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言いたいことはひとつ
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「シリル、なにかスープでも作ろうか。きっと体が温まる」
「……うん、ありがと」
家の中に入っても震えたままのシリルを心配してくれたのだろう。急いで帰ってきたから疲れているだろうに、グレンが台所に立ってくれる。
「食べかけだったのか? サンドウィッチが置いてあるが」
「うん、食べてるときにあの人がいるって気が付いたんだ。窓の鍵をかけ忘れた部屋に入り込んでいたんだ。うかつだった」
「自分を責めるな。あいつのことだから、鍵があっても壊して入っただろう。お前のせいじゃない。……ほら、出来たぞ」
グレンがスープをふたつ、机に並べる。肉と野菜の交じり合う香りに嗅覚を刺激され、気付くとスプーンを握っていた。
「美味しい……」
涙ぐんでいたことも忘れてぺろりと平らげると、グレンが机の向こうから微笑む。
「よかった。食欲があれば、すぐに元気になる」
「グレン、ありがとう……。このスープのおかげで少し落ち着いた」
「そうか、また作ってやる」
嬉しそうに喉を鳴らすグレンに、ふと疑問が湧いた。
「それはそうと、隊に戻らなくていいの? もうセスは捕まったから、心配いらないよ」
絵画チームの期待に応えたいと言っていたのを思い出してそう言うと、グレンが俯いたまま唸った。
「お前のショックが消えるまで、家にいようかと思ってな。調査隊はまた機会がある。それに、まだ発情期だろう。ひとりでいるよりは、俺がついているほうが安心だろう」
「うん、グレン。ありがとう……」
グレンの思い遣ってくれる優しさが嬉しくて、また目に熱いものが浮かんできた。
その晩は、それぞれの部屋で眠ることにした。
自分以外の気配をセスのそれと間違えそうで、そばについてくれるというグレンの申し出を断ってしまったのだ。
「ごめんね、まだ少し気が張ってるみたい。ひとりのほうが落ち着けると思うんだ」
「気にするな」
ポン、と肩を叩くと、グレンは自分の部屋へ向かった。
(グレンの尻尾、機嫌がいいときは上向きなのに下がってる。……情けないな、婚約者の好意を受け取ることもできないなんて)
自室に入ったシリルは寝間着に着替え、寝台横のランプの灯りで本を読みはじめた。数日前から読んでいる冒険活劇だ。本を読んでいるあいだは、昼間の恐ろしいことを忘れられる。現実がつらいとなおさらだ。シリルは活字を追い、竜を退治する話に没頭した。
(……目が文字を滑るようになってきたな)
瞼が重くなり、うつらうつらしたまま枕元のランプを消し、眠りの世界へと旅だった。
だがじきに昼間の悪夢が、さらに歪んだ形で再現される。
『シリル君、まだ番を決めていないということは、僕を待っていてくれたんだね。嬉しいよ』
青い狼の姿に変わったセスが、手を広げ近寄ってくる。
『近寄るな!』
『きみは僕の運命の番なんだ。そうじゃなければ、たかがフェロモンにこの僕がここまで翻弄されたりしない』
セスがにじりよってくる。服を脱がされ、湿った指が体を這いずりまわった。
『僕の番はグレンだけだ。離せ……っ!』
自分の上げた大声で目を覚ます。寝間着の首まわりが貼り付くと思ったら、びっしょりと汗をかいていた。
「はぁ、はぁ……」
月明かりだけが差し込む中、息を整えていると部屋の入口がカタン、と鳴った。
「だれ!?」
「俺だ、シリル。向こうの部屋まで叫び声が聞こえてきたから来たんだ。怖い夢でも見たのか?」
足首まである寝間着を来たグレンが、灯りを手に遠慮がちにこちらを窺う。ほっとしたら力が抜けた。
「グレン……!」
力の入らない足を必死で前に出し、グレンに駈け寄りしがみつく。
「昼間のこと、夢にまで見たんだ。助けが来ないかと思った。僕はグレンの子供しか欲しくないのに、あいつに襲われそうになって」
「大丈夫、もう大丈夫だ。シリル……」
シリルの薄茶色の猫っ毛を、そうっと撫でてくれる。頭皮にふれる獣毛が心地よくて、シリルはうっとりと目を瞑った。
「今から一緒に寝てくれる? グレンにくっついていると、きっと怖い夢なんて見ないと思うんだ」
「ああ」
寝台でグレンに抱きつき、シリルはそっと目を閉じた。だれかの体温を感じていると、さきほど見た夢などなんでもないことのように思える。
(グレンは強い。夜の魔力からも、どんな恐ろしい敵からも僕を守ってくれる……)
スウスウという寝息と、密着したグレンの鼓動だけが聞こえてくる。張りつめていた緊張の糸がほどけてゆくのを感じ、シリルは健やかな眠りに誘われていった。
「ん……」
差し込んだ朝陽の眩しさに目を細める。夢も見ずに深く眠っていたようだ。いつの間にかグレンから離れていたようで、寝台で並んでいた。
「シリル、起きたのか」
「おはよう、グレン。一緒に眠ってくれてありがとう。よく眠れたよ」
しっかりと睡眠を取ると、こんなにも違うのかと思えるほど気分がよくて、自分でも驚く。グレンのふさふさとした頬におはようとキスをすると、満足したときの喉音がグルル……と聞こえてきた。
「俺のほうは夜中に目覚めてしまってな。自分の部屋で少し寝直してくる」
「えっ? ……もしかして、ずっと起きていたの?」
よく見ると、グレンの目の下には隈くまが出来ていた。何度も目をしばたいている。夜のあいだ、シリルの眠りを見守ってくれたのだろう。
(僕が起きるかもしれないから我慢してそばに付いていてくれたんだ。眠かっただろうに)
胸の真ん中がじわりと熱くなる。なんと礼を言えばいいのだろう。
「ごめんね。ありがとう……」
「気にするな、たいしたことじゃない。幸い今日も休みにしてある」
寝台から跳ね起き、扉へと向かう豹人の手を取る。「待って」と言った瞬間、ツウッと体液が漏れてゆくのを感じた。辺りにオメガフェロモンの甘い香りが広がってゆく。
「シリル、その匂い……」
「ごめん、服を替えないといけないね。昨日の朝飲んだ抑制剤の効き目がなくなったのかな。……あのねグレン、昨日の晩から今朝まで、添い寝してくれてありがとう。グレンのおかげで、すっかり元気になったよ」
えへへ、と微笑み、婚約者の手を解放する。
「それだけ。おやすみっ」
(すごく嬉しいから今すぐにでも子作りしたいけど、グレンは眠そうだし、またにしよう。我が儘言うとグレンが疲れちゃう)
くるりと背を向けて、衣装棚のほうへと歩こうとしたとき、背中に温かい重みが加わった。背中から抱きついたグレンが、耳元に言葉を乗せる。
「シリル。なにか俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」
「あ……。ぼ、僕と子供を作って下さい!」
「……うん、ありがと」
家の中に入っても震えたままのシリルを心配してくれたのだろう。急いで帰ってきたから疲れているだろうに、グレンが台所に立ってくれる。
「食べかけだったのか? サンドウィッチが置いてあるが」
「うん、食べてるときにあの人がいるって気が付いたんだ。窓の鍵をかけ忘れた部屋に入り込んでいたんだ。うかつだった」
「自分を責めるな。あいつのことだから、鍵があっても壊して入っただろう。お前のせいじゃない。……ほら、出来たぞ」
グレンがスープをふたつ、机に並べる。肉と野菜の交じり合う香りに嗅覚を刺激され、気付くとスプーンを握っていた。
「美味しい……」
涙ぐんでいたことも忘れてぺろりと平らげると、グレンが机の向こうから微笑む。
「よかった。食欲があれば、すぐに元気になる」
「グレン、ありがとう……。このスープのおかげで少し落ち着いた」
「そうか、また作ってやる」
嬉しそうに喉を鳴らすグレンに、ふと疑問が湧いた。
「それはそうと、隊に戻らなくていいの? もうセスは捕まったから、心配いらないよ」
絵画チームの期待に応えたいと言っていたのを思い出してそう言うと、グレンが俯いたまま唸った。
「お前のショックが消えるまで、家にいようかと思ってな。調査隊はまた機会がある。それに、まだ発情期だろう。ひとりでいるよりは、俺がついているほうが安心だろう」
「うん、グレン。ありがとう……」
グレンの思い遣ってくれる優しさが嬉しくて、また目に熱いものが浮かんできた。
その晩は、それぞれの部屋で眠ることにした。
自分以外の気配をセスのそれと間違えそうで、そばについてくれるというグレンの申し出を断ってしまったのだ。
「ごめんね、まだ少し気が張ってるみたい。ひとりのほうが落ち着けると思うんだ」
「気にするな」
ポン、と肩を叩くと、グレンは自分の部屋へ向かった。
(グレンの尻尾、機嫌がいいときは上向きなのに下がってる。……情けないな、婚約者の好意を受け取ることもできないなんて)
自室に入ったシリルは寝間着に着替え、寝台横のランプの灯りで本を読みはじめた。数日前から読んでいる冒険活劇だ。本を読んでいるあいだは、昼間の恐ろしいことを忘れられる。現実がつらいとなおさらだ。シリルは活字を追い、竜を退治する話に没頭した。
(……目が文字を滑るようになってきたな)
瞼が重くなり、うつらうつらしたまま枕元のランプを消し、眠りの世界へと旅だった。
だがじきに昼間の悪夢が、さらに歪んだ形で再現される。
『シリル君、まだ番を決めていないということは、僕を待っていてくれたんだね。嬉しいよ』
青い狼の姿に変わったセスが、手を広げ近寄ってくる。
『近寄るな!』
『きみは僕の運命の番なんだ。そうじゃなければ、たかがフェロモンにこの僕がここまで翻弄されたりしない』
セスがにじりよってくる。服を脱がされ、湿った指が体を這いずりまわった。
『僕の番はグレンだけだ。離せ……っ!』
自分の上げた大声で目を覚ます。寝間着の首まわりが貼り付くと思ったら、びっしょりと汗をかいていた。
「はぁ、はぁ……」
月明かりだけが差し込む中、息を整えていると部屋の入口がカタン、と鳴った。
「だれ!?」
「俺だ、シリル。向こうの部屋まで叫び声が聞こえてきたから来たんだ。怖い夢でも見たのか?」
足首まである寝間着を来たグレンが、灯りを手に遠慮がちにこちらを窺う。ほっとしたら力が抜けた。
「グレン……!」
力の入らない足を必死で前に出し、グレンに駈け寄りしがみつく。
「昼間のこと、夢にまで見たんだ。助けが来ないかと思った。僕はグレンの子供しか欲しくないのに、あいつに襲われそうになって」
「大丈夫、もう大丈夫だ。シリル……」
シリルの薄茶色の猫っ毛を、そうっと撫でてくれる。頭皮にふれる獣毛が心地よくて、シリルはうっとりと目を瞑った。
「今から一緒に寝てくれる? グレンにくっついていると、きっと怖い夢なんて見ないと思うんだ」
「ああ」
寝台でグレンに抱きつき、シリルはそっと目を閉じた。だれかの体温を感じていると、さきほど見た夢などなんでもないことのように思える。
(グレンは強い。夜の魔力からも、どんな恐ろしい敵からも僕を守ってくれる……)
スウスウという寝息と、密着したグレンの鼓動だけが聞こえてくる。張りつめていた緊張の糸がほどけてゆくのを感じ、シリルは健やかな眠りに誘われていった。
「ん……」
差し込んだ朝陽の眩しさに目を細める。夢も見ずに深く眠っていたようだ。いつの間にかグレンから離れていたようで、寝台で並んでいた。
「シリル、起きたのか」
「おはよう、グレン。一緒に眠ってくれてありがとう。よく眠れたよ」
しっかりと睡眠を取ると、こんなにも違うのかと思えるほど気分がよくて、自分でも驚く。グレンのふさふさとした頬におはようとキスをすると、満足したときの喉音がグルル……と聞こえてきた。
「俺のほうは夜中に目覚めてしまってな。自分の部屋で少し寝直してくる」
「えっ? ……もしかして、ずっと起きていたの?」
よく見ると、グレンの目の下には隈くまが出来ていた。何度も目をしばたいている。夜のあいだ、シリルの眠りを見守ってくれたのだろう。
(僕が起きるかもしれないから我慢してそばに付いていてくれたんだ。眠かっただろうに)
胸の真ん中がじわりと熱くなる。なんと礼を言えばいいのだろう。
「ごめんね。ありがとう……」
「気にするな、たいしたことじゃない。幸い今日も休みにしてある」
寝台から跳ね起き、扉へと向かう豹人の手を取る。「待って」と言った瞬間、ツウッと体液が漏れてゆくのを感じた。辺りにオメガフェロモンの甘い香りが広がってゆく。
「シリル、その匂い……」
「ごめん、服を替えないといけないね。昨日の朝飲んだ抑制剤の効き目がなくなったのかな。……あのねグレン、昨日の晩から今朝まで、添い寝してくれてありがとう。グレンのおかげで、すっかり元気になったよ」
えへへ、と微笑み、婚約者の手を解放する。
「それだけ。おやすみっ」
(すごく嬉しいから今すぐにでも子作りしたいけど、グレンは眠そうだし、またにしよう。我が儘言うとグレンが疲れちゃう)
くるりと背を向けて、衣装棚のほうへと歩こうとしたとき、背中に温かい重みが加わった。背中から抱きついたグレンが、耳元に言葉を乗せる。
「シリル。なにか俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」
「あ……。ぼ、僕と子供を作って下さい!」
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