183 / 193
最果ての鐘
4話
しおりを挟む冒険者ギルドがあるという銀色の建物の中に入ると、そこには流石に人の姿があった。
外観は銀一色で寒々しかったが、内部は板が打ち付けられていて絵画や地図や掲示板で壁が彩られている。
床には毛皮の敷物も敷き詰められているので、温かい雰囲気だ。
壁際に年季の入った暖炉が設置されていて、その火を囲むように木製のテーブルや椅子が配置されていた。
ここがギルドの待合室兼、食堂でもあるのだろう、樽型のジョッキを片手に肉をかじっている男性や、弓の手入れをしている女性の姿もある。
一番暖炉から遠いテーブルには、灰色の毛皮で頭まですっぽり覆った男性が俯いてじっと座っていた。
入り口正面の受付カウンターでは、おれたちと同じく毛皮の分厚い外套を着込んだ男性がギルド職員となにやら交渉している。
背中には刃物と言うより鈍器と言ったほうが正しいような大ぶりの斧を背負い、血の臭いを漂わせる革袋を腰に下げている。
在来生物を討伐した冒険者か、もしくは食料を調達した猟師か。
受付で対応しているのは恰幅のいいご婦人で、厳つい男の肩を遠慮なくバシバシ叩いて笑い、革袋を受け取っていた。
このギルドにやってくるのはほとんど地元の人間で、皆知り合いなのだろう。
大家族が住む家にうっかり入り込んでしまったような気まずさをちょっとだけ感じる。
おれはなるべく気後れを表に出さないように笑顔を作り、受付のギルド職員に話しかけた。
「こんにちは。少し尋ねたいことがあるのですが……よろしいですか?」
おれの方を見た受付のご婦人は、茶色い被毛に覆われた垂れ耳をぴょんと動かし目を丸くした。
「あらあら今日は珍客が多いわねぇ。あんた他所から来たのかい?こんな辺鄙な場所によく来たねぇ」
目尻に深くシワを刻んで笑いかけられると、思わずほっと心が緩む。
「ええ、おれは運び屋でして、顧客にどうしてもと言われて手紙を届けに来ました。後ろの男はおれの護衛です。手紙は必ず手渡しせよと頼まれているので、受取人を探しているのですが……」
「それでこんな真冬にかい?よく引き受けたねえ……受取人の名前は?」
「アトラス、というらしいのですが……ご存知ないですか?」
「ふぅん、アトラス、アトラスねえ……聞き覚えはあるけど、誰だったかしら……やあねえ、年食うと色んな事忘れちゃって……」
ご婦人はしばらく一人でうんうん唸ったあと、ハッと顔を上げて受付の奥の厨房らしき部屋に顔を突っ込んで大きな声で呼びかけた。
「ちょっとバカ息子!休んでないでこっち来てちょうだい!あんたアトラスって人知らないかい?」
その声に気だるげな返事があり、その後厨房から大柄な若い男の獣人が出てきた。
額には三日月のような二本の太い角、耳は母親と同じく垂れていて黒い毛に覆われている。
牛の獣人親子のようだ。
短い黒髪をゴシゴシ擦りながら、若い牛獣人はおれに気付いてちょっと会釈する。
「ども。アトラス?えーっと、ホラ、何年か前までここに住んでた学者せんせーのことじゃないか?なんとかっていう貴族のさ~。急に居なくなったから今どうしてるのかは知らないけど……」
「アトラスは歴史学者で、研究のためにトゴルゴを訪れたと聞いています。おそらくその人のことです。他になにかご存知ではないですか?」
おれが食いついて質問すると、息子の方がぽつぽつと情報をもたらしてくれた。
「えーっと、おれはあんまりアトラス先生とは話したことないんだけど……変わった人でさ、貴族なのにしょっちゅう町に出てきて、人に話を聞いてまわってたらしい。ほら、トゴルゴにはこういう、殻壁と同じもんでできた建物があるだろ?それはいつ頃から家として使ってるのか、とか、神話時代の道具を見つけたりしなかったか、とか。小難しい話ばっかりしてたよ。おれは頭使うのあんまり得意じゃないからあんま関わらないようにしてたけど、まあまあ親しいやつも何人か居たぜ。そんなかの一人に、リアンドラって女の子がいてさぁ、いつの間にかイイ仲になって、噂だと子供まで作っちまったとか……その噂が流れたのが5、6年前だったかな。んで、その直後に急に居なくなっちまったんだ。やっぱ貴族だから、流石にまずかったんじゃねえかぁ?リアンドラも急に居なくなっちまったし、もしかしたら子供と一緒にどっかに逃げたのかもしれねえな……その後は音沙汰なしだ」
