6 / 16
ユスティーナの場合
しおりを挟む
ヴィストルチル伯爵家令嬢ユスティーナ・ヴィストルチロヴァ。
拝啓、婚約を破棄します。敬具。
そんなふざけた手紙の差出人は、ユスティーナの婚約者だった。手紙を持ったまま、筋骨隆々のヴィストルチル伯爵はプルプル震えている。
その背後で、ユスティーナ——女性にしては少々高い背に、ストレートの金髪と緑色の瞳をした十七歳の令嬢——は、テヘッと舌を出してみたが、誰も見ていないことに気付くまでそれほど時間はかからなかった。
「ユスティ? これは、どういうことだ?」
「あー……多分ですけど」
「かまわん、言ってみろ」
「お相手に闘技場通いがバレたみたいですわ、お父様」
今度こそ、ちゃんとヴィストルチル伯爵へテヘッとしてみせたユスティーナは、自分の顔の横を投げ飛ばされていった手紙だった鋭利なものを見送り、「あぶなっ」と声を漏らした。
「……まあ、今更、過ぎたことをどうこう言っても仕方がない」
「でしょう?」
「しばらくの間、外出は禁止だ」
「いやですわ! せっかく、無理解な殿方から解放されたのですから、私は俗世を満喫いたしますわ! ごめんあそばせ!」
「おい、ユスティ!」
ユスティーナは屋敷の庭から駆け出していく。
残されたヴィストルチル伯爵は、大きな背中を丸めてため息を吐いていた。
そこへ——一人の青年がやってくる。
今日も今日とて外出し、意気揚々と屋敷へ帰ってきたユスティーナの前に現れたのは、見たこともない栗色の髪をした青年だった。
「初めまして、ユスティーナ嬢。私は」
「あっ、けっこうですわ。私、忙しいので」
「まあまあ、アルノシュト・ヴォジェニーレクです」
「いいですってば。お父様、帰りましたわー」
「ユスティ、ちょっと話を聞きなさい」
そんなやりとりののち、庭のテーブルに座らさせられたユスティは、ヴィストルチル伯爵と謎の青年アルノシュトを前に、居心地の悪い思いをしていた。
何せ、アルノシュトはじっとユスティーナを観察するように眺めている。失礼だと言おうものなら、ヴィストルチル伯爵からお叱りの言葉が来そうで言えない。
ヴィストルチル伯爵が口を開く。
「ユスティ。こちら、東方辺境伯アルノシュト・ヴォジェニーレク閣下だ。ご挨拶なさい」
「初めまして辺境伯閣下、それでは失礼いたしますわ」
「早い早い。ユスティ、閣下はお前に興味がおありだそうだ」
「私はありませんわ!」
「どうしても?」
「どうしても……まあ、好みではありませんから」
「こらこらユスティ」
「はっはっは! いや、ユスティーナ嬢、私はあなたに、大変興味があります」
「あら、そうですの」
「婚約破棄の話も先ほど聞きました。よければ、私と」
「婚約しろということなら、けっこうですわ」
そう言い切って、ユスティーナは部屋へ逃げていく。
その後ろ姿に、アルノシュトは叫んだ。
「すぐにとは言いません! でも、私はしつこいですよ!」
ユスティーナは立ち止まり、振り返って——小さく舌を出して、逃げ帰った。
その後、アルノシュトはしつこいという言葉どおり、毎日外出するユスティーナのあとへついてきた。ヴィストルチル伯爵と使用人一同がアルノシュトの味方についているのだから、ユスティーナの外出など筒抜けだ。
それでは、迂闊に好きな場所へ行けない。闘技場にも通えない。ユスティーナはアルノシュトを撒こうと試みたものの、やはりしつこい。たった三日で根負けしたユスティーナは、一計を案じる。
「辺境伯閣下、ちょっとお話ししませんこと?」
「いいですよ。あなたから話しかけてくれるなんて、今日はいい日だ」
「それは重畳。私、あなたと婚約したくありませんの」
「それはなぜです?」
「理由、お知りになりたい?」
「ええ、ぜひ」
「……分かりました。明日、一緒についてきていただきたいところがあります。そこでちょっと、冒険をしますので」
「冒険」
「ええ、冒険。危なくはありませんわ」
「そういうものですか。まあ、何にしてもあなたとのデートだ。喜んで行きましょう」
そうやって喜んでいられるのも今のうちだ、とユスティーナはほくそ笑む。
