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第六章 決戦の地へ

水の中、再会

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ここは、前にも一度来たことがある。
この世界に呼ばれたときに、最初に通った場所。

瞼を開けて最初に目にしたのは、水底を思わせる暗い青色。水中独特の、くぐもって耳に届く水泡の音。水に浮いている分、身体は力が抜けて軽く前髪は水流に合わせて靡く。

冷たい色をしているのに、水はどこか温かくて。ずっと揺蕩っていたいくらい心地良い。


自分は確かに、自分自身の手で心臓を貫いて死んだはず。その証拠に着ている服の左胸が、無残にも裂けて血に染まっている。そんな凄惨な最期を迎えたというのに、どこまでも水は穏やかだった。


……死後の世界って、水の中だったんだなあ。


『……サエ』

後ろから聞こえた僕の名前を呼ぶ声に、僕は目を見張った。自分の背中に感じていた温かさは、水の温かさではなかったのだと気が付いた。暗い青の中に、美しいシルバーグレーが視界の端にさらりと映った。紅い宝石の中に砂金のように美しい金が混じっている瞳が、僕を覗き込む。


ここにいるということは、レイルも……。


「……レイルも、僕と一緒に……?」

続く言葉を言わない僕に、レイルは静かに頷いた。レイルはそっと身体を離すと、背後から抱きしめていた僕の身体を、自分の胸の中に抱き込むように抱え直した。逞しい胸板に顔を押し付けた僕は、ミントを思わせる涼やかな香りを胸一杯に吸い込んで、そっと息を吐いた。耳元に聞こえてきたはずの鼓動が、僕の耳に届かないことに胸が震える。

死ぬときにレイルと口付けを交わして、自分の身体が湖へと飛沫を上げて落ちたのは覚えている。そのまま、レイルも自分と一緒に湖の水底へと沈んでいったのか。どうやって亡くなったのかまでは、僕も知る由がない。

それに、優しいレイルは僕には教えてくれそうにないなと思った。


「……サエのいない世界は、冷たいからな」

僕の髪を梳くように頭を撫でるレイルは、ほんの少し困ったように微笑んで呟いた。レイルには生きていてほしかったと思うのと同時に、自分と運命を共にしてくれたのかという醜い嬉しさの感情が出て来て、僕はそっか、とだけ小さく呟いた。

しばらく無言のまま、二人で水中を漂う。



水の中に、小さな光が幾つも瞬いている。キラキラと輝くそれは、よく見れば黒色の破片で、上から僅かに差し込む光を砕かれた面に反射して水中を彷徨っていた。


暗黒の種の破片……。

レイルが僕の背中を刺して、砕いてくれた呪いの宝玉の残骸だ。僕の身体から、漏れ出てしまったのかもしれないなと、どこか頭の冷静な部分で考えていた。

どこまでも静かで、僅かに上から差し込む光。下を見れば暗くて何も見えない。引きずり込まれそうになる暗い水底と、明るい水面のちょうど境目を、僕たちは彷徨っているようだった。


眠くなるような心地よさに身体を漂わせていると、銀色の小さな光が水底でチカッ光ったのが見えた。光は徐々に暗い水底から輝きを増しながら、僕たちの足元まで浮いてきた。僕の頭くらいの大きさの光から感じる、この柔らかな雰囲気と、寂しさに覚えがある。


「……セレーネ」

僕たちの正面の少し離れた場所に浮いた銀色の光は、ひと際眩しい光を放った。腰まである金糸の髪が水中になびく。深く美しい蒼色の瞳をゆっくりと開けた彼女は、僕の声が聞こえていないのか反応がない。

まるで、彼女がいる場所と僕たちのいる場所に、透明なガラスの壁があるような隔たりを感じる。


「『暗黒の種』が集まっていく……」

レイルは、警戒するように僕を自分の胸元に隠すように抱き込んだ。漆黒のローブの隙間から、僕は視線を巡らせる。細かな欠片となった呪いの宝珠は、何かの意思によって動いているように一か所に集まり出した。黒色の粒子にも見えるそれは、やがて細長く形を変えると動きを止めた。

セレーネが黒色の煙にも見える塊へと近づくと、力強くその身に抱きしめた。小さく絞り出されるように呟かれた声に、歓喜や後悔、さまざまな彼女の想いが入り混じっている。


『……ジェノス様』

黒色の粒子が生み出したのは、一人の男だった。この世の者とは思えないほどに美麗な顔立ちをした、長身の男。黒壇を思わせる艶やかな髪は、男の背中まで流れてさらりと揺れた。
僕たちのことは見えていないようだった。


『……セレーネ……?』

魔王は目の前に立つ女性の姿に、その深紅の瞳を大きく見開いた。何百年も前に命を落とした聖魔術師。そして、自分のかつての恋人が目の前に居るのだ。魔王に名前を呼ばれたセレーネの蒼色の瞳が、一瞬だけ光を瞬かせた。


『……はい、ジェノス様……。ずっと、ずっとお会いしたかった』

大きな蒼色の瞳が潤んで、いくつもの涙が溢れ出ている。白く滑らかな彼女の頬を伝った涙が、彼女の顎先から水中へと流れ落ちた。そのたびに、水に泡が浮かんでは消える。

セレーネに抱きしめられた魔王ジェノスは、しばらく目を見開いたまま固まっていた。彼女の細身の背中に回されようとしていた腕は、下にそっと降ろされた。魔王は抱き着くセレーネの両肩を手で押すと、彼女が触れられない距離まで身体を離した。


『私は、君のことが嫌いだ。私のことを裏切った君の姿など、もう見たくもない。さっさと、輪廻に帰れ。……私は、このまま湖の底に沈む』

深紅の瞳を鋭利に細めてセレーネに冷たく言い放った魔王は、これ以上話さないというように背中を彼女に向けた。その身体は、仄暗い水の闇へと同化しようとしている。

魔王ジェノスは、ずっと僕とともにあった。僕の目を通して外の世界のことを把握していたし、セレーネの過去の記憶の話も聞いていた。僕の見聞きしたこと全てを、彼も知っている。彼女が、彼女の意思で魔王を裏切ったわけではないことも分かり切っている。

それでも、彼女を突き放す理由はきっと。
魔王ジェノスの魂が既に呪いに侵されて、天には帰れなくなってしまっているからだ。
魂を天に帰す役割を担う精霊たちが、触れられないほどに。


離れて行こうとする黒色の背中を、セレーネの白い腕が伸びて掴んだ。純白を思わせるきめ細かい指先が黒色の墨に触れてように滲んだ。セレーネは美しい眉根に皺を寄せて、必死に一人消えゆこうとする魔王を引き留める。


『……嫌です。あなた一人で、また全てを背負わせません。それに、私は輪廻に戻ることを望んでいるのではないのです!!』

細長い指先が呪いで真っ黒に染まり、さらにはセレーネの身体を蝕もうと黒色の線がセレーネの腕を登っていく。魔王はセレーネが呪いに染まる様子を見て、彼女を必死に引き剥がそうとした。セレーネはそれでも必死に魔王へしがみ付き、さらに力を強めて彼の胸元に抱き着いた。


『離せ!セレーネ!!』



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