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南駅の駅弁

5話

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 車両の外の通路に出ると、月が皓々と輝いて山並みと線路を照らしていた。
ケイジュの顔もはっきり見えるほど明るい夜だ。
ついさっきまで在来生物との死闘が繰り広げられていたとは思えない。
ケイジュはさり気なくあたりを見回して人が近くにいないか確かめた。
そして口を開きかけたおれを手で制し、うつむいて何事かを呟く。
それは魔法の詠唱だったらしい。
黒いモヤのようなものがケイジュの足元から立ちのぼり、おれとケイジュを包んだ。
黒いモヤは煙たくもないし触れもしないが、機関車の音が少し遠のいたような気がする。

「姿隠しの魔法だ。おれたちの姿と声が、しばらくの間認識されにくくなる」

おれはなるほどと頷いて、ケイジュと視線を合わせる。

「内緒話をしたいんだよな?えーと、どこから説明したらいいか……」

「まずはなぜ客車から降りてきたのか聞きたい。まさかつい好奇心で在来生物の見物に来たんじゃないだろうな?」

ケイジュの声はいつもよりも更に低くて迫力満点だ。おれはつい視線をそらしてしまった。

「ち、違う!その、車両の魔力灯が消えたあと、向かいの座席で火事場泥棒を働いてる奴を見つけちまってさ。流石に放ってはおけなかったんで、捕縛して駅員のところに連れて行ったんだ。
それで、ちょうど在来生物の声が大きくなったからつい外を見て……そしたらバカでかい在来生物が機関車に突進しようとしてるし、冒険者は魔法で吹き飛ばされてるしで……しかも在来生物の目の前にケイジュがいたから居ても立ってもいられなかった。
そこからは……ご存知のとおりです」

説明していると、結局自分が好奇心に負けて飛び出したような気がしてきて落ち込んだ。
おれの目にはかなり危ないように見えたけど、ケイジュにとってはそうじゃなかった可能性もある。
おれが慌てて精霊術を使わなくてもケイジュならなんとか出来たかも。
おれがうつむきつつケイジュの様子をチラチラ伺うと、ケイジュは困ったような顔で深く息を吐いた。

「……経緯は分かった。おれも過保護になりすぎていたようだ。責めるような言い方になってすまない」

おれは顔を上げてケイジュの顔をまじまじと見る。
ケイジュがおれの安全を気にするのは、きっと用心棒としての責務を全うしようとしているだけだと思っていたけど、今の言い方はまるで子供に対する父親みたいだ。
ケイジュは息を深く吸い、おれの目を真っ直ぐ見つめる。

「それから、助かった。ありがとう」

「ほ、ほんとか?おれ余計なことしてないか?」

「あの在来生物はまだ名前もついていないような新種で、おれも攻めあぐねていた。最終手段として、ありったけの魔力をつぎ込んで即死魔法を放つつもりでいたが、セオドアのおかげでなんとかなった。おかげで魔法を使う余力も残しておけたし、余計なんかじゃない」

「そうか、ならよかった」

おれはようやく肩から力が抜けた。
さすがケイジュだ。
あの状況でも奥の手は隠してあったんだな。
おれのしたことが余計なことであっても嫌だったが、おれの精霊術が遅れていれば死んでいた、みたいな状況でも嫌だったので心底安心する。
ケイジュは少し迷うような素振りをみせながらも、ぎこちなくおれの肩をぽんぽんと叩く。
さっきからケイジュの挙動が父親っぽく見えておかしい。
おれは少し笑って、他に聞きたいことは?と尋ねる。

「あとは、精霊術について聞きたい。すべて話せとは言わないが、おれの精霊術に対する認識はどうやら大きく間違っているようだ。支障が出ない範囲で教えてくれ」

おれは頷く。
ケイジュになら話してもいいだろう。
それに、今回のようなことが二度と起きないとも限らない。

「じゃあ、精霊術を説明する前に、ちょっと前置きがあるから聞いてくれるか?」

「ああ」

「これはおれ自身の考えじゃなくて、貴族としての慣習なんだが、精霊術の詳細は口外しちゃいけないんだ。御存知の通り、旧人類には魔力がない。魔法を使う在来生物やら亜人やらに対抗するために開発されたのが精霊術だ。
だから、敵に詳細を知られちゃまずいってことだな。もしケイジュが精霊術のことを人に言いふらしたりしたら、貴族から殺し屋を差し向けられる。くれぐれも気をつけてくれ」

「わかった」

ケイジュが神妙な顔で深く頷くのを確認して、おれは着ていた服のボタンを外していく。

「セオドア……!?」

ケイジュが珍しくうろたえた声を出したけど、おれは気にせず、いつもきっちり着込んでいる肌着も寛げて胸板をさらけ出した。

「これが精霊術の核だ」

おれの胸板のちょうど真ん中あたりには、くるみほどの大きさの穴が空いていて、そこには精霊術の力の源である魔石が埋め込まれている。
それを目にしたケイジュはぎょっと目を見開いていた。

「貴族は10歳になると、魔石をはめ込む台座を胸に埋め込むんだ。この台座からは紐みたいなものが伸びていて、その紐は体内を通って頭まで繋がっている。そして台座に精霊術専用の魔石、核を埋め込む」

おれは言いながら、胸元から核を抜き出してみせた。
おれの瞳と同じ、青みを帯びた灰色の石は寸分の狂いもない球体だ。
指でつまめるほどの大きさだがずっしりと重い。

「この核は溜め込んだ魔力を一切外に漏らさない特殊な加工がしてある。この胸に埋め込んである台座だけが、この核から魔力を引き出すことができるんだ」

胸にぽっかりと空いた穴は見ていて気持ちいいものじゃないだろう。
しかも金属のような光沢を放つ台座もその中に埋まっているのだ。
エレグノアの貴族ほど、歪な生き物はいない。
我こそ正しい人間の姿だ、と豪語するくせに服の下にはこんな物を隠しているのだから。

「ケイジュも、この核からは魔力は感じないだろ?けど、魔力を込めることはできる」

おれが核をケイジュの方に差し出すと、ケイジュは遠慮がちに手を伸ばしてきた。
その指先がかすかに核に触れると、ケイジュは息を呑んだ。
核に魔力が吸い込まれていく感覚がわかったのだろう。

「確かに、魔力が吸い取られていく。しかも、なんだ、この魔石……この大きさなら魔力の容量はたかが知れているのに、底が見えない……!?」

「魔力を満タンにするには竜人並の魔力量が必要になるから気をつけてくれ。おれも魔力の充填は貴族街の竜人の知り合いに依頼してるんだ」

「そう、なのか……この魔力を使って、魔法を?」

「結果的には魔法と同じ事が起きるが、魔法を使うのはおれじゃない。精霊だ。精霊のことは知ってるか?」

「無機物に宿る魔力を糧に生きている、目には見えない生き物だと聞いている」

「そうだ。精霊はおれたちとは生きている次元が少しずれているために、目には見えない。けど、おれたちと同じように生きている。精霊が食料にしているのは無機物に宿る魔力だ。自然界に存在する魔石や、巨大な滝、吹き荒れる風、火山の火の中に存在する魔力をな。この核に宿る魔力も、精霊にとっては食い物だ。すでに生き物の体から切り離された魔力だからな」

「生き物に宿る魔力は、精霊は食えないのか」

「勝手に魔力を食われないように、生き物のほうが進化して精霊を寄せ付けない体の構造になったんだろう。けど、進化してない旧人類は、この核を餌に精霊を寄せ集めて、魔力を与えるかわりに精霊に命令できる」

「精霊と意思疎通ができるのか?」

「うーん、ある意味そう言えるか……そもそも精霊には意志と言えるほどの知能はない。単純な生き物なんだよ」

「そんな相手にどうやって命令する?」

「胸の台座から、頭の中まで繋がってる紐、この紐がおれの思考や言葉を読み取って精霊にわかる波動として変換してくれる。そこのところの詳しい仕組みはおれでも知らない機密事項だ。おそらく神話時代の技術だと思うぜ」

実を言うと、この精霊術用の核や胸に埋め込む器具はすでに製造技術が失われている。
貴族たちは神話時代から現在まで残っている遺物を昔からのやり方で使っているだけなのだ。
幸い、神話時代の頃が一番純粋な人間は多かったようで、使った形跡のない遺物が殻都の奥底には大量に眠っている。
貴族たちが頑なに殻都の中心から退こうとしないのは遺物を隠し続けるため、というのもある。
おかげで、おれみたいな貴族のはみ出しものでも精霊術を使えるように“改造”してもらえるというわけだ。
ケイジュは包帯の巻かれた手を顎に当て、眉をしかめている。
しばらく沈黙が続き、頭の整理が終わったらしいケイジュが口を開く。

「……仕組みについてはなんとなくだが理解できた気がする。魔法と精霊術では、他にどんな相違がある?」

「精霊術の長所は、消費する魔力に対して生み出せる火力が大きいことだ。核に蓄えておける魔力が多いということもあるが、さっきの雷みたいな、上級魔法レベルの現象を精霊術なら連発できる。自動二輪車があんなに長時間動かせるのも、精霊術の燃費がいいからだ」

「なるほど」

「短所は、魔法みたいに繊細な操作が出来ないことだな。精霊たちに命令できるのは、ここで一番でかい生き物に雷を落とせ、とか、目の前の生き物を燃やせ、とか、単純なことだけだ。しかも、威力を抑えたりすることが出来ない。滝のように水を生み出すことは出来ても、コップに水を満たすだけなんてことはできない。とにかく派手な現象を起こすことしか出来ないんだ。傷を癒やしたり、身体を強化したりも命令が複雑になりすぎるから使えない。自動二輪車みたいに精霊術専用の道具を作れば、繊細な操作も可能だが……開発資金にも限界あるし、生活魔法みたいに気安くは使えないな」

「歩く大砲みたいなものか」

ケイジュの例えが言い得て妙だったのでおれは笑った。

「そうそう。だから、精霊術はいざというときの脅しにしか使えなかったんだ」

「セオドアが無鉄砲なのもその力があったせいか」

「……どれだけ威力の高い大砲を持っていても、無敵じゃないっていうのは最近思い知ったよ」

ケイジュはおれの言葉に、ならばよし、とでも言うように薄く微笑んだ。

「とはいえ、精霊術が強力な切り札であることはわかった。そろそろ胸を隠しておけ。もうすぐ魔法の効果が切れる」

おれは核を胸にはめ込んで、服のボタンをしっかりとめる。
しかし、ケイジュの視線が痛い。
そこまで監視しなくても、ちゃんと服ぐらい着られるんだけどなあ。

「ケイジュ、あのさ、ケイジュはおれが純粋な人間だってこと一生懸命隠そうとしてくれてるけど、多少バレてもおれは平気だぜ?貴族を恨む亜人は多いだろうけど、おれも全く戦えないわけじゃないんだし……」

「その考えは甘いぞセオドア。おれやセオドアよりも腕の立つ奴に襲われたらどうする。それに、恨んで襲ってくるならまだわかりやすいが、お前の立場や能力を利用したいと考えるやつはごまんといるはずだ。魔法使いにしてみたら、その核は喉から手が出るほどの逸品だぞ。その台座ごと奪えば、核から魔力を引き出せるんだろう?」