次の日、ユスティーナは軽装で、旅用鞄を手に屋敷の庭でアルノシュトを待っていた。アルノシュトはと言うと、冒険という言葉を信用していたらしく、ちゃんと都市の外へ出る用の軽装でやってきた。
なんだか上機嫌のアルノシュトは、ユスティーナの後ろにくっついてくる。
「一体、どこへ行くのです?」
「まあ、おそらくは、あんまり辺境伯閣下が普段は行かないようなところですわ」
「なるほど。男女二人で行っても問題のないところですか」
「それはもちろん。ああ、ひょっとすると、ええと、二人ぐらいじゃまずいところかもしれませんけれど」
「二人ぐらいじゃまずい……?」
「とにかく、行けば分かりますわ!」
鞄を振り回し、ユスティーナはてくてくと都市の外へと歩いていく。早朝に出発して、日が高く昇ったころ。
ユスティーナはちらりと、アルノシュトを見る。
「というわけで、我が領は決してこちらほど治安はよろしくありませんが、発展していないわけでもありません。むしろ、娯楽なら多いほうかと」
どういうわけか、アルノシュトは疲れの色も見せず、涼しい顔をしてしゃべっている。おかしい、貴族の坊々じゃなかったのか、とユスティーナは当てが外れたものの、いや、まだだ、と諦めない。どのみち、目的地は目と鼻の先だった。
ユスティーナは、見えてきた大森林を指差す。
「ああ、あそこですわ。あそこの入り口に張っていれば大丈夫」
そう言うと、ユスティーナは旅用鞄を開けた。
中から取り出したのは、汚れた包帯でぐるぐる巻きにされた、何か。アルノシュトの目の前で、ユスティーナがそれが何かを露わにする。
「それは、一体?」
アルノシュトの問いに、ユスティーナは元気いっぱい答える。
「ナックルダスターですわ!」
それは、一撃だった。
「せーのっ」
紫色の醜悪な巨人の頭に振り下ろされたのは、鉄槌のごとき拳、たった一発だ。
その一発で、巨人の頭は弾け飛んだ。ユスティーナは巨人の残った体を伝って、うまく着地する。
「終わりましたわ。これでこのあたりの農民も、安全に暮らせるでしょう」
少し遠巻きに一部始終を見ていたアルノシュトが、ぽかんと口を開けて見ている。ユスティーナは、ふっと笑い、煽る。
「あらあら、辺境伯閣下たるお方が、口を開けたままなんてお行儀が悪いですわよ」
ナックルダスターについた血を拭くユスティーナへ、唾を飲み込んだアルノシュトは——。
「すごい」
そう言った。
あら、なんか予想と違う。ユスティーナの計画では、あの人食い巨人グレンデルを一撃で倒すような娘はいらない、とアルノシュトは叫んで逃げ帰るはずだったのだが、またしても当てが外れてしまった。
さすがに、そろそろアルノシュトがなんなのか、ユスティーナも苛立ちとともに興味が湧いてきた。辺境伯閣下のくせして、物怖じしないし、グレンデルを前にしても観光気分だし、あとどうしてユスティーナにこだわるのかよく分からない。ユスティーナからしてみれば、グレンデルよりも正体不明の怪物に近い。
「ユスティーナ嬢、大したものだ。騎士が揃って退治に赴くような怪物を、たった一人で、それも一撃で倒してしまうなんて」
「……あの? どうして褒めるのです?」
「賞賛以外に何の言葉をかければいいのです?」
「いえ、貶すとか、恐れるとか、色々あるでしょう」
「あなたを? ……うん?」
アルノシュトは、困惑していた。ユスティーナが褒められて喜んでいない、と思っているようだ。
「ひょっとして、馬鹿にしてらっしゃる? グレンデルを一撃で倒すような女など、怪物よりも怪物だ、とか言い触らすご予定なら、ここでグレンデルと同じ目に遭わせて」
ユスティーナが不穏な発言をし始めたそのとき。
「ああ! いや、てっきり、東方辺境領のことをご存じとばかり。申し訳ない」
「は?」
「我が東方辺境領は、普通にあのような怪物が出ます。それも、日夜分たず、毎日のように。ですから、軍備はもちろん最優先に、私も陣頭指揮を取って日々退治に出向いています」
なるほど、見慣れたものだったというわけだ。
