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第一章 始まりを告げる朝
第七話 赤ずきん卒業宣言
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一週間の休み初日、ステラはアルジェントと共に屋敷の近くの森にマンドラゴラ採集にやってきていた。
「中々いませんねマンドラゴラ。ステラ様、そっちはどうですか?」
「そっちはどうですかって言われても、私にはどれも似たり寄ったりの雑草しか見えないんだけど」
「そうですか。どこにいるんでしょうね」
事の発端は、先日アルジェントがマンドラゴラ採集に行きませんかと発言した事だ。
「マンドラゴラ採集に行きませんか?」
「・・・は? マンドラゴラ?」
「地面からひっこ抜くとこの世のものとは思えない叫び声を上げ、その声を聞いた者は即死すると言われている愛玩植物です」
「即死⁉︎」
「まぁ、流石に即死まではいかないですが鼓膜は破れます」
「なにその植物兵器。ていうかマンドラゴラって動いたり叫んだりするの?」
「えぇ、行動は活発ですよ」
活発に動いて、鼓膜が破れる程の叫び声を上げる植物。
情報だけ聞くととても可愛い気がしない。アルジェントは愛玩動物と言っているがそれは一部の実力を持った魔導師限定なのではないかと思う。
「この時期なら屋敷の近くの森にマンドラゴラがたくさん埋まってますから、採りにいきましょう?」
「いいけど、どうしてマンドラゴラを採りにいきたいの?」
「ステラ様の癒しになれば良いというのと」
「いうのと?」
「マンドラゴラ採取に付き合ってくれる人が誰もいないんですよね。叫び声がうるさいから嫌だって・・・」
耳を下げて、アルジェントは悲しそうに言う。
鼓膜が破れるかもしれない植物採集なんて誰だって嫌だろう。
「ステラ様、どうか着いてきてくれ・・・じゃなかった、いかがですか? 来てくれると嬉し・・・ではなく、癒しになると思うのですか」
所々本音が出ている。
確かに一人きりで植物採集というのは絵的にも字的にも寂しそうだ。
どうせ大した危険や疲れも、いやどちらもないとは保証出来無いが。まぁ、何かあればアルジェントが守ってくれるだろう。
「いいわよ。どうせやる事無いし。着いていってあげるわ」
「本当ですか⁉︎」
目を見開き、耳をピンと立ててアルジェントは嬉しそうにする。
ものすごく分かりやすい。
「では早速明日の昼に行きましょう‼︎ 明日が一気に楽しみになってきました。早く来て欲しいですね明日‼︎」
子供の様にはしゃぐアルジェント。
初対面の時からは想像出来無い様子に少しだけ驚いて、一昨日の事を思い出す。
『どういたしまして、ステラ』
普段様付けで自分のことを呼ぶアルジェントが自分のことを呼び捨てで呼んだ。
その事を思い出してアルジェントの顔を見ていると
「どうかしましたか? ステラ様」
「え? あっ、アルジェントはどうして私の事様付けで呼ぶのかなって思って」
「私はステラ様の配下。主人を様付けで呼ぶのは配下として当然の事です」
「でも前呼び捨てで呼んでたじゃない」
「聞き間違いですよ、きっと。では私はやる事があるので、明日一緒にマンドラゴラ採集行きましょうね」
そう言って、アルジェントは部屋を出て行ってしまった。
その次の日の昼、マンドラゴラ採集の為に屋敷の近くの森へと向かい
「ねぇ、アルジェント。全然見つからないんだけど」
マンドラゴラの捜索に苦戦していた。
マンドラゴラは地面に埋まっている状態では周囲に生えている植物と見分けがつかず、見つけるのが非常に難しい。
その為に罪のない植物がいくつも犠牲になりステラは段々と申し訳なくなってくる。
「おかしいですね。これだけ探してればいつもなら見つかる筈なんですが」
「今年は無いって事なんじゃない?」
「そんな筈はありません‼︎ 信じればマンドラゴラに巡り会えます‼︎ 絶対にいます‼︎」
「そんなに可愛いの?マンドラゴラって」
「えぇ、かなり可愛いですよ。手のひらサイズの妖精と私は勝手に呼んでます」
「勝手に呼んでるのね。ていうか、そんな可愛い植物ある訳」
無い。そう言い切ろうとした時、よく分からないモノが抜けた。
植物を抜いていたのだから植物には違いない。だが、人型なのだ。引っこ抜いた植物は人型。それも全身緑色の手のひらサイズ。これは紛う事無く
「マ、マ、マ、マ、マッ⁉︎ マンドラゴラッ‼︎」
「ステラ様‼︎」
アルジェントが私に向けて手を伸ばすがもう遅い。
マンドラゴラは口を開け、臨戦態勢、叫ぶ気まんまんだ。間に合わない。鼓膜が破れると言われる叫び声が私の耳を襲うのは避けられない。だから
「ーーっ‼︎」
目をつむり、歯を食いしばり、次の瞬間響き渡るであろう叫び声に覚悟を決める。
「ステラ様ぁあぁあーー‼︎」
「ピ、ピ・・・」
「くっーー‼︎」
「ピィ」
「って声小さっ‼︎⁉︎」
マンドラゴラの声は鼓膜が破れる程ではなく、鼓膜よりも心臓に対する負担の方が大きかった。いや、そうじゃない。まさか
「あぁ、鼓膜が破れる程の叫び声、あれ嘘です」
「は?」
「いや、正確には嘘ではないんですが、叫び声の大きさはマンドラゴラの種類によるんですよ。この辺りに生えてるマンドラゴラはあまり叫び声が大きくない種類で・・・ステラ様?」
