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パルカの場合
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特に気にしたことはなかったのですが、私、エルズベルク子爵家の娘パルカ・クレヴァリーは縁起の悪い女らしいです。
らしい、というのは婚約者のゲインズボロー侯爵家の次男ヴィンセント・マーヴィンからそう言われたからなのですが——ううん、どうなんでしょう。とにかく、ヴィンセントはガーデンパーティの席でこう言いました。
「ごめん、無理。だってお前、気味悪すぎるんだよ。お前と出会ってからずっと不気味なんだ。妙に僕に都合のいいことばかり起きる、そのくせお前は不幸なことばかり起きて、なのに笑ってる。お前みたいな女と結婚なんて、とてもじゃないが受け入れられない。縁起が悪いんだ。悪いけど、婚約、破棄させてもらうよ」
私はそれに対し、「はあ」としか言えませんでした。心当たりがないので、何とも言えません。
ヴィンセントさえ幸せなら、私が不幸でもいいのではないでしょうか。それに、私は別に不幸ではありませんし。確かに先年母が亡くなったり、エルズベルク子爵家の領地では天災が相次いだり、屋敷に強盗が入ったりしました。しかし、母は長患いをしていましたし、天災はどうしようもありませんし、強盗に入られても誰も怪我をしませんでした。ならいいのではないか、父もそう言っていましたから、私もそれでいいのだと思っていました。
とはいえ、このウルス王国はとても縁起を担ぐきらいのある国で、国王だって神殿でそういう予言の神託を得ると逆らわないほどです。縁起が悪い女と言われると、とても忌避されます。婚約破棄もやむを得ないと考えられてしまうでしょう。
私はしょんぼりして、ヴィンセントに置いていかれたガーデンパーティから辞去して、屋敷に戻りました。すでにヴィンセントとその父ゲインズボロー侯爵から正式な書状が届いていて、私の父は婚約破棄されたことを知っていました。
「この手際のよさ、言い分。どう考えても難癖だが……致し方あるまい」
「そうですね。ヴィンセント様はいい方でしたけれど、私とは相性が合わなかったようです。申し訳ありません、お父様」
「気にするな。それよりも」
憔悴している父は、私を気遣いつつも、さらに悪い知らせを私へ告げます。
「すでにゲインズボロー侯爵は王に話を持っていったらしい」
「陛下に? なぜです?」
「婚約破棄の主張の後ろ盾にしたのだ。お前が縁起の悪い女で、侯爵家は王のお気に入り。侯爵家にお前を入れるなど許さぬ、という形にされた」
さすがにそれは、私も呆れました。
婚約破棄は不名誉なことです。するほうもされるほうも、互いに家同士の契約を破棄するのですから、よくは思われません。
でも、それを一方的に私のせいにして——それだけならよかったのですが——婚約破棄に正当性を持たせるためにウルス王国国王まで巻き込むというのは、やりすぎだと思うのです。
しかし、ヴィンセントとゲインズボロー侯爵ならやりかねません。気に入らない相手を徹底的に痛めつけるところがありました。どうも私もそうされていたようなのですが——正直、あまり憶えていません。ヴィンセントが幸せならそれでよかったので、気にならなかったのです。
だから、このことも父に言い出せずにいました。それが悪かったのだと、私はさらに落ち込みつつも、今となっては遅くなった話を父へ聞かせます。
「お父様。ヴィンセント様は、エルウィレン伯爵家令嬢イグレーヌ様と恋仲だったようです」
「何!?」
「私は黙っていましたが……ヴィンセント様がイグレーヌ様とこっそりお付き合いをされてから、幸せそうでしたから。まさか、私から破局を言い出すこともできず」
それは家同士の力が釣り合わなかったせいもあります。子爵家の娘が侯爵家の次男へ何を言えるでしょう。浮気を許すしかなかった、それは事実です。
でも、だからと言って今更ヴィンセントを責めても、しらばっくれられるだけです。いえ、いつ言ってもそうなったでしょう。破局が早まっただけです。なぜか流れはヴィンセントへ向いているのですから、多分どうにもならなかったでしょう。
こうなっては、父も頭を掻きむしって、テーブルを拳の底で叩きました。