いや、それでもおかしい。ユスティーナの他に、グレンデルを一撃で倒す女、いや男も含めて、そんな人間がいるなんて話は聞いたことがない。
「当然のように、騎士団も男世帯ではなく、女性騎士も多くいます。戦わなければ死ぬだけですからね、皆必死です。それでもまあ、あなたほどの腕前を持つ騎士はいませんが」
「でしょうね! なのに何で」
「はじめは、ヴィストルチル伯爵家が異国の格闘技を受け継ぎ、個人技において随一である、という噂を聞きつけてやってきたのですが」
ぎくり、とユスティーナは肩を震わせる。
なぜそれを知っているのか。確かにヴィストルチル伯爵家は、異国の格闘技パンクラチオンを習得し、代々継承し——もはや原型はないらしいが、とにかく肉体を鍛えることに関しては貴族らしからぬ熱意に溢れ、その結果がユスティーナの筋肉だ。一撃でグレンデルを屠り、そして——。
「ついでに、街で耳にしました。闘技場の『女王』、それがあなただという噂を」
バレている。ユスティーナは自分から、アルノシュトへ誤魔化しようがない証拠を握らせてしまっていた。
ユスティーナは闘技場の主である。闘技場に通い始めた二年前からずっとである。人間相手にはもう、完全に負けなしとなってしまった。天性の格闘センス、唯一無二の筋力、幼いころからの格闘技の経験、それらが、『女王』の喝采を浴びるにふさわしいユスティーナを作り出した。
ただまあ、一応は、黙っていた。仮面もかぶっていたし、バレないと思っていた。それが、元婚約者のように、『闘技場通い』だけで婚約を破棄するような貴族の坊々ばかりで、ユスティーナもほとほと呆れていた。
しかしだ、どうにもアルノシュトは違う。づかづか近づいてきて、ユスティーナの手をナックルダスターごと握って、こう言った。
「あまり、血筋目当てと思われるのもどうかと思って言い出せなかった一方で、こうも目の前で優秀すぎる技量と肉体を披露されると」
「ちょっ、いや、私、結婚」
「もし、あなたさえよければ、私と結婚して東方辺境領でその腕を振るってもらえませんか」
どストレートなプロポーズだった。
しかし、アルノシュトは真剣だ。これは、本当にそう思っているのではないか、ユスティーナをおちょくる目的ではないのではないか。ユスティーナは、悩んだ末、こう尋ねた。
「それは……実は、かなり事情が、切迫してらっしゃいますの?」
「はい。率直に言いましょう。あなたが来てくだされば、大勢の命が救われます」
ついでに言うなら、私もとても嬉しいです、とアルノシュトは付け足した。
ついに、ユスティーナは折れた。
「そういう求められ方、女性としてどうかと思いますけど! でも、やぶさかではないですわ!」
都市のヴィストルチル伯爵家の屋敷に戻った二人は、ヴィストルチル伯爵へことの次第を説明し——ヴィストルチル伯爵は、その肉体と顔に似合わない大粒の涙を流して喜び、雄叫びを上げた。
「うちの娘が! ユスティが! 結婚をおおおおおお!」
「お父様、恥ずかしいので叫ばないでくださる? 聞いてます?」
こうして、ユスティーナは、東方辺境伯のもとへ嫁いだ。
ナックルダスターを両拳につけ、今日も先頭を切って怪物を叩きのめしに行く。
拝啓、婚約を破棄します。敬具。
そんなふざけた手紙の差出人は、ユスティーナの婚約者だった。手紙を持ったまま、筋骨隆々のヴィストルチル伯爵はプルプル震えている。
その背後で、ユスティーナ——女性にしては少々高い背に、ストレートの金髪と緑色の瞳をした十七歳の令嬢——は、テヘッと舌を出してみたが、誰も見ていないことに気付くまでそれほど時間はかからなかった。
「ユスティ? これは、どういうことだ?」
「あー……多分ですけど」
「かまわん、言ってみろ」
「お相手に闘技場通いがバレたみたいですわ、お父様」
今度こそ、ちゃんとヴィストルチル伯爵へテヘッとしてみせたユスティーナは、自分の顔の横を投げ飛ばされていった手紙だった鋭利なものを見送り、「あぶなっ」と声を漏らした。
「……まあ、今更、過ぎたことをどうこう言っても仕方がない」
「でしょう?」
「しばらくの間、外出は禁止だ」
「いやですわ! せっかく、無理解な殿方から解放されたのですから、私は俗世を満喫いたしますわ! ごめんあそばせ!」
「おい、ユスティ!」
ユスティーナは屋敷の庭から駆け出していく。
残されたヴィストルチル伯爵は、大きな背中を丸めてため息を吐いていた。
そこへ——一人の青年がやってくる。
今日も今日とて外出し、意気揚々と屋敷へ帰ってきたユスティーナの前に現れたのは、見たこともない栗色の髪をした青年だった。
「初めまして、ユスティーナ嬢。私は」
「あっ、けっこうですわ。私、忙しいので」
「まあまあ、アルノシュト・ヴォジェニーレクです」
「いいですってば。お父様、帰りましたわー」
「ユスティ、ちょっと話を聞きなさい」
そんなやりとりののち、庭のテーブルに座らさせられたユスティは、ヴィストルチル伯爵と謎の青年アルノシュトを前に、居心地の悪い思いをしていた。
何せ、アルノシュトはじっとユスティーナを観察するように眺めている。失礼だと言おうものなら、ヴィストルチル伯爵からお叱りの言葉が来そうで言えない。
ヴィストルチル伯爵が口を開く。
「ユスティ。こちら、東方辺境伯アルノシュト・ヴォジェニーレク閣下だ。ご挨拶なさい」
「初めまして辺境伯閣下、それでは失礼いたしますわ」
「早い早い。ユスティ、閣下はお前に興味がおありだそうだ」
「私はありませんわ!」
「どうしても?」
「どうしても……まあ、好みではありませんから」
「こらこらユスティ」
「はっはっは! いや、ユスティーナ嬢、私はあなたに、大変興味があります」
「あら、そうですの」
「婚約破棄の話も先ほど聞きました。よければ、私と」
「婚約しろということなら、けっこうですわ」
そう言い切って、ユスティーナは部屋へ逃げていく。
その後ろ姿に、アルノシュトは叫んだ。
「すぐにとは言いません! でも、私はしつこいですよ!」
ユスティーナは立ち止まり、振り返って——小さく舌を出して、逃げ帰った。
その後、アルノシュトはしつこいという言葉どおり、毎日外出するユスティーナのあとへついてきた。ヴィストルチル伯爵と使用人一同がアルノシュトの味方についているのだから、ユスティーナの外出など筒抜けだ。
それでは、迂闊に好きな場所へ行けない。闘技場にも通えない。ユスティーナはアルノシュトを撒こうと試みたものの、やはりしつこい。たった三日で根負けしたユスティーナは、一計を案じる。
「辺境伯閣下、ちょっとお話ししませんこと?」
「いいですよ。あなたから話しかけてくれるなんて、今日はいい日だ」
「それは重畳。私、あなたと婚約したくありませんの」
「それはなぜです?」
「理由、お知りになりたい?」
「ええ、ぜひ」
「……分かりました。明日、一緒についてきていただきたいところがあります。そこでちょっと、冒険をしますので」
「冒険」
「ええ、冒険。危なくはありませんわ」
「そういうものですか。まあ、何にしてもあなたとのデートだ。喜んで行きましょう」
そうやって喜んでいられるのも今のうちだ、とユスティーナはほくそ笑む。
次の日、ユスティーナは軽装で、旅用鞄を手に屋敷の庭でアルノシュトを待っていた。アルノシュトはと言うと、冒険という言葉を信用していたらしく、ちゃんと都市の外へ出る用の軽装でやってきた。
なんだか上機嫌のアルノシュトは、ユスティーナの後ろにくっついてくる。
「一体、どこへ行くのです?」
「まあ、おそらくは、あんまり辺境伯閣下が普段は行かないようなところですわ」
「なるほど。男女二人で行っても問題のないところですか」
「それはもちろん。ああ、ひょっとすると、ええと、二人ぐらいじゃまずいところかもしれませんけれど」
「二人ぐらいじゃまずい……?」
「とにかく、行けば分かりますわ!」
鞄を振り回し、ユスティーナはてくてくと都市の外へと歩いていく。早朝に出発して、日が高く昇ったころ。
ユスティーナはちらりと、アルノシュトを見る。
「というわけで、我が領は決してこちらほど治安はよろしくありませんが、発展していないわけでもありません。むしろ、娯楽なら多いほうかと」
どういうわけか、アルノシュトは疲れの色も見せず、涼しい顔をしてしゃべっている。おかしい、貴族の坊々じゃなかったのか、とユスティーナは当てが外れたものの、いや、まだだ、と諦めない。どのみち、目的地は目と鼻の先だった。
ユスティーナは、見えてきた大森林を指差す。
「ああ、あそこですわ。あそこの入り口に張っていれば大丈夫」
そう言うと、ユスティーナは旅用鞄を開けた。
中から取り出したのは、汚れた包帯でぐるぐる巻きにされた、何か。アルノシュトの目の前で、ユスティーナがそれが何かを露わにする。
「それは、一体?」
アルノシュトの問いに、ユスティーナは元気いっぱい答える。
「ナックルダスターですわ!」
それは、一撃だった。
「せーのっ」
紫色の醜悪な巨人の頭に振り下ろされたのは、鉄槌のごとき拳、たった一発だ。
その一発で、巨人の頭は弾け飛んだ。ユスティーナは巨人の残った体を伝って、うまく着地する。
「終わりましたわ。これでこのあたりの農民も、安全に暮らせるでしょう」
少し遠巻きに一部始終を見ていたアルノシュトが、ぽかんと口を開けて見ている。ユスティーナは、ふっと笑い、煽る。
「あらあら、辺境伯閣下たるお方が、口を開けたままなんてお行儀が悪いですわよ」
ナックルダスターについた血を拭くユスティーナへ、唾を飲み込んだアルノシュトは——。
「すごい」
そう言った。
あら、なんか予想と違う。ユスティーナの計画では、あの人食い巨人グレンデルを一撃で倒すような娘はいらない、とアルノシュトは叫んで逃げ帰るはずだったのだが、またしても当てが外れてしまった。
さすがに、そろそろアルノシュトがなんなのか、ユスティーナも苛立ちとともに興味が湧いてきた。辺境伯閣下のくせして、物怖じしないし、グレンデルを前にしても観光気分だし、あとどうしてユスティーナにこだわるのかよく分からない。ユスティーナからしてみれば、グレンデルよりも正体不明の怪物に近い。
「ユスティーナ嬢、大したものだ。騎士が揃って退治に赴くような怪物を、たった一人で、それも一撃で倒してしまうなんて」
「……あの? どうして褒めるのです?」
「賞賛以外に何の言葉をかければいいのです?」
「いえ、貶すとか、恐れるとか、色々あるでしょう」
「あなたを? ……うん?」
アルノシュトは、困惑していた。ユスティーナが褒められて喜んでいない、と思っているようだ。
「ひょっとして、馬鹿にしてらっしゃる? グレンデルを一撃で倒すような女など、怪物よりも怪物だ、とか言い触らすご予定なら、ここでグレンデルと同じ目に遭わせて」
ユスティーナが不穏な発言をし始めたそのとき。
「ああ! いや、てっきり、東方辺境領のことをご存じとばかり。申し訳ない」
「は?」
「我が東方辺境領は、普通にあのような怪物が出ます。それも、日夜分たず、毎日のように。ですから、軍備はもちろん最優先に、私も陣頭指揮を取って日々退治に出向いています」
なるほど、見慣れたものだったというわけだ。
いや、それでもおかしい。ユスティーナの他に、グレンデルを一撃で倒す女、いや男も含めて、そんな人間がいるなんて話は聞いたことがない。
「当然のように、騎士団も男世帯ではなく、女性騎士も多くいます。戦わなければ死ぬだけですからね、皆必死です。それでもまあ、あなたほどの腕前を持つ騎士はいませんが」
「でしょうね! なのに何で」
「はじめは、ヴィストルチル伯爵家が異国の格闘技を受け継ぎ、個人技において随一である、という噂を聞きつけてやってきたのですが」
ぎくり、とユスティーナは肩を震わせる。
なぜそれを知っているのか。確かにヴィストルチル伯爵家は、異国の格闘技パンクラチオンを習得し、代々継承し——もはや原型はないらしいが、とにかく肉体を鍛えることに関しては貴族らしからぬ熱意に溢れ、その結果がユスティーナの筋肉だ。一撃でグレンデルを屠り、そして——。
「ついでに、街で耳にしました。闘技場の『女王』、それがあなただという噂を」
バレている。ユスティーナは自分から、アルノシュトへ誤魔化しようがない証拠を握らせてしまっていた。
ユスティーナは闘技場の主である。闘技場に通い始めた二年前からずっとである。人間相手にはもう、完全に負けなしとなってしまった。天性の格闘センス、唯一無二の筋力、幼いころからの格闘技の経験、それらが、『女王』の喝采を浴びるにふさわしいユスティーナを作り出した。
ただまあ、一応は、黙っていた。仮面もかぶっていたし、バレないと思っていた。それが、元婚約者のように、『闘技場通い』だけで婚約を破棄するような貴族の坊々ばかりで、ユスティーナもほとほと呆れていた。
しかしだ、どうにもアルノシュトは違う。づかづか近づいてきて、ユスティーナの手をナックルダスターごと握って、こう言った。
「あまり、血筋目当てと思われるのもどうかと思って言い出せなかった一方で、こうも目の前で優秀すぎる技量と肉体を披露されると」
「ちょっ、いや、私、結婚」
「もし、あなたさえよければ、私と結婚して東方辺境領でその腕を振るってもらえませんか」
どストレートなプロポーズだった。
しかし、アルノシュトは真剣だ。これは、本当にそう思っているのではないか、ユスティーナをおちょくる目的ではないのではないか。ユスティーナは、悩んだ末、こう尋ねた。
「それは……実は、かなり事情が、切迫してらっしゃいますの?」
「はい。率直に言いましょう。あなたが来てくだされば、大勢の命が救われます」
ついでに言うなら、私もとても嬉しいです、とアルノシュトは付け足した。
ついに、ユスティーナは折れた。
「そういう求められ方、女性としてどうかと思いますけど! でも、やぶさかではないですわ!」
都市のヴィストルチル伯爵家の屋敷に戻った二人は、ヴィストルチル伯爵へことの次第を説明し——ヴィストルチル伯爵は、その肉体と顔に似合わない大粒の涙を流して喜び、雄叫びを上げた。
「うちの娘が! ユスティが! 結婚をおおおおおお!」
「お父様、恥ずかしいので叫ばないでくださる? 聞いてます?」
こうして、ユスティーナは、東方辺境伯のもとへ嫁いだ。
ナックルダスターを両拳につけ、今日も先頭を切って怪物を叩きのめしに行く。
11
お気に入りに追加
871
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約破棄されたので、全力で応援することにしました。ふふっ、幸せになってくださいね。~真実の愛を貫く代償~
新川ねこ
恋愛
ざまぁありの令嬢もの短編集です。
1作品数話(5000文字程度)の予定です。
お兄様がお義姉様との婚約を破棄しようとしたのでぶっ飛ばそうとしたらそもそもお兄様はお義姉様にべた惚れでした。
有川カナデ
恋愛
憧れのお義姉様と本当の家族になるまであと少し。だというのに当の兄がお義姉様の卒業パーティでまさかの断罪イベント!?その隣にいる下品な女性は誰です!?えぇわかりました、わたくしがぶっ飛ばしてさしあげます!……と思ったら、そうでした。お兄様はお義姉様にべた惚れなのでした。
微ざまぁあり、諸々ご都合主義。短文なのでさくっと読めます。
カクヨム、なろうにも投稿しております。
【完結】夫もメイドも嘘ばかり
横居花琉
恋愛
真夜中に使用人の部屋から男女の睦み合うような声が聞こえていた。
サブリナはそのことを気に留めないようにしたが、ふと夫が浮気していたのではないかという疑念に駆られる。
そしてメイドから衝撃的なことを打ち明けられた。
夫のアランが無理矢理関係を迫ったというものだった。
【完結】「財産目当てに子爵令嬢と白い結婚をした侯爵、散々虐めていた相手が子爵令嬢に化けた魔女だと分かり破滅する〜」
まほりろ
恋愛
【完結済み】
若き侯爵ビリーは子爵家の財産に目をつけた。侯爵は子爵家に圧力をかけ、子爵令嬢のエミリーを強引に娶(めと)った。
侯爵家に嫁いだエミリーは、侯爵家の使用人から冷たい目で見られ、酷い仕打ちを受ける。
侯爵家には居候の少女ローザがいて、当主のビリーと居候のローザは愛し合っていた。
使用人達にお金の力で二人の愛を引き裂いた悪女だと思われたエミリーは、使用人から酷い虐めを受ける。
