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第2章 Eureka!!
08.我ら、発見せり! 1
しおりを挟む夜が明けると、キャスはアンドリューとともにマグリール古物商へ向かった。
大通りを歩いていると、二人の脇を幌馬車が通り過ぎていく。埃が舞ったので、キャスは鼻の前で手をパタパタとやってそれを追いやった。
「グレン様も来るって言ってたよね」
「えっ?」
「グレン様。店の前で待ち合わせなんでしょ」
「えっ、ええ。ええ。そうね。そうだったわね!」
彼の今日の仕事は午後からのようで、それまで日記探しを手伝ってくれると言っていた。
昨夜は日記についての新しい情報に喜んで舞い上がってしまったが、そういえば、グレンとはキッチンで……。
一夜明け、お日様の下であのキッチンでの出来事を思い出すと、自分がとんでもなく罪深い人間になったような気がした。
ケネスに触れられたのが気持ち悪くて、グレンがそうでなかったという理由は……ケネスが乱暴だったせいもあるのかもしれないが、でも、それだけではないと思っている。
キャスは、グレンにだったら多少乱暴にされても、きっと頭がくらくらして彼に身を任せてしまっていたような気がするのだ。
グレンに胸を掴まれて腰を押し付けられたキャスは、「このままどうにかなってしまいたい」とすら思った。だから調理台に押し倒された時は、不安よりも期待が胸に満ちた。
でも、グレンは自分のものにはならない。
彼は「恋愛も結婚もしない」と断言していたし、仮に家の都合か何かで結婚することになったとしても……相手は後ろ盾のしっかりしたお嬢様であって、キャスではない。
身を任せてしまったら、後で泣くことになるのではないだろうか。そんな考えが頭の隅を掠めて行ったが、胸を吸われて足の間を刺激されているうちに、どうでも良くなってしまった。
アンドリューが帰って来なかったら、グレンに「よいしょ」をさせてしまっていたのではないだろうか。
未婚で妊娠してクビになったメイドの話をまた思い出した。クビになるのが分かっていたならば、どうして「よいしょ」してしまったのだろうと不思議だったが、相手がケネスみたいな男だったら無理強いされたのだ。でも、相手がグレンみたいな人だったら……途中で止められなかったのだ!
昨夜は中断を残念に感じたはずだったが。
キャスはそこで弟を見上げた。
今は、取り返しがつかなくなる前にアンドリューが帰ってきてくれて、本当によかったと思った。
大通りから細い路地に入って、いくつかの角を曲がる。すると、マグリール古物商の前には背が高くてスタイルの良い、薄茶の髪をした青年が立っていた。
キャスは気恥ずかしくなって歩みが遅くなったが、反対にアンドリューは彼に向かって小走りで駆けていく。
「グレン様! もう来てたの? あれ? 俺たち、もしかして遅刻しちゃった?」
「いや。今、九時四十五分だよ」
彼は胸ポケットから立派な懐中時計を出して時間を確かめた。
店が十時に開くらしいので、そのくらいの時間に待ち合わせをしていたのだが、もう店が開いていたのだ。
「十時開店だと思い込んでいたわ。そうじゃなかったのね」
アンドリューに追いついたキャスは、店の前に並べられたお皿や壷を見渡して言った。本の類はきっと店の中になるのだろう。
「キャスリーン。君の以前住んでいたところって、今はどうなってるの」
店の奥の本棚を眺めながら、グレンが言った。
「今? 誰も住んでないみたい」
だから買い戻しのチャンスでもある。誰かが住んでいたら、売買は難航しそうだから。しかし、グレンはどうしてそんなことを訊くのだろう。
「……何かが隠してある候補地の一つになるだろう? ルルザの街は君のひいおばあさんの時代とは大きく変わってる」
確かに、曾祖母の残した地図と今の街は違いが多く見て取れる。取り壊された建物も多い。空地は当時よりも格段に少なくなった。でも、自分が所有している土地ならば、大きく変わることはない。
「何かを隠すとしたら、自分の土地……たとえば、家を建てた土地なんかを選ぶと思うんだ」
ただし、孫──キャスの父親──が会社を傾けて、その土地や家が無くなってしまうとまでは考えていなかっただろうけれど。そして財宝が、キャスが以前住んでいた場所に隠されているとしたら。
「まあ。じゃあ、誰も住んでいなくて良かったわ」
「……でも、どこかの不動産屋の物件になってるんだろう?」
住人がいる土地に忍び込むよりはマシかもしれないが、それでも不法侵入にはなるだろう。屋敷を管理している人間や近隣住民に怪しまれたりしたら、ルルザの騎士団に通報されてしまう。
「だとしたら……作業は夜になるわね。黒っぽくて、動きやすい服を用意しておかなくては」
「屋敷の他にも、『タグリム商会』の持ち物だった土地や建物をチェックしておいた方がいいかもしれない」
話をしながら本棚に収まっているものを確かめていくが、時間がかかりそうだ。
本棚は大きくていくつも並んでいるし、表紙の色や本の厚みで仕分けされている訳でもない。この作業は骨が折れそうだ。キャスは改めて本棚を見渡し、小さなため息をつく。
そしてグレンも同じことを思ったようだ。彼は振り返って店主に話しかける。
「店主殿、すみません。昨日、リネカー氏の遺品を買い取ったと窺ったんですが」
するとカウンターのところで何かの書類を書いていた店主が顔を上げた。
「うん? ああ。ものすごい量だったよ。手伝いを雇っても整理が追い付かなくてね」
キャスはなるほどと思う。こうして店主に訊ねてしまえばよかったのだ。
昨日買ったばかりのものならばどこへ並べたか覚えているだろうし、或いはまだ店には並べていないことが判明するかもしれない。
しかし店主の口から不穏な単語が飛び出した。
「でも、たまたま王都の買取り業者が来ていたのはラッキーだったよ」
「王都……の、買取り業者ですか?」
「遠方の業者と取引することも大事だね。一所で流通させるよりもいいだろう?」
「ちょ、ちょっと待ってください。もしかして、リネカー氏の遺品は……」
店主は、焦った様子のグレンとは対照的な微笑みを見せた。
「ああ。この店にはもう並べるスペースがなかったから、今朝引き取ってもらったんだ」
「な、なんだって……!?」
「ええー!!」
キャスも思わず叫んでしまった。別の本棚の並びにいたアンドリューが「何かあったの」と顔を出したが、説明すると彼も青ざめる。
「姉さん。ここに来る時すれ違った幌馬車って、ひょっとして……」
馬車などいくつもすれ違ったが、ひときわ大きな幌馬車は印象に残った。くすんだ緑色の丈夫な幌布を使っていて、旅に適した感じの馬車だったからだ。
「くすんだ緑色……ああ、きっとその馬車だね。朝のうちに王都に向けて発ちたいというから、それで店を早く開けたんだよ」
昨日リネカー氏の遺品を店の前で整理していると、王都の業者が通りかかってそれに興味を持った。そこで売買の書類上の手続きだけを済ませ、王都の業者はリネカー氏の遺品を今朝積み込んで出立したらしい。それが、いつもより早く店が開いていた理由だった。
キャスとアンドリューは顔を見合わせた。その幌馬車に、曾祖母の日記が積んであるかもしれないし、ないかもしれない。
「ね、姉さん。どうする? 追いかける?」
「え、ええ。でも……」
早い馬車を借りたとして、どれくらいで追いつけるのだろう。こうして迷っている間にも、幌馬車は王都を目指して南下している。
「ぼくが馬で追いかける。あっちの通りに繋いであるんだ」
グレンはこの近くまで馬でやって来ていたらしい。単騎ならば、幌馬車にもすぐに追いつけるような気がした。だが、グレンはキャスとアンドリューを見比べる。
「もしも幌馬車に日記が積んであったとしても……ぼくだけじゃすぐに判断ができないと思う。そこで君たち姉弟のうち、一人ついて来てほしいんだけど」
「それなら、姉さんが行った方がいいよ。グレン様の馬に一緒に乗るんでしょ? 姉さんの方がずっと軽いもん」
「えっ?」
確かに理に適ってはいるが、騎士の乗るような速くて大きな馬には乗ったことがない。振り落とされたりしないだろうか。ちょっと慌てたキャスだが、グレンも頷いている。
「ぼくもその方が助かる。鞍は一人用だから、君くらい小さい人でないと」
「えっ? えええ?」
怖いし気は進まないが、ここはキャスが行くしかないのだろう。グレンが店を出てずんずん歩いていくので、彼の後を追いかける。向かいの建物の陰の支柱に、彼の馬は繋いであった。
人通りの多い場所ではグレンは馬を引いて歩いたが、街から外に出たところで、彼は長い足を使ってひらりと馬に飛び乗り、それからキャスを引き上げた。
横向きに抱えられる状態となったキャスは、慌ててグレンにしがみ付く。
「うわわ!」
「飛ばすから、舌をかまないように気をつけて」
彼はそれだけ告げると片手でキャスを支え、片手で手綱を取った。
馬は、早いし揺れるし予想通り怖かった。うっかり下方に視線をやれば、地面が飛ぶように過ぎていくのが見える。こういう時は、空を見た方がいいのだろう。でも上を向くと、すぐ傍にグレンの顔があった。
もとからハンサムな人ではあったけれど、このアングルからアップで見てもかなりいい男だ。それでいてルルザ聖騎士団に所属しているのだから、若い女性は彼を放っておかないだろう。リフィア・ブライスが彼に言い寄ることはもうないのだろうが、押しの強いリフィアがいなくなったことで、これから先も女の子がわらわらと湧いてくるに違いない。
でも、彼は恋愛も結婚もしないと言っていた。王都に残してきた女性がいる訳でもないらしい。
騎士の身分を捨てて修道士にでもなるつもりなのだろうか。
過去に酷い失恋をしたとか、或いは恋人と死別しているとか……?
いや……ひょっとして……男が好きとか?
「えっ? えぇえええ……!」
「うわ、何!?」
「あ、あわわわ……」
「どうしたの?」
「ご、ごめんなさいっ。ちょっと、身体がぐらついちゃって!」
自分の考えにびっくりして思わず叫んでしまった。訝しむグレンをごまかしつつ、考える。自分とグレンが二度ほど行った際どい行為を思うに、彼は別に女嫌いという訳ではなさそうだ。それに彼は、少なくとも女性の扱い方を知っていた……ように思える。
やっぱりキャスに対して「お前とは遊びだ、本気になるなよ」と釘を刺しただけなのだろうか……。
グレンが自分のような没落娘を選ばないことなんて、言われなくても分かっている。
でも、次に彼と二人きりになって昨夜みたいなことが起こったら……はっきり言って、拒絶できる自信がない。自称・世事に通じた大人の女性としては、彼を軽くあしらっておあずけを食らわせてやりたいところだが、自分の方がおあずけを食らっている気がする。
キャスがごちゃごちゃと考え事を続けていると、
「見えた……! 飛ばすから、気をつけて」
「きゃっ?」
グレンはそう告げた後に、馬の速度を上げた。これまでも飛ばしてきたはずだが、今度は全速力なのだろう。落ちないように彼につかまった。
グレンは幌馬車を追い越し、少し行ったところで馬を止めて振り返った。
件の幌馬車はゆっくりとした速度で近づいてくる。そして声が聞こえそうな位置まで来ると、彼は声を張り上げた。
「すみません! ちょっと、いいですか?」
「……どうした、妹さん、具合が悪いのかい。水ならわけてあげられるけど」
「え?」
幌馬車の御者台にいた男は、グレンが病気の妹を医者に診せに行く途中だと考えたらしい。キャスは改めて自分と彼を見比べる。今の体勢は「お姫様抱っこ乗馬バージョン」に近いと思うのだが、キャスが小さすぎるせいなのか、あまりロマンチックなものには見えないようだ。
「お兄さん、ルルザの方から来たよね? 医者が必要なら、そっちに引き返した方がいいと思うんだけど……急いで南の方に行かなくちゃいけないの?」
「え? いや……彼女は妹ではないし、病気でもないです。ぼくたちは、貴方の幌馬車を追いかけてきたんです」
その荷物の中に、キャスの曾祖母の日記が紛れ込んでいるかもしれない。確かめさせてほしい。そう説明したのだが、御者であり王都の古物商でもある男は良い顔をしなかった。
「確かめたい? ここで!?」
彼はそう言って辺りを見回す。ここは、遠くにルルザの街並みが見えるだけの街道である。しかも幌馬車の中には荷物がぎっしりだ。
「ひいおばあさんの日記がほしいのはわかるんだけどさあ……うん、そういう人、結構いるよ? ご先祖の持ち物を取り戻したい人ってさ。気持ちはわかるよ? でもね、俺も、急いでるんだよね。あんまり長い間店を留守にするのも良くないし」
ここで荷物の確認などしていたら日が暮れてしまう。彼はそう言いたいのだ。
古物商はキャスの気持ちはわかると言ってくれたし、キャスも古物商の気持ちはわかる。でも、せっかく追いついたのだから確かめてしまいたいのだ。この荷物の中に、日記があるか無いかを。
どうしたら王都の古物商のおじさんを説得することが出来るのだろう。荷物を確認するには、自分も王都までついて行くしかないのだろうか……そう考えていると、グレンが馬を下りた。
「その荷物、いくらで買ったんですか」
「えっ? この後ろのやつ? 全部で?」
「はい」
「もしかして、お兄さんが買い取るつもり?」
古物商は驚いているようだが、キャスもびっくりした。でも、この荷物をすべて買ってしまえば、ゆっくりと検分できるのも確かだ。
しかしグレンは違うことを考えているらしい。
「いえ。全部は、処分が大変なので、ちょっと……でも、荷物を確かめる間、貴方の足止めをしてしまう。つまりぼくは、貴方の時間にお金を払おうと思います。それなら、時間を無駄にしたとは思わないでしょう」
「はー……まあ、確かに。けど、なあ。うーん……」
「貴方がこの荷物に払った金額を支払います。それで如何ですか」
「いやー……うん……うーーーーん……」
こういった取引は初めてなのだろう。古物商は考え込んでいる。