「お前もつらかっただろうに。ええい、こうしてはおれん! パルカ、おそらく王と侯爵はエルズブルグ子爵家を敵視している。己の名誉のために、婚約破棄の大義名分を得ようとしているはずだ。最悪、難癖の果てに取り潰しに遭うかもしれん」
そこまでのことは、と言いかけて、私は思わず得心がいきました。ヴィンセントならやりかねない、私へ『縁起の悪い女』というレッテルまで貼って、世間からも非難を浴びさせるよう仕向けようとするほどです。この先、もっとひどい嫌がらせをしてくることは確実で、父の言うようにエルズベルグ子爵家を取り潰させることさえ躊躇わないでしょう。
私は、もう、手立てはないのだと、絶望しました。
好いてもらえなかった、ただそれだけで、ここまでなるものでしょうか。
涙が溢れてきます。私が不気味な『縁起の悪い女』だったばかりに、父に申し訳が立ちません。
ところが、父はとんでもないことを私へ言いつけました。
「そこでだ。お前は、実の両親に会いにいけ。そちらに匿ってもらうんだ」
そう言われた瞬間、私は息を呑んで、思考が止まりました。
父が言うに、私は昔、父が戦争で遠征した先で拾った子供なのだそうです。
それだけでも、落ち込みきった私をさらに絶望させるには十分だったのですが、父はそれを許さず、私の肩を掴みながら震える声でこう言いました。
「いいか。東の山を越えた先にある白い森に、泉がある。そこにお前の実の母はいた。怪我をしていたが、私にお前を託してどこかへ去った。聞けば、お前の実の父はそのとき遠方にいて、とても連絡を取れなかったそうだ。だから私へ託し、いずれこのことを話すように言い残した」
何とか、私は頭を回転させて、父の話を飲み込みます。
とにかく、私には実の両親がいて、助けてもらえるかもしれない。
「ここはもうお前にとって安全な場所ではない。だが、そちらならまだ何とかなるかもしれない。お前は母とそっくりだし、近くに知り合いや親族もいるだろう。私がしてやれることは、知人に頼んで旅の道のりを整えることと、このくらいしかないが」
そう言って、父は金庫から渡せるだけの金貨や銀貨を包んでくれました。
私はそれを受け取り、涙を堪えて、父と抱き合います。
「十分すぎます、お父様。今まで、ありがとうございました」
こうして、私はウルズ王国から出奔することになりました。
でも、よく分からないことに、運命は気まぐれに回るものだったようなのです。
父に紹介された知人というのは——何と、この国の国王の弟、オルトシアス殿下だったのです。どうやら、先の戦争で父は殿下をお守りしたらしく、それ以来の縁だとか。しかし殿下もそれほど政治的な権力を持たないため、国王に意見することまではできないでしょう。それでもヴィンセントたちの横槍を防いでくださるのですから、ありがたいことです。
闇夜に紛れての逃避行となって、私はわざわざ見送りに来てくれたオルトシアス殿下に挨拶しました。三十を過ぎ、戦争に駆り出されてばかりで『戦放蕩』とさえ呼ばれて独身の殿下は、想像よりもずっと紳士でした。
「パルカ嬢、守りきれなくてすまない。だが、諦める必要はない。運命は変わる。私たちも努力は続けてみよう、それまでどうか」
そこまで言っていただけたなら、私も心強いです。
私は一礼をして、速やかに王都から脱出しました。
一週間、私は馬車を乗り継ぎ、歩いて東の白い森に辿り着きました。
白い木ばかりの鬱蒼とした大きな森です。付近の人間は気味が悪くて近づかず、化け物や幽霊がいるという話さえ耳にしました。でも、この森の中にある泉に、私の実の母はいたようなのです。
私は、意を決して、足を踏み入れました。どのみち、帰る場所はないのですから、進むしかありません。
動物一匹たりともいない不思議な白い森を進むと、奇妙な感じがしました。距離感がおかしいのです。進んできた道もなくなったように思えました。ぐるぐる同じところを回っている気もします。
白い木ばかりで、何の目印もないところだからでしょうか。それでも、私は進みます。
「泉……白い森にある泉に、行かなくちゃ」
口を突いて出たつぶやきでした。疲れていて、目的を口にしないと意識が保てないくらいでした。
しかし、それが功を奏したようなのです。
いつの間にか、私の目の前に森が開けて、泉が現れました。
驚きを隠せない私を、さらに不思議なことに、現れた若い女性たちが取り囲みます。皆、一様にシンプルな白のワンピースとローブを着て、白い肌に黒い髪、飴色の目をしていて、私と同じです。そういえば、どことなく顔も似ている気がします。もしかして、実の母の親戚でしょうか。
