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第六章 決戦の地へ

天地讃賞(てんちさんしょう)

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レイルの背後では、紫色の炎が未だに火柱を上げていた。崩れて丸い塊のようになっていた影が、炎の揺らめきと一緒に動いている。その影が俊敏に動き出した瞬間、僕は必死に叫んでいた。


「レイル!!後ろっ!!」

炎の中がかき消されたと同時に、そこから現れて鋭い鉤爪がレイルの背後へと襲い掛かる。僕の声に振り返ったレイルの目前に、炎を纏った骨だけの鉤爪が迫る。


「っ?!」

レイルは咄嗟に双剣を胸の前で交差させ、攻撃をなんとか受け止めたのが辛うじて見えた。硬い者同士がぶつかり、火花が散るとドラゴンが鉤爪を殴るように振り払う。鈍い衝撃音が聞こえて、僕の血の気が全身から一気に引いていく。


「……ぐっ……!!」

攻撃の勢いを殺せなかったレイルは、うめき声をあげながらエストの背中から吹っ飛ばされて、大きく宙に投げ出された。身体は遠くの崖まで吹っ飛び、岩壁に人影が激突する。岩壁に大きな亀裂が入って、砕けた岩が轟音とともに地面に崩れ落ちた。


「レイル!!」

岩が砕かれた衝撃で、崖に大きな土埃が立ち込める。レイルの姿が見えないことに、僕は岩陰から一目散に駆けだしていた。彼の無事を確認しなければと、焦燥に駆られる僕にレイルの厳しい声が飛んだ。


「来るな、サエっ!!」 

強く鋭い声に、僕の足が止まる。
粉塵をあげて漂う砂埃が晴れ、岩塊が重なる地面。大きく凹んだ岩壁の真下に小さな人影がよろめいて立つのを見て、僕は泣きそうになった。その美貌の額から赤い液体が滴り、顎先を伝って地面に落ちているのが見えた。


「サエの聖魔法のおかげで、オレは無事だ……!そこを動くな!!」

僕を心配させまいと無事だと伝えているが、そんなはずはない。あの百戦錬磨の凄腕暗殺者が、血を流している。破れた服に、動きが鈍くなった長身の身体。なによりも、いつも冷静なレイルの切迫した声が、この状況の異常さを物語っていた。


「痛いって言ってる」
「……無理矢理、再生させられてる……」

一緒に岩陰に隠れたステラとシエルが、幼い顔を歪めて呟いた。双子は岩陰から、琥珀と空色の瞳でじっと前を見つめていた。その視線の先はレイルとエストが仕掛けた、紫色の炎の渦。

渦を巻いていた紫の炎が、徐々に収まっていく。敵を焼き尽くすまで燃え続ける炎が、大きな突風とともにかき消された。大きな骨だけの羽が、風を起こしている。


「……うそだ……」

目の前の光景に、僕は思わず呟いていた。姿が現れたとき、宰相の高らかで不快な笑い声が響いた。


「ふはははぁぁぁっ!!実に素晴らしい!!これぞ私が求めていた『不死の生き物』!最凶の私の駒!!」

砕けたはずのドラゴンの骨が、再生している。さらなる呪いを募らせて、瘴気はどこまでも暗く底なしの憎悪が渦巻いている。その落ち窪んだ血色の目に、深い哀しさが見えた。巨体の骨を震わせたドラゴンの口が、大きな声を上げる。


もう、生きたくない。


そんなふうに、僕には聞こえた気がした。


「命乞いをしても、もう遅い……。存分に恐怖しろ!私を敬い、恐れ、奉れ!!逃げ惑う者たちを存分にいたぶってやるのだ!!」

弧を足掻いた血色の悪い唇は、頭上を見上げて高らかに命令する。再生したドラゴンの落ち窪んだ瞳が、さらなる怨みをはらんでレイルに向けられた。


「帰りたいのに、帰れない」
「……魂が、縛り付けられてる」

例え命が潰える傷と痛みを負っても、この地に魂が呪いの鎖に繋がれて天に帰れない。シエルとステラは、静かにゆっくりとそう言った。幼い口調と子供特有の高い声ではあるが、その声には怒りがこもっていた。

この双子は生命と精霊に愛される、ハーフエルフだ。ドラゴンの魂からの嘆きも、自然を愛する彼らだからこそ鋭敏に感じ取ったのだろう。双子は骨だけの腐敗したドラゴンを、哀しみの目で見つめていた。


「ああ、あの者は殺すなよ?また、私のもとで丹念に世話をして、有益に使ってやるのだから……。生け捕りにして我に差し出せ。他の者は好きにしていい」

岩陰にいる僕を指し示し、ギラつく視線をこちらに寄越した。宰相にねっとりと視線で舐めまわされる感覚に、怖気がして鳥肌が立つ。あの顔は、僕を魔道具にしたときと同じ。僕を自分の最高傑作として見ている目だ。

この世界に来た時の恐怖の記憶が、僕の頭の中に一気に蘇ってくる。自然に身体は震えて、カチカチと奥歯が鳴る。ドラゴンは、再びレイルたちへ攻撃を仕掛けていく。それを見ながらも、僕は自分の身体が動かない。


蹴られた腹、殴られた頬、執拗に自由を奪われた過去。
その恐怖のときが、再び繰り返されるのではないかという未来に怯えている自分がいる。こんな時に過去と未来の恐怖に怯えている自分が心底情けない。

身体中が凍えたように寒くなる。指先が自分のものではないかのように動かない。息が浅くなって思考の回らない僕の両手を、そっと小さな温もりが包み込んだ。暗い思考の海から、はっと覚醒する。


「サエ、大丈夫!ぼくたちが守るよ」
「……サエを、あんなヤツになんか渡さない」

輝かしい星を思わせる金色の髪を揺らして、左手をステラがぎゅっと握った。右手を握るのは、突き抜ける空のように美しい澄み切った水色の少年。小さな手は、僕の凍えた指先をしっかりと握り温めてくれる。大きな空と星の瞳が、強い意思を宿して僕を見上げていた。


自分自身の恐怖に、気を取られている暇はない。
現実から逃げるな。目を背けてしまったら、この手を握る小さな命も。大切な人達も守れないから。


僕は大きく深呼吸をした。過去と想像だけの恐怖に怯えていた震えは、もう収まっている。目の前の戦況を良く見てみる。腐敗のヘドロをまき散らしながら、巨体を振り払って戦うドラゴンに、レイルとエストは攻撃を躱すしか打つ手がないように見える。


「……皆を守る」

僕は地面に両膝をついて、胸の前で両手を組んだ。身体中の魔力に働きかけて、魔力だまりである腹の底に魔力をかき集める。瘴気に汚染され、乾いた灰色のような地面へ向けた視界の隅で、そっと咲いている白色の小花たちが目に留まった。

死の大地と化していたこの地でも、まだ生命の息吹が僅かに残っている。精霊たちがいる証拠だ。

ここは、古の聖魔術師が眠る地。セレーネが愛しい人と、幸せな時間を築いた大切な場所。精霊に愛された彼女こそ、この地の主だ。
清廉な彼女が愛した思い出の地が、汚されることを精霊たちが許さないはずだ。


この地に住む精霊たちに、心の中で呼びかける。


『___、___』

僕の意識に答えるように小さな声が集まって、やがて大きな波として僕の頭の中に押し寄せてくる。さらに意識を集中させた僕の全身に、さらに多くの声が響いた。


召喚の生贄とされた騎士たちの怨恨、この世の輪廻から外れて無理矢理召にこの地に呼ばれた、ドラゴンの嘆きと怒り。愛しい人をこの戦いで殺された人々の哀しみ。僕の全身に集まる感情の声。

周囲から魔力が集まって、僕の足元から眩い光が炎のように揺らめいているのが見えた。


この地に吹く風から、足元の大地から、身体の内から。
そして、僕の心の奥底から。
一つの強く明確な感情が湧き出てくる。


「___、___、____♭」

僕の口から紡いだ旋律は、力強く。威風堂々とした旋律は実に厳かだった。自分の声に見えざるものの強い感情が混ざり合い、複雑だがよく通る音が大気に響き渡った。音の波紋が遥か遠くまで広がっていくのが分かる。


この地に眠る精霊たちよ、目覚めなさい。
無念に散った戦士の魂たちよ、今一度武器を取りなさい。
愛する者を失った人々よ、嘆きを祈りの声に変えなさい。


その静かなる怒りを、全て力に変えて。
生命の輪廻から離された哀しき存在に、慈悲を。
この世界の生命と魂を冒涜した罪深き者に。
怒りの鉄槌を。


僕の全身に、この世界の怒りが大波となって流れてくる。眩しすぎて白色に見える、白銀色の強い閃光が僕の足元から放たれた。目をゆっくりと開いた僕は、胸の前で絡めていた両手をそっと離して、身体の力を抜いた。この地にしっかりと響くように、ゆっくりと確実に言葉を紡ぐ。


「___天地讃頌(てんちさんしょう)」





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