愚者の勲章

Canaan

文字の大きさ
上 下
3 / 28
第1章 Virgin Hard

03.童貞の道程

しおりを挟む


「え……?」
 ランサムはロイドをつま先から頭のてっぺんまで眺めまわし、再び目をぱちぱちさせる。それから躊躇いがちに訊ねてくる。
「ど、童貞……?」
 ロイドは覚悟を決めて大きく頷いた。

「そうかあ」
 ランサムはロイドにくるりと背を向ける。腕を組んだり顎のあたりを擦ったりしているようだが、本当は笑いをこらえているのではないだろうか。
 それからロイドはあることに思い当たり、ランサムに向かって叫んだ。
「あ! あの! この話、姉ちゃんにはナイショで!」
「え? うん。そうだね。ジェーンには内緒だ。男同士の秘密にしよう」

 こちらを振り向いたランサムは、やはり笑いを押し殺しているように見えた。
 ランサムはふと遠くを見つめてから、もう一度ロイドに視線を戻す。
「……でも、それが何か問題なのかい?」
「う、うん」

 大問題だ。男性の姿が目に入ると、その人が童貞なのかそうでないのかを考えてしまう。年の近い男であればなおさら。そして大抵は恋人がいるとか夜のお店に通っているとかの情報を耳にして、やっぱりなあと肩を落とす。
 同じ騎士団のメンバーと稽古をしていて「君はパワーもスタミナも人一倍あるなあ」と褒められることも多いが、その度に心の中で「でもそういう君は童貞じゃないんだろ!」と叫んで血の涙を流しているのだ。

 いつのまにかロイドの中では勝手に身分制度が出来上がってしまっていた。
 童貞と非童貞、その二種類しかないが。もちろん上位は非童貞の方。
 たとえ貧乏でも頭が悪くても、性格が悪くてもイケメンじゃなくても非童貞の方が圧倒的に偉いのである。
 非童貞が人間の貴族だとしたら、童貞は虫。二つの間にはそのくらいの隔たりがあるのだ。

「それは、また……なんとも極端な」
 器の大きいランサムもさすがに引き気味なのではないだろうか。彼はうーんと唸った。
「だったら、君もその手のお店で済ませてしまえばいいじゃないか。相手はプロだよ。初めてだって言えば、いろいろと丁寧に教えてもらえるんじゃないかな」
 それはロイドも考えた。友人に誘われることも多かったので、その度にお店へ行ってしまおうかどうか、頭を悩ませた。

「け、けど俺……知らない人となんてできないよ」
「えーと。知らない人とだからこそできるんじゃないかな」
 確かに。噂になるのが嫌だから遠くのお店にいったら、やはり噂になるのが嫌だから遠くのお店でこっそりと働いていた顔見知りの女性が出てきた……なんて話を聞いたことがある。お互い気まずいだろう。

 だがロイドが言っているのはそういう意味ではない。
 初対面の女性といきなりベッドに入るなんて、自分には出来そうにないのだ。
「お店に入った時にどういう娘が好みなのかを言えば……例えば小柄で金髪の娘がいいとか、黒髪の奔放な娘がいいとかさ。できる限り希望に合わせてくれるよ」
「う、うん。それも聞いたことあるけどさ。でも……」
 安い店はそういった融通は利かないらしいが、それなりの店ならば対応してくれると話に聞く。

 しかし。しかしだ。
 ロイド好みの娘が出てきて、それで彼女とセックスなんてことになったら……。

「俺、絶対好きになっちゃう! そんなの辛いじゃん!」
 相手は商売だからロイドに愛想よく振舞ってくれるだろう。それを分かっていても、好みの子に優しくされてセックスまでしてしまったら、絶対好きになってしまう自信がある。
 惚れたとしても相手は娼婦だ。自分以外の男にも抱かれることになる。それを阻止しようと毎晩店に通う。そして所持金が尽きた時、自分はどうなってしまうのだろう。借金を重ねるのか。それとも涙で枕を濡らしながら一人眠りにつくのか……そこまで想像がついてしまうのだ。
「ああー……。それは娼館のいいカモだね」
「だろ!?」
 娼婦に惚れこんで怪しげなところから金を借りまくり、やがて破滅する男も多いと聞く。娼館で童貞を捨ててしまったら、自分もそうなるのだろう。
 だからロイドは夜の店に行くのは躊躇していた。

「しかし……その手の店じゃなくても、王都で騎士をやっていたらそれなりに出会いもあるだろう?」
「あ、あるんだろうけどさ……」
 従兄のヒューイや騎士仲間の伝手で、夜会に招待されることはある。若い女性もたくさん参加している。しかし良い家柄のご令嬢には結婚するまで手を出してはいけない。これはロイドも良く知っている。
 そしてロイドの友人や先輩たちは、未亡人や、夫では満足できない若い人妻を相手に情事を楽しんでいるようだった。

「そういう人に相手をして貰ったらどうだい」
「う、うーん。そうなんだけど」
 それが一番無難なのだろう。ただ不倫は嫌だ。となると未亡人を探すことになる訳だが……再婚を望んでいる女性は、ロイドに出世を有望視されている双子の弟がいると知るや、そちらに狙いを定める。
 そしてただ若い男と遊びたい未亡人は、非常に積極的だ。
 ロイドの胸に手を這わせて「すごい筋肉ね、鍛えてるんでしょう」みたいなことを言いながら、手でも視線でもロイドのことを撫でまわす。
 そこまで欲望を剥きだしにされると、ロイドは怖気づいてしまうのだ。「用を思い出したので失礼します!」と女性の手を払いのけ、顔を真っ赤にして右と左の手足を同時に動かしながら──これは友人らの目撃談である──会場を退出するのが常であった。
 ちなみに、兵舎の自室に戻ってからも勃起が収まらず、精を抜いて複雑な気持ちに陥るところまでが一セットだ。

「私にしてみると、それも君らしくて微笑ましいけれどね」
 ランサムはそう言うが、今のロイドに必要なものは同情とか微笑ましさとかではない。コンプレックスの除去である。
「でも、まだ二十二歳だろう? その年齢なら童貞もたくさんいると思うけどなあ」
 ロイドの身の回りにはいない。少なくとも仲間や友人と呼べる範囲には。街中ですれ違う人の中にはいるかもしれないが、いちいち年齢と経験済みかどうかを訊くわけにもいかない。
「ランサムはどうなんだよ。二十二で童貞だった?」
「えっ。いや、私は……」
 ランサムはぱっと目を逸らした。ここにはロイドとランサムしかいないのにきょろきょろとし始める。

 なんでも、姉のジェーンやランサムの父母の話では、彼はとんでもない放蕩者だったらしい。ロイドたちがランサムと出会った理由も、そもそもは彼が生家を追い出されて旅をしていたからなのだとか。
 ロイドがモルディスに遊びに行くたびに、ランサムの母親が言う。「この子、昔は酷かったんだから」と。結婚して子供が生まれて、かなり真面目になったそうだ。

 ロイドにしてみれば、ランサムはいつも優しくて大らかで非の打ち所がない素晴らしい義兄だから、どのように遊んでいたのか想像もつかないのだが。……だが彼は恐ろしいほどのイケメンだ。二十二まで童貞だったという事はさすがにないだろう。もし、仮に、二十二まで童貞だったとしても、今は三人子供がいる。つまり、
「最低でも三回はヤッてるってことだ……!」
 思わず拳まで握ってそう力説してしまった。
 それを聞いたランサムは笑い死にしそうになっている。お腹を押さえ、目に涙を滲ませながら呼吸を整え、ロイドの肩をぽんと叩いた。

「ロイド。君の話を聞いていると、君は心と身体を切り離して考えられるタイプではないなあ」
「えっ? う、うん……」
 確かに、するんだったら好きな女の子としたい。だったら童貞を捨てる相手よりも結婚相手を探した方がいい。けど、初夜に挑むときのためにこそ、男の嗜みとして作法は覚えておいた方がいいらしいではないか。……行き詰まり状態である。
「うーん……」
「結婚するまで童貞だった人もたくさんいるよ。気に病むことじゃないと思うけどなあ」
 首を捻って唸りまくるロイドにランサムは優しく告げたが、やはり相談相手を間違えただろうか。びっくりするほどのイケメンが「童貞でも大丈夫!」と慰めてくれてもなんの説得力もないのだから。
「とにかくロイド。童貞を捨てるためだけに女性と関係するのは、君にとっては良いことじゃない気がするな。好きになった人と恋愛して、結婚して、それからでもいいじゃないか。その手の手引書はたくさんあるから、初めて同士でも大丈夫だと思うよ。なにも焦る必要はない」

 これはロイドの性質──単純かつ純情──をよく考えた上での発言だ。
 ランサムの意見はそれなりに頷けるものだった。
 ……となるとやはり出会いが必要だ。それから王都に帰ったら手引書を買って……いや、書店で知り合いに会ったりしたら大変だ。道中の大きな都市、ルルザやカナルヴィルあたりの書店を覗いてみよう。

 それから帰り道といえば。
 ロイドは懐から地図を取り出した。頼まれている仕事があるのだ。



「なあランサム。ステアリー領って知ってる?」
「うん? 聞いたことはあるな……」
「この辺らしいんだけどさ」
 ステアリー領と思しき場所を指で示す。恐ろしいほどに辺鄙な場所だ。どの街からも街道からも遠いのだ。
 ランサムの家の領地もこの国の北西の端でかなりの田舎であるが、隣国へ繋がる形で大きな街道が通っており、旅人や商人も行き交い、そこそこに活気づいている。
 しかしステアリー領は、地図上の位置を見る限りは人が住んでいるのかすら怪しい。

