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魔女の薬湯
8話
しおりを挟む食後、苦い薬もしっかりと飲んで、口直しの白湯を飲んでいると、ケイジュが急に真顔になっておれの顔を見つめた。
「結局、森の魔女と話して何かわかったのか?」
おれは思わず、あっ、と声をあげた。
すっかり忘れていた。
すぐにケイジュに説明しようと思っていたのに、はしゃいでいたせいですっかり別のことに気を取られていた。
ケイジュは少し俯き、落ち着いた声で付け加える。
「その様子を見るに、悩みは晴れたみたいだから、無理に聞き出そうという気はない。だが、仕事の相棒としては、蚊帳の外にされると寂しいな」
おれは慌てて姿勢を正した。
「悪い、悩みも解決して体調も良くなったからすっかり浮かれてて……散々心配かけたし、ちゃんと話す」
ユリエ嬢はむやみに他言しないでとは言ったが、誰にも言うなとは言わなかった。
きっとおれがケイジュに伝えることは織り込み済みだろう。
おれは深呼吸して、言葉を紡ぐ。
「ヘレントスでミンシェン伯爵に会って、亜人を解放したいから協力して欲しいって言われたのは、もう話したよな?」
「ああ。そのこと以外で何か言われたんだろう?」
ケイジュはやっぱりおれの隠し事に気付いていたみたいだ。おれは頷く。
「ああ。ミンシェン伯爵は、亜人は純粋な人間に好意を抱くように術をかけられている、と言っていた」
「術?だが、おれは貴族に好意を抱いたことなんてなかった。他の亜人も貴族には反感を持ってるやつは多いぞ」
「そうだな。おれもそんな術があるなんて知らなかった。高い地位にある貴族だけが、その術の存在を知っている。インゲルの福音、と森の魔女は呼んでいた。殻都の鐘の音や、童歌の中に術が仕込んであって、それを聞いた亜人は純粋な人間への愛を植え付けられる。口では貴族のことを罵っていても、いざ貴族に対面するとその愛が湧いてきて、反抗できなくなってしまう。その術があったからこそ、今までエレグノアの貴族支配は揺らいだことがないんだと」
ケイジュは眉をひそめる。
ケイジュも外育ちとはいえ殻都に出入りして鐘の音を聞いているはずだ。
本人に術をかけられた自覚がないのだから、信じることは難しいだろう。
「突拍子もない話だが、ミンシェン伯爵の作り話とも思えない。彼は有能な政治家だし、冒険者だ。おれみたいな若造を騙そうとついた嘘にしては壮大過ぎる。だからおれはくだらない話だと捨て置けなかった。それに、たしかにおれは亜人から悪意を向けられた経験があまりない。もちろん何回かはある。貴族だと明かしたら罵られたりな。ただ、罵られる程度で、暴力を振るわれたことはない。おおむねみんな好意的だったんだ。不自然なくらい親切にされたこともある。もし本当に存在するなら、もうケイジュの側にはいられないと思った」
「馬鹿を言うな、おれは自分の意志でここにいる」
ケイジュの声ははっきりと怒りを含んでいた。
おれはそれを受け止め、できるだけ冷静に答える。
「もし、ケイジュの魅了魔法が、おれを魅了している可能性があると他の淫魔に言われたら、ケイジュはそれを馬鹿な話だと一蹴できるか?」
「……それは、」
ケイジュは言葉を失う。おれは話を続けた。
「もちろん嘘の可能性もある。それで、その話の真偽を確かめるために、森の魔女に話を聞こうと思ったんだ」
「そんな術が実在するなんて思えないが、森の魔女はなんて?」
ケイジュの表情はいまだに懐疑的だ。
神話時代の人間の技術力を知らないのだから仕方ない。
「インゲルの福音は実在する、と。神話時代の人間が、魅了魔法を応用して作り出した魔法の一種だそうだ。もう時間が経ちすぎていて、威力も落ちているし亜人にも抵抗力がついているらしいけど、今でも純粋な人間に好意を抱きやすくなる効果は残っている。ただ、一部の亜人にはインゲルの福音は効果がない。森の魔女と一緒にいた男、竜人と、魅了魔法を得意とする魔人には効かないそうだ」
ケイジュの表情が和らぐ。
「じゃあ、つまり、」
「インゲルの福音がもし実在して、今も効力があったとしても、ケイジュには関係ないってことだ。だから、安心したよ」
おれはケイジュに笑いかけた。
ケイジュも同じように安心したように口元を緩ませたけど、すぐに悔しそうなしかめっ面になった。
「そんな怪しい術で軽々と人の意志を歪められると思ったら大間違いだ……ただ、魅了魔法の恐ろしさはおれもよく知っている。セオドアの気持ちも理解できる」
ケイジュは怒りを押し込めるように俯いてそう呟いた。
しばらく無言で考え込んだあと、ケイジュは元の冷静な表情を取り戻して顔を上げた。
「おれ個人としては、にわかに信じがたい話だが、セオドアの言葉を信じよう。それで、今後はどうする?」
「まだ何も決めていない。というか、何もできない。今まで親しくなった人たちからの好意が、全部仕向けられて作られたものだったとしたら、それは悲しいことだと思う。
けど、おれはもう貴族の権力も持ってないし、ミンシェン伯爵の手駒になる気もない。もしこれから情報が集まって、おれにできることが見つかったらやるかもしれないけど……あくまで、一人の運び屋として仕事を続けるつもりだ」
「……そうか」
ケイジュは静かに頷く。
色々悩みはしたが、ひとまずこれで一安心だ。
ケイジュはおれを見つめ、迷いながら口を開きかける。
が、その時バキバキと外から木が倒れるような音がした。
おれは咄嗟に外の方を見る。
ケイジュが立ち上がり外に様子を見に行ったので、おれもあとに続く。
外では、竜人が生やしたらしき木がみるみる朽ちて倒れるところだった。
青々としていた葉が枯れて地面に降り注ぎ、幹が風化して消えていく。
巨木はあっという間に地面に還ってしまった。
こうして目の当たりにすると竜人の力の強大さがよく分かる。
昼過ぎにはここを出ると言っていたので、そろそろ次の集落を目指して旅立つのだろう。
消え去った木の根元に人影が見えたので、おれは軽く礼をした。
それに気づかなかったのか、それとも別れの挨拶なんて必要なかったのか、ユリエ嬢と竜人のフランは振り返らずに歩き去ってしまった。
彼女が公爵家の長女という立場を捨てて殻の外で生きていくのは、おれよりも苦難が多そうだ。
けど、その後ろ姿に迷いは見えない。
おれは彼女の旅の幸運を祈った。
森の魔女を見送った後、おれたちは周りを軽く散策したり、小屋の中で少し昼寝したり、のんびり過ごした。
夕暮れにケイジュが罠の様子を見に行くというのでついて行き、小川の近くで罠にかかっていた在来生物を仕留める。
イタチのような毛の生えた胴体に、顔に鳥のようなくちばしを備えた奇妙な生き物で、ディークト、という名前らしい。
草原に穴を掘って暮らす草食の動物で、在来生物の中ではかなり美味しい部類に入るとのこと。
特に冬前のディークトは脂肪を蓄えているので焼肉が最高だ、とケイジュが喜んでいた。
旬には少し早いけど、ありがたく今夜は焼肉でいただくことにした。
適度に休みつつも今日はそれなりに動けたので、脂の滴る肉も美味しく食べることができた。
満腹になった腹を抱えてすっかり定位置になった焚き火の前でくつろぐ。
体調を崩してからずっとこの小屋に居たので、明日立ち去るのが少し寂しいくらいここに愛着が湧いてしまった。
ここの中に居るとき、ケイジュがずっとおれを気遣ってくれて、色々世話をしてくれたので、幸せな記憶が染み付いていることも大きい。
ケイジュから額を触られたり、背中を支えられたり、抱き締められたりも、ここを出ていけば滅多にしてくれなくなるだろう。
恋人になれない限り。
おれは焚き火に向けていた視線をそっとケイジュに向ける。
「ケイジュ、ありがとな」
ケイジュは、ふ、と小さく笑った。
「何度も言わなくてもいい」
そっけないが、少し照れているような言い方だった。おれは首を横に振る。
「看病してくれたことだけじゃない。ヘレントスで、ケイジュは傭兵団じゃなくて、おれとの仕事を選んでくれただろ?それに、おれが一人で焦ってるときも黙って付き合ってくれたし、あげくに体調崩しても見捨てずに側にいてくれた。突飛な話をしてもおれを信じると言ってくれた。だから、ありがとう」
おれは照れてそらしてしまいそうな顔を必死に固定して、真面目にケイジュに告げた。
ケイジュは少しぽかんとして、それから片手で顔を隠してしまう。
「……セオドア……その……えー、どう、いたしまして?」
ケイジュはくぐもった声でたどたどしく返事する。
おれはそのらしくない自信がなさそうな言い方に笑ってしまった。
「なんでそんなに照れるんだよ、堂々としてればいいだろ?これは貸しだからなって」
「別に、貸しとは思ってない」
ケイジュは今度は拗ねているようにボソボソ言った。
おれは少し真面目な声色を作って、言葉を続けた。
「……おれは、ちゃんと恩を返したい。おれにできることなら、何でも言ってくれ。スラヤ村に寄り道するくらいじゃ恩を返しきれないからさ。例えば……ちょっと遠い殻都に行きたいとか、会いたい人がいるから辺境に行きたいとか……おれの強みは自動二輪車を使えることだから、移動にしか役立てないかもしれないけど」
「……行きたい所、か」
ケイジュは俯いたまま呟く。
おれはこの好機を逃すまいと、普段通りの声色で付け加える。
「誰か、家族以外に会いたい人とか居ないのか?友達とか、恋人とか」
ケイジュが今度はちょっと自嘲気味な笑い声をもらした。
「ふ、この体質じゃ、まともに友人も恋人も作れなかったからな。そういう人はいない」
「けど、同じ魔人なら魅了も効かないんだろ?それに、純粋な人間も効かないってわかったんだし、おれの他に家出したご令嬢でも探してみるか?」
おれがもう一歩踏み込んでみると、ケイジュはちょっと困ったように眉を下げた。
「魔人の中でも、おれの魅了が効かない魔人は同じ淫魔に限られるし、淫魔とは価値観が違いすぎて仲良くなれたことがない。それと、家出した貴族なんてセオドアと森の魔女ぐらいしか居ないんじゃないか?」
「そ、そうだな……じゃあ……とにかく、何か行きたい所が思い付いたら言ってくれよ。できる限り叶えてみせるから」
おれが少し前のめりになりつつ言うと、ケイジュは困り眉のまま目を細めて笑った。
「考えておく」
ああ、今の表情、めちゃくちゃ色気のある笑い方だった。
ケイジュの顔の良さにはもう慣れていて麻痺していたはずなのに、とびきり美形だったことを急に思い知らされて胸が苦しい。
おれは誤魔化すために立ち上がり、食事の後片付けを始める。
「リル・クーロに到着するまでに何か考えといてくれよ。別に普通に追加報酬とかでも良いからな」
おれの言葉にケイジュはわかったわかったと適当な返事をして、後片付けを手伝ってくれた。
その後、明日の出発に向けて準備を整え、早々に寝床に横になった。
ケイジュは相変わらず夜間の見張りをしてくれているので、今は小屋の外に居るはずだ。
おれが体調を崩したせいでここ数日は吸精できていないのに、大丈夫だろうか。
けど、ここでおれがケイジュも休めと言ったところで聞いてくれるわけないしな。
おれは諦めて目を閉じる。
早く体調を万全にしないとな。
すぐに眠ろうと思っていたのに、気持ちが昂ぶってなかなか眠気が訪れない。
早速今日、確かめられてしまった。
ケイジュには今の所恋人はいない。
恋愛を拒絶している可能性はあるので、まだまだなんとも言えないところだが、一応おれにもチャンスがありそうな気はしている。
もし、おれとの恋愛がやぶさかじゃないとわかったら、なんと言って口説くべきなんだろう。
一応貴族の嗜みとして、色事における会話術も勉強させられたのに、それはケイジュ相手だとまったく役に立ちそうにない。
ケイジュはご令嬢でもないし、貴族の男でもないのだ。
おれ自身の言葉でぶつかっていくしか……おれは頭の中でセリフを考えては打ち消し、思いついては却下し、そうしているうちにいつの間にか眠りに落ちていた。
蒼月30日、早朝。
ここ何日か体調を崩して録音できていなかったが、ようやく今日、体力が回復したので記録している。
今日からまた旅が再開できるので気持ちは高揚している。
最終目的地のリル・クーロへは、あと三日で到着できるはずだ。
今日のところは無理せず進む予定だが、少なくともこの先にあるという集落にはたどり着きたいところだ。
今日も少し肌寒いが、天気は安定した晴天。
大丈夫そうだ。
色々なことが起きたので記録しておきたいが、今はもうじっとしていられない気分なのでとりあえず出発することにする。
またリル・クーロに着いたらゆっくり録音しようと思う。
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