「あの……生き別れた母を探しているのですが、ご存じないでしょうか。私はエルズベルク子爵家のパルカ・クレヴァリーと申します」
すると、しげしげと私を見ていた一人の女性が、声を上げます。
「もしかして、あの子の娘かしら」
周囲の女性たちも、互いに見合って頷き、どうやら同意を得たようです。最初の一人が、私へこう告げました。
「うん、間違いない。えっと、あなたのお母様エゲリアはもういないの」
エゲリア。それが私の実の母の名前のようです。
しかし、もういない。怪我をしていたということですから、そうではないかという思いもありました。外れていてくれればと思っていましたが、残念ながらそうはいかなかったようです。
「そうですか……何となく、分かっていました。ということは、父ももういないのでしょうね」
そんな私の言葉は、なぜかあっさりと否定されます。
「あ、ううん! あなたのお父様は健在よ、というかあの方はこの世が終わるまでご存命だと思うわ」
「ど、どういう意味でしょう?」
私の実の父はそこまで元気な方なのでしょうか。想像できません。
混乱する私へ、女性たちはどっとひとしきり笑ってから、楽しげに真実を告げます。
「だってあなた、時と運命の神クロノスの娘だもの。あなたの母は予言を司る泉の妖精。その双方の性質を受け継いでいるはずだから、あなただって運命の女神の一人よ? そうだ、確かあれがあったはず。持ってきて!」
快諾した女性の一人が、白い森の奥へ走っていきました。すぐに戻ってきて、その手には丸い真鍮製の——懐中時計が収められています。
何が何だか分からない私へ、女性たちはその懐中時計を握らせました。
微笑む女性は、だんだんとその姿が薄けて、透明になっていきます。
「これは『時の計り』。あなたに託された、運命を変えるアイテムよ」
そう言って、女性たちは消えました。
後に残されたのは私と懐中時計『時の計り』だけで、でもそれだけで、私には十分だと確信を得ました。
運命は、変わったのです。
私はウルズ王国に戻りました。
帰り道は順風満帆、あっという間に私は屋敷に戻って、忙しそうにしている父と再会しました。
「パルカ! ああよかった、まるで状況が変わったのだ! うちは何のお咎めもなしだ! それに、神殿で神託が下りて、国王からお前を丁重に連れてくるようにとさえ言われた!」
「はい。それなら、行きましょう。多分、大丈夫です、お父様」
私は胸を張り、『時の計り』を握りしめて父とともに王宮へ向かいました。
王宮の大広間にいたのは——難しい顔の国王と、晴れやかな顔のオルトシアス王弟殿下、そして居心地の悪そうなヴィンセントとゲインズボロー侯爵です。
国王曰く——話が長いので要約しますと、ウルズ王国を守護する運命の神から神託が下りて、私を重宝するようにと申しつけられたそうです。それで私を疎んでいた態度が一変、国王は私を呼び戻そうとします。私を追い払う原因となったヴィンセントとゲインズボロー侯爵は、婚約破棄自体が結果的に神意に背くものだったということで、国王に相当咎められて今は私の意思一つでどうとでもできる状態とのことです。
一気に私へ傾いた運命は、どうしたものかと私もちょっと困惑します。
でも、言うべきことは大体分かっています。
「国王陛下。婚約破棄はかまいません、私はもうヴィンセントと結婚しません。処罰は取り潰しでも何でも、陛下の思うようになさってください。なので、代わりの方を……えっと、希望があるのですが」
「そうか、誰と結婚したい? できうるかぎり、叶えよう!」
「そうですね、お世話になりましたし、オルトシアス殿下のもとに嫁ぎたいと思います。とてもかっこいいお方ですし、父の見知った方ですから私を蔑ろにしたりしないと思いますし」
晴れやかな顔をしていたオルトシアス殿下がそれを聞いた途端吹き出し、とても驚いていました。
多分、私はあの夜、殿下に一目惚れをしていたのだと思います。でも逃げることが第一、それに私ごときでは王弟殿下には釣り合わないと思っていました。
なので、今なら言えます。『時の計り』のおかげで、私が幸せになるその運命が巡ってきていると、私は確信しています。自信を持って、勇気を出して、告白です。
「殿下、私と結婚してくださいますか?」
殿下は非常に照れておられましたが、「喜んで、お嬢様」と言ってくださいました。
