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番外編:幽霊よりも怖いもの 2

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 夜勤の時間帯になると、エリオットは詰所内の通路の数箇所に魔方陣を描いた。

「これでよし、と……わかってると思うけど、この魔法陣を踏まないようにね」

 エリオットは夜勤に入った団員たちにそう言い聞かせる。今夜この建物にいるのは、通常の夜の巡回を行う者たちと、好奇心で夜勤に入ったマルコムとテレサ、それからスコットだ。スコットはやや怯みつつも「団長が幽霊を退治してくれるなら、それを見てみたい」と言っている。別にエリオットは幽霊を退治するつもりはないのだが。
 それから一階の、皆の机が置いてある部屋に戻り、通路に描いた魔法陣と同じものを紙に描く。
 するとテレサが興味深そうにエリオットの手元を覗き込んだ。

「それはどういう仕組みの魔法なの?」
「さっき通路に描いた魔法陣と連動してるんだ。誰か……いや、何かが通路の魔法陣に踏み込んだら、この魔法陣が反応して光るようになってる」
「へえ……『何か』って、ネズミとか野良犬とかでも?」
「そうだね。小さなノミやダニまで引っ掛かったら困るから、ある程度の大きさ……ネズミより大きな生命体に反応するように描いてみたんだ」

 テレサは「えー、すごい」と感心したように頷いてくれたが、マルコムは首を傾げながら顎を擦っている。

「けど、幽霊って足がないじゃないですか。魔法陣に踏み込めるんですかね?」

 マルコムのセリフにエリオットは思わず半目になる。あの雑な罠で、しかもエサを使って幽霊を捕まえようとしていた男にしてはまっとうなツッコミだと思った。
 でも僕が捕まえようとしているのは幽霊ではないからね。エリオットはそう答えようとしたが、テレサがマルコムに言い返した。

「きっと、足があるタイプもいるわよ。だって私、怪奇小説の挿絵で見たことがあるもの。足がある幽霊は、身体の所々が腐っててね、目玉が飛び出してて、それで……」
「おいおい。それはゾンビだろ」
「えっ……それって、幽霊とはどう違うの……?」
「えーと、幽霊って元々は死者だろ? ゾンビは不死者ってやつじゃないか?」
「だから、具体的にどう違うのよ」

 なんというしょうもない会話だろう。エリオットはそう考えたが、スコットは耳を塞いで震えている。

「待って。怖い怖い怖い……そんな話やめようよ」

 いまの会話のどこにそんなに怖がる要素があったのだろう。スコットは想像力が強すぎるのではないだろうか。
 けれども、魔法は想像力が大事だと唱える人もいる。
 エリオットは読み解いた魔道書を、どれだけ正確に魔法陣として再構築できるかがカギだと考えている。あとはトライアンドエラーを繰り返して魔法の威力や精度を上げていくのだ。イマジネーションの類はそれほど重要視していなかった気がする。
 今度魔法を使うときは、想像力というものも意識してみようと思った。

 エリオットが魔法について考えていると、最初の巡回組が出かけて行った。次に巡回に出る者たちは魔法陣を踏まないように気をつけながら仮眠室へ向かった。
 この部屋はエリオットとテレサ、マルコム、スコットの四人だけになる。

「暗くするよ。この建物の中に六人もいるって悟られたくないから」

 エリオットはそう説明してぶ厚いカーテンをしっかり閉じると、四人で円を描くようにして床に腰を下ろし、ランプの明かりを消した。
 同時にスコットが「ひぃい」と情けない声をあげる。

「く、暗い……ねえ、皆ちゃんといる?」
「いるいる!」
「マルコム、そんな適当に答えないでよ。誰かいなくなったりしてないよね? 皆いるよね?」
「私、いるわよ」
「僕もいるから安心して。スコット、そんなに怖いなら宿舎に戻っても大丈夫だよ」
「え? こんな夜更けに一人で宿舎まで……? 幽霊が出るかもしれないのに、無理ですよ」
「じゃあ、暗闇に慣れてもらうしかないかな」

 先ほどはスコットの想像力を参考にしたいと思ったが、ここまで怖がりなのはちょっと問題ではないだろうか。普段の彼は夜中に尿意を覚えたらどうしているのだろう。それを訊ねようとしたとき、エリオットの手首に誰かが触れてきた。
 瞬間的にこれはテレサだ、と感じた。
 実はテレサも暗闇が怖いのだろうか? いや、暗闇に乗じた秘密の挨拶なのかもしれない。
 エリオットが彼女の手を握り返そうとしたとき、スコットが言った。

「ねえマルコム。怖いから、手をつないでてよ」
「……スコット。君が触っているのは僕の手だよ……」
「え? 団長の? うわあっ、す、すみませんっ」

 あやうく握り返すところであった。
 エリオットは自分の手をさっと引っ込めて擦りながら呟く。

「もう少し、静かにしてもらっていい? こっちの気配を悟られると何も……現れないかもしれないから。暗いのが怖いなら、これを明かりだと思って」

 エリオットは先ほど魔法陣を描いた紙を前方に差し出した。魔法陣が、淡い緑色にうっすらと輝いている。周囲を照らすほどの明るさはないが、恐怖の軽減にはなるかもしれない。

「うわあ、綺麗だなあ」
「お、すげえ……」

 マルコムとスコットがほぼ同時に小さな声で呟く。エリオットは暗闇の中で頷いた。

「『何か』が通路の魔法陣に入ったら、この光が強くなるんだ」

 するとテレサのひそひそ声がした。

「通路の魔法陣はどうなるの? 強く光ったりしたら『何か』は逃げちゃうんじゃない?」
「いや、通路の魔法陣のほうは別の仕組みが発動するんだ」

 実はこの魔法陣の罠は、王城の厨房で使用されているものだ。
 何代か前のコック長が、当時の魔術師団に頼み込んだという。「厨房にゴキブリやネズミがたくさん出て困っている。魔法でなんとかできないだろうか」と。そこで編み出されたのがこの魔法だった。
「何か」が入り込んだ瞬間、魔法陣は強力な接着剤のような働きをするのである。罠にかかったネズミやゴキブリは魔法陣に貼りついたまま動けなくなるというわけだ。魔法陣の解除をする前に、それらを潰すなり焼き払うなりしなくてはならないのが少し不便だが、厨房ではいまも現役で使用されている魔法だ。

 エリオットは静かな声で皆に説明を続けた。

「そんなわけで、厨房で使われるようになってからの歴史は長いみたいだよ。たまに、盗み食いにしきた使用人が引っかかることがあるみたいだけどね」

 人間の場合、はじめは魔法陣と靴底だけがくっつく。だから靴を脱いで魔法陣から出てしまえば解決する問題だ。けれども普通は靴底と魔法陣がくっついた勢いで、手や膝をついてしまうのだ。そうなってしまったら、魔法陣が解除されるまで床に這いつくばっているしかないのである。

「なんとかして服や靴を脱ぐことで脱出した人もいたみたいだけど、ハダカで逃げ帰っているところを目撃されたり、残してきた衣類から身元がわかったりして、結局御用になるんだって」

 そんな蘊蓄を口にした後で、エリオットは「あれ?」と思った。
 幽霊だと思われている「何か」のことを、自分は動物の仕業に違いないと決めつけていた。けれども、人間の可能性もあるのだ。
 人間だと仮定すれば「それなりに高さのある黒い影」にも説明がつく。
 ただ人間だとすると……今度は「何のために?」という疑問が生まれる。財布などの貴重品は団員たちが各自管理しているが、ずっと詰所に置きっぱなしにしている人はいないだろう。それに武器防具を保管している部屋は鍵がかかっている。また、エリオット自身の研究室や重要な書類が置いてある部屋には魔法で鍵をかけていた。
 そもそもこの敷地の中は基本的に一般人は入れない。泥棒は王城で働く人間ということになる。あるいは、彼らに手引きしてもらった一般人。だが盗みたくなるような代物は詰所にはないわけで、貴重品狙いの侵入者とは思えない。
 連日侵入してくることも考慮すると、やはり「ここに食べ物がある」と学習してしまった菓子狙いの動物なのではないか──。
 そのように考えたとき、紙に描いた魔法陣がぱあっと強い光を放った。

「あ……!」

 皆がいっせいに声をあげる。
「何か」が魔法陣の中に踏み込んだに違いない。
 エリオットは紙の隅を確認した。数字の3を意味する古代文字が浮かびあがっている。これは「3番目に描いた魔法陣が反応している」ということになる。

「三つ目に描いたのは……北の階段の踊り場の魔法陣だ。行ってみよう」

 エリオットがカンテラに明かりを灯すと、マルコムは「よっしゃ、やってやるぜ!」と意気揚々と部屋から出て行った。テレサは「何か」を縛り上げるロープを用意している。スコットは「待って、置いて行かないで」と言ってエリオットの制服の裾をつかんだ。

「じゃあ私が手をつないであげましょうか?」

 テレサは振り返ってスコットにそう言ったが、エリオットは二人の間に割って入った。

「いや、僕がスコットの手を取る。君は明かりを持って足元を照らしてくれないか?」
「そう?」

 テレサは何でもなさそうにエリオットからカンテラを受け取り、向かう先を照らす。
 しかしエリオットとしては心のもやもやが晴れない。
 テレサは自分の前でほかの男と手をつなぐのをなんとも思っていないのだろうか? いや、これは任務に必要な行為と受け止めるべきだろうか。
 この場合、公と私についてどう分別すべきなのだろうと考えながら、エリオットはスコットと手をつなぐ羽目になってしまった。

 廊下に出て数歩歩いたとき、前方からマルコムの声がした。

「団長! なんかヒトが罠にかかってるみたいなんですけど! 暗くてよく見えないから、早く明かり持ってきてくださいよ!」

 テレサが怪訝そうな表情でこちらを振り返る。

「ヒト……?」
「じゃあ、幽霊の正体は泥棒だったってことかな」

 しかしこの建物の中に、盗みたくなるようなものなどあっただろうか。
 いったいどういった人間の仕業だろう。
 泥棒の素性に興味が湧き、エリオットは自然と足早になる。「幽霊ではなくて生きている人間」と判明したせいか、スコットも恐怖を払拭できたようだった。
 北側の階段に近づいていくと「ちくしょう」「どうなってんだよ」と悪態をつく声が聞こえてくる。おそらくは罠にかかった人間のものだ。

「どんな奴か、顔を拝んでやりましょうよ!」

 これは捕物劇だ、とわかったからだろう。テレサの声にも力が入る。彼女はカンテラで足元を照らしながら階段を一段飛ばしでのぼっていった。



 魔法陣の罠にかかっていたのは、二人の若い男だった。転ぶときに互いの身体がもつれたからだろう。二人は折り重なるように複雑な態勢で床に貼りついている。
 エリオットはテレサからカンテラを受け取り、二人の男の顔をよく照らしてみる。
 名前は知らないが、顔を見たことはある男たちだった。エリオットは彼らをいつ、どこで見たのか思い出しながら口にした。

「君たちは、確か……第九騎士団の」

 当たり前だが彼らは所属のわかるような衣類は身に着けていなかった。しかし第九騎士団の団員のように思えたのでそう口にすると、二人の男たちは諦めたように身体の力を抜いた。

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