21 / 29
第3章 Nameless Hero
02.陰謀の渦巻く夜に 1
しおりを挟む「オーナー、お先です」
「お疲れさん」
この日、アンドリューは暗くなる前に仕事を終えた。今頃姉はグレンと曾祖母の財産を掘り起こしに、湖に向かっている筈である。自分も同行して感動の瞬間をこの目で見てみたかったが……そういう訳にもいかなかった。
そして姉には「仕事が入っていて行けない」と説明してあるのだが、本当は、叔父のジェレマイアの家に呼ばれていた。
叔父は、アンドリューにもっと大きな美術関係の仕事を紹介できるかもしれないと言うのだ。「交渉が決裂する場合もあるだろうから、他の人にはまだ言わないで。もちろんキャスリーンにも」と念を押されている。
だが、印刷所でチラシを作るよりも、もっとずっと稼げる仕事らしい。叔父が紹介してくれる仕事を請け負うことが出来たら、夜会用の服をたくさん用意できる。姉だって新しい仕事を探す必要がなくなる。
「……あれ?」
そこまで考えて、そういえば、もう積極的に夜会に出席する必要はないのだと気が付いた。曾祖母の財産を、今夜掘り起こすのだから。
もちろんアンドリューだって仕事をする必要は無くなるのだが……でも、自分たちが考えていたよりも、お宝の価値がずっと低い場合だってある。なにより、アンドリューは仕事をして対価を得る、という行為が嫌いではなかった。それが美術に関する仕事であればなお嬉しいと思う。
「もっと稼ぐのは、悪いことじゃないはずだ。それに、」
それに「夕暮れの礼拝堂」について、叔父に相談してみようかと考えている。もしもあの絵が自分の作品だと知れてしまったら、意図した贋作でなくても罪に問われるのだろうか。そういうことを、聞いておきたいと思った。
叔父の家は三階建てのそこそこ大きな屋敷だが、これは彼の仕事が成功しているからではない。見栄や世間体を気にして用意した屋敷だった。成功するための投資ともいえる。だから使用人は少ないし、普段使う部屋も限定されていた。
「君がアンドリュー君だね! いやあ、会えるのを楽しみにしていたんだよ」
叔父の家を訪ねると、応接室でフリッカーという白髪まじりの恰幅の良い男性を紹介された。どうやらこのフリッカー氏が「大きな仕事」をもたらしてくれる人物らしかった。
「はい。アンドリュー・メイトランドです」
差し出された手を取り、握手を交わす。フリッカーはにこにことしていて人が良さそうだし、彼の身なりはいかにも上流階級のそれっぽいので、アンドリューはなんとなく安心した。
使用人の一人がお茶を運んできて、しばらくはそれを飲みながら和やかな会話を交わす。フリッカーはアンドリューの今の仕事、それから美術学校時代の話を聞きたがり、アンドリューが話すと、ニコニコ笑顔のままうんうんと頷いていた。
「つまり、アンドリュー君はお手本さえあれば能力を発揮できる……そういう才能の持ち主なんだね」
「いえ。才能って言われちゃうと、恥ずかしいんですけど……」
アンドリューに「創造」のセンスはない。だが、手本さえあればそっくりなものを作ることが出来た。美術学校の同級生たちの中には、アンドリューのことを「フェアじゃない」と表現する者もいた。確かに一から創造できる人間からしたら、自分の美術は邪道なのかもしれない。
現在のチラシ作成の仕事も、顧客が細かい注文をつければつけるほど、アンドリューにとってはやり易かった。しかし「適当にやって」「いい感じに仕上げて」など漠然としたことを言われると、逆に何もできなくなってしまう。そういう時はオーナーにアドバイスを貰いながら、なんとか作業を進めている状態だ。
「うんうん、なるほど。素晴らしいよ」
「いや、素晴らしいなんて、そんなことは全然……」
「それでね。アンドリュー君。私が君に頼みたい仕事とは、何だと思う?」
「え。ええと、それは……」
叔父もアンドリューの能力を把握している筈だから、彼が紹介する仕事とは……大きな劇場の看板を描けたら嬉しいなとは思うが、まさかとも思う。アンドリューが首を捻ると、フリッカー氏は椅子の背に寄りかかり、目を細めた。