こうして、私は運命の巡りが変わったことで、好転した人生(神生?)を歩むことになるのですが——『時の計り』は、しばらくは引き出しに入れてしまっておきました。
願わくば、もう運命が変わってしまわないように。
らしい、というのは婚約者のゲインズボロー侯爵家の次男ヴィンセント・マーヴィンからそう言われたからなのですが——ううん、どうなんでしょう。とにかく、ヴィンセントはガーデンパーティの席でこう言いました。
「ごめん、無理。だってお前、気味悪すぎるんだよ。お前と出会ってからずっと不気味なんだ。妙に僕に都合のいいことばかり起きる、そのくせお前は不幸なことばかり起きて、なのに笑ってる。お前みたいな女と結婚なんて、とてもじゃないが受け入れられない。縁起が悪いんだ。悪いけど、婚約、破棄させてもらうよ」
私はそれに対し、「はあ」としか言えませんでした。心当たりがないので、何とも言えません。
ヴィンセントさえ幸せなら、私が不幸でもいいのではないでしょうか。それに、私は別に不幸ではありませんし。確かに先年母が亡くなったり、エルズベルク子爵家の領地では天災が相次いだり、屋敷に強盗が入ったりしました。しかし、母は長患いをしていましたし、天災はどうしようもありませんし、強盗に入られても誰も怪我をしませんでした。ならいいのではないか、父もそう言っていましたから、私もそれでいいのだと思っていました。
とはいえ、このウルス王国はとても縁起を担ぐきらいのある国で、国王だって神殿でそういう予言の神託を得ると逆らわないほどです。縁起が悪い女と言われると、とても忌避されます。婚約破棄もやむを得ないと考えられてしまうでしょう。
私はしょんぼりして、ヴィンセントに置いていかれたガーデンパーティから辞去して、屋敷に戻りました。すでにヴィンセントとその父ゲインズボロー侯爵から正式な書状が届いていて、私の父は婚約破棄されたことを知っていました。
「この手際のよさ、言い分。どう考えても難癖だが……致し方あるまい」
「そうですね。ヴィンセント様はいい方でしたけれど、私とは相性が合わなかったようです。申し訳ありません、お父様」
「気にするな。それよりも」
憔悴している父は、私を気遣いつつも、さらに悪い知らせを私へ告げます。
「すでにゲインズボロー侯爵は王に話を持っていったらしい」
「陛下に? なぜです?」
「婚約破棄の主張の後ろ盾にしたのだ。お前が縁起の悪い女で、侯爵家は王のお気に入り。侯爵家にお前を入れるなど許さぬ、という形にされた」
さすがにそれは、私も呆れました。
婚約破棄は不名誉なことです。するほうもされるほうも、互いに家同士の契約を破棄するのですから、よくは思われません。
でも、それを一方的に私のせいにして——それだけならよかったのですが——婚約破棄に正当性を持たせるためにウルス王国国王まで巻き込むというのは、やりすぎだと思うのです。
しかし、ヴィンセントとゲインズボロー侯爵ならやりかねません。気に入らない相手を徹底的に痛めつけるところがありました。どうも私もそうされていたようなのですが——正直、あまり憶えていません。ヴィンセントが幸せならそれでよかったので、気にならなかったのです。
だから、このことも父に言い出せずにいました。それが悪かったのだと、私はさらに落ち込みつつも、今となっては遅くなった話を父へ聞かせます。
「お父様。ヴィンセント様は、エルウィレン伯爵家令嬢イグレーヌ様と恋仲だったようです」
「何!?」
「私は黙っていましたが……ヴィンセント様がイグレーヌ様とこっそりお付き合いをされてから、幸せそうでしたから。まさか、私から破局を言い出すこともできず」
それは家同士の力が釣り合わなかったせいもあります。子爵家の娘が侯爵家の次男へ何を言えるでしょう。浮気を許すしかなかった、それは事実です。
でも、だからと言って今更ヴィンセントを責めても、しらばっくれられるだけです。いえ、いつ言ってもそうなったでしょう。破局が早まっただけです。なぜか流れはヴィンセントへ向いているのですから、多分どうにもならなかったでしょう。
こうなっては、父も頭を掻きむしって、テーブルを拳の底で叩きました。
「お前もつらかっただろうに。ええい、こうしてはおれん! パルカ、おそらく王と侯爵はエルズブルグ子爵家を敵視している。己の名誉のために、婚約破棄の大義名分を得ようとしているはずだ。最悪、難癖の果てに取り潰しに遭うかもしれん」
そこまでのことは、と言いかけて、私は思わず得心がいきました。ヴィンセントならやりかねない、私へ『縁起の悪い女』というレッテルまで貼って、世間からも非難を浴びさせるよう仕向けようとするほどです。この先、もっとひどい嫌がらせをしてくることは確実で、父の言うようにエルズベルグ子爵家を取り潰させることさえ躊躇わないでしょう。
私は、もう、手立てはないのだと、絶望しました。
好いてもらえなかった、ただそれだけで、ここまでなるものでしょうか。
涙が溢れてきます。私が不気味な『縁起の悪い女』だったばかりに、父に申し訳が立ちません。
ところが、父はとんでもないことを私へ言いつけました。
「そこでだ。お前は、実の両親に会いにいけ。そちらに匿ってもらうんだ」
そう言われた瞬間、私は息を呑んで、思考が止まりました。
父が言うに、私は昔、父が戦争で遠征した先で拾った子供なのだそうです。
それだけでも、落ち込みきった私をさらに絶望させるには十分だったのですが、父はそれを許さず、私の肩を掴みながら震える声でこう言いました。
「いいか。東の山を越えた先にある白い森に、泉がある。そこにお前の実の母はいた。怪我をしていたが、私にお前を託してどこかへ去った。聞けば、お前の実の父はそのとき遠方にいて、とても連絡を取れなかったそうだ。だから私へ託し、いずれこのことを話すように言い残した」
何とか、私は頭を回転させて、父の話を飲み込みます。
とにかく、私には実の両親がいて、助けてもらえるかもしれない。
「ここはもうお前にとって安全な場所ではない。だが、そちらならまだ何とかなるかもしれない。お前は母とそっくりだし、近くに知り合いや親族もいるだろう。私がしてやれることは、知人に頼んで旅の道のりを整えることと、このくらいしかないが」
そう言って、父は金庫から渡せるだけの金貨や銀貨を包んでくれました。
私はそれを受け取り、涙を堪えて、父と抱き合います。
「十分すぎます、お父様。今まで、ありがとうございました」
こうして、私はウルズ王国から出奔することになりました。
でも、よく分からないことに、運命は気まぐれに回るものだったようなのです。
父に紹介された知人というのは——何と、この国の国王の弟、オルトシアス殿下だったのです。どうやら、先の戦争で父は殿下をお守りしたらしく、それ以来の縁だとか。しかし殿下もそれほど政治的な権力を持たないため、国王に意見することまではできないでしょう。それでもヴィンセントたちの横槍を防いでくださるのですから、ありがたいことです。
闇夜に紛れての逃避行となって、私はわざわざ見送りに来てくれたオルトシアス殿下に挨拶しました。三十を過ぎ、戦争に駆り出されてばかりで『戦放蕩』とさえ呼ばれて独身の殿下は、想像よりもずっと紳士でした。
「パルカ嬢、守りきれなくてすまない。だが、諦める必要はない。運命は変わる。私たちも努力は続けてみよう、それまでどうか」
そこまで言っていただけたなら、私も心強いです。
私は一礼をして、速やかに王都から脱出しました。
一週間、私は馬車を乗り継ぎ、歩いて東の白い森に辿り着きました。
白い木ばかりの鬱蒼とした大きな森です。付近の人間は気味が悪くて近づかず、化け物や幽霊がいるという話さえ耳にしました。でも、この森の中にある泉に、私の実の母はいたようなのです。
私は、意を決して、足を踏み入れました。どのみち、帰る場所はないのですから、進むしかありません。
動物一匹たりともいない不思議な白い森を進むと、奇妙な感じがしました。距離感がおかしいのです。進んできた道もなくなったように思えました。ぐるぐる同じところを回っている気もします。
白い木ばかりで、何の目印もないところだからでしょうか。それでも、私は進みます。
「泉……白い森にある泉に、行かなくちゃ」
口を突いて出たつぶやきでした。疲れていて、目的を口にしないと意識が保てないくらいでした。
しかし、それが功を奏したようなのです。
いつの間にか、私の目の前に森が開けて、泉が現れました。
驚きを隠せない私を、さらに不思議なことに、現れた若い女性たちが取り囲みます。皆、一様にシンプルな白のワンピースとローブを着て、白い肌に黒い髪、飴色の目をしていて、私と同じです。そういえば、どことなく顔も似ている気がします。もしかして、実の母の親戚でしょうか。
「あの……生き別れた母を探しているのですが、ご存じないでしょうか。私はエルズベルク子爵家のパルカ・クレヴァリーと申します」
すると、しげしげと私を見ていた一人の女性が、声を上げます。
「もしかして、あの子の娘かしら」
周囲の女性たちも、互いに見合って頷き、どうやら同意を得たようです。最初の一人が、私へこう告げました。
「うん、間違いない。えっと、あなたのお母様エゲリアはもういないの」
エゲリア。それが私の実の母の名前のようです。
しかし、もういない。怪我をしていたということですから、そうではないかという思いもありました。外れていてくれればと思っていましたが、残念ながらそうはいかなかったようです。
「そうですか……何となく、分かっていました。ということは、父ももういないのでしょうね」
そんな私の言葉は、なぜかあっさりと否定されます。
「あ、ううん! あなたのお父様は健在よ、というかあの方はこの世が終わるまでご存命だと思うわ」
「ど、どういう意味でしょう?」
私の実の父はそこまで元気な方なのでしょうか。想像できません。
混乱する私へ、女性たちはどっとひとしきり笑ってから、楽しげに真実を告げます。
「だってあなた、時と運命の神クロノスの娘だもの。あなたの母は予言を司る泉の妖精。その双方の性質を受け継いでいるはずだから、あなただって運命の女神の一人よ? そうだ、確かあれがあったはず。持ってきて!」
快諾した女性の一人が、白い森の奥へ走っていきました。すぐに戻ってきて、その手には丸い真鍮製の——懐中時計が収められています。
何が何だか分からない私へ、女性たちはその懐中時計を握らせました。
微笑む女性は、だんだんとその姿が薄けて、透明になっていきます。
「これは『時の計り』。あなたに託された、運命を変えるアイテムよ」
そう言って、女性たちは消えました。
後に残されたのは私と懐中時計『時の計り』だけで、でもそれだけで、私には十分だと確信を得ました。
運命は、変わったのです。
私はウルズ王国に戻りました。
帰り道は順風満帆、あっという間に私は屋敷に戻って、忙しそうにしている父と再会しました。
「パルカ! ああよかった、まるで状況が変わったのだ! うちは何のお咎めもなしだ! それに、神殿で神託が下りて、国王からお前を丁重に連れてくるようにとさえ言われた!」
「はい。それなら、行きましょう。多分、大丈夫です、お父様」
私は胸を張り、『時の計り』を握りしめて父とともに王宮へ向かいました。
王宮の大広間にいたのは——難しい顔の国王と、晴れやかな顔のオルトシアス王弟殿下、そして居心地の悪そうなヴィンセントとゲインズボロー侯爵です。
国王曰く——話が長いので要約しますと、ウルズ王国を守護する運命の神から神託が下りて、私を重宝するようにと申しつけられたそうです。それで私を疎んでいた態度が一変、国王は私を呼び戻そうとします。私を追い払う原因となったヴィンセントとゲインズボロー侯爵は、婚約破棄自体が結果的に神意に背くものだったということで、国王に相当咎められて今は私の意思一つでどうとでもできる状態とのことです。
一気に私へ傾いた運命は、どうしたものかと私もちょっと困惑します。
でも、言うべきことは大体分かっています。
「国王陛下。婚約破棄はかまいません、私はもうヴィンセントと結婚しません。処罰は取り潰しでも何でも、陛下の思うようになさってください。なので、代わりの方を……えっと、希望があるのですが」
「そうか、誰と結婚したい? できうるかぎり、叶えよう!」
「そうですね、お世話になりましたし、オルトシアス殿下のもとに嫁ぎたいと思います。とてもかっこいいお方ですし、父の見知った方ですから私を蔑ろにしたりしないと思いますし」
晴れやかな顔をしていたオルトシアス殿下がそれを聞いた途端吹き出し、とても驚いていました。
多分、私はあの夜、殿下に一目惚れをしていたのだと思います。でも逃げることが第一、それに私ごときでは王弟殿下には釣り合わないと思っていました。
なので、今なら言えます。『時の計り』のおかげで、私が幸せになるその運命が巡ってきていると、私は確信しています。自信を持って、勇気を出して、告白です。
「殿下、私と結婚してくださいますか?」
殿下は非常に照れておられましたが、「喜んで、お嬢様」と言ってくださいました。
こうして、私は運命の巡りが変わったことで、好転した人生(神生?)を歩むことになるのですが——『時の計り』は、しばらくは引き出しに入れてしまっておきました。
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