「この馬鹿ぁあぁあーー‼︎」
思い切り叫んだ。
耳を塞ぎながら驚くアルジェントに、ステラは詰め寄って
「どうしてそんな嘘吐くの‼︎ 怖かったじゃないの‼︎ 鼓膜が破れたらどうしようって本気で思ったんだからね‼︎」
怒りながら早口でそう言うとアルジェントが小さく笑う。
「何よ‼︎ 何がおかしい訳⁉︎」
「お怒りになられるステラ様も可愛らしいなと思いまして」
「こ、こ、この馬鹿ぁあぁああぁああぁあ‼︎」
先程よりも大きな声で叫び、ステラは屋敷に帰るまではアルジェントと一言も言葉を交わさなかった。
アルジェントはすいません、からかいすぎました、なんて言ってくるが知らない。少し反省してもらう。
ちなみにあの後、アルジェントも無事マンドラゴラを捕まえる事ができ、ジョセフィーヌと名付けていた。ステラのマンドラゴラの名前はプリンだ。
「さて、大事な話をしようか。被告人達よ」
ステラとアルジェントがマンドラゴラ採集に行った後、屋敷の広間に残りの『魔神の庭』全メンバーが集められ、机にライゼが座り、それ以外の全員が向かい合いながら立っている。
リオは気だるそうに、リリィはライゼなど眼中に無いという様子でリオを見つめ、ユナはライゼに冷たい視線を送り、唯一ローザだけが気をつけをして真面目に立っていた。
そんなバラバラな態度を取るメンバーもとい被告人達を、ライゼは音が出るよう机を両手で思い切り叩きつけて一喝する。
「君達は自分が何をしたか分かっているのか⁉︎ 君達がした非人道的な行いは許される事ではない‼︎」
そう。この四人が犯した罪は方でも裁けない。いや、裁いてはいけない。
法の裁きなど、この罪人達には生温すぎる。故に
「お前達の罪は僕が断罪する‼︎ 人の尊厳を傷付けたその大罪、命を以って償ってもらう‼︎」
この者達の罪を裁けるのは、自分しかいない。だから、何があっても裁いてみせる。そう決意を込めて放った言葉は、しかし
「おいリリィ、あまりくっつくなっつの」
「リオ君不足だから充電中なの。十分したら回復するから待って~」
「ローザ、今日は買い物行かないの?行くなら私も行きたいんだけど」
「良いよ。庭園の手入れが終わったら一緒に行こう」
誰も聞いていなかった。
やれ充電だの買い物だの、自分本位で話をしている被告人達に、ライゼはとうとう堪忍袋の尾が切れた。
「おぉおい‼︎ 聞けやゴラァ‼︎ そんなに僕の話を聞きたくないか‼︎ お前ら何して呼ばれてんのか気付いてんのか、あぁ⁉︎」
「大体分かる」
「じゃあなんだ⁉︎言ってみろ‼︎」
[[[[赤ずきんを褒めなかった]]]]
四人同時にそう言った、するとライゼは立ち上がり
「そうだよ‼︎ 君達、僕が折角男とぬいぐるみしかいないこの魔神の庭に萌え要素をプラスしようとステラちゃんに赤ずきんを着けさせたのに、それを褒めないとは何事だ‼︎」
世界でも屈指の実力を誇る『魔神の庭』に足りてなかったものは可愛い女子の存在だ。
ステラが『魔神の庭』に迎え入れられた事で問題は解決され、新たに課題が生まれた。
そう、ステラという存在をどこまで可愛く出来るかという課題に‼︎ ライゼは脳内シミュレーションと、脳内世界会議を何度も何度も繰り返したその果てに、究極の萌えウェポン、ステラの可愛さアップのスパイスは、赤い頭巾だと気付いた。
『赤ずきん』のトレードマークともいえる赤い頭巾を着ける事により、識別性も上がり一気に可愛くなった。その筈なのに
「君達は一切褒めやしない‼︎ それどころか頭巾の事に触れようとしない‼︎」
それはもはや大罪だ。裁かれてしかるべきではないか。だってそうだろう? 寝ずに考えたアイディアに肯定も否定も与えられず、無きものとされた。つまりは踏みにじられたのだ。ライゼの努力を、ライゼの想いを。
繰り返そう。それはもはや大罪だ。人の努力を踏みにじる事は、何よりも許しがたい最悪の大罪だ。故に
「君達は僕が裁」
「俺家事あるからじゃあな」
「あー、待ってリオ君、私も行くー」
「庭園の水あげの時間なのでこれで」
「暇だし私も行く事にするわ」
ライゼを無視して大罪人四人はどこかへ行ってしまった。
どうやらライゼの話を聞くつもりは毛頭無いらしい。ならば
「ならば、君達がどれ程間違っていたか、思い知らせてやろう」
そう言って、虚空を見つめ昏く笑うライゼの様子を扉越しに見ながら、ローザは大丈夫なのかな? とリオに聞く。
「大丈夫じゃねぇよ。つーか、あいつが大丈夫だった事一度でもあったか?」
「それは確かにないけど。今回のは特に異常じゃ・・・やっぱり褒めた方が良かったんじゃ」
「仕方ねぇだろ。褒めたら褒めたで、そうだろう⁉︎ 僕のセンスは素晴らしいだろう⁉︎ もっと、もっと、褒めたたえたまえ‼︎ なんて言い出して面倒臭ぇんだから」
ライゼの真似をしながら言うリオにローザは確かにと苦笑し
「褒めたら褒めたで面倒だもんねマスター」
「だろ? それに最初に決めた事だろ、ステラの『赤ずきん』には何も触れないって。ユナに扉の前で二人の会話を聞いてもらっていてよかった。危うく褒めるところだった」
「えっへん」
「まぁ、何はともあれ、次はあいつが何をしだすか監視しなきゃいけない訳だが・・・」
面倒な事になりそうだ、とリオは心の中で呟いた。