「あ~、あ~!思い出した!あったわねえ、そんなこと。アンタの初恋のリアンちゃんが居なくなったって、一時期大騒ぎしてたね!」
「……こんなド田舎から子供連れて貴族と駆け落ちなんて、無謀にも程があるだろ!在来生物がウヨウヨしてんだぞ?!あんな頭でっかちなヒョロいお貴族様に何ができるってんだよ!くそ……ッ」
息子はアトラスに対してかなり複雑な感情を抱いていたようだ。
しかし、トゴルゴの一般市民と恋仲になって子供までいるとなると、破天荒ぶりはネレウスといい勝負だ。
そもそも、亜人と純粋な人間の間には子供ができにくいとされている。
亜人同士でも子供ができにくい組み合わせはあるが、貴族と亜人となると更に身分差まで加わるのでほとんど聞いたことがない。
実際には居るのかもしれないが、生まれてくる子供は亜人の親の性質を受け継いで生まれてくるので、貴族社会からは完全にはじき出されてしまうのだ。
「ま、そういうわけだから、もうここには居ないと思うぜ。腐ってもお貴族様だし、金に物言わせてどっかで平和に生きてることを願ってるけど……どうだろうな」
息子は幾分疲れた声でそう締めくくった。
駆け落ちしようとして殻の外で死んだかもしれない、と言外に告げられて、おれは思わず呆然と立ち尽くしてしまった。
ネレウスがアトラスと最後に会ったのは7、8年前で、ネレウスの父、ジルダが亡くなったのは5年前と聞いている。
アトラスがリアンドラという女性と共に失踪したのが6年前だとすれば、ネレウスが手紙を送っても返事がなかったのも仕方ない。
ネレウスが議長としての務めから解放されようと、必死に縋った最後の希望が、こんなにもあっさり潰えてしまうなんて……。
おれは唇を噛み、頭を振って感情を無理やり追い出した。
今はここで悲しんでいる場合じゃない。
「……そうですか……残念です。しかし、このまま手ぶらで帰っては顧客も満足しないでしょうし、もう少し調査を続けてみることにします。アトラスと懇意にしていた人間を知りませんか?」
「ん~あ~そうだな。レートジータ商店の親父とは仲がよかったと思うぜ。本を取り扱ってる唯一の商店だ……後は門番のモーリアック爺とか……城勤めしてるヒューゴとか……」
おれは一応メモを取り、相槌を打つ。
「なるほど……申し訳ありません、トゴルゴを訪れるのは初めてなもので、良ければ場所も教えて下さい。謝礼もお渡ししますので……」
「いや、別にこれぐらい構わねえさ。どうせ冬は家に閉じ籠もるばっかで暇なんだ」
おれは受付の上にメモ帳を広げ、そこに地図を書いてもらうことにした。
「ここが今いるギルドで、ここの先は教会だ」
「大通りの先……あれはトゴルゴ城ではないのですか?」
「いや~それがおれも驚いたんだけど、聖殻教の教会らしい。こんな辺鄙な場所によくもあんなでかい教会を建てようと思ったよな?まあ、在来生物が攻めてきたとき、避難できるようにでかいの建てたらしいけど……トゴルゴ城がすっかり後ろに隠れちまって、なんかちょっと複雑だよ」
「そうでしたか……ではあの白い塔も、教会の?」
「ああ、あれも最近できたばっかりだ。なんでも、新白祭に向けて大急ぎで建てたらしい。トゴルゴの繁栄を願って盛大にお祝いするためらしいけど、何に使うんだろうな?」
首を傾げる息子に、母親が大きくため息を吐いた。
「あんた、ありゃ鐘楼なんだから鐘を鳴らすために決まってるじゃないか。まったく、ナジェ爺は何考えてんだか……新しい鐘楼作る前に、色々やることあると思うんだけどねぇ」
おれは息を詰める。
やっぱり、あそこに鐘が……?
