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悩み聞きます
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胸元を大きく開け、短いワンピースの裾から太腿を見せた豹の女が、雑踏のあいだからスルリと現れた。同じように露出の激しい格好をした獣人の女たち三人に、あっという間に囲まれる。
「あたしはこの坊やが好みだわ。まだ成人してないだろうけど、年に一度のお祭りだし羽目を外してみない? 安くしとくからさ。……ねぇ、ほんと髭も生えてないんじゃない? 桃みたいな手ざわりだわ」
狐の獣人にさわさわと頬を撫でられ、思わずグレンにしがみついた。そのようすがおかしかったのか、三人の女が一斉に笑いだす。
「あはは、まだ女は早いのかな。お兄さんの影に隠れちゃってる」
「からかってごめんね、坊や。雪豹のお兄さん、その気になったら『ジェシーの館』に来てね。アルファからオメガ、皆揃えて待ってるよ!」
騒がしい三人が過ぎると、化粧と香水の残り香がした。
「な、なんだったんだ、今の」
「娼館の客引きだ。祭りになると、風紀が乱れていかんな。休日が終わったら、領主様に報告しないと」
ふう、と悩ましげにため息をつくグレンは、さきほどのことなど日常茶飯事だと言わんばかりだ。なぜか、胸に針を差し込まれたように、ちりちりと痛みが生じた。
「僕はからかわれただけだけど、グレンってば思いっきり客だと認識されてたよね。さっきみたいなこと、しょっちゅうあるんだ?」
「聞いてどうする」
「き、聞きたいから聞いちゃ悪い? 質問に質問で返さないでよ」
グレンの目が、急に真面目な光を帯びるので焦ってしまう。鼓動がドキドキと音を立てる。シリルは聞いてはいけないことを聞いているのだろうか。
(で、でも僕たち一応付き合っているんだし。これくらい聞けなくてどうする!)
グレンの鋭い眼光に負けないよう、必死で足を踏ん張り向かい合った。しばらく睨み合っていると、グレンが「ふう」とため息をついた。
「スケッチの道具を買いに街に夕方来ると、たまに絡まれることがあるが、さっきの程度だ。店に行ったことはない。俺はお前が」
「わーっ、分かった! もういいから! 疑ってごめん!」
両手を振り上げ、グレンの言おうとした言葉を封じる。聞かなくても分かっている。きっと「俺はお前が好きだから」とか、「愛しているから」といった甘ったるい言葉が続くのだ。
二人きりの時ならいいが、今いるのは街の往来、しかも祭りで浮かれた群衆のど真ん中だ。噂にならないとも限らない。あまり目立ちたくないシリルとしては、休みのあと同僚たちに冷やかされるのだけはごめんだった。
黙っているとグレンがまた手を繋いできそうなので、通りの向こうにある丘目がけて走りだした。
「離れるな、シリル!」
「丘の焚き火のところまで競争しようよ。はぐれたって、目的地は一緒でしょ? 向こうで落ち合おうよ」
そう言い残すと、シリルは恥ずかしい気持ちを打ち消すように足を踏み出し、雑踏へと消えた。
小走りで人混みを抜け、小高い丘を進んだ。丘の頂上にはすでに大がかりな焚き火のための木材が組まれ、皆火が点るのを今か今かと待ち構えている。丘の斜面が急なため、息が上がってしまう。
(グレンより少しは早く着くだろうから、色々店を見て廻れるはずだ)
ふと、娼婦たちに絡まれたとき、未成年と間違われたことを思い出した。
(朝剃ってきたからまだ生えてないだけで、僕だって髭くらいあるんだから。……僕って、そんなに子供っぽいのかな)
商売女たちを前にたじろがなかったグレンの慣れたようすが脳裏によぎる。
(グレンは女の人がいる店に行ったことがないって言ってたけど、女の子やほかのオメガと付き合ったことくらいはあるかもしれない。グレンは落ち着いてて男らしくって、背も高くて筋肉質で魅力的だもん)
グレンと可憐な兎の少女が並んでいる姿が頭に思い浮かぶ。無口だが腕の立つ豹と臆病な兎は、きっとお似合いだろう。
(そういう経験、ないはずないよね。僕だって研究所で働き始めてしばらくは、女の子たちに騒がれてたんだから)
自分で考え始めた想像で、落ち込んでしまう。グレン本人に尋ねたとしても、否定されることは目に見えている。