マンドラゴラ採集が終わり、庭園でプリンとジョセフィーヌを水に浸ける。時間が経つにつれて、二匹の弱々しかった声がどんどん元気なものになっていく。
「マンドラゴラって水に浸けると元気になるのね」
「えぇ、マンドラゴラの生態は基本的には植物と同じなので、水と光さえあれば順調に育っていきます。土から抜かれるた直後は体力が無いですが、水に浸けると元気になるんですよ」
「随分と飼うのが楽なのね」
「そこもマンドラゴラの人気の一つですから」
「へー」
そこで会話が終了し、水にぷかぷかと浮かび、ピィ、ピィと鳴くプリンとジョセフィーヌを見つめる。
良く言えば癒される光景だが、悪く言えば退屈だ。なんでも良いから暇を紛らわせるきっかけが欲しい、きっかけ、きっかけ・・・あぁ、そうだ。
「前にミミックスライムっていうスライムを庭園で飼ってるって聞いたけど、どこで飼ってるの? 私見た事無いんだけど」
「ミミックスライムは内気な性格の個体が多いですから、来たばかりのステラ様が見つけるのは難しいのかもしれませんね」
「へー、そうなんだ。てかスライムってどうやって飼ってるの? 何か注意する事とかあるの? 餌は何?」
「注意する事ですか。そうですね・・・」
「アルジェント?」
「すいません。ステラ様の年頃の女性には言えません。悪影響ですので」
「なんで⁉︎ どうゆう事⁉︎」
年頃の女の子が聞くと悪影響を及ぼす注意点ってなんだろう? 凄く気になる。まぁ、言えないという以上これ以上聞く事は出来無いが、それでも
「じゃあ餌は? 餌くらいなら教えてくれたっていいでしょ?」
「えぇ、良いですよと言いたいところですが」
「何、それも駄目なの?」
「駄目というか、何を食べて生活しているのか分からないのです。今までに様々な餌を与えてはきたのですがどれも口にしてくれなくて、以前尾行した時も何も食べている様子が無かったので。本当に何を食べて生活しているんでしょうね?」
顎に手を当てて考え込むアルジェント。
主食不明。飼う際の注意が思春期女子に言えない。言うと悪影響を及ぼすスライム。ほんの少し怖い気もするが見て見たい気がする。今度誰かに頼んで見に行く事にしよう。
「ピィ‼︎」
「あっ、元気になりましたね、ジョセフィーヌとプリン。水から出してあげてください」
「あ、う、うん」
恐る恐る水に手を入れプリンに触れ、水から出す。
元気になったマンドラゴラが何をしだすか、そんな僅かな緊張を抱きすくい上げた直後、プリンが顔目掛けて飛んできた。
「あいたっ‼︎」
「ピィ‼︎」
プリンが顔に激突し、後ろに倒れる。
するとプリンがピィ、ピィと鳴きながら私の身体の上を走り出す。
「ちょ、ちょっとプリン、何してるの、ひゃっ、くすぐった、ひゃう‼︎」
「プリンはオスですから、行動はかなり活発ですよ」
「オスメスってどう見分けるの?」
「オスはお腹に模様があります。プリンにも模様があるでしょう?」
「あっ、本当だ丸っこい模様がある」
身体の上を走るプリンのお腹を見て確認すると、アルジェントがプリンをつまみ上げ
「はい、ステラ様」
起き上がった私の手のひらの上にプリンをそっと置いた。
「ありがと」
手のひらの上に乗ったプリンをじっと見つめる。
ユナの半分も無い身体のサイズと緑色の肌、短い手足と、大きな瞳と小さな口。愛玩植物とは聞いていたがとんでもない。これは、これは
「うっ」
天使だ。緑色の私だけの天使。感触も表情も鳴き声も何もかもが天使に見える。
ちょっと前までそんな可愛いの? なんて言ってた自分が恥ずかしく感じる。
「ピィ」
あぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあ‼︎
鳴いた鳴いた鳴いた鳴いた鳴いた鳴いた鳴いた‼︎
ピィって、今ピィって‼︎ 私の方を見て鳴いた‼︎ 可愛い可愛い‼︎ あぁ、プリン、あなたは私の天使。私の癒し。命にかけても守る。誰にも傷付けさせはしない。
「抱きしめる程に気に入っていただけて何よりです」
「え?」
アルジェントに言われ腕の中を見てみると、少し苦しそうな顔をするプリンを自分の胸に押し付けて、つまりは抱きしめていて、言われるまで全く気付かなかった。プリン恐るべし。
「ピ、ピィ」
「あぁ、プリンごめんね。大丈夫、痛くなかった?」
「ピィ」
「そっかー、なら良かったー。あぁ、プリンは可愛いわねー。よしよし」
にやけながら指先でプリンの頭を撫でる。
するとプリンは心地好さそうに目を細め、口をもにょもにょし、声にならない声を出す。
あぁ、どうしてこんなにもこの子は可愛いのだろう、そう思っていると
「ステラ様、プリンと戯れるのも良いですが、まずは屋敷に帰りませんか?」
とアルジェントに言われて
「え、え、えぇ、えぇ、そうね。まずは屋敷に帰って手洗いうがいをしっかりしないとね‼︎ 健康の基本だものね⁉︎ そうよまずは中に入らなきゃ‼︎ 風邪とか風邪とかあと風邪の心配もあるし早く帰りましょうか‼︎」
恥ずかしさのあまり早口で言って、屋敷へと走り出す。
赤くなった顔を冷まそうと風を当てる為に走り出した足は、しかしすぐに止められた。
「ステラ様」
「な、な、な、何よ‼︎ どうかした⁉︎ 要件があるならさっさと」
「頭巾似合ってます」
ーーーーえ?