「話がそれたな……とにかく、あれは城じゃなくて教会だ。教会の右側に城に続く道があるから、そこを真っ直ぐ行けば城門にたどり着く。城の衛兵に聞けば、ヒューゴって奴はすぐ見つかるだろう。モーリアック爺に会いたいなら、あんたらが通ってきた殻都の入り口まで戻ってみな。確か今も検問を担当してるはずだ。で、レートジータ商店は……」
息子はおれのメモ帳に線を書き加え、東にのびる道の先に丸を書いた。
「ここだ。ま、もし途中でわかんなくなったら、適当に人捕まえて聞いてみろよ。そんなにでかい街じゃないから、虱潰しに探してもすぐ見つかると思うけど……」
おれは完成したトゴルゴの簡易地図を見下ろし、親切な親子に笑顔を向けた。
「ありがとうございます。まずはここをあたってみることにします。本当に助かりました」
ご婦人はにこにこと機嫌良さそうに笑い返し、ついでに宿屋や食事処や日用品を扱っている店も教えてくれた。
いつのまにかトゴルゴ全域を網羅する地図に成長したメモ帳を大事に懐にしまい、二人にもう一度礼を言ってギルドを後にする。
アトラスの行方がわからないことは残念だが、おかげで教会に近付く口実は出来た。
流石に中には潜入できないだろうけど、城勤めのヒューゴとやらに話を聞くぐらいなら怪しまれないだろう。
おれは地図を見下ろしつつ、とりあえず大通りの先、教会とその背後にあるというトゴルゴ城方面に足を向けた。
ケイジュと視線だけを交わし、トゴルゴ城を目指して進む。
そうしてしばらく雪を踏みしめて歩いていると、後ろを歩いていたケイジュが距離を詰めてきた。
「セオドア、まただ。また後ろを付いてきている男がいる。ただ尾行にしては下手くそすぎる……どうする?」
ケイジュの囁きに、おれは既視感を覚えていた。
つい先日にもこういう状況に置かれたことがあったな。
あの時はネレウスに付けられていたけど、今度は誰だ?
おれは歩く速度を落とし、ケイジュに囁き返す。
「男は一人か?」
「ああ、確か、ギルドに居た男だ」
「おれたちが余所者とわかって、好奇心で付いてきてるのか……?」
「……それなら、コソコソする必要はなさそうだが……」
「……なんにせよ、その男をくっつけたまま調査を続けるわけにはいかないな……誘ってみよう」
「わかった」
ケイジュは短く返事をした後、おれの外套の裾を軽く引っ張り、民家が立ち並ぶ細い路地に歩みを進めた。
人は見当たらないが、煙突から煙が立ち上っている家も多い。
もう少し人の気配のない所まで誘い出してみるか。
そのままどんどん進んで、民家がまばらになってきたところで立ち止まる。
ケイジュがおれを守るように前に立ちはだかり、一定の距離を保って付いてきていた男を睨みつける。
「……先程から、付いてきているようだがなにか用か?」
ケイジュの低く冷たい声に、男の肩がびくっと震えるのがここからでもわかった。
そして左右をきょろきょろ見回した男は、ようやく諦めておれたちの正面に立つ。
灰色のフードをしっかり被っているので顔は確認できないが、仕草や反応を見るにこういう状況に慣れていないらしい。
「て、敵意はありません!は、話を聞いていただきたいだけです……っ!」
男は緊張で上擦った声でおれたちに言った。
流石に演技とは思えないが、一応用心のためその場を動かず答える。
「わかった。聞こう。話してくれ」
男はおれたちにそろそろと歩み寄ったが、ケイジュが睨みを効かせているので途中で立ち止まり、それから躊躇しながらもフードを跳ね除けて顔を顕にした。
「……アトラスという男を探しているそうですね?僕は、その男のことをよく知っています」
おれは息をのんだ。
男は40代くらいで、茶色のくせ毛に、茶色の目をしていた。
見覚えのある色だ。
頬は痩けていて無精髭も生えているが、確かに面影はある。
防寒具を着込んでいるので体型はわからないが、背はかなり高い。
男はおれを見据えたまま、くるくるした髪をかきあげて耳を見せた。
