上 下
3 / 7

第三話

しおりを挟む
 女性と見紛うような艶美な長い黒髪に、顔立ちはきわめて中性的でありながら、凡俗の身など容易く射抜かんばかりに鋭い緑の瞳。

 突如現れた一人の貴公子へ、私だけでなく周囲の視線が集まる。シルク混じりの燕尾服はスリムな体型によく似合い、懐中時計の金の鎖がよく映える。年齢は二十代から三十代くらいだろうか、それにしては威厳のある振る舞いに違和感がない。

 彼はアシンメトリーに切り揃えた前髪をかきあげ、アンソニーの前に堂々とやってきて、真正面に見据えた。少しばかり身長の高い彼に対し、アンソニーはせっかくの余興が中断されて面白くないという子どもじみた顔をあらわにする。

 すると、彼はスッと私とアンソニーの組んでいる腕を指差した。

「貴殿は婚約したくもない女性と腕を組むのかね? 彼女にも迷惑だろう、離してやりたまえよ」

 その指摘を、アンソニーはよほど不服に思ったのだろう。それか、挑発と受け取ったに違いない。

 私の腕をぐいとわざと引き寄せて、小馬鹿にした口調で応じる。

「ご忠告どうもありがとう。しかし、余計なお世話だ。チェリーが俺の婚約者であることは変えようのない事実、決してあなたの迷惑にはならないだろうさ」
「ふむ、すでにかけた迷惑に対して、あまりの不誠実ぶりだな。スネルソン伯爵家のご令息たるもの、いささか不用心ではないかね?」

 即座に返ってきたさらなる煽りに、アンソニーの顔が一気に険しくなった。そばで見ている私は、ただただその怒りが私へ向かないことを祈るしかなく、足が震えるほど恐ろしかった。

 貴公子はそんなことなどお構いなしに、私へ顔を向けた。アンソニーを半ば無視して、さらりとこんなことを言う。

「チェリーシャ嬢、あなたの婚約者を少々お借りしてもよろしいか?」

 私は驚いた。チェリーではなく、チェリーシャと私の正しい名前をなぜこの貴公子が知っているのだろう、と。戸惑う私は、答えを先延ばしする意味でも、質問に質問を返すことが不調法だと知っていながらそれを尋ねる。

「え……あ、その、なぜ私の名前を」
「舞踏会の出席者の名はすべて記憶しているので」

 当然とばかりに、あまりにもあっさりとした答えだった。数百人はいる舞踏会の出席者の名前を、それも私の名前なんてどうせアンソニーの付き添い程度に「チェリー」としか書かれていなかっただろうに、把握しているなんて。

 驚きにより言葉にならない私を、ついに苛立ったアンソニーが腕を外して後ろに押しやり、貴公子の前に立ち塞がろうとした。

「ふん、俺に用件があるならここで言えばどうだ。なぜチェリーに伺う?」
「それはもちろん、貴殿の意思はどうでもいいからだ」
「何だと」

 無益にも思える挑発と応答、今にもアンソニーが掴みかからんとする緊迫した空気。

 それを打ち破り、流れを決定的に変えたのは、その場にいた男性たちではなく、一人の老婆の声だった。

「お前があまりにも不愉快だからだよ、坊や」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大切な幼馴染をいじめたのは私だったようです

マルローネ
恋愛
侯爵令息のウリエルは自分の大切な幼馴染をいじめたとして 婚約者のマリナに迫った。そして、婚約破棄を言い渡すのだが……。

子爵令息だからと馬鹿にした元婚約者は最低です。私の新しい婚約者は彼ではありませんよ?

マルローネ
恋愛
伯爵令嬢のカミーユ・シャスカは婚約者であり、侯爵のクロッセ・エンブリオに婚約破棄されてしまう。 カミーユには幼馴染で王子殿下であるマークス・トルドイが居た。彼女は彼と婚約することになる。 マークスは子爵令息のゼラン・コルカストを常に付き人として同行させていた。それだけ信頼のある人物だということだ。 カミーユはマークスと出会う為の日時調整などで、ゼランと一緒に居ることが増えていき…… 現場を目撃したクロッセは新しい婚約者はゼランであると勘違いするのだった。

婚約破棄? では私は王子殿下と再婚約しますね

マルローネ
恋愛
伯爵令嬢のランゼは侯爵令息のグランドと婚約をしていたが破棄されてしまう。 こちらの反論は全く聞いてくれない身勝手なものだったが、ランゼには幼馴染の王子殿下がいたのだ。 彼との仲が深まっていき……グランドは嫉妬していくが……。

