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番外編

ベネディクト黙示録

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※※※
ベネディクトは見た。
※※※




 ベネディクト・ラスキンは、同期のヒューイ・バークレイについて──ハッキリと口には出さないが──思うところがあった。
 彼は、理想が高すぎなのではないかという事だ。
 何事に関してもそうなのだが、特に、自分の結婚相手に関して。

 バークレイ家は古くから続く騎士の家系で、周囲からの評価もそこそこ高い。金や女にだらしないなどの悪い噂もない。おまけに姑もいない。
 だから似たような家柄の娘から見れば、ヒューイは絶好の結婚相手であるはずなのだ。
 しかしヒューイ本人が「同等の家柄の娘」では不満があるようだった。
 曰く、父親が爵位を持っている娘か、唸るような財産を持っている家の娘でなくては、バークレイ家のためにならない。らしい。
 それに加え「特別な美人である必要はないが醜くはなくて、好感の持てる容姿をしていて、知的な会話が出来て、だがインテリぶって前に出過ぎるような女はダメで……」と、きりがないほど細かい注文を挙げていた。

 ベネディクトはそれを聞きながら思ったものだ。
 ヒューイの理想は、純潔に拘ったこじらせ童貞の掲げる「僕の考えた最強で最高の恋人」論に似ているな、と。
 美人で可愛くて処女で清楚で、でもベッドではわりとエッチで積極的で、自分の事しか見ていなくて尽くしてくれて、けど重くも面倒くさくもなくて……みたいなやつに。

 そんな細かい条件に当てはまる女がいてたまるか。
 仮に存在していたとして、その女が自分の前に現れる確率はどの程度だと思ってるんだ? さらに自分の嫁になる可能性があると思っているのか? そう言ってヒューイの額にチョップをくれてやりたいと、何度思ったことだろう。

 ヒューイが選好みしている間にある程度条件の良い娘はどんどん相手が決まっていって、彼は結局どこかで妥協するしかなくなり、そこにはもう売れ残った女しかおらず、無難な……というか、つまらない結婚をするのではないか。
 なんとなくそういう未来が見えるような気がして、でも面と向かってそれを告げる事も出来ずにいたベネディクトであった。

 ベネディクトは伯爵家の生まれであるが三男坊で、家を継ぐ必要がない。結婚相手を探したこともまだない。いずれは結婚するかもしれないが、相手は……身持ちの悪すぎる娘とかでなければ、あとはフィーリング重視で決めていきたいと、漠然と考えている。
 そんな自分がヒューイに何かを言ったところで「君と僕では結婚観が違うのだ」と言われておしまいだろう。だから敢えて口を出すこともしなかったのだ。

 だがある時、ヒューイの前にヘザー・キャシディが現れた。
 はじめの頃の彼は、女性と一緒に仕事をするのを嫌がっていたが、次第に風向きが変わってきた……ようにベネディクトには思えた。
 ヘザーはすらりと背が高くて赤毛だから、ものすごく目立つ女性だった。さっぱりしていて話しやすく……ちょっとばかり大雑把だったが、だが男勝りというわけではなく、仕草や表情は女性らしかった。ベネディクトが思うに、彼女には「チャーミング」という形容詞がぴったりだ。
 ……と、まあ、ヘザーのことを褒めまくってしまったが、ベネディクト自身、彼女のことを気に入っていたのだ。ヒューイとどうにもならないようであれば、自分が行ってみようか。そんな風に考える程度には。

 しかしヘザーは、ヒューイとどうにかなってしまった。
 少し残念ではあったが、あのヒューイ・バークレイが固く誓っていた結婚の条件を捨てて、愛や恋といった感情を優先したのだ。昔からのヒューイを知る者にとっては、もう、大事件である。
 それだけでも面白いものを見せてもらったと満足すべきなのだろうが、何がどうなってあの二人がくっついたのか、知りたくてたまらない。

 元々のヒューイは身分だとか階級だとかにかなりうるさいタイプである。庶民出身のヘザーからしたら、彼は釣り合わない相手であり……ヘザーは内気ではないが、脈の無さそうな相手にぐいぐい迫るタイプには見えなかった。
 ということは、ヒューイが譲ったというか気を許す様な行動をとったに違いないのだが……いったいどうやって。あの男が愛を語ったりするのだろうか。まったく想像できない。
 どうやって婚約までこぎつけたのか、ベネディクトが何度訊ねてもヒューイは黙殺するばかりである。本当につまらん男だ。



 ヒューイが婚約して暫く経った夜、ベネディクトはある夜会に出席していた。
 この日は別の夜会に先に顔を出していて、もう一方には遅刻して訪れた形になる。
 ベネディクトが後の会場に到着する頃には、パーティーは終わりに近づいていた。

 ヒューイもヘザーと出席すると聞いていたから、彼らに挨拶しようと会場を見て回ったが、すぐには会えなかった。もしかしたら、もう帰ってしまったのかもしれない。
 最初の会場をもう少し早く出ればよかった。残念に思いながらぶらぶらと庭を歩いていると、
「なんだと……それは反対だ」
「ええー……。どうしても、ダメ?」
 茂みの向こうから、聞き覚えのある声がする。
 ヒューイとヘザーに違いない。
 ベネディクトは立ち止まり、話し声のする方を確認した。

 庭では篝火が焚かれていたが、ぎりぎり明かりの届かないような暗がりのベンチに二人は座っていた。
 というか、ヒューイがベンチに座り、その膝の上に、横向きにヘザーが腰を下ろしているように見える。
 ベネディクトは目を疑った。
 暗いから見間違えているのかもしれない。そう考えて何度か瞬きしてみるも、やはりヒューイの上にヘザーが座っているようにしか見えなかった。
 ヘザーの両手が、ヒューイの首に回されている。
 ヒューイはただ座ったままヘザーのしたいようにさせているといった風だが、彼はそういった接触を許すタイプではない。少なくともベネディクトの知る限りは。

「危険だ。許可するわけにはいかない」
 イチャついているようにしか見えなかったが、次に聞こえてきたヒューイの声は固かった。
「だって、前はニコラスと行くって言っても、反対しなかったじゃない」
「だめだ……! あの時と今では状況が違うんだぞ!」
「あっ……やだやだ、怒っちゃやだあ」
「む。べ、別に、怒っているわけではない……」
 ヘザーが足をパタパタさせながら甘えた声を出したかと思うと、ヒューイは少し動揺した様子を見せた。
「……どうしても行きたいのか」
「うん。最初で最後かもしれないし……」
「……分かった。僕が同行できるよう、時間の都合をつける」
「ほんと!? うれしい~」
「このことについてはまた話し合おう。そろそろ帰る時間だ。ウィルクス夫人のところに君を連れて行かなくては」

 二人がベンチを離れそうな雰囲気になったので、ベネディクトは慌てて茂みに身体を寄せる。
 彼らが何の会話をしているのかさっぱり分からなかったが、ベネディクトが考えているよりも、二人はずっと熱くて親密な関係なのだろう。

 騎士をやっていると、城のメイドや町娘たちにきゃあきゃあ言われる機会はたくさんある。ヒューイも例外ではない。「騎士」であり「バークレイ家」の人間。彼女らはそこに反応してヒューイの目に留まろうとする。
 しかし、本人の纏う空気が厳しすぎた。
 大抵の女性はヒューイ・バークレイ個人の性質を知ると、気後れするか緊張してがちがちになるか、尻尾を巻いて逃げ出すかのどれかだ。
 ヘザーがあんな風に甘い声を出すとは思わなかったし、また、ヒューイに女性を蕩けさせるような力が備わっているとも、ベネディクトは今の今まで思いもしなかった。

 場を離れる前に、もう一度二人の様子を覗いてみた。
 なんだか、大型の肉食獣……二頭のピューマが寄り添っているみたいだと思った。


*


 ヒューイは仕事場の机で暦を確認していた。
 ヘザーが『ふぇす』とかいう催し物に参加したいようなのだ。なんでも、数多くの楽団(バンド)が演奏するらしく、彼女が贔屓にしている楽団も出演するという。
 ヒューイは騒がしい音楽は好きではないので、それを承知しているヘザーはニコラスを誘うつもりだったようだ。
 だが時間が遅いし、騒音対策のためだろう、会場も王都から少し離れている。ガラの悪い客や酔っ払いも多いであろうし、そういう場所にニコラスと行くのは、危険な気がした。

 以前ヘザーは演奏会(ライブ)にニコラスと行こうとしていたことがある。結局はヒューイが同行したわけだが、ニコラスの都合がつけば二人で行かせていただろう。あの時のヒューイは催し物がどんな内容なのか知らなかったし、ヘザーはまだ騎士として働いていたからだ。
 今のヘザーはヒューイの庇護下にある。そういった場所に快く送り出すつもりにはなれなかった。
 それから、ランサム・ソレンソンにヘザーのエスコートを頼んだこともあった。ランサムのことはまあまあ信用していた……というか、彼がヘザーにちょっかいを出す様な男であれば、ジェーンとの結婚を認めた自分が間違っていたことにすらなるのだ。信用しない訳にはいくまい。
 しかし同行者がニコラスだと……悪漢に絡まれたりしたら、ヘザーは彼を守ろうとしてしまうだろう。挙句ニコラスは足手まといにしかなりそうにない。どう考えても危険すぎる。

 あの騒がしい場所に行くことを考えると頭が痛いが、今回の『ふぇす』とやらは初めての試みで、次回があるかどうかは分からないそうなのだ。ヒューイとしては、是非とも今回限りにしてほしいところである。
 当日に時間を作れるかどうか、暦を見ながら考えていると、ふと視線を感じた気がして顔を上げた。
 すると、ベネディクトがじっとこちらを見ているではないか。
「……どうかしたのか」
 もの言いたげな表情に見えたのでそう訊ねる。
「いや……分かんねえモンだなと思ってさ」
「疑問点でもあるのか」
 彼の言う「分からない」を、仕事の上でのことだと判断したヒューイは、相談に乗るつもりで姿勢を正した。

 しかし、
「……フッ。」
 遠い目になったベネディクトは力なく笑い、肩を竦めてから仕事の続き──テストの採点のようだ──に戻った。

 なんだ今のは。
 分からないのはベネディクトの態度の方である。
 いまいち腑に落ちなかったが、まずはヘザーに付き合うために、予定表を作り直さなくては。
 ヒューイもまた机に向き直った。



(番外編:ベネディクト黙示録 了)


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