獣の特徴もなく尖ってもいない、丸い耳殻、純粋な人間の耳。
男はすぐに髪を撫で付けて隠してしまったが、それで十分だ。
「……もっと、ちゃんと話ができる所に行きませんか?良い所を知っているんです」
男は怯えの残った顔に、ぎこちなく笑顔を浮かべてそう誘った。
ケイジュは驚きを残した表情でおれを振り返り、おれはそれに頷き返す。
おそらく、そうだ。
彼こそが、ネレウスの探していた叔父、アトラスだ。
0
お気に入りに追加
87
あなたにおすすめの小説
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
勇者の股間触ったらエライことになった
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
勇者さんが町にやってきた。
町の人は道の両脇で壁を作って、通り過ぎる勇者さんに手を振っていた。
オレは何となく勇者さんの股間を触ってみたんだけど、なんかヤバイことになっちゃったみたい。
もふもふで始めるVRMMO生活 ~寄り道しながらマイペースに楽しみます~
ゆるり
ファンタジー
☆第17回ファンタジー小説大賞で【癒し系ほっこり賞】を受賞しました!☆
ようやくこの日がやってきた。自由度が最高と噂されてたフルダイブ型VRMMOのサービス開始日だよ。
最初の種族選択でガチャをしたらびっくり。希少種のもふもふが当たったみたい。
この幸運に全力で乗っかって、マイペースにゲームを楽しもう!
……もぐもぐ。この世界、ご飯美味しすぎでは?
***
ゲーム生活をのんびり楽しむ話。
バトルもありますが、基本はスローライフ。
主人公は羽のあるうさぎになって、愛嬌を振りまきながら、あっちへこっちへフラフラと、異世界のようなゲーム世界を満喫します。
カクヨム様にて先行公開しております。
マッチョな料理人が送る、異世界のんびり生活。 〜強面、筋骨隆々、とても強い。 でもとっても優しい男が異世界でのんびり暮らすお話〜
かむら
ファンタジー
【ファンタジー小説大賞にて、ジョブ・スキル賞受賞しました!】
身長190センチ、筋骨隆々、彫りの深い強面という見た目をした男、舘野秀治(たてのしゅうじ)は、ある日、目を覚ますと、見知らぬ土地に降り立っていた。
そこは魔物や魔法が存在している異世界で、元の世界に帰る方法も分からず、行く当ても無い秀治は、偶然出会った者達に勧められ、ある冒険者ギルドで働くことになった。
これはそんな秀治と仲間達による、のんびりほのぼのとした異世界生活のお話。
天才魔術師様はかぁいい使い魔(♂)に萌え萌えですっ
阿月杏
BL
【クールな孤高の天才魔術師 × マイペース女装男子使い魔】
桑山萌(メグム)は、ジェンダーレスメイドカフェで女装して働く男子。
かぁいい(かわいい)ものが大好きでありながら、男としての自分も捨てきれず、悩みながら生きてきた。
ところが、ある時……異世界に『使い魔』として召喚されてしまった!?
ふわふわの猫耳と尻尾、ちょっと童顔で中性的な容姿。
元の世界と似た顔の、けれどぐっと愛らしい雰囲気の姿になったメグムは、この世界でかわいい服を纏って『自分らしく』生きることを決意する。
メグムのご主人様である魔術師・アッシュは、クールで真面目な天才肌。メグムを召喚して『使い魔』にしておきながら、態度はそっけないし、仕事も全然任せてくれない。
そんなご主人様の気持ちを、使い魔の仕事の一つである『魔力調整』を通じて理解できたはいいけれど……。
なんかこのご主人様、使い魔に対してちょっと過保護じゃないですか!?
その割に、ちっとも他人に頼ろうとしないんですけど!
――そんなでこぼこ主従の二人が、『萌え』の概念について共有したり、やむを得ずキスをしてしまったり、『ありのままの自分』について悩んだりしながら、ゆるゆる絆を深めていくお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる