杖を握る力すら残っていない。
 立ち上がる事すら出来ずに空を仰ぎ見ていると、前方から粘着質な水音が聞こえてきた。

「え?」

 最悪の想像が頭をよぎる。
 まさか、そんな筈はないとマリが前を向くと

「嘘、だよね・・・?」

 爆散した怪物の肉片が集合し、再び元の形に戻ろうとしていた。

「カァアァアア・・・」

 十数秒後、怪物の身体が元通りに修復し、マリの瞳が、絶望の色に染まる。

「い、嫌・・・」

 怪物は涎を垂らしながらマリににじり寄る。マリにはもう魔力も、動く力も残っていない。怪物に抗う術は、マリにはもう無い。
 己の死を悟り、恐怖に身体を震わせているマリの頭を、怪物は今度こそ噛み砕こうと

「おいおい、折角お忍びでここに来たってのに、なんだこの状況は」

 した寸前に、突如、何者かの声が聞こえてきた。
 怪物も、マリも、その声がした方に意識を奪われ、声の主の方を向くとそこにいたのは、黒い短髪と首からぶら下げたペンダントが特徴的な白コートの青年、オルダルシア=カルバレアスだった。

「あー、もしかしなくても俺って今邪魔になってる? 邪魔になってるなら帰るぜ・・・お前を殺した後でな、忌み子」

直後、オルダルシアの瞳が光を失い、纏う空気がガラリと変わる。

「グッーーー‼︎」

 怪物がオルダルシアに噛み付くが、オルダルシアは表情を崩さず、冷たい笑みを浮かべたままだ。

「おいおい、いきなり噛み付いてくるとは随分元気だな。でも、相手が悪かったな」

 そう言った直後、怪物の胴にいくつか穴が空き、そこから紫色の血が溢れ出す。痛みにのたうち回る怪物を、オルダルシアは踏み付ける。

「そうだ。苦しめ、一度人を傷付けておいて、楽に死ねると思うな。苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでとことん苦しめ」

 昏い喜びをその目に宿し、オルダルシアは怪物を何度も踏みつけて、延々と痛めつける。
 怪物は踏みつけられながら傷の修復を行い、オルダルシアに再び飛びかかる。

「うおっ⁉︎ 危ねぇ、なっ‼︎」

 飛びかかってきた怪物に、オルダルシアは腰に付けていたサーベルを横に一閃して、怪物を真っ二つにするすると、怪物の上半身の断面から、紫色の小さな球体が落ちる。

「おっ、やっぱちゃんとあんじゃねぇか、核。大分傷だらけだな。こんな危なっかしいもんは今すぐ粉々にぶっ壊さすに限る」

 オルダルシアは宙に投げた球体をサーベルで斬り裂き、地面に落ちてから踏みつけて、球体を粉々に砕いた。

「ーーッ」

 球体が壊されると、怪物は声にならない声をあげて、その姿を光の粒に変えて消えていった。オルダルシアはマリの方を向いて

「さてと。おい、あんた大丈夫か?なんであんな化け物に襲われて……」

「ーーーー」

「気を失っちまったか。どーすっかな。流石にこのまま放置っていう訳にもいかねぇしなぁ」

 気絶したマリをどうするか、オルダルシアは頭をかきながら考えてから

「仕方ねぇ。こいつ『魔神の庭』の新入りらしいし、『トラオム』の入り口あたりに置いてけば誰かしらのメンバーが拾いに来るだろ。はぁ、またセルドアに説教されちまうな、こりゃ」

 自分の背にマリを乗せ、マリを『トラオム』へと連れて行った






 一方その頃、『トラオム』の中心街。
 地面に突っ伏す二つの影があった。
 一人は橙色髪のクセ毛の盗賊、リオ=レオンガルド。
 もう一人は桃色髪の竜人、リリィ=ハルシオンだ。
 両者ともピクリとも動かず、身体中血に塗れている。そんな二人の姿を、一人の男が街灯の上から見下ろしていた。

「ちょっと、お二人ともそれはあんまりじゃございませんか?」

 この惨状の元凶にして、『眠らぬ月』の『遊興屋』、ジャック=オー=ランタンは仮面の下で心底退屈そうな表情を浮かべていた。

「私をぶっ飛ばす、と大変カッコいいヒロイックなセリフを吐いていた癖にもう終わりですか?」

「ぐ・・・ぅ・・・リ、リィ、起きろ・・・リリィ・・・‼︎」

「あー、無駄でございます。そちらの御婦人、に見える少年なら、あなたよりも手を入れて痛めつけさせていただきましたから。当分は起きないでしょう。それより、聞きたい事があるんです」

 ジャックはゆっくりとリオに近付く。
 すぐ近く、リオにいつでも止めを刺せる距離に近付くと

「あなたはこの世界についてどう思いますか? 『盗賊レオンガルド』殿」

 静かな声で、そう問いかけた。
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