「それって、どうゆう意味で?」
「ステラ様に似合うって意味だったのですが、どうかなさいましたか?」
「ううん、なんでも無い。言うのが遅いのよ。でもありがとね」
アルジェントの方を振り向かずに言ってそう言って歩き出した。
私は『赤ずきん』だ。大嫌いなお伽話の主人公の血を引いている。それは寝ても覚めても変わらない。
あの日ライゼさんから貰った頭巾は、自身が『赤ずきん』である証拠、その事が少しだけ心が痛くて
「私は『赤ずきん』じゃない」
アルジェントにも聞こえないほどの小さな声で、密かに呟いた。
また夢を見た。
『赤ずきん』の夢。
『赤ずきん』は強くてかっこよかった。
人々をその紅い血で救い続け、その度に人々から感謝され、拍手喝采を浴びた。
『赤ずきん』は国の英雄。
『赤ずきん』は皆の英雄。
『赤ずきん』はお伽話の英雄。
でも、英雄だった『赤ずきん』は、ある日みんなを殺した。
逃げ惑う人々に紅い血の花を咲かせ、道を死体で埋め尽くし、死体の山のてっぺんから悲鳴をあげながら人が死ぬ様を見つめ涙を流している。
「ごめんなさい。ごめんなさい■■。こうするしか、こうするしかなかった。こうするしかなかったの。世界が悪い。こんな世界にした誰かと、私の所為でこうなった。こうなってしまった。こうするしかなくなった。あなたの大切なものを全部壊す事になった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
『赤ずきん』は涙を流し許しを乞い、そしてーー死んだ。
「はっ‼︎ はぁ、はぁ、また、夢・・・」
悪夢から目覚め、周囲を見渡して、今自分がいる場所が現実である事をステラは確認する。
ここは現実だ。死体の山も、血の花を咲かせる人間もいない。けれど
「うっ・・・」
手に残る嫌な感触が、耳にこびりついて離れない悲鳴が、目に焼き付いた人々の死が、夢とは思えない程鮮明に残っていて、あの赤ずきんは自分だったのではないかとすら思う。
逃げ惑う人々を殺した。頭、胸、首から紅い血を噴水みたいに噴き出させて、自分が殺した死体の山から人の死を眺めてーー
「うぅっ‼︎」
ベッドから降り、自室のトイレに駆け寄り、嘔吐する。
殺した。奪った。自分じゃない誰かが。他人とは思えない誰かが。それは『赤ずきん』で、ステラにもその血が流れている。
ーー私もあんな風になるの? 涙を流しながら、誰かの死を眺める事になるの? 私もあんな風に
「嫌だ。私は、ああなりたくない」
この手で誰かの命を奪うなんて、終わらせるなんて、絶対に嫌だ。そんな事、したくはない。
だからステラはこの瞬間、ある決意をした。
「全く、皆、本当に酷い子達だよ」
自室の机に座り、頬杖をつきながらライゼは悪態をついていた。
昨日の赤ずきんの頭巾事件で、アルジェントならステラの頭巾を似合っているというと踏んで尾行しようと思ったのだが、メンバー全員から全力で引き止められた。
止められた事は仕方ないとほんの少しだけライゼは思う。問題なのは引き止めた事じゃない。引き止める際にメンバーが言った言葉だ。
仕事しろクソマスター。ハリボテマスター。マスター(仮)。ロン毛馬鹿。その他胸をえぐられる様な誹謗中傷が多数。かなりの数があるので割愛するが、マスターである自分への敬意が無さすぎてライゼは泣きそうだった。
「皆が知らないだけで裏で色々頑張ってるんだけどなー」
書類で作った紙飛行機を飛ばしながらそう呟くと、扉が開いて紙飛行機が扉に当たって落ちる。
「ありゃ、落ちちゃった。あぁ、ステラちゃんおはよう。ねぇ、聞いてよステラちゃん。皆酷いんだよ、僕の事ハリボテマスターとかマスター(仮)とか言っていじめ・・・って、なんだか元気無いね。どうしたの嫌な事でもあった?」
顔色がいつもより悪いステラをライゼは気遣う。
するとステラは首を縦に振って
「夢を見たんです」
「夢?」
「『赤ずきん』が逃げ惑う人々を殺す夢です。手に残る嫌な感触、耳にこびりつく叫び声、目に焼き付いた人々の死が全てが現実だったと思える程に鮮明で・・・」
「『赤ずきん』が逃げ惑う人々を殺す夢、か。それはまた随分と恐ろしい夢だね。でも大丈夫、所詮夢は夢、怖がる事は」
「夢じゃないんです。あれは、夢なんて言葉で片付けていいものじゃありません」
ライゼの言葉をステラは遮る。
あれはきっと
「私の前の『赤ずきん』です。私の前に『紅血の協奏曲』を持っていた誰かです。ユナに聞いた様に、他人の血を操って人を殺していました」
「そう、か。でも、もしそうだとして、ステラちゃんは一体どうしたいんだい?」
ライゼがそう尋ねると、ステラは着けていた頭巾を外してライゼに差し出して
「やめさせてください。『赤ずきん』を。いつかあんな風に人を殺す事になる位なら私は『紅血の協奏曲』もいりません」
『赤ずきん』をやめると、そう宣言した。
「中々いませんねマンドラゴラ。ステラ様、そっちはどうですか?」
「そっちはどうですかって言われても、私にはどれも似たり寄ったりの雑草しか見えないんだけど」
「そうですか。どこにいるんでしょうね」
事の発端は、先日アルジェントがマンドラゴラ採集に行きませんかと発言した事だ。
「マンドラゴラ採集に行きませんか?」
「・・・は? マンドラゴラ?」
「地面からひっこ抜くとこの世のものとは思えない叫び声を上げ、その声を聞いた者は即死すると言われている愛玩植物です」
「即死⁉︎」
「まぁ、流石に即死まではいかないですが鼓膜は破れます」
「なにその植物兵器。ていうかマンドラゴラって動いたり叫んだりするの?」
「えぇ、行動は活発ですよ」
活発に動いて、鼓膜が破れる程の叫び声を上げる植物。
情報だけ聞くととても可愛い気がしない。アルジェントは愛玩動物と言っているがそれは一部の実力を持った魔導師限定なのではないかと思う。
「この時期なら屋敷の近くの森にマンドラゴラがたくさん埋まってますから、採りにいきましょう?」
「いいけど、どうしてマンドラゴラを採りにいきたいの?」
「ステラ様の癒しになれば良いというのと」
「いうのと?」
「マンドラゴラ採取に付き合ってくれる人が誰もいないんですよね。叫び声がうるさいから嫌だって・・・」
耳を下げて、アルジェントは悲しそうに言う。
鼓膜が破れるかもしれない植物採集なんて誰だって嫌だろう。
「ステラ様、どうか着いてきてくれ・・・じゃなかった、いかがですか? 来てくれると嬉し・・・ではなく、癒しになると思うのですか」
所々本音が出ている。
確かに一人きりで植物採集というのは絵的にも字的にも寂しそうだ。
どうせ大した危険や疲れも、いやどちらもないとは保証出来無いが。まぁ、何かあればアルジェントが守ってくれるだろう。
「いいわよ。どうせやる事無いし。着いていってあげるわ」
「本当ですか⁉︎」
目を見開き、耳をピンと立ててアルジェントは嬉しそうにする。
ものすごく分かりやすい。
「では早速明日の昼に行きましょう‼︎ 明日が一気に楽しみになってきました。早く来て欲しいですね明日‼︎」
子供の様にはしゃぐアルジェント。
初対面の時からは想像出来無い様子に少しだけ驚いて、一昨日の事を思い出す。
『どういたしまして、ステラ』
普段様付けで自分のことを呼ぶアルジェントが自分のことを呼び捨てで呼んだ。
その事を思い出してアルジェントの顔を見ていると
「どうかしましたか? ステラ様」
「え? あっ、アルジェントはどうして私の事様付けで呼ぶのかなって思って」
「私はステラ様の配下。主人を様付けで呼ぶのは配下として当然の事です」
「でも前呼び捨てで呼んでたじゃない」
「聞き間違いですよ、きっと。では私はやる事があるので、明日一緒にマンドラゴラ採集行きましょうね」
そう言って、アルジェントは部屋を出て行ってしまった。
その次の日の昼、マンドラゴラ採集の為に屋敷の近くの森へと向かい
「ねぇ、アルジェント。全然見つからないんだけど」
マンドラゴラの捜索に苦戦していた。
マンドラゴラは地面に埋まっている状態では周囲に生えている植物と見分けがつかず、見つけるのが非常に難しい。
その為に罪のない植物がいくつも犠牲になりステラは段々と申し訳なくなってくる。
「おかしいですね。これだけ探してればいつもなら見つかる筈なんですが」
「今年は無いって事なんじゃない?」
「そんな筈はありません‼︎ 信じればマンドラゴラに巡り会えます‼︎ 絶対にいます‼︎」
「そんなに可愛いの?マンドラゴラって」
「えぇ、かなり可愛いですよ。手のひらサイズの妖精と私は勝手に呼んでます」
「勝手に呼んでるのね。ていうか、そんな可愛い植物ある訳」
無い。そう言い切ろうとした時、よく分からないモノが抜けた。
植物を抜いていたのだから植物には違いない。だが、人型なのだ。引っこ抜いた植物は人型。それも全身緑色の手のひらサイズ。これは紛う事無く
「マ、マ、マ、マ、マッ⁉︎ マンドラゴラッ‼︎」
「ステラ様‼︎」
アルジェントが私に向けて手を伸ばすがもう遅い。
マンドラゴラは口を開け、臨戦態勢、叫ぶ気まんまんだ。間に合わない。鼓膜が破れると言われる叫び声が私の耳を襲うのは避けられない。だから
「ーーっ‼︎」
目をつむり、歯を食いしばり、次の瞬間響き渡るであろう叫び声に覚悟を決める。
「ステラ様ぁあぁあーー‼︎」
「ピ、ピ・・・」
「くっーー‼︎」
「ピィ」
「って声小さっ‼︎⁉︎」
マンドラゴラの声は鼓膜が破れる程ではなく、鼓膜よりも心臓に対する負担の方が大きかった。いや、そうじゃない。まさか
「あぁ、鼓膜が破れる程の叫び声、あれ嘘です」
「は?」
「いや、正確には嘘ではないんですが、叫び声の大きさはマンドラゴラの種類によるんですよ。この辺りに生えてるマンドラゴラはあまり叫び声が大きくない種類で・・・ステラ様?」
「この馬鹿ぁあぁあーー‼︎」
思い切り叫んだ。
耳を塞ぎながら驚くアルジェントに、ステラは詰め寄って
「どうしてそんな嘘吐くの‼︎ 怖かったじゃないの‼︎ 鼓膜が破れたらどうしようって本気で思ったんだからね‼︎」
怒りながら早口でそう言うとアルジェントが小さく笑う。
「何よ‼︎ 何がおかしい訳⁉︎」