婚約破棄して支援は継続? 無理ですよ

四季
恋愛
領地持ちかつ長い歴史を持つ家の一人娘であるコルネリア・ガレットは、婚約者レインに呼び出されて……。

素敵なものは全て妹が奪っていった。婚約者にも見捨てられた姉は、「ふざけないで!」と叫び、家族を捨てた。

あお
恋愛
「お姉様、また新しいアクセサリーを貰ったのね。ずるいわ。私にちょうだい」 「ダメよ。これは婚約者のロブに貰ったものなの。あげられないわ」 「なんて意地悪なの! ロブだって私に使って貰った方が喜ぶわよ。早くちょうだい」  ダメだと重ねていったが、アクセサリーは妹のエミリーにひったくられてしまった。 「ふふ。綺麗。ねぇ、素敵でしょう」  そしてエミリーは戦利品を首にかけ、じっとりとした目でこちらを見てくる。  婚約者からもらったものだ。できることなら取り返したいが、エミリーが金切り声をあげて両親に訴えれば両親はエミリーの味方をするだろう。 「ロザリー、あなたは姉なのだから、妹に譲ってあげなさい、と」  それでも取り返すべきかと躊躇したが、お披露目して満足したのかエミリーはパタパタと足音をたてて去って行った。  プレゼントされたばかりのアクセサリーを次のデートにつけていかなければ、またロブの機嫌が悪くなるだろう。  困ったものだ。  どうせエミリーにとられてしまうのだから、プレゼントなどくれなければいいのに。  幼なじみのロブは、エミリーが姉のものならなんでも欲しがることを知っている。それでも折々に洒落た小物をプレゼントしてくれた。「僕がプレゼントをしたいだけだから」と。  エミリーにとられる前に、二人でプレゼントを眺め、そっと笑い合う。婚約したばかりの頃は、そんな穏やかな空気が二人の間に流れていた。  だが近頃は、妹にやられっぱなしのロザリーをふがいなく思っているのか、贈られたプレゼントをロザリーがデートにつけていかないと、小さなため息を吐くようになっていた。 「ロザリー、君の事情はわかるけど、もう成人するんだ。いい加減、自立したらどうだ。結婚してからも同じようにエミリーに与え続けるつもりかい」 婚約者にも責められ、次第にロザリーは追い詰められていく。 そんなロザリーの生活は、呆気なく崩れ去る。 エミリーの婚約者の家が没落した。それに伴い婚約はなくなり、ロザリーの婚約者はエミリーのものになった。 「ふざけないで!」 全てを妹に奪われたロザリーは、今度は全てを捨てる事にした。

馬鹿王子にはもう我慢できません! 婚約破棄される前にこちらから婚約破棄を突きつけます

白桃
恋愛
子爵令嬢のメアリーの元に届けられた婚約者の第三王子ポールからの手紙。 そこには毎回毎回勝手に遊び回って自分一人が楽しんでいる報告と、メアリーを馬鹿にするような言葉が書きつられていた。 最初こそ我慢していた聖女のように優しいと誰もが口にする令嬢メアリーだったが、その堪忍袋の緒が遂に切れ、彼女は叫ぶのだった。 『あの馬鹿王子にこちらから婚約破棄を突きつけてさしあげますわ!!!』

婚約破棄ですか? では、最後に一言申しあげます。

にのまえ
恋愛
今宵の舞踏会で婚約破棄を言い渡されました。

貴方のことをお慕いしておりましたが、もう無理です。婚約解消して下さい!

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 メグリーン・ワールドクラース伯爵令嬢16歳 ザプライの婚約者。 サプライ・エスキース公爵令息18歳メグリーンの婚約者。 ゴーギャン・サーズル公爵令息18歳サプライの友達。 マリア平民の女性19歳サプライと買い物をしてプレゼントされていた? 登場人物紹介 メグリーン・ワールドクラース伯爵令嬢16歳 ザプライの婚約者。 サプライ・エスキース公爵令息18歳メグリーンの婚約者。 ゴーギャン・サーズル公爵令息18歳サプライの友達。 マリア平民の女性19歳サプライと買い物をしてプレゼントされていた? **** 12歳で婚約しましたが私の事、嫌いなんですね早く言ってくれたら婚約解消しましょう。 僕たちは1年前君から解消してくれと言われて婚約解消してるよ。 あら、私何故か覚えていないわ・・・。

処理中です...