私は『選んだ』

ルーシャオ

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第九話(姉視点)

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 ところ変わって、アレジア地区から遠く離れた首都。

 中心部にある王の居城からほど近く、高位貴族の邸宅が立ち並ぶ地域は、尖塔と階段で構成されている屋敷が多い。ほとんどの貴族は百年二百年とそこに留まり、たまに新しい貴族が台頭してきて無理やり住居を設けようとする、その繰り返しばかりだったため、邸宅は密集して常に過密状態だ。改築するには地下か、さらに建物を高く築いていくしかない。

 バルフォリア公爵家の邸宅は、二十以上の尖塔の生えた屋敷だ。階層にして五階以上あり、地下も倉庫や武器庫が広がっている。

 夕暮れどき、宮廷から帰ってきた若き宮廷武官長ことバルフォリア公爵家嫡男バートラムは、階段を昇る音が全体に響き渡るほど怒り心頭だった。

「どういうことなんだ、マルグレーテ! 舞踏会の準備をしておけと言っただろう! 君は本当に何もしないんだな!」

 談話室にやってきたバートラムを、マルグレーテはソファに座ったまま、首を傾げて出迎える。貞淑な妻をやっているつもりだが、立ち上がって夫を迎え、ねぎらいの言葉をかけることすらしない。したことがないからだ。

「そうおっしゃられましても、私はそのようなことをしたことがありませんから」
「なら、今からでも侍女たちを使ってやっておかないか!」
「でも、あの方たちったら私の悪口を言うのですもの」

 承諾するどころか言い訳と口ごたえをするマルグレーテを、バートラムはもうどうすればいいのかと苛立っていた。

 バルフォリア公爵家へ嫁いできたマルグレーテだが、本当に何もしない。何かをしておけ、と言われても、どうすればいいか分からないため、ただ静かにソファに座っている。

 数日前、バートラムが舞踏会用のドレスを選んでおけ、とマルグレーテに言いつけたのだが、マルグレーテはまったく動かなかった。明日、城で開催されている舞踏会に夫婦で出席しなければならないのに、マルグレーテは焦りもせず、ただ首を傾げている。

 その理由を、バートラムが知る由もない。想像だにできない。まさか今まで全部父親が決めてくれて、妹に選ばせて、使用人たちが先回って動いてくれたから自分は何もしないのだ、しなくていいのだとマルグレーテが信じているなんて——それに、マルグレーテもそんな話は一切しない。余計なことは言わなくていい、と本気で思っている。

 ここは生家ではなくバルフォリア公爵家で、次期女主人であるマルグレーテはそれ相応の態度を取らなければならず、バートラムを支えて自ら最善の行動を取らなければならない。使用人たちも他人同然で、信頼関係を築く必要がある。

 それらの義務と責任を、マルグレーテが思いつくことはなかった。もう貴族令嬢として最大の責務、バルフォリア公爵家いい家柄の男性へ嫁いだのだから、自分の仕事は終わったとさえ考えている。

 だから、夫婦で話し合いなどできるはずがなかった。バートラムは対話を諦め、一方的に命じることしかできないと思いつつも、一応は説明する。

「いいか、マルグレーテ。宮廷武官長の妻なら舞踏会に出るのは当たり前、そのために事前にしっかりドレス選びをしておかなくてはいけないんだ。君の恥は私の恥だと心得ろ、それに昨今では無教養な女性は嫌われる。国際情勢や政治の話についていけるだけの知性を持ち合わせてほしい。我が国を取り巻く環境は厳しいんだ、公爵家でさえも気を抜けば没落しかねない」

 マルグレーテは顔色一つ変えず、要領を得ない返事をする。

「はあ……分かりましたわ。なら、私のために、選んでくれる方をつけていただけます?」
「選んでくれる? 助言者がほしいのか?」
「ええ、私の代わりに選んでくれる方を。私はそれに」
「ちゃんと従うんだろうな? くれぐれも、馬鹿を晒すことだけはやめてくれよ」

 ええ、はい、とマルグレーテの生返事を耳にしたくないバートラムは、さっさと身を翻して去っていく。

 使用人たちも、マルグレーテが動かない理由に使われて、いい思いはしない。主人たるバートラムのため、そそくさと談話室から出ていく。

 数週間前に嫁いでからというものそんな様子で、マルグレーテがバルフォリア公爵家に馴染めるはずはない。自分の代わりに選んでくれる者をほしがったのも、助言されれば動くわけではなく、自分にとって楽で、よりよい選択肢を選ぶためだ。

 バートラム? バルフォリア公爵家? それは自分が考えられる範囲を超えているから知らない。それがマルグレーテの認識だ。

 ひとけのなくなった談話室で、マルグレーテはやれやれとため息を吐く。

「はあ。こんな結婚、いらないわ……」

 自分に何かやらせないでほしい。自分に『選ばせない』でほしい。

 私はもうやるべきことはやったわ。

 これ以上、何をしろと言うのかしらね。

 マルグレーテの懊悩は、バートラムがまもなく公妾を作るまで続いた。
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