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森人の果実酒

3話

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 ヘレントス城から大通りへ、そこから殻壁を抜けて外にでるまでは少し時間がかかる。
街中では馬車の速度にも制限がかけられているのだ。
しばらく小さな窓から町の様子を眺めていたジーニーは、気さくな様子でおれに笑いかける。

「運が良かったね。今日までは何とか天気も持つそうだよ」

「ええ……雪もほとんど溶けているようですね」

「明日以降にはまた雪が降り出すみたいだから、早めに決着がついて帰れるといいけれど……まぁ、野宿の覚悟はしておいた方がいいだろうね」

「……おれは、仕事で慣れてますが……ジーニーは平気なんですか?」

「ふっふっふ、侮ってもらっちゃ困るな。私は今も上級冒険者としてギルドに登録されているんだよ」

ジーニーはおどけた仕草で自分の腕を叩いてみせた。
おれよりも細く見えるその腕で、きっと多くの在来生物を狩ってきたのだろう。
表情に緊張した様子はなく、今までと変わらない飄々とした態度だった。
隣のデュラも落ち着いた表情で微かに相槌を打つような仕草をしている。
そのままおれたちは当たり障りのない天気の話、世間話をして時間を潰した。
その間に馬車は殻壁をくぐり抜け、枯れ草と溶け残った雪がまだらに散らばる荒涼とした街道を走る。
フットマンたちの働きのおかげか、この馬車のおかげか、揺れも少ないし快適と言っていい。
この街道はリル・クーロに行くときにも使った道だ。
ヨナの大森林の端をなぞるように街道が通っており、その道沿いに目的地の森人の集落もある。

「森人たちは、どうして街道沿いに集落を作ったんでしょうか?おれたちのような森に住んでいない人を毛嫌いするのなら、もっと森の奥深くに住めば良いと思うのですが」

おれが世間話のついでに尋ねると、ジーニーは苦笑する。

「うーん、彼らの考えることは私でもよくわからない。ただの推測だけど、街道沿いに集落を作ったのは、検問所、もしくは砦のような役割を持たせているからだと思うよ。おそらく集落の近くに、森の奥深くまで続く道があるんだろう。森人たちが使う道だから、普通の人にとっては獣道にしか見えないだろうけど、そこから勝手に森に入り込む人がいないように見張っているんだろう。だから冒険者や運び屋が、一晩の宿を求めて近付いてきても、手酷く追い返されてしまうわけだ」

「なるほど、それで……」

「その口ぶりだと、一度追い返されたことがあるみたいだね。まぁ、根気よく集落に通って森人たちと交流を続けていれば、商売もできるし泊めてもらえることもあるそうだ。我々も根気よく警戒心を解いていくしかないだろう」

「そもそも、なぜ森人は排他的な生活をしているのでしょうか?容姿が優れているため、人攫いの被害に遭いやすいから、と聞いたことがあります。しかし、彼らは優れた狩人ですし、魔法の扱いにも長けていると聞きます。ここまで人を警戒するほど弱くもないと思いますが……」

おれが質問を重ねると、ジーニーは真面目な顔つきで押し黙る。
これは、触れたらいけない話題だっただろうか。

「……森人の問題は結構根が深いんだ……私も解決の糸口を長年探しているんだけど、なかなか見つからない……」

ジーニーは小さいため息とともに窓から見える灰色の空に目を向ける。

「君も、聖殻教の創世記について学んだことがあるだろう?
我々の祖先、神々は、人間を様々な脅威から守るために新しい人間、亜人を創った。
在来生物の王、竜と人の橋渡しとして竜人を。
在来生物と戦うため、力が強くて体が大きな鬼人を。
優れた五感と獣の能力を身に着けた獣人を。
硬い甲殻で人々の盾となる蟲人を。
大空から在来生物の動きを見張る鳥人を。
海や川を見張る魚人を。
鉱山から鉄を掘り出し武器を作るために石人も創った。
その仕上げに創り出したのが、森人と魔人だと言われている。森人と魔人に共通点が多いのはその為だろうね。
魔人は亜人たちの反乱を防ぐため、心を操る術を授けられた。
そして森人は、元々は神々に仕えるため、つまりはお世話係として創り出されたんだ」