「お怒りになられるステラ様も可愛らしいなと思いまして」
「こ、こ、この馬鹿ぁあぁああぁああぁあ‼︎」
先程よりも大きな声で叫び、ステラは屋敷に帰るまではアルジェントと一言も言葉を交わさなかった。
アルジェントはすいません、からかいすぎました、なんて言ってくるが知らない。少し反省してもらう。
ちなみにあの後、アルジェントも無事マンドラゴラを捕まえる事ができ、ジョセフィーヌと名付けていた。ステラのマンドラゴラの名前はプリンだ。
「さて、大事な話をしようか。被告人達よ」
ステラとアルジェントがマンドラゴラ採集に行った後、屋敷の広間に残りの『魔神の庭』全メンバーが集められ、机にライゼが座り、それ以外の全員が向かい合いながら立っている。
リオは気だるそうに、リリィはライゼなど眼中に無いという様子でリオを見つめ、ユナはライゼに冷たい視線を送り、唯一ローザだけが気をつけをして真面目に立っていた。
そんなバラバラな態度を取るメンバーもとい被告人達を、ライゼは音が出るよう机を両手で思い切り叩きつけて一喝する。
「君達は自分が何をしたか分かっているのか⁉︎ 君達がした非人道的な行いは許される事ではない‼︎」
そう。この四人が犯した罪は方でも裁けない。いや、裁いてはいけない。
法の裁きなど、この罪人達には生温すぎる。故に
「お前達の罪は僕が断罪する‼︎ 人の尊厳を傷付けたその大罪、命を以って償ってもらう‼︎」
この者達の罪を裁けるのは、自分しかいない。だから、何があっても裁いてみせる。そう決意を込めて放った言葉は、しかし
「おいリリィ、あまりくっつくなっつの」
「リオ君不足だから充電中なの。十分したら回復するから待って~」
「ローザ、今日は買い物行かないの?行くなら私も行きたいんだけど」
「良いよ。庭園の手入れが終わったら一緒に行こう」
誰も聞いていなかった。
やれ充電だの買い物だの、自分本位で話をしている被告人達に、ライゼはとうとう堪忍袋の尾が切れた。
「おぉおい‼︎ 聞けやゴラァ‼︎ そんなに僕の話を聞きたくないか‼︎ お前ら何して呼ばれてんのか気付いてんのか、あぁ⁉︎」
「大体分かる」
「じゃあなんだ⁉︎言ってみろ‼︎」
[[[[赤ずきんを褒めなかった]]]]
四人同時にそう言った、するとライゼは立ち上がり
「そうだよ‼︎ 君達、僕が折角男とぬいぐるみしかいないこの魔神の庭に萌え要素をプラスしようとステラちゃんに赤ずきんを着けさせたのに、それを褒めないとは何事だ‼︎」
世界でも屈指の実力を誇る『魔神の庭』に足りてなかったものは可愛い女子の存在だ。
ステラが『魔神の庭』に迎え入れられた事で問題は解決され、新たに課題が生まれた。
そう、ステラという存在をどこまで可愛く出来るかという課題に‼︎ ライゼは脳内シミュレーションと、脳内世界会議を何度も何度も繰り返したその果てに、究極の萌えウェポン、ステラの可愛さアップのスパイスは、赤い頭巾だと気付いた。
『赤ずきん』のトレードマークともいえる赤い頭巾を着ける事により、識別性も上がり一気に可愛くなった。その筈なのに
「君達は一切褒めやしない‼︎ それどころか頭巾の事に触れようとしない‼︎」
それはもはや大罪だ。裁かれてしかるべきではないか。だってそうだろう? 寝ずに考えたアイディアに肯定も否定も与えられず、無きものとされた。つまりは踏みにじられたのだ。ライゼの努力を、ライゼの想いを。
繰り返そう。それはもはや大罪だ。人の努力を踏みにじる事は、何よりも許しがたい最悪の大罪だ。故に
「君達は僕が裁」
「俺家事あるからじゃあな」
「あー、待ってリオ君、私も行くー」
「庭園の水あげの時間なのでこれで」
「暇だし私も行く事にするわ」
ライゼを無視して大罪人四人はどこかへ行ってしまった。
どうやらライゼの話を聞くつもりは毛頭無いらしい。ならば
「ならば、君達がどれ程間違っていたか、思い知らせてやろう」
そう言って、虚空を見つめ昏く笑うライゼの様子を扉越しに見ながら、ローザは大丈夫なのかな? とリオに聞く。
「大丈夫じゃねぇよ。つーか、あいつが大丈夫だった事一度でもあったか?」
「それは確かにないけど。今回のは特に異常じゃ・・・やっぱり褒めた方が良かったんじゃ」
「仕方ねぇだろ。褒めたら褒めたで、そうだろう⁉︎ 僕のセンスは素晴らしいだろう⁉︎ もっと、もっと、褒めたたえたまえ‼︎ なんて言い出して面倒臭ぇんだから」
ライゼの真似をしながら言うリオにローザは確かにと苦笑し
「褒めたら褒めたで面倒だもんねマスター」
「だろ? それに最初に決めた事だろ、ステラの『赤ずきん』には何も触れないって。ユナに扉の前で二人の会話を聞いてもらっていてよかった。危うく褒めるところだった」
「えっへん」
「まぁ、何はともあれ、次はあいつが何をしだすか監視しなきゃいけない訳だが・・・」
面倒な事になりそうだ、とリオは心の中で呟いた。
マンドラゴラ採集が終わり、庭園でプリンとジョセフィーヌを水に浸ける。時間が経つにつれて、二匹の弱々しかった声がどんどん元気なものになっていく。
「マンドラゴラって水に浸けると元気になるのね」
「えぇ、マンドラゴラの生態は基本的には植物と同じなので、水と光さえあれば順調に育っていきます。土から抜かれるた直後は体力が無いですが、水に浸けると元気になるんですよ」
「随分と飼うのが楽なのね」
「そこもマンドラゴラの人気の一つですから」
「へー」
そこで会話が終了し、水にぷかぷかと浮かび、ピィ、ピィと鳴くプリンとジョセフィーヌを見つめる。
良く言えば癒される光景だが、悪く言えば退屈だ。なんでも良いから暇を紛らわせるきっかけが欲しい、きっかけ、きっかけ・・・あぁ、そうだ。
「前にミミックスライムっていうスライムを庭園で飼ってるって聞いたけど、どこで飼ってるの? 私見た事無いんだけど」
「ミミックスライムは内気な性格の個体が多いですから、来たばかりのステラ様が見つけるのは難しいのかもしれませんね」
「へー、そうなんだ。てかスライムってどうやって飼ってるの? 何か注意する事とかあるの? 餌は何?」
「注意する事ですか。そうですね・・・」
「アルジェント?」
「すいません。ステラ様の年頃の女性には言えません。悪影響ですので」
「なんで⁉︎ どうゆう事⁉︎」
年頃の女の子が聞くと悪影響を及ぼす注意点ってなんだろう? 凄く気になる。まぁ、言えないという以上これ以上聞く事は出来無いが、それでも
「じゃあ餌は? 餌くらいなら教えてくれたっていいでしょ?」
「えぇ、良いですよと言いたいところですが」
「何、それも駄目なの?」
「駄目というか、何を食べて生活しているのか分からないのです。今までに様々な餌を与えてはきたのですがどれも口にしてくれなくて、以前尾行した時も何も食べている様子が無かったので。本当に何を食べて生活しているんでしょうね?」
顎に手を当てて考え込むアルジェント。
主食不明。飼う際の注意が思春期女子に言えない。言うと悪影響を及ぼすスライム。ほんの少し怖い気もするが見て見たい気がする。今度誰かに頼んで見に行く事にしよう。
「ピィ‼︎」
「あっ、元気になりましたね、ジョセフィーヌとプリン。水から出してあげてください」
「あ、う、うん」
恐る恐る水に手を入れプリンに触れ、水から出す。
元気になったマンドラゴラが何をしだすか、そんな僅かな緊張を抱きすくい上げた直後、プリンが顔目掛けて飛んできた。
「あいたっ‼︎」
「ピィ‼︎」
プリンが顔に激突し、後ろに倒れる。
するとプリンがピィ、ピィと鳴きながら私の身体の上を走り出す。
「ちょ、ちょっとプリン、何してるの、ひゃっ、くすぐった、ひゃう‼︎」
「プリンはオスですから、行動はかなり活発ですよ」
「オスメスってどう見分けるの?」
「オスはお腹に模様があります。プリンにも模様があるでしょう?」
「あっ、本当だ丸っこい模様がある」
身体の上を走るプリンのお腹を見て確認すると、アルジェントがプリンをつまみ上げ
「はい、ステラ様」
起き上がった私の手のひらの上にプリンをそっと置いた。
「ありがと」
手のひらの上に乗ったプリンをじっと見つめる。
ユナの半分も無い身体のサイズと緑色の肌、短い手足と、大きな瞳と小さな口。愛玩植物とは聞いていたがとんでもない。これは、これは
「うっ」
天使だ。緑色の私だけの天使。感触も表情も鳴き声も何もかもが天使に見える。
ちょっと前までそんな可愛いの? なんて言ってた自分が恥ずかしく感じる。
「ピィ」
あぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあ‼︎
鳴いた鳴いた鳴いた鳴いた鳴いた鳴いた鳴いた‼︎
ピィって、今ピィって‼︎ 私の方を見て鳴いた‼︎ 可愛い可愛い‼︎ あぁ、プリン、あなたは私の天使。私の癒し。命にかけても守る。誰にも傷付けさせはしない。
「抱きしめる程に気に入っていただけて何よりです」
「え?」
アルジェントに言われ腕の中を見てみると、少し苦しそうな顔をするプリンを自分の胸に押し付けて、つまりは抱きしめていて、言われるまで全く気付かなかった。プリン恐るべし。
「ピ、ピィ」
「あぁ、プリンごめんね。大丈夫、痛くなかった?」
「ピィ」
「そっかー、なら良かったー。あぁ、プリンは可愛いわねー。よしよし」
にやけながら指先でプリンの頭を撫でる。
するとプリンは心地好さそうに目を細め、口をもにょもにょし、声にならない声を出す。
あぁ、どうしてこんなにもこの子は可愛いのだろう、そう思っていると
「ステラ様、プリンと戯れるのも良いですが、まずは屋敷に帰りませんか?」
とアルジェントに言われて
「え、え、えぇ、えぇ、そうね。まずは屋敷に帰って手洗いうがいをしっかりしないとね‼︎ 健康の基本だものね⁉︎ そうよまずは中に入らなきゃ‼︎ 風邪とか風邪とかあと風邪の心配もあるし早く帰りましょうか‼︎」
恥ずかしさのあまり早口で言って、屋敷へと走り出す。
赤くなった顔を冷まそうと風を当てる為に走り出した足は、しかしすぐに止められた。
「ステラ様」
「な、な、な、何よ‼︎ どうかした⁉︎ 要件があるならさっさと」
「頭巾似合ってます」
ーーーーえ?
「それって、どうゆう意味で?」
「ステラ様に似合うって意味だったのですが、どうかなさいましたか?」
「ううん、なんでも無い。言うのが遅いのよ。でもありがとね」
アルジェントの方を振り向かずに言ってそう言って歩き出した。
私は『赤ずきん』だ。大嫌いなお伽話の主人公の血を引いている。それは寝ても覚めても変わらない。
あの日ライゼさんから貰った頭巾は、自身が『赤ずきん』である証拠、その事が少しだけ心が痛くて
「私は『赤ずきん』じゃない」
アルジェントにも聞こえないほどの小さな声で、密かに呟いた。
また夢を見た。
『赤ずきん』の夢。
『赤ずきん』は強くてかっこよかった。
人々をその紅い血で救い続け、その度に人々から感謝され、拍手喝采を浴びた。
『赤ずきん』は国の英雄。
『赤ずきん』は皆の英雄。
『赤ずきん』はお伽話の英雄。
でも、英雄だった『赤ずきん』は、ある日みんなを殺した。
逃げ惑う人々に紅い血の花を咲かせ、道を死体で埋め尽くし、死体の山のてっぺんから悲鳴をあげながら人が死ぬ様を見つめ涙を流している。
「ごめんなさい。ごめんなさい■■。こうするしか、こうするしかなかった。こうするしかなかったの。世界が悪い。こんな世界にした誰かと、私の所為でこうなった。こうなってしまった。こうするしかなくなった。あなたの大切なものを全部壊す事になった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
『赤ずきん』は涙を流し許しを乞い、そしてーー死んだ。
「はっ‼︎ はぁ、はぁ、また、夢・・・」
悪夢から目覚め、周囲を見渡して、今自分がいる場所が現実である事をステラは確認する。
ここは現実だ。死体の山も、血の花を咲かせる人間もいない。けれど
「うっ・・・」
手に残る嫌な感触が、耳にこびりついて離れない悲鳴が、目に焼き付いた人々の死が、夢とは思えない程鮮明に残っていて、あの赤ずきんは自分だったのではないかとすら思う。
逃げ惑う人々を殺した。頭、胸、首から紅い血を噴水みたいに噴き出させて、自分が殺した死体の山から人の死を眺めてーー
「うぅっ‼︎」
ベッドから降り、自室のトイレに駆け寄り、嘔吐する。
殺した。奪った。自分じゃない誰かが。他人とは思えない誰かが。それは『赤ずきん』で、ステラにもその血が流れている。
ーー私もあんな風になるの? 涙を流しながら、誰かの死を眺める事になるの? 私もあんな風に
「嫌だ。私は、ああなりたくない」
この手で誰かの命を奪うなんて、終わらせるなんて、絶対に嫌だ。そんな事、したくはない。
だからステラはこの瞬間、ある決意をした。
「全く、皆、本当に酷い子達だよ」
自室の机に座り、頬杖をつきながらライゼは悪態をついていた。
昨日の赤ずきんの頭巾事件で、アルジェントならステラの頭巾を似合っているというと踏んで尾行しようと思ったのだが、メンバー全員から全力で引き止められた。
止められた事は仕方ないとほんの少しだけライゼは思う。問題なのは引き止めた事じゃない。引き止める際にメンバーが言った言葉だ。
仕事しろクソマスター。ハリボテマスター。マスター(仮)。ロン毛馬鹿。その他胸をえぐられる様な誹謗中傷が多数。かなりの数があるので割愛するが、マスターである自分への敬意が無さすぎてライゼは泣きそうだった。
「皆が知らないだけで裏で色々頑張ってるんだけどなー」
書類で作った紙飛行機を飛ばしながらそう呟くと、扉が開いて紙飛行機が扉に当たって落ちる。
「ありゃ、落ちちゃった。あぁ、ステラちゃんおはよう。ねぇ、聞いてよステラちゃん。皆酷いんだよ、僕の事ハリボテマスターとかマスター(仮)とか言っていじめ・・・って、なんだか元気無いね。どうしたの嫌な事でもあった?」
顔色がいつもより悪いステラをライゼは気遣う。
するとステラは首を縦に振って
「夢を見たんです」
「夢?」
「『赤ずきん』が逃げ惑う人々を殺す夢です。手に残る嫌な感触、耳にこびりつく叫び声、目に焼き付いた人々の死が全てが現実だったと思える程に鮮明で・・・」
「『赤ずきん』が逃げ惑う人々を殺す夢、か。それはまた随分と恐ろしい夢だね。でも大丈夫、所詮夢は夢、怖がる事は」
「夢じゃないんです。あれは、夢なんて言葉で片付けていいものじゃありません」
ライゼの言葉をステラは遮る。
あれはきっと
「私の前の『赤ずきん』です。私の前に『紅血の協奏曲』を持っていた誰かです。ユナに聞いた様に、他人の血を操って人を殺していました」
「そう、か。でも、もしそうだとして、ステラちゃんは一体どうしたいんだい?」
ライゼがそう尋ねると、ステラは着けていた頭巾を外してライゼに差し出して
「やめさせてください。『赤ずきん』を。いつかあんな風に人を殺す事になる位なら私は『紅血の協奏曲』もいりません」
『赤ずきん』をやめると、そう宣言した。
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