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シリルの夢
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領主様の屋敷を囲うようにして、帯状に城下町が広がっている。通勤に便利だからとその一角を新居に決めたシリルとグレンは、家が出来るまでのあいだ新居の近くに部屋を借り、仮住まいをすることになった。
「グレンには、絵を描くアトリエがあればいいと思うんだ。それに、子供部屋!」
「そうだな、とりあえず二つ作っておこうか」
まだ見ぬ家を想像し、ひとつずつ細かく打ち合わせてゆく。それは楽しいけれど、とても時間がかかる作業だ。お互い仕事があるから、休みは大抵家の打ち合わせに使ってしまう。慣れない家事をこなしながら、シリルはかつてないほど忙しい日々を送っていた。今日も仕事が終わってから、部屋をどう配分するか話し合っていたから、夕飯が遅くなってしまいそうだ。
「晩ごはんはシチューとサラダでいいかな? 家を建てるのが、こんなにパワーを吸い取られるとは思いもしなかったよ。グレンはどう?」
「くたくただ。ただでさえ、先月新たに見付かった新種を調べるのに忙しいのにな」
「大きな土地を持っていたお金持ちが亡くなって、領主様に寄贈されたからでしょう? 僕はサンプルの観察と実験だけど、グレンはスケッチだよね」
「新種の草や木が多くて、正直追いつかないくらいだ」
苦笑したグレンがシチューの残りをあおる。寄贈された森から運ばれた植物のサンプルが膨大なため、シリルもグレンもオーバーワーク気味だ。
「皿は俺が洗うから、ゆっくりするといい」
「ありがとう、グレン」
洗い場からカチャカチャと食器の音が聞こえてくる。ほっとして、間取りを描いた図面を見ていると、瞼が重くなってきた。満腹なのも手伝って、うつらうつらしてしまう。
「こらシリル、ソファーで寝るな。……仕方ない」
(グレンの声……)
半分夢の中にいると、体がふわりと浮き上がった。頭では動こうと思っているのに体が眠っていて動けない。自分の寝台まで力強い腕に抱えられて運ばれるがままになった。
シリルは夢を見た。職場の同僚に不幸があり、葬式に参列した記憶を元にした夢だ。黒い服を着た者がお悔やみの言葉を掛けてゆき、シリルもそれに続く。
「つらいでしょうけど、元気を出してください」
「ええ、大丈夫です。私には子供がいるから、悲しむ暇がないのが救いですわ」
見ると、同僚の女性のスカートの裾を、小さな兎の女の子が掴んでいた。
「子供……」
シリルの両親はもういない。シュレンジャーの両親も、いつまでも元気ではないだろう。自分よりも命が長い別の者と暮らせば、その者が死ぬさまを見ることはない。
(そうか。子供がいれば、さみしくないんだ……)
かわいいだけの存在ではなく、心の拠りどころになるのだ、と気がついたところで目が覚めた。
起きると、いつもより三十分も遅かった。急いで着替え、居間に向かう。
「もうこんな時間なの? グレンってば、起こしてくれたらいいのに」
「あと五分遅かったら起こそうと思っていた。ずいぶん疲れていたようだったから。……悪かったな」
不機嫌な証拠としてブンブン尻尾を振りつつ、グレンが答える。食器をテーブルに出し終えたシリルは、昨夜のことを思い出し、首を傾げた。
「あれ? そういえば、昨日グレンが食器を洗ってくれてからの記憶がないような気がする」
「ソファーで寝ていたから、俺が寝室まで運んだ」
「そ、そうだったの……。ごめんね、お世話かけて」
「なにも覚えてなかったんだな。……それだけ疲れていたんだろう、別にいい」
「ほんとにごめん! グレンの好きなチーズオムレツ焼くから許して」
謝りながらオムレツを焼き、パンと合わせてテーブルに並べた。急いで作ったわりに外側はふわふわ、中は半熟の上出来のオムレツを頬張る。
「……美味いな」
「よかった、成功して。それでね、昨日言おうと思ったんだけど、寝ていて忘れちゃったんだ。僕、明日か明後日くらいから、発情期になるんだ。職場でもいい顔されないし、忙しい時期だけど休もうかと思って」
「そうだな、セスの一件が片付いても、まだオメガ専用の避難室は必要みたいだ。あそこでは仕事にならないだろうしな」
「それでね。半日だけでいいんだけど、グレンも一緒に休めないかなって。僕、まだ発情期にうなじを噛んでもらってないでしょう? それと僕、同僚の人のお葬式に出てから、少し考えが変わって、早く子供が欲しくなってきて」
夢に見るほどに、子供を支えにしていた同僚の姿が衝撃だった。子供がいれば、実の両親を亡くしたときのような喪失感からは解放される。
「だから、グレン……」
そのあとは、ハッキリと言いにくい。子供が欲しいから仕事を一緒に休んで、なにをするかは容易に想像できるだろう。
「……子作りか」
「も、もっとオブラートに包んでよ! 最近お互い忙しいけど、僕が仕事に出られないあいだ、グレンも半日だけ合わせてくれたら助かるんだ。……ダメ?」
最後はねだるように尋ねてみる。グレンは食べかけのオムレツをぺろりと平らげ、こちらを見つめてきた。
「あいにくだが、今日から三日間、例の寄贈された森へ調査隊として行くように上から言われた。帰ってからなら、相手になれる」
グレンの足元に、観光旅行にしてはいかついナップザックが置かれていることに気が付いた。おそらく、森に入る本格的な装備が入っているのだろう。
「え、三日間も……? どうして黙ってたの?」
「昨日、話そうと思ったらお前が寝てしまったからな」
そうだった。シリルも子作りの計画を話すのを引き延ばしたように、グレンも言いそびれたのだろう。寝てしまったのは自分のせいだとしても、肝心の発情期の半分も番がいないのは困る。
「……もう! しょうがない、調査が終わってからでいいよ。僕、待ってるから」
「シリル……」
頬を膨らませながらも「待ってる」という言葉が効いたのか、グレンが席を立ってキスをしてきた。
「あまり焦るな。今は仕事も詰まっているし、新居についても考えないといけないだろう。子供はいつでも出来るから」
「僕は早く欲しいの!」
宥めるように口付けられるが、反論してしまった。しまった、と思っていると、グレンが苦笑いをしている。
「そうだな、俺も欲しいのはやまやまなんだが、今回の調査だけは休めない。美術チームの中で選抜されたから、期待に応えたいんだ」
「そうなんだ……。じゃあ、帰ってから。約束だよ」
「ああ」
再び唇を重ね、舌を絡め合う濃厚な口付けを交わす。唾液が交じり合い、互いの境界が曖昧になるような錯覚がした。
「ん、グレン……」
ハ、と息が上がったまま男の名を呼ぶと、ぎゅっと体を引き寄せられた。
「帰って来たら、子作りに励む。約束だ」
「グレンには、絵を描くアトリエがあればいいと思うんだ。それに、子供部屋!」
「そうだな、とりあえず二つ作っておこうか」
まだ見ぬ家を想像し、ひとつずつ細かく打ち合わせてゆく。それは楽しいけれど、とても時間がかかる作業だ。お互い仕事があるから、休みは大抵家の打ち合わせに使ってしまう。慣れない家事をこなしながら、シリルはかつてないほど忙しい日々を送っていた。今日も仕事が終わってから、部屋をどう配分するか話し合っていたから、夕飯が遅くなってしまいそうだ。
「晩ごはんはシチューとサラダでいいかな? 家を建てるのが、こんなにパワーを吸い取られるとは思いもしなかったよ。グレンはどう?」
「くたくただ。ただでさえ、先月新たに見付かった新種を調べるのに忙しいのにな」
「大きな土地を持っていたお金持ちが亡くなって、領主様に寄贈されたからでしょう? 僕はサンプルの観察と実験だけど、グレンはスケッチだよね」
「新種の草や木が多くて、正直追いつかないくらいだ」
苦笑したグレンがシチューの残りをあおる。寄贈された森から運ばれた植物のサンプルが膨大なため、シリルもグレンもオーバーワーク気味だ。
「皿は俺が洗うから、ゆっくりするといい」
「ありがとう、グレン」
洗い場からカチャカチャと食器の音が聞こえてくる。ほっとして、間取りを描いた図面を見ていると、瞼が重くなってきた。満腹なのも手伝って、うつらうつらしてしまう。
「こらシリル、ソファーで寝るな。……仕方ない」
(グレンの声……)
半分夢の中にいると、体がふわりと浮き上がった。頭では動こうと思っているのに体が眠っていて動けない。自分の寝台まで力強い腕に抱えられて運ばれるがままになった。
シリルは夢を見た。職場の同僚に不幸があり、葬式に参列した記憶を元にした夢だ。黒い服を着た者がお悔やみの言葉を掛けてゆき、シリルもそれに続く。
「つらいでしょうけど、元気を出してください」
「ええ、大丈夫です。私には子供がいるから、悲しむ暇がないのが救いですわ」
見ると、同僚の女性のスカートの裾を、小さな兎の女の子が掴んでいた。
「子供……」
シリルの両親はもういない。シュレンジャーの両親も、いつまでも元気ではないだろう。自分よりも命が長い別の者と暮らせば、その者が死ぬさまを見ることはない。
(そうか。子供がいれば、さみしくないんだ……)
かわいいだけの存在ではなく、心の拠りどころになるのだ、と気がついたところで目が覚めた。
起きると、いつもより三十分も遅かった。急いで着替え、居間に向かう。
「もうこんな時間なの? グレンってば、起こしてくれたらいいのに」
「あと五分遅かったら起こそうと思っていた。ずいぶん疲れていたようだったから。……悪かったな」
不機嫌な証拠としてブンブン尻尾を振りつつ、グレンが答える。食器をテーブルに出し終えたシリルは、昨夜のことを思い出し、首を傾げた。
「あれ? そういえば、昨日グレンが食器を洗ってくれてからの記憶がないような気がする」
「ソファーで寝ていたから、俺が寝室まで運んだ」
「そ、そうだったの……。ごめんね、お世話かけて」
「なにも覚えてなかったんだな。……それだけ疲れていたんだろう、別にいい」
「ほんとにごめん! グレンの好きなチーズオムレツ焼くから許して」
謝りながらオムレツを焼き、パンと合わせてテーブルに並べた。急いで作ったわりに外側はふわふわ、中は半熟の上出来のオムレツを頬張る。
「……美味いな」
「よかった、成功して。それでね、昨日言おうと思ったんだけど、寝ていて忘れちゃったんだ。僕、明日か明後日くらいから、発情期になるんだ。職場でもいい顔されないし、忙しい時期だけど休もうかと思って」
「そうだな、セスの一件が片付いても、まだオメガ専用の避難室は必要みたいだ。あそこでは仕事にならないだろうしな」
「それでね。半日だけでいいんだけど、グレンも一緒に休めないかなって。僕、まだ発情期にうなじを噛んでもらってないでしょう? それと僕、同僚の人のお葬式に出てから、少し考えが変わって、早く子供が欲しくなってきて」
夢に見るほどに、子供を支えにしていた同僚の姿が衝撃だった。子供がいれば、実の両親を亡くしたときのような喪失感からは解放される。
「だから、グレン……」
そのあとは、ハッキリと言いにくい。子供が欲しいから仕事を一緒に休んで、なにをするかは容易に想像できるだろう。
「……子作りか」
「も、もっとオブラートに包んでよ! 最近お互い忙しいけど、僕が仕事に出られないあいだ、グレンも半日だけ合わせてくれたら助かるんだ。……ダメ?」
最後はねだるように尋ねてみる。グレンは食べかけのオムレツをぺろりと平らげ、こちらを見つめてきた。
「あいにくだが、今日から三日間、例の寄贈された森へ調査隊として行くように上から言われた。帰ってからなら、相手になれる」
グレンの足元に、観光旅行にしてはいかついナップザックが置かれていることに気が付いた。おそらく、森に入る本格的な装備が入っているのだろう。
「え、三日間も……? どうして黙ってたの?」
「昨日、話そうと思ったらお前が寝てしまったからな」
そうだった。シリルも子作りの計画を話すのを引き延ばしたように、グレンも言いそびれたのだろう。寝てしまったのは自分のせいだとしても、肝心の発情期の半分も番がいないのは困る。
「……もう! しょうがない、調査が終わってからでいいよ。僕、待ってるから」
「シリル……」
頬を膨らませながらも「待ってる」という言葉が効いたのか、グレンが席を立ってキスをしてきた。
「あまり焦るな。今は仕事も詰まっているし、新居についても考えないといけないだろう。子供はいつでも出来るから」
「僕は早く欲しいの!」
宥めるように口付けられるが、反論してしまった。しまった、と思っていると、グレンが苦笑いをしている。
「そうだな、俺も欲しいのはやまやまなんだが、今回の調査だけは休めない。美術チームの中で選抜されたから、期待に応えたいんだ」
「そうなんだ……。じゃあ、帰ってから。約束だよ」
「ああ」
再び唇を重ね、舌を絡め合う濃厚な口付けを交わす。唾液が交じり合い、互いの境界が曖昧になるような錯覚がした。
「ん、グレン……」
ハ、と息が上がったまま男の名を呼ぶと、ぎゅっと体を引き寄せられた。
「帰って来たら、子作りに励む。約束だ」
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