「この荷物なんだけどさあ。結構安い値段で買っちゃったわけ。だって、まだどんな価値のあるものが混ざってるか分からない状態だからさ。要は、ゴミの山から掘り出し物を見つける作業を、ルルザの古物商は省いた。その分俺に安く売ってくれた。でも、俺は王都に帰ったらその探索をしなくちゃいけない。だから、お兄さんの言う金額だと足が出ちゃうかもしれないしさあ……うーん……」
するとグレンは内ポケットを探り、小さなビロード張りの箱を出した。
「では、これと交換でどうですか? 古物の取引をしている方なら、価値が分かると思うのですが」
グレンはそう言いながら、箱を開けた。中にはピカピカの銀貨が一枚だけ収まっている。ハンカチを使って直接触れないように取り出し、古物商に向かって表と裏を交互に見せる。
「おっ、おお! エラーコイン!」
それはこの国の王妃の横顔が彫られた銀貨だ。通常、表には王妃、裏にはフェルビア王家の紋章が刻まれているのだが……グレンの持っているものには、どちら側にも王妃の横顔があった。
シンプルでわかりやすいエラーコインだ。しかも、状態は未使用に近い。
「こりゃ良い値で売れるやつだ! これ、くれんの?」
「はい。今、荷物を確かめさせてもらえれば」
キャスがはらはらしながら成り行きを見守っていると、古物商が満足げに頷いて、二人は握手を交わした。交渉が成立したらしい。
幌馬車を街道の脇に寄せてもらい、荷台に上がり込んで日記の捜索を開始する。荷台には木箱と、紐で縛った書物がたくさん積まれていた。
一つ一つ確認しながら、グレンに話しかける。
「グレン様、お金……」
グレンが金を払うと言い出した時から、彼が立て替えてくれることは分かっていた。キャスは貧乏だし、ルルザの古物商と取引するためのお金は持ってきてはいたが──足りるかどうかは不明であったが──王都の古物商が頷くに値する金額は出せそうになかったから。
「ごめんなさい。さっきのコイン、大切なものなんでしょう?」
「うん。まあ……レアものではあると思う」
彼がエラーコインを持っていたのには理由があった。キャスたちとの待ち合わせの前に、古銭商に足を運んでいたらしいのだ。なんでも、彼は古銭商に「表と裏が同じ模様のエラーコイン」が入ったら知らせてほしいと打診していたという。
そして昨夜、グレンが宿舎に帰るとその知らせが届いていた。だから彼は貴重なコインを持っていたのだ。
そしてグレンはあるかどうかも分からない日記を確認するために、そのコインを差し出した……。
罪悪感で、キャスの胸が潰れそうになった。
グレンはキャスが貧乏だということを知っている。今失ったコインを買い戻す金額を、キャスが持っていないことももちろん承知であろう。それにグレンは、自分が支払ったお金を改めてキャスに請求するような人ではない。
「本当にごめんなさい! 私、グレン様にどうお礼を言ったらいいのか……」
「ひいおばあさん達の財産を見つけたら、そこから払ってよ。それまでは貸しにしておく」
「え、ええ。もちろんだわ!」
「それに、エラーコインはいくつか存在するけど、君のひいおばあさんの日記はこの世に一つしかない訳だから」
グレンの言葉に、今度は胸がいっぱいになる。
月並みな言葉かもしれないけれど、でも、皮肉屋の彼が口にしたのだと思うと涙が零れそうになった。
「……急いで調べようよ」
俯いて涙をこらえていると、今度は急かされた。でも今は急かしてくれた方が有難い。
「え、ええ。そうよね。グレン様は午後からお仕事なんでしょう? 私一人でも……」
「仕事は五時半からだから。ぼくの時間はまだある」
「……。」
午後の仕事が五時半からとは。それは……今日は夜勤ということではないか。
本来ならば夜に備えて昼寝したりしておくべきなのでは。
「何もなければ、交代で仮眠をとる時間があるから大丈夫だよ」
彼はそう言うが、何かあったら徹夜ということになる。ここはキャス一人で調べるから、街に戻って休息をとってほしい。しかしそう提案しても、彼は首を縦には振らないだろうということも分かっていた。
言い合うだけ時間の無駄である。キャスが今出来る最善のことは、この荷物を出来るだけ早く、且つ丁寧に検分する……それに限る。
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