上 下
3 / 11

3

しおりを挟む

扉越しに、金属のぶつかる音が響く。
トイレに縋りついた状態で唐突に思い出したのは、ボウルとバケツで覆い隠した存在。

「!!」

俺はトイレの水を流すと、自分の部屋は通じる扉を勢い良く開いた。
その先の光景に、予想したとは言え僅かに思考が停止する。
フローリングの床へ無造作に転がるボウルとバケツは、託した役目を果たさず隠すべきものを露わにしていた。水の入ったコップを片手に呆然と立ち尽くす花坂の姿はいっそ滑稽でさえある。
しかし現実は全くもって笑える状況に無い。
いつもならキラキラした目で慕ってくる後輩が、今どんな表情をしているか想像するだけで恐ろしい。蔑んだ目を向けられては立ち直れないだろう。

酔っていたとは言えあまりに迂闊な判断だった。

胃の中身をすっきりさせた所為で余計クリアになった思考が数十秒前の自分自身を責め立てる。

「柚木さん」
「ち、ちがう」

酔いは覚めたはずなのにまともな言葉が出てこない。何に対し違うと言うのか。ある日唐突にこの肉塊が現れたと言って誰が信じるだろう。
このままでは俺のイメージが"部屋の真ん中にアダルトグッズを飾る変態"になってしまう。花坂に限って吹聴する事は無いだろうが、このままでは尊敬される先輩像が崩れ去るに違いない。

もう手遅れだろうか。


ーーー万事窮す。


そんな言葉が頭に思い浮かぶ。

顔を伏せ掌をぐっと握りしめる。爪が皮膚に食い込む痛みが、この瞬間を現実足らしめている。
花坂が小さく息を吸った音も、しんと静まり返った室内では大げさに耳を通った。可愛がってきた後輩から向けられる蔑みに、俺はきっと耐えられないだろう。
瞼をぎゅっと閉じ、断罪の時を待つ。

「花坂」
「ーーー柚木さん、ここに生えているちんこが、俺のものだと言ったらあなたは信じますか?」
「は?」

しかし発せられた言葉は想像を擦りともしなかった。
伏せていた顔を上げ、恐れも忘れまじまじと花坂の顔を見る。その表情は至って真面目で冗談を言っているようには思えない。
彼は元来真面目な性質で、仕事に対してもガチガチのマニュアル人間なのだ。得意先との会食や社内のパーティでもアルコールを避けてきた花坂にとってハメを外すという言葉ほど遠いものは無い。
それこそ素面で下らない下ネタを言うわけがなかった。
それでもその言葉を疑わずにいられないのは、花坂のちんこがその身を離れてここに"ある"と言う荒唐無稽な事実故だろう。

そんな男性向けエロ漫画やBL漫画じゃあるまいし、そんな事が起こり得るわけがない。冗談下手な花坂の苦しい冗談と言う方があり得る可能性だろう。

「いや、この言い方では逃げていますね、お願いします。信じて下さい」

それでもある日唐突に現れたこれを、超常現象と言わず何になる。それならこの後輩の言葉を真っ向から否定するよりも、頭の片隅であり得ないと思考しながらも信じる方がよほど救いがある。

そして何より、俺自身が信じたいのだ。一年と短い期間ではあるが、その人となりを見てきた己の目か節穴ではないと。そして何より後輩の直向きで誠実な性格を。

「信じるよ」

信じる。
そう言葉に出すと、ふっと身体から力が抜け床に座り込む。
とりあえず変態呼ばわりは避けられたらしい。

「だ、大丈夫ですか!?」
「あー、悪い。水くれるか、ちょっと力抜けた」

苦笑しながら手を伸ばすと、花坂は急足で近づいて来る。とは言え8畳の部屋を成人男性が歩けば距離を詰められるのは一瞬だ。俺は水を受け取ると勢い良く飲み干した。いつもなら浄化ポッドへ溜めた水を飲むが、今はカルキ臭い水道水が逆に心を落ち着かせてくれる。

「それで、これがお前のだって言う確信があるんだな。話してくれ」

ローテーブルに空のコップを置くと、俺は胡座を開き花坂へ向き直る。
対面に座る花坂は正座でぴんと背筋を伸ばしている。薄っぺらいラグの上は固いだろうに。しかし足を崩すようすすめる前に花坂は事情を話し始めた。