「君の描いた『夕暮れの礼拝堂』……素晴らしかったよ」
「……え?」
「ショーン・ケンジットの描いたものだと言っても、誰も疑わなかったからね。出来ることならケンジットのサインまで入れてみてほしかったけれど、学校の課題だから、無理だったのかな?」
「え……え? あ、あの……」
ショーン・ケンジットの「夕暮れの礼拝堂」。美術学校時代にアンドリューはこれを模写した。そして今、何故かアンドリューの描いた模写にケンジットのサインが入れられ、それを王都の美術商オリヴィエ・グラックが所持している。
誰かがアンドリューの模写を持ち出し、ケンジットのサインを書き足した。そして「本物」として売りに出した……そこまでは分かっていた。
アンドリューは、ゆっくりと叔父の方に視線を向ける。
彼はアンドリューと同じようにゆっくりと頷いてみせた。
「ああ……」
絶望とも落胆とも言えそうなため息が出た。
叔父は贋作の売買に絡んでいるのだ。アンドリューに紹介したいという仕事も、自ずと理解できる。
アンドリューが理解したと同時に、フリッカーが今度は身を乗り出した。
「手本があれば描くのは容易いんだね? ケンジットの『未発表作品』を描くことはできるかい? 『夕暮れの礼拝堂』は素晴らしかったけれど……同じものが二つ存在する、というやり方よりは『未発表作品』の制作に取り組んでもらった方が色々と都合が良いんだ」
これまでに発表されているケンジットの絵から、彼のタッチや色使いを研究し、「ケンジットっぽい作品」を作ることならば可能であろう。しかし。
「し、しかし、それは……」
「そう。危険な仕事だ」
フリッカーが言った。そこに叔父が付け足した。
「でも、とても大きな仕事だよ。おいで、アンドリュー。この屋敷に君のアトリエを設えたんだ」
そこに、ケンジット作品──模写ではあるが──がいくつか用意してあるらしい。
アンドリューは、この話を断るべきだと思った。まっとうな人間としてはもちろん、美術に携わった人間の道徳心からとしても。
だが、アンドリューは知っている。絵画の売買は大きな金額が動く。しかもこれは犯罪行為だ。この話を断ったら……自分は、口封じのために消されるのではないだろうか。
隙をついてこの屋敷から逃げ出し、行方をくらませることも考えたが、自分がそんなことをしたら姉はどうなるのだろう。
叔父の仕事の紹介に飛びついてしまった時点で、逃げ道は塞がれていたのだと悟った。
アンドリューは椅子から立ち上がった。叔父とフリッカーがピクリと動く。やはり断ったり逃げ出そうとしたりしたら、自分は無事では済まないのだろう。
そこで二人に向かってにこりと笑った。
「じゃあ、さっそくだけど……見せてもらえますか、ケンジットの作品」
ここは彼らに従うふりをするしかあるまい。
叔父もまた良い笑顔を見せて立ち上がった。これまで彼が日記探しに協力してくれていたのは、アンドリューに恩を売っておきたかったからなのだろうか。
「では、アンドリューに急な仕事が入って、しばらく家に帰れないとキャスリーンに教えてあげなくてはね。後で彼女にメモを届けることにしよう」
次に家に帰れるのはいつになるのだろうと、アンドリューは不安になった。
*
墓地の入り口にあるアーチをくぐった時、グレンが言った。
「ひいおばあさんたちの、お墓の場所って覚えてる?」
「……ごめんなさい、覚えてないの」
「子供のころに来たきりなら、無理もないか。じゃあ、『西の桟橋が見える場所』……それを手掛かりに探そう」
曾祖母の日記には、自分たちが眠る場所を買った時のことが記されている。湖の、西の桟橋──キャスたちがボートに乗った場所だ──が見えるところを買ったらしい。詳しい場所までは分からないが、とりあえずの方角だけは見当をつけることができた。