神々が亜人を創り出したという話は大昔に家庭教師から聞いていたが、森人の成り立ちについて聞くのは初めてだ。
最初から、森に住んでいた人々じゃなかったのか。

「森人は神々に仕える亜人として相応しいように、美しい容姿と、長い寿命が与えられた。けれど、生まれた時から誰かに仕えることを義務付けられた生き方を、森人たちは受け入れなかった。
当時の神々は、結構森人を酷使したようでね……これは森人にのみ伝わる話だから、聖殻教の聖典には記されていないけど……かなりの人数の森人が、非人道的な扱いを受けていたようだ。
それで一部の森人たちは神々の元から逃げ出し、新たにヨナの大森林に棲まう竜、森竜の庇護を受けて生きていくことにした。そうして自分たちを森人と名乗るようになり、現在に至るわけだ。彼らの寿命は長いから、未だに神話時代の苦い記憶を受け継いでいるのさ。
まぁ、もちろん実際に神話時代から生きている森人はもう居ないと思うよ。彼らの寿命は300年くらいだと言われている。今生きている森人は、祖父母の世代から神話時代の話を聞かされて育った世代だ。
しっかり教育されて、森人以外の亜人は悪しき神々の手先、そして我々貴族は悪しき神々の子孫、と、そういうふうに思っているんだろう」

「……おれたちにとっては遥か昔のことでも、彼らにとってはそう遠くない過去のこと、か……」

おれは俯いて考えを巡らせる。だとしたら、警戒心を解くのは至難の業じゃないか?
ユリエ嬢が森人たちに受け入れられたのはひとえに竜人フランのおかげだろう。
けど、おれたちにはそんな切り札はない。

「だからこそ、私も難儀しているんだよ……我々貴族と、昔の神々とは違う、同じ一人の人間として話し合いたいと言っても、彼らはインゲルの福音が存在することを知っている。だから、私が言っても説得力がないのさ」

ジーニーはやれやれと首をすくめてみせた。

「……森人の集落に入ることすら叶わなかったら、交渉どころじゃないな……」

おれの呟きに、ケイジュが遠慮がちに声を上げる。

「だったら、先におれが森人の説得をしてみようか?冒険者の森人とは話したこともあるし、創世記とやらが正しければ、魔人になら仲間意識を抱いてくれているかもしれない」

「……いやぁ、それはどうかな……」

ジーニーは苦笑したままだ。

「……基本的に、森の外に出て生きている森人と、森に住む森人は全く別の人種と考えた方がいいでしょう。森に住む、“正統”な森人は、恐ろしくプライドが高い。魔人である私たちは、神々の手先となって邪悪な魔法を使う奴らだと正統な森人には見下されているようなのです」

ケイジュに説明するデュラは、若干苦い表情になっている。

「……魔人が迫害を受けていた事も、森人たちはよく知らないようです。森に引き篭もっているから仕方ないのですが……とにかく、我々の人種を開示しても、同情してくれるとは思えません」

「……と、なると、八方塞がりじゃないか?姿隠しの魔法で集落にこっそり忍び込んだ方が、確実にユリエと面会できそうだ」

ケイジュがデュラとジーニーの顔を交互に見る。
デュラとジーニーは何か意味ありげに一瞬だけ顔を見合わせた。

「……それはどうしてもうまく行かないときの最終手段にしよう。とりあえず、私たちに一つだけ策がある。君たちは何も知らないまま、とにかくその場の流れに乗って動いて貰えればいい。その方が、おそらくうまく行くはずだからね」

ジーニーは例の胡散臭くて裏がありそうな満面の笑みをおれに向ける。
それ以上質問をしてくれるなよ、と言外に圧力をかけられた。
おれは反射的に頷く。
ジーニーはあっさりと不可視の圧力を引っ込めて、深く座り直した。

「ま、到着するまでは気楽にいこうじゃないか。君たち、もう食事は済ませてきたかな?まだなら好きなときに栄養を補給しておきたまえ。じっと座っているだけでも、冬は案外体力を使うものだからね」

おれは無意識に腹に手を当てていた。
そういえば、朝食もまだだ。
馬車の中ではすることもないし、携帯食だけは少し多めに持ってきていた。
歯が折れるくらい硬いビスケットだけど、暇つぶしがてらに食べるのならそんなに悪いものでもない。
おれは座席の下に押し込んだ荷物を引っ張りだし、中から携帯食を取り出した。
ビスケットに、干し肉に、干し果物。
しばらくフォリオに居たから、こういうのを食べるのも久しぶりだな。
ケイジュはおれの取り出した食料を見て、水筒に水を生成して準備してくれる。

「……懐かしい献立だね、デュラ。クソ不味いハオラン商店のビスケット、覚えてるだろう?」

「……ええ……あれは酷かった……薬草も練り込んであるから泥みたいな味になっていたらしいですが」

「だとしても、あれは不味いよ。本物の泥団子のほうがいくらかマシな味だったと思うよ」

おれたちの食料を見て冒険者時代を思い出したのか、ジーニーとデュラは昔話に話を咲かせている。
ケイジュはおれからビスケットや干し肉を受け取り、黙って食べ始める。
おれは包み紙のままビスケットをある程度細かく砕いてから、口に運んでポリポリ食べた。
泥団子より酷い味の保存食か。
もちろんこのビスケットも硬いし乾燥してるし味も素っ気ないけど、不味いというほどじゃない。
ジーニーは懐かしそうに目を細めておれを見てくるが、こんな狭い馬車の中だと食べにくいことこの上ない。

「……良かったら、ジーニーも食べますか?これはフォリオで買ったものなので、期待に添えるかはわかりませんが」

そう提案すると、ジーニーは嬉しそうに頷いた。

「いやぁ、すまない。久々に見たら、無性にあの頃の味が恋しくなってしまってね。食料は現地調達するつもりだったから、あまり持ってきていないんだ」

在来生物料理の本場、ヘレントスの元老院議長らしい言葉に、おれは思わず笑う。
おれは一口の大きさに砕いたビスケットをジーニーに渡した。
ジーニーは早速口に運び、ガリゴリとすごい音を立てて噛み砕いていた。

「……うん、……うん!」

そして驚きと共に目を見開き、黄金色の瞳があらわになる。

「これ、本当に保存食かい?美味しすぎるよ」

「……そう、でしょうか?」

「ほんのり甘みも感じるし、小麦の香りも残ってる……飲み込むときに砂を飲み込んでるみたいな感覚もないし、ちゃんと食べ物だ……!」

ジーニーが無言で手を差し出しておかわりを要求するので、おれは今度は大きめの欠片を2つ渡した。
ジーニーはそのうち一つはデュラに渡し、真剣な顔で咀嚼を続けている。
デュラもおれに少し会釈をしてから涼しい顔でガリゴリと噛み砕いて食べた。
ヘレントスの古株の冒険者って、みんな顎が強いんだな……。
デュラもちょっと驚いたように目を丸くして、主人と頷きあう。

「確かに、保存食なのに美味しい……さすがは商業都市フォリオ、というべきでしょうか」

「……ふむ、そうか。フォリオだと保存食を買うのは商人や運び屋……美味しさではなく効能や保存期間を重視する冒険者とは客層が違う、か……」

おれは、ヘレントスのビスケットってそんなに違ったっけ?とケイジュに目を向ける。
ケイジュはおれに頷き返した。

「……確かに、ヘレントスの保存食は薬草を練り込んであったり、在来生物の肝を混ぜ込んでいたりして、かなり不味かった。だが、何年か前からちゃんと食べられる程度に美味しい保存食も増えている。流石に不味すぎて売れなくなってきたんだろう」

「なるほど……だからケイジュはいつも保存食を買う店を指定してたんだな……」

「うっかり昔ながらのヘレントスの保存食を買ってしまったら、セオドアは悲しむだろう?」

ケイジュは慈愛のこもった微笑みを向けてくれたけど、ジーニーとデュラも見ているので、照れ臭さを押し隠して笑い返す。

「私たちが見ていない間に、ビスケットも進化しているんだねえ……デュラ、次に遠出するときは美味しい保存食を探しておこうか。毎回空きっ腹を抱えて在来生物を追っかけるのも疲れてきたし、私もいい歳だしね」

「……ええ、そうですね。ケイジュ、良ければ私に保存食が美味しい商店を教えてください」

デュラにお願いされて、ケイジュはぎこちなく応じている。
同じ物を食べるというのは、やっぱり距離を縮める上で大切なことなのだろう。
馬車の中の空気が和らいだような気がする。
おれはやっと肩から力を抜いて、背もたれに寄りかかった。




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