(グレンのことが知りたい。……夏至祭の会場に行ったら、占いでもしてもらおうかな)
会場に着くと、街よりも大勢の人々がひしめき合っていた。恋人同士や親子連れなど、皆朗らかに笑いながら、頂上を取り囲むようにして並ぶ屋台を楽しんでいる。
「いらっしゃい、全部手作りだよ。今日だけのものもあるから、見て行ってね」
アクセサリー雑貨を売る女性から声を掛けられる。ほかにも移動式の馬車に繋がれた、平たいパンに肉を挟んだ軽食を扱う店や、シリルが楽しみにしていた焼きトウモロコシの店、氷で冷やした瓜やオレンジを並べる店、焼きたてのパンにソーセージにポトフまで、さまざまな屋台がひしめき合ってた。
「おじさん、ソーセージ一本。マスタード多めで」
「あいよ、十ギースね」
さっそく目的のひとつを頬張り、人混みから離れた大きめの木に寄りかかる。
(曜日のせいか、今年は盛況だ。焚き火に火が点くまであと少しだし、一番人が多いだろうな。……こんなに混雑していたら、グレンは僕のこと見付けられないんじゃないかな。焚き火の周りっていってもかなり広いし、場所を細かく決めておけばよかった)
大勢の獣人や人、それに迷路のようにひしめき合う屋台の中で、グレンと上手く落ち合えるだろうかと不安になったとき、ふと手書きの看板が目に入った。
『だれにも言えない悩みを聞きます。話してスッキリ! 新たな気持ちで夏を迎えましょう。料金十分五ギース、秘密厳守』
「安い……」
五ギースといえば、屋台の半額だ。倍の時間かかったとしても、ソーセージ一本と同じ金額だと思えば安いものだ。小さなテントの中に入ると、更に仕切りがあって二つに分かれていた。
「すみません、悩みを聞いてもらえますか」
「お客さんかね、いらっしゃい」
対面して話すように机と椅子が置いてあったので座ると、眼鏡を掛けた山羊の老人が紙を差し出してくる。名前を書く欄があったので書き終えると、山羊が手元の砂時計を逆さにした。
「うちは時間制だから、手早く話したほうが得だよ。だけど、ため込んだ鬱憤を、これでもかと長時間話して満足するお客もいるから、人それぞれだね。この砂時計が落ちるのが五分だから、目安にするといい。さて、どんな悩みだい?」
「あの、僕には最近付き合い始めたひとがいるんです。でも、以前付き合っていた人とかいるんじゃないかとか、そんなことばかり考えてしまうんです」
「恋の相談か、若いね。要するに付き合っている人のことを、丸ごと信じられなくなったんだね」
山羊が指を交差させ、肘を机につける。
「そうです……」
シリルは怯んだ。改めて他人の口から聞くと、自分の抱えている悩みがいかに重大なことに気付く。疑っているということは、グレンを信用していないということだ。
「なにかきっかけがあるのかい?」
「僕はオメガなんですが、向こうが番の証をなかなか立ててくれなくて……」
「疑り深くなってしまっているというわけだね」
コクンと頷く。
「話してくれたところ悪いけれど、私は解決策を提示する役割じゃないんだ。あくまで聞くだけ。周りに言えない彼のいやなところやダメなこと、なんでも愚痴っていいんだよ。……あと五分しかない」
「はい」
空になった砂時計を、老人が再び逆さにする。カタンという音に急かさせるような気がして、慌ててグレンのダメなところを思い浮かべた。
「グレンはいびきを結構かくし、さっきだって僕の口の周りがチョコまみれになったのに教えてくれなかったし、無口だし……」
「ほう、想い人はグレンというのかい」
「でも、オメガの僕が不安定な発情期に悩まされていたとき、僕を守るために体を鍛えていた。グレンは肝心なことも黙っているから、なにを考えているのか分からないんだ」
そのとき頭になにかが閃き、シリルは席を立った。
(そうだ、グレンは僕が聞けば、答えてくれる。さっきだって『お前が好きだ』って言いかけてたじゃないか)
聞きたいことや言いたいことは、こんな見ず知らずの他人ではなく、本人に直接伝えるべきだ。
「おじさん、聞いてくれてありがとう。五ギース、ここに置いておくよ」
「まだ時間が来ていないがいいのかね?」
「はい、もうスッキリしました」
テントを出ると、辺りを見廻してグレンの姿を探す。焚き火のために組まれた木材の山の手前で、皆よりも頭ひとつ大きいのですぐに分かった。グレンからはシリルが見えないのだろう、きょろきょろと首を動かしている。
「あたしはこの坊やが好みだわ。まだ成人してないだろうけど、年に一度のお祭りだし羽目を外してみない? 安くしとくからさ。……ねぇ、ほんと髭も生えてないんじゃない? 桃みたいな手ざわりだわ」
狐の獣人にさわさわと頬を撫でられ、思わずグレンにしがみついた。そのようすがおかしかったのか、三人の女が一斉に笑いだす。
「あはは、まだ女は早いのかな。お兄さんの影に隠れちゃってる」
「からかってごめんね、坊や。雪豹のお兄さん、その気になったら『ジェシーの館』に来てね。アルファからオメガ、皆揃えて待ってるよ!」
騒がしい三人が過ぎると、化粧と香水の残り香がした。
「な、なんだったんだ、今の」
「娼館の客引きだ。祭りになると、風紀が乱れていかんな。休日が終わったら、領主様に報告しないと」
ふう、と悩ましげにため息をつくグレンは、さきほどのことなど日常茶飯事だと言わんばかりだ。なぜか、胸に針を差し込まれたように、ちりちりと痛みが生じた。
「僕はからかわれただけだけど、グレンってば思いっきり客だと認識されてたよね。さっきみたいなこと、しょっちゅうあるんだ?」
「聞いてどうする」
「き、聞きたいから聞いちゃ悪い? 質問に質問で返さないでよ」
グレンの目が、急に真面目な光を帯びるので焦ってしまう。鼓動がドキドキと音を立てる。シリルは聞いてはいけないことを聞いているのだろうか。
(で、でも僕たち一応付き合っているんだし。これくらい聞けなくてどうする!)
グレンの鋭い眼光に負けないよう、必死で足を踏ん張り向かい合った。しばらく睨み合っていると、グレンが「ふう」とため息をついた。
「スケッチの道具を買いに街に夕方来ると、たまに絡まれることがあるが、さっきの程度だ。店に行ったことはない。俺はお前が」
「わーっ、分かった! もういいから! 疑ってごめん!」
両手を振り上げ、グレンの言おうとした言葉を封じる。聞かなくても分かっている。きっと「俺はお前が好きだから」とか、「愛しているから」といった甘ったるい言葉が続くのだ。
二人きりの時ならいいが、今いるのは街の往来、しかも祭りで浮かれた群衆のど真ん中だ。噂にならないとも限らない。あまり目立ちたくないシリルとしては、休みのあと同僚たちに冷やかされるのだけはごめんだった。
黙っているとグレンがまた手を繋いできそうなので、通りの向こうにある丘目がけて走りだした。
「離れるな、シリル!」
「丘の焚き火のところまで競争しようよ。はぐれたって、目的地は一緒でしょ? 向こうで落ち合おうよ」
そう言い残すと、シリルは恥ずかしい気持ちを打ち消すように足を踏み出し、雑踏へと消えた。
小走りで人混みを抜け、小高い丘を進んだ。丘の頂上にはすでに大がかりな焚き火のための木材が組まれ、皆火が点るのを今か今かと待ち構えている。丘の斜面が急なため、息が上がってしまう。
(グレンより少しは早く着くだろうから、色々店を見て廻れるはずだ)
ふと、娼婦たちに絡まれたとき、未成年と間違われたことを思い出した。
(朝剃ってきたからまだ生えてないだけで、僕だって髭くらいあるんだから。……僕って、そんなに子供っぽいのかな)
商売女たちを前にたじろがなかったグレンの慣れたようすが脳裏によぎる。
(グレンは女の人がいる店に行ったことがないって言ってたけど、女の子やほかのオメガと付き合ったことくらいはあるかもしれない。グレンは落ち着いてて男らしくって、背も高くて筋肉質で魅力的だもん)
グレンと可憐な兎の少女が並んでいる姿が頭に思い浮かぶ。無口だが腕の立つ豹と臆病な兎は、きっとお似合いだろう。
(そういう経験、ないはずないよね。僕だって研究所で働き始めてしばらくは、女の子たちに騒がれてたんだから)
自分で考え始めた想像で、落ち込んでしまう。グレン本人に尋ねたとしても、否定されることは目に見えている。
(グレンのことが知りたい。……夏至祭の会場に行ったら、占いでもしてもらおうかな)
会場に着くと、街よりも大勢の人々がひしめき合っていた。恋人同士や親子連れなど、皆朗らかに笑いながら、頂上を取り囲むようにして並ぶ屋台を楽しんでいる。
「いらっしゃい、全部手作りだよ。今日だけのものもあるから、見て行ってね」
アクセサリー雑貨を売る女性から声を掛けられる。ほかにも移動式の馬車に繋がれた、平たいパンに肉を挟んだ軽食を扱う店や、シリルが楽しみにしていた焼きトウモロコシの店、氷で冷やした瓜やオレンジを並べる店、焼きたてのパンにソーセージにポトフまで、さまざまな屋台がひしめき合ってた。
「おじさん、ソーセージ一本。マスタード多めで」
「あいよ、十ギースね」
さっそく目的のひとつを頬張り、人混みから離れた大きめの木に寄りかかる。
(曜日のせいか、今年は盛況だ。焚き火に火が点くまであと少しだし、一番人が多いだろうな。……こんなに混雑していたら、グレンは僕のこと見付けられないんじゃないかな。焚き火の周りっていってもかなり広いし、場所を細かく決めておけばよかった)
大勢の獣人や人、それに迷路のようにひしめき合う屋台の中で、グレンと上手く落ち合えるだろうかと不安になったとき、ふと手書きの看板が目に入った。
『だれにも言えない悩みを聞きます。話してスッキリ! 新たな気持ちで夏を迎えましょう。料金十分五ギース、秘密厳守』
「安い……」
五ギースといえば、屋台の半額だ。倍の時間かかったとしても、ソーセージ一本と同じ金額だと思えば安いものだ。小さなテントの中に入ると、更に仕切りがあって二つに分かれていた。
「すみません、悩みを聞いてもらえますか」
「お客さんかね、いらっしゃい」
対面して話すように机と椅子が置いてあったので座ると、眼鏡を掛けた山羊の老人が紙を差し出してくる。名前を書く欄があったので書き終えると、山羊が手元の砂時計を逆さにした。
「うちは時間制だから、手早く話したほうが得だよ。だけど、ため込んだ鬱憤を、これでもかと長時間話して満足するお客もいるから、人それぞれだね。この砂時計が落ちるのが五分だから、目安にするといい。さて、どんな悩みだい?」
「あの、僕には最近付き合い始めたひとがいるんです。でも、以前付き合っていた人とかいるんじゃないかとか、そんなことばかり考えてしまうんです」
「恋の相談か、若いね。要するに付き合っている人のことを、丸ごと信じられなくなったんだね」
山羊が指を交差させ、肘を机につける。
「そうです……」
シリルは怯んだ。改めて他人の口から聞くと、自分の抱えている悩みがいかに重大なことに気付く。疑っているということは、グレンを信用していないということだ。
「なにかきっかけがあるのかい?」
「僕はオメガなんですが、向こうが番の証をなかなか立ててくれなくて……」
「疑り深くなってしまっているというわけだね」
コクンと頷く。
「話してくれたところ悪いけれど、私は解決策を提示する役割じゃないんだ。あくまで聞くだけ。周りに言えない彼のいやなところやダメなこと、なんでも愚痴っていいんだよ。……あと五分しかない」
「はい」
空になった砂時計を、老人が再び逆さにする。カタンという音に急かさせるような気がして、慌ててグレンのダメなところを思い浮かべた。
「グレンはいびきを結構かくし、さっきだって僕の口の周りがチョコまみれになったのに教えてくれなかったし、無口だし……」
「ほう、想い人はグレンというのかい」
「でも、オメガの僕が不安定な発情期に悩まされていたとき、僕を守るために体を鍛えていた。グレンは肝心なことも黙っているから、なにを考えているのか分からないんだ」
そのとき頭になにかが閃き、シリルは席を立った。
(そうだ、グレンは僕が聞けば、答えてくれる。さっきだって『お前が好きだ』って言いかけてたじゃないか)
聞きたいことや言いたいことは、こんな見ず知らずの他人ではなく、本人に直接伝えるべきだ。
「おじさん、聞いてくれてありがとう。五ギース、ここに置いておくよ」
「まだ時間が来ていないがいいのかね?」
「はい、もうスッキリしました」
テントを出ると、辺りを見廻してグレンの姿を探す。焚き火のために組まれた木材の山の手前で、皆よりも頭ひとつ大きいのですぐに分かった。グレンからはシリルが見えないのだろう、きょろきょろと首を動かしている。
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