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忘れ物

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「いってらっしゃい、グレン」

 家の前で、大きなナップザックを背負う後ろ姿を見送る。

「さて、僕もそろそろ行かなきゃ」

 歯を磨き、身だしなみを整え、オムレツと一緒に作った弁当を荷物の中に放り込む。昨日やり残した仕事のことを思い出すと、身が引き締まった。
「行ってきます」と言って戸締まりをした瞬間、額から汗が噴き出した。体が火照り、クラクラと眩暈がしてシリルは扉の前にずるずるとしゃがみ込む。

(発情期。さっきグレンが出て行ったばかりなのに……!)

 それにしても、あと一日は大丈夫だと思っていたのに。

(もしかすると、さっき別れるときに熱烈な口付けをしたせいで、発情期が一日早く来ちゃったのかな。……熱が出てるみたいだ。職場には使いをやって、休ませてもらおう)

 だるい体を引きずり、仮住まいの近くにある煙草屋の店員に頼む。
 頷いた店員が「仕事だぞ」と往来で声を掛けると、花売りの子供が数人、われ先にと走り寄ってきた。

「シリル・シュレンジャーが体調不良で休みますって、領主様のお屋敷の門番さんに伝えてくれる? 帰ってきたら、煙草屋のお兄さんにお駄賃をもらってね」
「はい!」

 駆けて行く少年を見送り、シリルはこれから数日分寝込むあいだの食料を買い込み、家に戻った。

「ふう。もう部屋で横になろうかな」

 今回の発情期は、体に相当な負担がかかっているようだ。自室に向かおうと食堂を横切ったとき、部屋の隅に見慣れたものがあった。

「色鉛筆……! こんなに大事なもの忘れるなんて」

 見ると、そばに鉛筆削りが置かれていた。几帳面なグレンのことだから、大量のスケッチをする前に鉛筆の芯を削っていたのだろう。

「一番の仕事道具なのに……。うっかりするにもほどがあるよ」

 シリルは迷った。グレン達のあとを追って大事な道具を届けるべきか、見過ごすべきか。グレンなら、きっと「大人しく家にいろ」と言うだろう。

(でも、この色鉛筆はわざわざ外国から取り寄せたものだ。このメーカーでないと出ない色があるって言ってた)

 シリルは戸棚から錠剤を取り出し、水と一緒に飲み込んだ。念のためオメガ用の首輪を付けて扉を開く。

(もう発情期を迎えているから、抑制剤は効かないかもしれないけれど、飲まないよりはましだ。グレンを追い掛けよう。まだそんなに時間は経ってないはずだ。職場で道を聞いたら、すぐに追いつける)

 町で馬を借り、職場の絵画チームの棟へと向かう。自分の放つオメガフェロモンがどれだけ匂うのか不安だが、今は一刻を争う。居残っていた絵画チームの一人に尋ねると、彼はシリルを仕事の連絡係だと勘違いしたようだった。

「新しい森の調査隊がどんなルートで行くかだって? それは分からないけれど、領内からは大通りを通って行くはずだよ。それが一番近い」
「ありがとうございます!」

 最後まで聞かないうちにシリルは身をひるがえし、門へと向かった。

(大通り。荷物を背負わせていない馬のほうが早く走れるから、もしかしたら追いつけるかもしれない)

 馬に跨がり、手綱を握る。

「急いでいるんだ。頼むよ」

 掛けた声が分かるのか、シリルの体重が軽いからか、馬は全速力で大通りを進んでくれる。自分の体が砂袋のように重く感じる。だがこの調子で走れば、じきに追いつくだろう。
 途中、ひとけのない煉瓦の塀が、大通りから見て数百ランド向こうに見えた。(一ランドは約一メートル)塀の中には犯罪者が入る建物があり、労働をしたり刑を待つと聞く。父母や大勢の人々を殺害したセスも、ここで刑に服役しているはずだ。

(僕は死刑を望まなかったけれど、ほかの人は違った。恋人をなくした女性は裁判で泣いていたし、兄弟を殺された男性は怒りを隠さなかった。死刑判決はまぬがれれなかった)

 伝え聞いていた凶暴な殺人鬼と、実際に先輩として接したセスはかなり違ったが、光るキノコを餌にして催淫剤を飲まされたとき、彼は悪党なのだと悟った。いずれ彼の死刑も、街の広場で見世物として執行されるだろう。

(もう考えないようにしよう。セスが死んでも、お父さんとお母さんは帰ってこない。あの場所を見ないようにここを通り過ぎるんだ)
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