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第三十四話
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ステュクス王国に来てから、一度神殿に行った他は、エレーニはあてがわれた寝室と大浴場の往復だけで過ごしていた。
まだ慣れていない土地、栄養の足りない体とあっては、そう動き回ることもできない。第一、人里離れた修道院で静かに過ごしてきたエレーニは、引きこもってじっとしていることは苦ではなかった。
そもそも、十年間過ごした修道院よりも広い寝室にいて、サナシスやメイドたちが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのに退屈などするわけがないし、今のところサナシスは政務よりもエレーニの世話を優先して三食と風呂をともにしている。現状でも、エレーニは大変満足している。感動し、幸せを何度噛み締めたか分からない。
朝起きて、サナシスが寝室にやってきて一緒に朝食を食べる。昼食まで本を読み、メイドたちとおしゃべりをして、またサナシスと食卓を囲む。昼食後は風呂に入り、サナシスと二人でゆっくりして、昼寝。医師の診察を受けて、食事や運動の指導を聞き、夕食のときにサナシスに報告する。修道院でのライフサイクルは早寝早起きだったため、エレーニは夕食後すぐに眠くなり、サナシスに見守られながらベッドでぐっすり眠る。
そんな生活が三、四日続き、エレーニの頬が桜色を帯びてきた。まだ健康とは言えないが、そろそろ環境に馴染んでいくこともできるのではないか、そんなふうに医師に勧められたことを夕食時にエレーニがサナシスに報告すると、サナシスはこう言った。
「なら、そろそろお前に部屋を与えないとな」
「部屋? 今のお部屋以外に、ですか?」
「あれはただの寝室だ。とりあえず、両隣の部屋をすぐに改装して、まずドレッシングルームとラウンジと書斎を置く。一番必要なのはドレッシングルームだろう、これから大量に服を持たなくてはならなくなる。クローゼットは一部屋で足りるのか? もっといるだろう。となると、もう別の階に引っ越したほうがいいだろうか」
矢継ぎ早に聞き慣れない単語を繰り出されても、エレーニにはちんぷんかんぷんだ。修道院が丸ごと入るほどの規模の部屋が、ただの寝室、と言われてしまい、あまりの認識の違いにエレーニは度肝を抜かれている。
「そうだ、忘れていた。明日は仕立て職人を呼ぶ、朝一番で風呂に入るぞ」
「は、はい」
「とりあえず最低限必要な服だけでも急ぎで仕立てさせる。お前の好みに合った服を作ってやりたいところだが、今は我慢を」
話に熱がこもってきていたサナシスは、はっとして、呆然としているエレーニに気付いた。
エレーニは何も言っていない。もう慣れてきたはずだったが、サナシスとエレーニの間には、色々と認識の齟齬がある。いや、ごく普通の一般市民でさえ、公女でありながら元修道女のエレーニの無欲さと無知さには驚くしかない。ましてや大国の王子であるサナシスからすれば、エレーニのそんな俗事への無頓着さはもはや無私の赤子も同然だ。
エレーニが王城で必要なものをサナシスが用立てようとしても、エレーニはなぜ自分ごときがそこまでのことをされるのかと首を傾げるし、気遣われていることが分かれば畏れ多いと謝絶しかねない。
だんだんとサナシスはそのカラクリが分かってきていた。エレーニへの接し方を、ただの淑女や大型犬扱いではなく、ちゃんと向き合って個別に対応しなければならないと考えはじめた。
「……エレーニ、我慢などしていないと言いたげだが」
「申し訳ございません。服には滅法疎くて、あのチュニックしか持っていなかったものですから、今のいただいた服だけでも十分と申しますか」
「あれは大至急かき集めただけの古着で……いや、うん、悪かった。そうだな、お前が必要と思うときに、必要なものを作ればいい。ただ、一応はすぐに使いそうな服を作っておく、というだけの話だ。儀式やパーティにまで普段着で行くわけにはいかないだろう?」
それならば、とエレーニは頷く。儀式やパーティにエレーニが出席しなければならないときは、必ずサナシスがいるはずだ。隣にいるサナシスに恥をかかせないためには、自分も着飾っておく必要がある。エレーニにも、一応そういう理解はできた。
しかし、とエレーニは自分の細すぎる手首や指先を見て、こうも思う。
「服を着て見栄えがするよう、もっと太ります」
「ああ、たくさん食べて育つといい」
「はい、育ちます」
今のままでは枯れ木が服を着ているようなものだ。エレーニは一生懸命、出されたメインディッシュのバジルソース添えチキンソテーを頬張る。
まだ成人女性一食分を完食することもできていないが——それでも、エレーニはサナシスのため、ナイフとフォークを動かす。途中でどうしてもお腹いっぱいになって止まってしまい、泣きそうになってサナシスに止められるところまでがセットだった。
まだ慣れていない土地、栄養の足りない体とあっては、そう動き回ることもできない。第一、人里離れた修道院で静かに過ごしてきたエレーニは、引きこもってじっとしていることは苦ではなかった。
そもそも、十年間過ごした修道院よりも広い寝室にいて、サナシスやメイドたちが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのに退屈などするわけがないし、今のところサナシスは政務よりもエレーニの世話を優先して三食と風呂をともにしている。現状でも、エレーニは大変満足している。感動し、幸せを何度噛み締めたか分からない。
朝起きて、サナシスが寝室にやってきて一緒に朝食を食べる。昼食まで本を読み、メイドたちとおしゃべりをして、またサナシスと食卓を囲む。昼食後は風呂に入り、サナシスと二人でゆっくりして、昼寝。医師の診察を受けて、食事や運動の指導を聞き、夕食のときにサナシスに報告する。修道院でのライフサイクルは早寝早起きだったため、エレーニは夕食後すぐに眠くなり、サナシスに見守られながらベッドでぐっすり眠る。
そんな生活が三、四日続き、エレーニの頬が桜色を帯びてきた。まだ健康とは言えないが、そろそろ環境に馴染んでいくこともできるのではないか、そんなふうに医師に勧められたことを夕食時にエレーニがサナシスに報告すると、サナシスはこう言った。
「なら、そろそろお前に部屋を与えないとな」
「部屋? 今のお部屋以外に、ですか?」
「あれはただの寝室だ。とりあえず、両隣の部屋をすぐに改装して、まずドレッシングルームとラウンジと書斎を置く。一番必要なのはドレッシングルームだろう、これから大量に服を持たなくてはならなくなる。クローゼットは一部屋で足りるのか? もっといるだろう。となると、もう別の階に引っ越したほうがいいだろうか」
矢継ぎ早に聞き慣れない単語を繰り出されても、エレーニにはちんぷんかんぷんだ。修道院が丸ごと入るほどの規模の部屋が、ただの寝室、と言われてしまい、あまりの認識の違いにエレーニは度肝を抜かれている。
「そうだ、忘れていた。明日は仕立て職人を呼ぶ、朝一番で風呂に入るぞ」
「は、はい」
「とりあえず最低限必要な服だけでも急ぎで仕立てさせる。お前の好みに合った服を作ってやりたいところだが、今は我慢を」
話に熱がこもってきていたサナシスは、はっとして、呆然としているエレーニに気付いた。
エレーニは何も言っていない。もう慣れてきたはずだったが、サナシスとエレーニの間には、色々と認識の齟齬がある。いや、ごく普通の一般市民でさえ、公女でありながら元修道女のエレーニの無欲さと無知さには驚くしかない。ましてや大国の王子であるサナシスからすれば、エレーニのそんな俗事への無頓着さはもはや無私の赤子も同然だ。
エレーニが王城で必要なものをサナシスが用立てようとしても、エレーニはなぜ自分ごときがそこまでのことをされるのかと首を傾げるし、気遣われていることが分かれば畏れ多いと謝絶しかねない。
だんだんとサナシスはそのカラクリが分かってきていた。エレーニへの接し方を、ただの淑女や大型犬扱いではなく、ちゃんと向き合って個別に対応しなければならないと考えはじめた。
「……エレーニ、我慢などしていないと言いたげだが」
「申し訳ございません。服には滅法疎くて、あのチュニックしか持っていなかったものですから、今のいただいた服だけでも十分と申しますか」
「あれは大至急かき集めただけの古着で……いや、うん、悪かった。そうだな、お前が必要と思うときに、必要なものを作ればいい。ただ、一応はすぐに使いそうな服を作っておく、というだけの話だ。儀式やパーティにまで普段着で行くわけにはいかないだろう?」
それならば、とエレーニは頷く。儀式やパーティにエレーニが出席しなければならないときは、必ずサナシスがいるはずだ。隣にいるサナシスに恥をかかせないためには、自分も着飾っておく必要がある。エレーニにも、一応そういう理解はできた。
しかし、とエレーニは自分の細すぎる手首や指先を見て、こうも思う。
「服を着て見栄えがするよう、もっと太ります」
「ああ、たくさん食べて育つといい」
「はい、育ちます」
今のままでは枯れ木が服を着ているようなものだ。エレーニは一生懸命、出されたメインディッシュのバジルソース添えチキンソテーを頬張る。
まだ成人女性一食分を完食することもできていないが——それでも、エレーニはサナシスのため、ナイフとフォークを動かす。途中でどうしてもお腹いっぱいになって止まってしまい、泣きそうになってサナシスに止められるところまでがセットだった。
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