「一昨日俺はとある神社へ行き願い事をしました。すると翌日、昼時にちんこが無くなっている事に気が付いたんです。恐らくその時にはすでに柚木さんの部屋はこの有様だったのでしょう」
「その願いって?」

そう言ってすぐ自分の言葉を後悔する。こんな事態を引き起こす願い事が全うとは思えない。それを俺が聞いて問題無い内容なら良いが、花坂が答えたくない事を無理矢理聞き出すのも憚られる。
何より花坂もぐっと息を詰め、苦悶に眉を寄せている。こんな風に苦しそうな表情、この数年間で見た事ない。

やはり俺が聞くべきではない事なのだろう。不用意に花坂の事情へ首を突っ込むべきじゃないだろう。

「やっぱり言わなくても良いから」
「いいえ、聞いて下さい。俺の願いがこの騒動の発端なのだから、柚木さんには聞く権利がある」

膝に置いた手はぐっと力を込め握られている。長く息を吐く花坂の姿に、俺も緊張が高まってきた。

ごくりと唾液を飲み込んだのは、果たしてどちらだったのだろう。

「俺の願いは、あなたと付き合う事だ」
「は?」
「好きです。俺と付き合って下さい」

花坂は改めて姿勢を正すと、俺の目を見てそう言った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

復讐代行業【注意:R18挿絵】

はじめ裕
大衆娯楽
 古びた雑居ビルの一室にそれはあった。ドアに貼ってあるのは(F代行)の表札のみ。そこへ辿り着くのは、合法的な解決方法を失った者か、私怨をつのらせた者だけだ。自らの手を汚す勇気も無い臆病者が、最後に頼る場所がこの部屋だった。

旦那様に離婚を突きつけられて身を引きましたが妊娠していました。

ゆらゆらぎ
恋愛
ある日、平民出身である侯爵夫人カトリーナは辺境へ行って二ヶ月間会っていない夫、ランドロフから執事を通して離縁届を突きつけられる。元の身分の差を考え気持ちを残しながらも大人しく身を引いたカトリーナ。 実家に戻り、兄の隣国行きについていくことになったが隣国アスファルタ王国に向かう旅の途中、急激に体調を崩したカトリーナは医師の診察を受けることに。

死ぬ前に一度だけ、セックスしたい人はいますか?──自称ノンケな欲望担当天使のつがわせお仕事日記

スイセイ
BL
「死ぬ前に一度だけ、セックスしたい人はいますか?」 時は西暦20××年、日本。元来シャイな国民性を持ち、性愛に対する禁忌感情が色濃く残るこの国では、 死んだ人間がカケラとして残す「一度でいいからあの人とセックスしたかった」という欲望が大地を汚し、深刻な社会問題となっておりました。 事態を重く見た神様が創設したのは、「天使庁・欲望担当課」。 時間と空間を縦横無尽に駆け巡り、「あの日、あの時、あの人とセックスしたかった」という欲望を解消して回る、大事な大事なお仕事です。 病気の自分をずっとそばで励ましてくれた幼なじみ。 高嶺の花気取りのいけすかないあいつ。 もしかしたら、たぶん、いや絶対に、自分のことを好きになってくれたはずの彼。 未練の相手は様々でも、想いの強さは誰しも同じ。 これは、そんな欲望担当課にて、なんの因果か男性同士の性行為専門担当に任命されてしまった自称ノンケの青年天使ユージンと、 彼のパートナーであり、うっかりワンナイトの相手であり、そしてまた再び彼とのあわよくばを狙っているらしい軽薄天使ミゴーとの、 汗と涙とセイシをかけたお仕事日記です。 …という感じの、いわゆる「セックスしないと出られない部屋」の亜種詰め合わせみたいなお話です。章ごとの関連性は(主人公カップリング以外)ないので、お好きな章からどうぞ。 お話上性行為を見たり見られたりする表現もありますが、カップリング相手以外に触れられることはありません。 2022/10/01 完結済み ☆お品書き 【第一章】病に倒れたおれをいつも隣で励ましてくれた、幼なじみのあいつと。 ・鈍感大らか×病に倒れた元気少年、幼なじみ、死ネタあり 【第二章】喪われし魂の救済を求めて、最期まで心を焦がしてやまなかった彼と。 ・陽キャへたれ×厨二陰キャ、一部襲い受け、自殺未遂の描写あり 【第三章】せっくすの仕方がわからないぼくたちが、神の思し召しで遣わされた天使様方に教わって。 ・純真敬語×無口素直、無知×無知、主人公カプあり 【第四章】生涯で唯一一度もお相手願えなかった、気位の高い猫みたいな男と。 ・中性的ドS×両刀攻め専タラシ、調教、快楽堕ち、♡喘ぎ、濁点喘ぎ、攻めフェラあり 【第五章】きっとこの手の中に戻ってきてくれるはずの、今はまだ遠いお前と。 ・いざと言うとき頼りになる地味系×メンタル弱めガラ悪系、デスゲーム風、ヤンデレ、執着攻め 【第六章】壊れてしまった物語を美しく終わらせるために、あの図書室で物語を分け合った先生と。 ・自らの性癖に苦悩する堅物教師×浮世離れした美少年、死ネタあり 【第七章】死ぬ前に一度だけ、セックスをしたかったあの人と。 ・最終章前編、死ネタあり 【第八章】そして死ぬ前にただ一度だけ、セックスをしたあの人と。 ・最終章後編

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

平凡な公爵令嬢?婚約破棄で開花した私の才能

 (笑)
恋愛
公爵家の令嬢フィオレッタは、婚約者である王太子に突然婚約を破棄され、人生が一変する。失意の中、彼女は自分の力で未来を切り開くため、家を飛び出し旅に出る。旅の中で仲間と出会い、成長していくフィオレッタは、次第に自分の秘めた力に気づき始める。新たな目的と共に、自らの手で運命を切り開いていくフィオレッタの冒険が始まる。

(完)なにも死ぬことないでしょう?

青空一夏
恋愛
ジュリエットはイリスィオス・ケビン公爵に一目惚れされて子爵家から嫁いできた美しい娘。イリスィオスは初めこそ優しかったものの、二人の愛人を離れに住まわせるようになった。 悩むジュリエットは悲しみのあまり湖に身を投げて死のうとしたが死にきれず昏睡状態になる。前世を昏睡状態で思い出したジュリエットは自分が日本という国で生きていたことを思い出す。還暦手前まで生きた記憶が不意に蘇ったのだ。 若い頃はいろいろな趣味を持ち、男性からもモテた彼女の名は真理。結婚もし子供も産み、いろいろな経験もしてきた真理は知っている。 『亭主、元気で留守がいい』ということを。 だったらこの状況って超ラッキーだわ♪ イケてるおばさん真理(外見は20代前半のジュリエット)がくりひろげるはちゃめちゃコメディー。 ゆるふわ設定ご都合主義。気分転換にどうぞ。初めはシリアス?ですが、途中からコメディーになります。中世ヨーロッパ風ですが和のテイストも混じり合う異世界。 昭和の懐かしい世界が広がります。懐かしい言葉あり。解説付き。

(完結)バツ2旦那様が離婚された理由は「絶倫だから」だそうです。なお、私は「不感症だから」です。

七辻ゆゆ
恋愛
ある意味とても相性がよい旦那様と再婚したら、なんだか妙に愛されています。前の奥様たちは、いったいどうしてこの方と離婚したのでしょうか? ※仲良しが多いのでR18にしましたが、そこまで過激な表現はないかもしれません。

【R-18】赤い糸はきっと繋がっていないから【BL完結済】

今野ひなた
BL
同居している義理の兄、東雲彼方に恋をしている東雲紡は、彼方の女癖の悪さと配慮の無さがと女性恐怖症が原因で外に出るのが怖くなってしまった半ひきこもり。 彼方が呼んでいるのか、家を勝手に出入りする彼の元彼女の存在もあり、部屋から出ないよう、彼方にも会わないように気を使いながら日々を過ごしていた。が、恋愛感情が無くなることも無く、せめて疑似的に彼女になれないかと紡は考える。 その結果、紡はネットアイドル「つむぐいと」として活動を開始。元々の特技もあり、超人気アイドルになり、彼方を重度のファンにさせることに成功する。 ネットの中で彼女になれるならそれで充分、と考えていた紡だが、ある日配信画面を彼方に見られてしまう。終わったと思った紡だが、なぜかその結果、同担と間違えられオタクトークに付き合わされる羽目になり…!? 性格に難ありな限界オタクの義兄×一途純情ネットアイドルの義弟の義兄弟ものです。 毎日7時、19時更新。エロがある話は☆が付いてます。全17話。12/26日に完結です。 毎日2回更新することになりますが、1、2話だけ同時更新、16話はエロシーンが長すぎたので1日だけの更新です。 公募に落ちたのでお焚き上げです。よろしくお願いします。

処理中です...