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第十四話 老公爵は法医学者を知っていた、その上で①

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 クロードは椅子を引っ張り出した。この部屋には素朴な焦がし茶色の木製椅子二脚しかないため、ヴェルセット公爵とアンドーチェに譲る。自身は向かい合うようにベッドの端に座ろうとし、護衛二人はきっちり閉じた扉の前で立ちっぱなしだ。

 ヴェルセット公爵は小さくともレディであるアンドーチェを先に座らせて、それからベッド上の書類を片付けていたクロードの手元を目ざとく捉えた。

「手紙を先に読むかね?」
「いえ、せっかく訪ねていただいたのですから、是非とも閣下のお話を先に。どうぞ、そちらにお座りください」

 焦がし茶色の木製椅子は、とても高貴な身分の大人物を座らせるためのものではないが、ヴェルセット公爵は気にしなかった。文句一つ言わずアンドーチェの隣に座り、クロードはほっとしたが、一方でアンドーチェのほうが何か言いたいことがあるらしかった。

 それもそのはずだ。いきなり一度顔を合わせたっきりの祖父かもしれない人物がやってきて、クロードはクロードで政治的な自身の出自をペラペラと喋った。いくらアンドーチェが聡明であっても、さっぱりわけが分からない、そう言いたいのだろうことは見て取れる。

 大して沈みもしないベッドの端に腰掛けたクロードは、戸惑いを隠せていないアンドーチェを気遣う。

「アンドーチェ、疑問があるみたいだね」
「え……ええ、はい。その、私はジルヴェイグ大皇国のことは、あまりよく知らないものですから」
「それは当然だ。他国の政治の話だし、つまらないものだよ」
「つまるつまらぬは貴殿が決めることではない。ほれ、話してやれ」

 何ともはや、ヴェルセット公爵はクロードへ顎で指示してきた。不甲斐ない部屋の主は(やっぱりそうなるかぁ……)と少し後悔しつつ、自国の政治文化と、自身とその生家の顛末についてかいつまんで語りはじめた。

「ジルヴェイグ大皇国が皇帝を選ぶ儀式のことを神籤しんせんと言うんだが、あれに選ばれなくても皇帝一族でもっとも有力な家系のことを筆頭親族、輝耀家テトクラと言うんだ。皇帝を補佐し、中には臣籍に降りて位人臣くらいじんしんを極める者も少なくない。もっとも、皇位継承権を捨てなければ、次の神籤しんせんにも参加できる立ち位置にある」

 それらの慣習が、あまりにも自国内では当たり前の歴史、当たり前の儀式であるため、外国人からすれば奇異に映るのだと自覚するのはクロードが大学に入ってからのことだった。他国では王位継承権順位や実力で玉座を得るらしいが、未だにジルヴェイグ大皇国は王権神授の伝説から宗教的意味合いの強い儀式で王を決める。

 他国と比べ何とも時代錯誤な、と思わなくもないが、実際それで政治が上手くいっているのなら誰も文句はないはずだ。皇帝一族内で内乱が起きないのは、神籤しんせんで神が皇帝を選んだのだという大義名分の看板が大きすぎるからだし、広大な面積を誇る領土は一度たりとも侵略を受けておらず、むしろ一千年以上前の建国以来拡張しつづけている。

 だが、やはり不満はくすぶっていた。

輝耀家テトクラを任されていた僕の祖父は優秀だったが、父はそれが不満だった。自分の父ほど優秀でもこの国では頂点に立てないのか、と常々不満に思い、父もまたその優秀さを継承してはいたが、ついにはジルヴェイグ大皇国の皇帝を選ぶ仕組みが悪いのだと公言して憚らなくなった」

 今にして思えば、クロードも父の不満が分からなくもない。優秀であるのに評価されない、働いたのに対価をもらえない、ましてや祖父のことを尊敬していたのなら、父はなおさら憤り、世の仕組みが間違っていると思うだろう。

 そして、残念ながらジルヴェイグ大皇国の大多数は、と思っていたのだ。

「僕の父が変革者となることを恐れた皇帝一族の他家の陰謀により、反乱を計画したかどで我が家は輝耀家テトクラの地位や財産を失い、平民に落とされた。まあ、妥当なところだ。誰だって自分たちの利権が危うくされるのなら先手を打つ、当然だね」

 クロードが生まれたころ、すでに生家は平民の身分で存続しており、クロードが八歳になるころには優秀で偉大な祖父も天に召された。輝耀家テトクラの一族という名誉ある身分は祖父一代でおしまい、父は特権を失って成人前に平民となったため、皇位継承権は一度も持たなかった。

 これらの話は、有名と言えば有名、知るべき筋には知れている程度のもので、たった今クロードの目の前で真面目な表情で耳を傾けているヴェルセット公爵ならばきっと知っていただろう。ただ、平民に落とされた元輝耀家テトクラの一員と喋る機会などなかっただろうし、これまでは人伝ての又聞きだったためか、アンドーチェとともに興味深そうに聞いている。

「で、その後に僕は生まれたが、僕の父に協力した貴族たちが見せしめでよく捕まったり、身分を剥奪されたりが続いた。だから僕は家名を捨てて、名前を平民そのものにして、エルネスト・クロードと名乗って権力争いからできるだけ遠ざかった。身の危険だけじゃなく、僕を旗頭にして反乱を扇動するような連中も残っているだろうからね。仕方なかった」

 はい、この話はおしまい、とクロードは手を叩く。意識を切り替えて、本来の話に戻らなければ——いや、クロードはすぐにでも戻りたかった。実家の没落話など話したって当人には面白くも何ともないからだ。

 しかし、曲がりなりにもクロードは皇帝一族の血を引き、高等教育を受けている身だ。ジルヴェイグ大皇国のことならば、そこいらの貴族や知識人よりも詳しい。それは確かで、ヴェルセット公爵もを買っていたようだった。

「ならば、分かるだろう。クラリッサの出身はジルヴェイグ大皇国になどない、と」

 すぐにクロードは頷く。

「ええ、もちろん。あれですよね? 黒髪緑目のクラリッサは北方の蛮族と呼ばれる人々の血を引くだけで、ちゃんとイアムス王国の民だと。とはいえ、ジルヴェイグ大皇国出身者も北方の蛮族も、イアムス王国の人々からすれば同じ『』です。だからデルバート王子は気に入らず、第二皇女キルステンは上手いこと追放できるかもしれないと企んだ」

 いくら美人で聡明であったとしても、一国の王子が、北方の蛮族と同じ髪と目の色をした女性と結婚したがるだろうか。甘やかされたドラ息子なら、その結果など火を見るよりも明らかだ。それならば大国である隣国の皇女と結婚したいという考えが頭をよぎるのは特におかしくはない、もっともそれが実現するとデルバート王子が本気で思っていたのなら馬鹿馬鹿しいかぎりだろう。それもまたクラリッサにとっての悲劇の種であり、どれほど優秀だろうともつけ込まれる弱点として残っていた。

 とはいえ、逆に黒髪緑目は、イアムス王国の民であることの証ともなる。

「アンドーチェと同じ黒髪緑目はイアムス王国でもジルヴェイグ大皇国でも珍しい。我が国は北方の領土を持っていますが、北方の蛮族はすっかり駆逐してしまったためその血を引く末裔はいないのです。もちろん、最新の人口統計学上に見てもそれは実証されています。まあ、外から見ればそんな事情は分からないので、どうとでも言えますが」

 うむ、とヴェルセット公爵はクロードの答えに満足そうだ。北方や東方の蛮族と軍事教練を行っているという噂が真実であれば、ヴェルセット公爵は外見や出自の差別意識は貴族らしからぬほどにないのかも知れない。

 何にせよ、人は信じたいものを信じて、自分が望む未来だけを望む勝手な生き物だ。ジルヴェイグ大皇国内に黒髪緑目の人種はほぼいないとどれほど懇切丁寧に説明したところで、いやそれはお前が知らないだけだ、と無根拠に否定することだってできる。山よりも高いプライドを持つ王侯貴族は己の間違いを受け入れられないから、よくあることなのだ。彼らにとっては自己の認識だけが世界であり、それ以外は異世界や異境、はたまた地獄か辺獄かという扱いだってする。

 果たして、それはか。神籤しんせんが間違っていないと信じる人間たちも、クロードからすれば同じ疑問を持たざるをえない。だが、そうのたまう連中こそ正しいとされるのが現実なのだから、致し方がない。

 とはいえ、それは大人の論理であって、未だ幼さの残るアンドーチェにとっては震えるほどに許しがたいのだろう。細い指先を揺らしながら、アンドーチェは独り言のようにつぶやく。

「ということは、クラリッサは何の根拠もないデルバート王子の陰謀によって追い落とされた、その事実は何も変わらない、と。なら、クラリッサはどうして行方不明に? 井戸に身を投げたとのは、何のために?」

 クロードは憐れみ、アンドーチェのささやかな疑問に答えようとしたが、そこへヴェルセット公爵が遮って話題を変えた。

「その前に、言っておくことがある。二人とも、よく聞くがいい」

 有無を言わせぬ威圧の声に、クロードとアンドーチェ否が応でもヴェルセット公爵からの一方的な言葉を聞かされてしまう。

「マーガリーには話を通す。今すぐ、この国を離れなさい。ドゥ夫人がいなくなれば、この国は終わりだ。それは、
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