「はは、それは無理だ。胸に埋め込んである器具には自爆機能がついてる。無理やり取り外そうとすればおれごとドカンだ」

おれがそう言った瞬間、ケイジュの眉がつり上がった。おれは焦って言葉を続ける。

「いや、うっかり触ったぐらいじゃ爆発したりしないぜ?無理やり引っ張ったりして台座の底の部分が肉体から離れたらその瞬間に爆発するんだ」

ケイジュの表情がますます険しくなって、おれはたじろいだ。
何がケイジュの逆鱗に触れたのかわからないので、とりあえず思いつくままに言葉を並べ立てる。

「精霊術の秘密を貴族以外に知られないようにっていう防御機能だな。それに、貴族を害した奴も巻き込まれて死ぬんだから、ますます貴族を襲おうなんて考えるやつも少なくなるだろうし、完全に無駄な機能ってわけじゃ……ないと……思う……」

おれはついに言葉を失って、怒りを押し殺しているような表情のケイジュに詰め寄られた。

「……セオドア……自分の命を軽んじるのはやめてくれ」

ケイジュの両手がおれの肩に伸ばされる。
ずっしりと重く、温かい手のひらが、ぐっとおれの肩を掴んだ。

「ちがう、おれは別に、死にたいわけじゃ、」

おれが首を振っても、ケイジュはおれから目を離さなかった。
おれはようやく、ケイジュの目が怒りではなく、悲しみに満ちていることに気付く。
月の光を映しこんだ瞳は、不安定に揺れていた。

「ああ、わかっている。だが、自分の意志ではなく、ただの物に生死を左右されるとわかっていて、それを受け入れているのは、自分の命を諦めているように思える。後腐れなく死ねるのだから、いつ死んでも構わない、とな」

おれはそう言われてとっさに違うと言い返せなかった。脳裏に浮かぶのは鮮烈な赤色。
“貴族として”素晴らしい最期だったと、誰もが称賛していた。
おれはあんなふうに死ぬのは嫌だと、逃げてきたはずだったのに。
いつの間にか、縋っていたのか。
血の気が引いていく感覚がして、ぐらりと視界が歪む。
しかし、おれの体はケイジュの両手によってしっかりと現世に繋ぎ止められていた。

「セオドア、お前がどんな生き方をしようと、どんな死に様を迎えようと、おれは否定しないつもりだった。だが、もう無理だ……言わせてくれ……せめて、おれが側にいるときは、いつ死んでも構わないなんて馬鹿げた考えはやめろ。生にしがみついていてくれ」

ケイジュの手から熱が伝わってくる。
昏い思考の淀みにまっすぐに染み込んできたその熱をたぐり寄せ、おれはいつの間にか閉じていた目を開ける。
ケイジュの余裕のない必死な表情が目に入って、おれは唇をきつく噛み締めた。
感情がごちゃまぜになっていて、苦しい。
せめて、わかった、と答えなければと思っているのに、思ったように舌が動かない。
ケイジュは一度うつむいて、ふー、と長く息を吐き出したあと、さっきよりも小さく静かな声で言った。

「……大げさかもしれないが、おれは、セオドアのことを得難い友人だと思っている……おれの後ろじゃなく、おれの横を歩いてくれる、唯一の友人だ……だから、頼む。自分を大事にしてくれ」

おれは息を止めて、その言葉に聞き入っていた。
脳裏をよぎった鮮紅はもう思い出せない。千千に乱れていた感情も、嬉しい、という一点に収束した。
おれは強張っていた背中の力をため息とともに逃して、口を開いた。

「……ありがとう……おれにとっても、ケイジュは大事な人だ。一緒に世界の全部を見て回るためにも、意地でも生き抜くさ」

おれの言葉で、ようやくケイジュの表情が和らいだ。
目尻が下がり、唇が柔らかい弧を描く。
月の蒼い光に照らされてより冷たく見えるはずの顔が、胸を締め付けるくらい優しげに微笑んでいる。
おれはその顔を見て、ああよかった、と心底安心するとともに、ああ、すきだな、と当たり前のように思った。



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