「ああ。ステアリー領。思い出した。そこは昔、二つの領地に分かれたはずだよ」
「えっ。まじで」
「領主のステアリー卿が、息子二人のために土地を分けたんだ。名前は……それぞれの集落の名前になったはずだけど、そこまでは分からないな……そこに何かあるのかい」

 そんなことになっていたとは。
 このステアリーの領地は、王都から離れすぎていて何も情報が入ってこない。
 そういった状況の土地は他にもあるが、ロイドがモルディスに住む姉を訪ねると騎士団長に申し出た時、「そっちの方にいくなら、ついでに調査をして来い」と頼まれたのだ。村や街の規模、人口、土地の境界などなど、分かることならなんでも。

「うーん。ついでと言うにはちょっと遠いよね」
 ランサムは苦笑いしながら地図を眺めている。
 モルディスを出たら街道沿いにトイワゴ、キドニス、サリマと街が続き、その次にルルザ……ロイドが十一歳までを過ごした街がある。このルルザが、モルディスと王都の中間地点くらいであろうか。
「……たぶん、キドニスまでは街道沿いを進んで、キドニスを出たら……たぶん、ここで南に折れるんじゃないかな。ほら」
 ランサムもロイドも地図が読めないわけではない。地図が古くて曖昧なうえ、ステアリー周辺が田舎過ぎて他の場所ほど精密に描かれてないのだ。

 ランサムの指した場所をみると、一本の樹木の絵が描いてある。おそらくはこの木を目印にして、南に折れるのだろう。
 ランサムに礼を言って、再び義兄弟の固い抱擁をして、絶対にまた会う約束もして、何度も振り返って手を振り、ロイドはモルディスの地を離れたのだった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻と夫と元妻と

キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では? わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。 数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。 しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。 そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。 まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。 なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。 そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて……… 相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不治の誤字脱字病患者の作品です。 作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。 性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。 小説家になろうさんでも投稿します。

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】

迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。 ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。 自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。 「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」 「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」  ※表現には実際と違う場合があります。  そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。  私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。  ※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。  ※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。

彼女が心を取り戻すまで~十年監禁されて心を止めた少女の成長記録~

春風由実
恋愛
当代のアルメスタ公爵、ジェラルド・サン・アルメスタ。 彼は幼くして番に出会う幸運に恵まれた。 けれどもその番を奪われて、十年も辛い日々を過ごすことになる。 やっと見つかった番。 ところがアルメスタ公爵はそれからも苦悩することになった。 彼女が囚われた十年の間に虐げられてすっかり心を失っていたからである。 番であるセイディは、ジェラルドがいくら愛でても心を動かさない。 情緒が育っていないなら、今から育てていけばいい。 これは十年虐げられて心を止めてしまった一人の女性が、愛されながら失った心を取り戻すまでの記録だ。 「せいでぃ、ぷりんたべる」 「せいでぃ、たのちっ」 「せいでぃ、るどといっしょです」 次第にアルメスタ公爵邸に明るい声が響くようになってきた。 なお彼女の知らないところで、十年前に彼女を奪った者たちは制裁を受けていく。 ※R15は念のためです。 ※カクヨム、小説家になろう、にも掲載しています。 シリアスなお話になる予定だったのですけれどね……。これいかに。 ★★★★★ お休みばかりで申し訳ありません。完結させましょう。今度こそ……。 お待ちいただいたみなさま、本当にありがとうございます。最後まで頑張ります。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

伯爵令嬢の秘密の愛し子〜傲慢な王弟は運命の恋に跪く

コプラ
恋愛
♡ドラマティックな愛憎劇の果ての超絶溺愛ハッピーエンド♡ たまにはこんな王道ラブロマンスで世界観に浸ってみてはいかがでしょう♡ ★先行ムーンにて日間連載ランキング最高位3位→2位(new❣️) お気に入り500new❣️ありがとうございます♡ 私の秘密は腕の中の可愛い愛し子にある。 父親が誰なのか分からない私の愛する息子は、可愛い笑顔で私を癒していた。伯爵令嬢である私はこの醜聞に負けずに毎日を必死で紡いでいた。そんな時に現れたあの男は、私が運命だと幼い恋を燃え上がらせた相手なの? 愛し子を奪われるくらいなら、私はどんな条件も耐えてみせる。夢見がちな私が一足飛びに少女から大人にならなくてはならなかった運命の愛が連れてきたのは、元々赤の他人同然の正体を明かされた大人の男との契約結婚生活だった。 燃え上がった過去の恋に振り回されて素直になれない二人のその先にあるのは?

処理中です...