グレンは荷物を持ってくれているから、キャスが彼の半歩前を歩いて足元を照らす役目を負っている。両手が塞がっているせいもあるのだろうが、彼は宣言した通り、ふざけてキャスを怖がらせたり、変なことを言ったりはしなかった。
暫くは茂り過ぎた生け垣に沿って進んだが、それが途切れると同時に視界も開ける。その開けた土地に、いくつもの墓標が並んでいるのがぼんやりと見えた。
「まずは一番奥の区画から探そう」
グレンの言葉に頷くと、キャスはランプを掲げて暗闇の中を進んだ。
敷石のあるところ以外は、雑草が伸び放題だ。西の桟橋を確認しようとキャスは顔を上げたが、湖は黒く塗りつぶされているように見えた。でも、遠くにルルザの街の灯りがぽつぽつと灯っているのが分かる。いつものこの時間は、自分はあの灯りの中にいるのだ。
不思議な非日常感に包まれそうになった時、グレンが声をあげる。
「ちょっと、止まって」
立ち止まってグレンを振り返ると、彼は奥から二番目の墓標の列──今歩いているところの隣の列──を見ている。
「あのさ……ひいおばあさんたちのお墓……まさか、あそこじゃないよね」
グレンの言い方はちょっとおかしいと思った。お墓の発見は喜ばしいことであるはずなのに、彼の声音には「嫌な予感がする」とでも言いたげな雰囲気が含まれているのだ。
でも、ランプでそちらを照らした時、キャスにも彼の言いたいことがすぐに分かった。
隣の墓標の列に、荒らされたような形跡があったのだ。まるで、お墓とお墓の間を掘ったような跡が。
そのまさかだった。
シャーロット・メイトランドと記された墓標と、隣にあるキャスの曽祖父の墓。その間には大きな穴が開いていたのだ。
「え……こ、これ。どういうことなの……」
キャスたちよりも前に、誰かがこの場所を掘り返している。しかも、それほど前ではない。見れば分かることなのに、思わず呟いてしまう。
グレンがしゃがみ込んで、穴の中をランプで照らす。
穴はキャスの腰くらいまでの深さだ。身体を折りたたんだら、キャスの身体はすっぽり入ってしまうだろう。それくらいの幅があった。穴の隅を見てみれば、何か四角いもの──木箱かもしれないし、金属の箱かもしれない──の跡がついている。そして掘り起こした分の土は、埋め戻すことをせずに穴の脇に盛られたままであった。雨で崩れたり流れたりしたような形跡もない。
グレンも同じことを思ったようだった。脇に盛られた土を指でつまむ。
「二、三日前の朝、雨が降ったのを覚えてる? これは、それよりも後に掘った穴だと思う」
「じゃ、じゃあ……いったい、誰が……」
「うん」
隠し財産は、誰かの手によって掘り出された後だった。しかも、ごくごく最近に。では、誰がやったのか。次はそこを考えるべきなのだろう。だが。
「な、なんで……」
「キャスリーン」
がくりと膝をついたキャスを、グレンが支えようとした。
「なんで……」
キャスは力なく「なんで」と繰り返した。
誰が、いつの間にやったのか。それよりも、ない。なかった。ある筈のものがなかったことに、キャスは打ちのめされていた。
湖岸へ戻るボートに乗っても、キャスは何も言わず、ただ膝を抱えて座っていた。
さっきまでのワクワクした気分が嘘みたいだ。
悪いものを食べた訳じゃないのに吐き気がする。ケネスに触られた時も吐き気がしたけれど、受け入れられない現実を突きつけられた時も吐き気がするのだと知った。
「もしかして、酔った? 具合が悪そうだけど……吐きたいなら、ボートから落ちないように気をつけて」
グレンがボートを漕ぐ手を止めた。暗くてよく見えないが、ここは湖岸と島の中間くらいだろうか。確かに今の気分は「吐き気がする」と表現できるのだが、だからと言って実際に胃の中のものが出てきそうにはなかった。
「ごめんなさい……ボートを動かしても大丈夫よ」
大丈夫ともほど遠い気分ではあったが、ここはこう言うしかあるまい。キャスは顔を上げたが、今度はグレンが下を向いた。
「……あれ?」
彼は屈んでボートの底に触れる。
「キャスリーン。このボート、水が入ってきてる」
「えっ?」