侯爵も侯爵の母親も居候のローザも、エミリーに嫌がれせをして楽しんでいた。
侯爵家の人間は知らなかった、腐ったスープを食べさせ、バケツの水をかけ、ドレスを切り裂き、散々嫌がらせをした少女がエミリーに化けて侯爵家に嫁いできた世界最強の魔女だと言うことを……。
魔女が正体を明かすとき侯爵家は地獄と化す。
全26話、約25,000文字、完結済み。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
他サイトにもアップしてます。
表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
第15回恋愛小説大賞にエントリーしてます。よろしくお願いします。
婚約者と親友に裏切られたので、大声で叫んでみました
鈴宮(すずみや)
恋愛
公爵令嬢ポラリスはある日、婚約者である王太子シリウスと、親友スピカの浮気現場を目撃してしまう。信じていた二人からの裏切りにショックを受け、その場から逃げ出すポラリス。思いの丈を叫んでいると、その現場をクラスメイトで留学生のバベルに目撃されてしまった。
その後、開き直ったように、人前でイチャイチャするようになったシリウスとスピカ。当然、婚約は破棄されるものと思っていたポラリスだったが、シリウスが口にしたのはあまりにも身勝手な要求だった――――。
宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました
悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。
クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。
婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。
そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。
そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯
王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯
安息を求めた婚約破棄
あみにあ
恋愛
とある同窓の晴れ舞台の場で、突然に王子から婚約破棄を言い渡された。
そして新たな婚約者は私の妹。
衝撃的な事実に周りがざわめく中、二人が寄り添う姿を眺めながらに、私は一人小さくほくそ笑んだのだった。
そう全ては計画通り。
これで全てから解放される。
……けれども事はそう上手くいかなくて。
そんな令嬢のとあるお話です。
※なろうでも投稿しております。
【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!
りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。
食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。
だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。
食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。
パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。
そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。
王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。
そんなの自分でしろ!!!!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる