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第六章 決戦の地へ
戦いの終わり
しおりを挟む鼻を掠めている濃い青葉の匂いと、頬を撫でる柔らかな感触がくすぐったい。陽だまりで昼寝をしているように身体がポカポカと温かいし、何よりも愛しい人のぬくもりに包まれて自然と口角が上がる。
まだ夢を揺蕩って閉じている目を細め、僕は思わずふふっ、と小さく笑った。僕の身体を抱きこんでいる人肌に顔をうずめる。
穏やかで、温かくて、幸せだ。
「___、___っ!」
波が静かに寄せては帰るかのごとく、風になびく草花の音に、遠くの音が混じっているような気がする。まだ遠いみたいだから、もう少し昼寝をしていたい。
夢心地の微睡みは二度寝してしまおうかと思うほど気持ちが良くて、幸福感に心がふわりと満たされる。耳に届く心地よい自然の音色に混じる何かが、だんだんとこちらに近づいている気がする。
これは、誰かの声だろうか?
遠くのほうから小さく聞こえていた声は、切迫した声音で何か訴えかけているようだった。それでも、まだ起きたくないな、と目の前の胸に身を寄せようとした時だ。誰かが寝ている僕の肩を掴んで、強く揺さぶった。
「……うっ…、ん…?」
眠気に引きずられた定まらない視界に、妖艶な紫が印象的に映る。草原に生えるスミレのような鮮やかさが、綺麗だなぁっと思って、呆けて見つめていた。ユラユラと尻尾のように揺れる紫のものが、三つ編みになっていると呑気に考えていると、少し高くて掠れた声が僕を夢から覚ました。
「サエちゃん!!レイル!!」
僕たちの名前を焦ったように呼んだ声に、はっ、と呼び起こされた。美しい女性にも見える顔が、心配げに眉根を寄せてる。
「……カ、……レン、さん?」
ずっとしゃべっていなかったのか、声が掠れて小さな声しか出ない。それでも、カレンさんには僕の蚊の鳴くような声が届いたみたいだった。優しいスミレ色の目が大きく見開かれる。
「っ?!!サエちゃん!!無事?どこか痛いところはない……?」
痛いところ、という言葉に僕のぼんやりとしていた思考が一気に吹っ飛んだ。飛び起きる勢いで身体を起こした僕は、咄嗟に自分の左胸へと手を当てる。服の上から自分の胸を擦って、信じられない思いで呟いた。
「……傷が塞がってる」
確かに鋭利なかんざしの先端で刺した左胸が、何事もなかったかのように塞がっている。さらにレイルに刺してもらった致命傷も塞がっていて、破れていた服も元通りになっている。
一度は確実に命を落としたはずなのに、これは一体どうゆう事なのだろう?
「……俺の傷もだ」
僕が身じろぎした気配で起きたらしいレイルも、僕の横に座って自左胸に右手を添えている。レイルの驚いた表情を見るのが貴重で思わず見惚れていると、カレンさんが感極まった様子で僕たちに抱きついた。逞しい腕が力強く僕の背中に回される。
「よかった!二人とも無事でよかったわ~っ!!」
「ぐえっ!!」
たくましい筋肉に体当たりされて、さらにきつく抱きしめられて思わず短い悲鳴を上げてしまった。口調と顔は女性なのに、泣き方がうぉおおーっと男泣きなとこに違和感しかない。
男泣きするカレンさんにおろおろしていると、カレンさんのたくましい腕をレイルがグイっと解いた。
「やめろ。サエが潰れる。この筋肉オネエ」
「だれが筋肉オネエよ!!……まったく、レイルも双子ちゃんも、本当にサエちゃん以外には冷たいんだから……」
抱擁の圧迫から抜けて息を整え終えた僕は、『双子ちゃん』というカレンさんの言葉にふっと疑問が湧く。いつも僕が起きたら真っ先に、星と空の双子が朝の挨拶をしに駆け付けてくれる。違和感に何とも言えない焦燥に駆られて、僕はカレンさん問いただした。
「カレンさん!ステラとシエルは……?」
カレンさんは僕の質問にすぐには答えず、言葉を探すように逡巡した。その沈黙で、双子に何かあったのではないかと血の気が引いていく。青ざめていく僕の顔を見たカレンさんは、『落ち着いて聞いてほしいの』とゆっくりと低い声で僕に言い聞かせた。
「双子ちゃんは今、魔力を使い過ぎて眠ってしまっているわ。……こっちに来てちょうだい」
そう言って、カレンさんはシエルとステラの眠っている場所まで僕たちを案内してくれた。湖から少し離れた場所に、大きく葉を広げた大樹が木陰を作っていた。大樹の根元にはローブが落ちていて、カレンさんはローブへと歩みを進める。
星のように輝く金色の髪と、澄み切った空のように美しい空色の髪がひょっこりとそのローブから顔を出しているのが見えたとき、僕は足早に二人へと駆け寄っていた。
ステラとシエルは、寄り添い合うようにお互いに身体を丸めて眠っていた。小さい口は時折むにゅむにゅと動いているし、ローブの下の小さな身体は呼吸に合わせるように上下に動いている。寄せ合うように眠る双子の閉じられた瞼に、風に流れた木洩れ日が揺れる。
「……サエちゃんとレイルを助けるために、『時魔法』を使ったの……。目覚めるのは、おそらく3年後だそうよ」
ステラとシエルが魔法を使うときに力を貸してくれた精霊ちゃんたちが、私にそうやって教えてくれたのよ、とカレンさんは哀し気に事の次第を教えてくれた。
次元を歪めて、過去に遡ることのできる『時魔法』を精霊たちと協力しながらシエルとステラが実行した。その魔法のおかげで、僕とレイルの致命傷が無かったことになっているのではというのが、カレンさんから聞いた全てだった。
そして、双子が払った代償が自分たちが成長していくはずであった3年間。
「そんな……っ。僕たちのために……?」
大人の数年間と、幼子の数年間の貴重性は言うまでもない。子供の3年は成長が早く、変化も目覚ましい。背も伸びるし、美味しいものも沢山食べれる。友達だって出来るかもしれない。
そんな貴重な時間を、双子たちは迷いなく僕たちのために代償にした。大人のために子供が犠牲になっているという現実と自分の情けなさに、歯を食いしばらずにはいられない。
「そんな顔しないで?……これは、双子ちゃんが決めたことなの。本当に立派だったわ。……二人が起きたら、一番に『おはよう』って言って、ぎゅってしてあげて」
それが、星と空の双子たちが望んだことなのよ。とカレンさんに言われて、僕は滲んでくる涙を堪えて頷いた。彼らがまた目覚めるときに、笑顔で迎えてあげようと心に刻みこんだ。僕とレイルで、目が覚めるまで双子を引き取ることにした。
傍から見れば、自然に愛された色を持つ精霊の双子が、午後の木洩れ日を浴びて穏やかに眠っているようにも見える。せめて、彼らの見る夢が優しい夢であるように願って、そっとその滑らかな額に交互に口付けた。
「ふへっ」
「……ふふっ」
くすぐったそうに小さく身じろいだ双子は、その小さな口に微笑みを称えて、また気持ちが良さそうに眠り続けた。
双子の寝顔を見守っていると、複数の馬の足音が近づいて来るのが耳に届いた。数頭の馬を駆けさせて、騎士服を着た人々がこちらにやって来る。馬が湖に近づいて足を止めると、金糸の美しい髪の青年がひらりと馬から降り立つ。
「遅くなってすまなかった。……全ての戦いが、終わった」
王太子は噛み締めるように、静かに呟いた。戦いの勝利に対する喜びはなく、悔しささえも感じる複雑な声音だった。王太子の拳は強く握りしめられ、一度だけゆっくりと目を閉じる。
この戦いでは、あまりにも多くの命が犠牲になった。
ほんの一瞬だけ眉根を寄せて苦し気な表情をした未来の王は、ゆっくりと目を開けた。先ほどまでの懺悔に揺れていた瞳はなりを潜めて、その青色の瞳は強い光を宿していた。王太子は僕たちに短く今後の帰還予定について伝えると、威厳ある背中を見せて僕たちから離れていった。その後ろ姿を見送りながら、僕はそっと左胸に手を当てた。
シエルとステラの二人が、『時魔法』によって無いものにしてくれた傷。でも、僕にはもう一つ何かが、傷を塞ぐようにして埋まっているものがある。
「……サエも、か……?」
左胸に手を当てたまま動かない僕の頭上から、レイルが僕だけに聞こえるように問いかけてくる。レイルの問いかけに僕は小さく頷いて、湖へと顔を向けた。
磔も淀んだ血も、まるで何もなかったように穏やかで透明な湖。その水中で見た恋人たちの逢瀬。彼らは、最期の最期に、僕たちを助けてくれたみたいだ。
暗く淀んでいた空は雲一つない澄み切った青空に変わり、人々の頬を風に舞う花びらがいたずらに撫でていった。淀んだ空気はもう、春風に吹かれてどこかに流れて消えていた。
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