キャスは座席部分で膝を抱えていたから気づかなかった。びっくりして足を下ろすと、びちゃっという音がして、ブーツの先が濡れるのを感じた。
「えっ? ええっ!? な、なんで!?」
「どこかに穴が開いているんだ……まずいな。どんどん水が増えてる」
慌てて手で水を掬って外に出すが、全く意味のない行為だとすぐに気づいた。それほど水が増えるのは早かったのだ。
「キャスリーン。君は泳げる?」
「えっ……?」
その質問にキャスは固まった。もしかして彼は、水に飛び込めと言いたいのだろうか。それに自分が泳げるかどうかなんてわからない。キャスは泳いだことがなかったからだ。泳ごうと思い立ったことすらない。
キャスの様子から、グレンはキャスが泳げないと判断したようだ。彼は立ち上がると水にオールを投げ込んだ。それから自分が座っていた座席の部分を掴み、思い切り引きはがした。釘打たれていた木の板は、バリッと音を立てる。勢いでボートが大きく揺れた。
「あわ、あわわ……!」
キャスは沈みかけているボートに思わずつかまった。
「キャスリーン! このボートは沈む。水に入ったら浮いてるものにつかまるんだ」
グレンは木の板を水に投げ込むと、次はキャスを立たせて、さらに突き落とした。
「ぎゃわあ!」
「慌てちゃだめだ。ぼくが投げたものにつかまって!」
キャスは水に浮いていたオールに手を伸ばしたが、それは指先を掠めただけで、遠のいていってしまう。
「キャスリーン! これを!」
またバリッと大きな音がした。彼が座席をもう一つ引き剥がしたのだ。それはキャスの目の前に投げ込まれたので、つかまることが出来た。それは良いのだが、今度はバランスが取れない。板にしがみ付くと身体ごと沈んでしまいそうになり、キャスは溺れかけた。
「キャスリーン、慌てないで。板も身体も浮かせることをイメージして」
いつのまにかグレンも水に飛び込んでおり、彼はキャスの腋を支える。そして邪魔になっていた布──キャスの首のところで結んでいた布──を解き、改めて落ち着くように告げる。
すると不思議なことに、キャスは板につかまりながら、水に浮くことが出来るようになっていた。
「コツを掴んだら、今度は岸を目指して足で水を掻くんだ」
キャスはグレンの言葉だけに集中した。そして彼の言うとおりに身体を動かしていると、次第に湖岸が近づいているように見えた。やがてグレンの足が水底に届くようになったらしい。そこからは彼がキャスを支えながら水の中を進んでくれて、岸にたどり着くことが出来たのだった。
砂と小石だらけの湖岸で、キャスは座り込んで息を整えていた。
生きている。
しかし、キャスの生きる希望だった財産は無くなっていた。
でも、自分は生きている。
ない。どうしよう。自分には何もない。なくなってしまった。
でも生きている……。
その二つの考えが交互にやって来る以外は、何も思い浮かばなかった。
桟橋のところで何かをやっていたグレンが水を滴らせながらキャスの元へやって来て、「いったん帰ろうか」と呟いた。
隠し財産がなくなってしまったこと。死にそうになったこと。でも、生きていること。
それ以外のことに考えが向かったのは、家について、グレンに取り敢えずの着替えを渡した時だ。
彼もキャスと同じくらいずぶ濡れだったので、アンドリューの服を貸すことにした。しかし、グレンはアンドリューよりも一回り以上身体が大きい。だから弟の持っている服の中で、一番大きくてゆったりしたもの……ガウンを選んでグレンに渡した。
彼はキッチンの方で着替えを済ませると、濡れた服を外で絞って来ると言った。アンドリューのガウンは彼にはやはり小さすぎたみたいで、肩はパンパンで袖が引っ張られている状態だし、丈に至っては笑えるほど短くなっていた。むき出しの足が露出狂みたいに見えてキャスは本当に笑いそうになったが、グレンが濡れたズボンのポケットの中のものを取り出してテーブルに置いた時、笑う訳にはいかなくなった。
それは、彼がいつも時間を確認する時に使っていた、金の懐中時計だったからだ。おそらくはかなり高価なものだ。彼はそれを水没させてしまったのだ。
グレンが外に出て行った後で、キャスはそっと懐中時計を持ち上げてみた。ずっしりと重い。本物の金の重さだと感じた。時計から水滴がぽたぽたと落ちた。
それから、彼が犠牲にしたものの大きさを考えて、恐ろしくなった。
日記を探すために蒐集していたエラーコインを手放し、さらに金の時計をダメにした。おまけに死にかけた。全部、全部自分に関わったせいだ。
隠し財産を手に入れられなかったキャスは、どうやって彼に詫びたらよいのだろう。
「ど、どうしよう……」
その時玄関のドアが開く音がして、キャスは顔を上げた。
グレンはキッチン奥の裏口から外に出て行ったはずだ。だからアンドリューが帰ってきたのだと思った。弟にも非常に残念な出来事を伝えなくてはならない。
足音が近づいてきて、その主が現れる。
「アンドリュ……あっ」
キャスはそこで口を噤んだ。現れたのは弟ではなく、叔父のジェレマイアだったのだ。
「おや、キャスリーン。まさか、生きていたとはね」
おじさま、あのね、どうしよう! そう言って彼に駆け寄ろうとしたキャスだが、一歩踏み出したところで今の彼の言葉はなんだか変だと感じた。
叔父はキャスが死にかけたことを知っている。つまり、自分は「死にかけた」のではない。「殺されかけた」のではないかと。
「お、おじさま……?」
後ろに下がったが、叔父が距離を詰めてきて、キャスの手首を掴んだ。
「君が生きているということは、あの騎士も生きているとみていいんだろうね」
「お、おじさま。い、いったい、何を……」
ひょっとしてボートに細工がされていたのだろうか。そして、曾祖母の財産を掘り出したのは、叔父なのではないだろうか。力では叔父に敵いそうにないうえ、彼の後ろからもう一人、恰幅の良い男性が現れた。
「フリッカーさん。この家の中に騎士が潜んでいるかもしれません。気をつけてください」
フリッカーと呼ばれた男が頷いた時、キッチンの奥のドアが開く音がした。グレンが戻ってきたのだ。
「キャスリーン、さっきの、ボートのことだけど……」
「グレン様! 来ちゃダメ、逃げて!!」
キャスはそう叫んだが、ほぼ同時に叔父の腕がキャスの首にかかった。
「……やっぱり二人とも生きていたのか。フリッカーさんと一緒に来て正解だった。ツキは私の方にあるようだ」
叔父の腕に力がこもり、キャスの首がぐっと絞めつけられた。
「うぐっ……」
「キャスリーン!」
「動くな!」
駆け寄ろうとしたグレンに向かって叔父が怒鳴る。
「私とて姪っ子をこの手で縊り殺すような真似はしたくないんだが……君次第だ。キャスリーンを助けたかったら、そこの壁に両手をつけなさい」
グレンはキャスと叔父、そしてフリッカーを見比べ、状況を把握したようだ。
いや、彼は「ボートのことだけど」と何かを言いかけていた。もしかしたら、グレンはすでに叔父の仕業だと見抜いていたのかもしれない。ここに叔父がやって来て、キャスを人質にするとまでは予想出来なかっただろうけれど。
彼はゆっくりと壁に向き直り、そこに両手をつける。フリッカーが彼の元へ向かい、武器を隠していないかを確認した後でグレンの身体を縛り始めた。
叔父の腕はまだキャスの首に食い込んでいるが、息ができないほどではない。呼吸よりも胸が苦しくて、涙が零れそうだった。
逃げてと言ったのに。
しかし、グレンがここでキャスを見捨てる訳がないことを、心のどこかで知っていた。
だから彼が好きなのだ。
あれこれと皮肉を言いながらも、キャスの宝探しや戯言にしっかりと付き合ってくれる彼のことが。
でも、自分は彼にとって、とんだ疫病神ではないか。
0
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
いつか彼女を手に入れる日まで
月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる