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第8章 乙女ゲームが始まる
約束の日の足音、冬って寂しくならないか?
しおりを挟む漏れ出た吐息は薄い雲のように白くなって、窓から見上げた雪降る夜空に消えていく。
軽やかな羽根が落ちるように、静かな音を立てて雪が降り積もる。そのひそやかな音も聞こえる程、学園生活2年目の冬は静寂が際立っていた。夏休みを境に通常授業は執り行われず、生徒たちは各々が政府機関に身を置きながら、魔物討伐の準備に勤しんでいた。
俺たちは、夏休み中に一週間だけカンパーニュに帰った。カンパーニュでは勇者であるソルと、その付添人である俺が町長直々に激励され、町の皆からも『無事に帰っておいで』とエールを送られて、故郷を離れた。
時折、リュイとガゼットと各々の近況を手紙でやり取りしながら、騎士団員との最終調整とも言える訓練に明け暮れて、あっという間に数ヶ月が過ぎた。
「……寂しいな」
暗い夜空から舞い落ちる雪を見上げながら、俺は寮室のソファで湯気立つ紅茶を一口飲んだ。
生徒で賑わっていた談話室も、暖炉の火が煌々と燃えて、ただ薪が爆ぜる音しか聞こえない場所になってしまった。その静けさが、友人たちがいない寂しさと、災厄の日が近いことを物語っているようにも思える。
俺の寂しいという呟きに、先ほどまで手ずからライチを食べていたモルンが、ピクッと反応した。まん丸な目を俺に向けて首を傾げると、あっという間に俺の身体を上って、小さな身体で頬ずりをする。
フワフワの尻尾と身体は、窓から見える冷たい雪のように真っ白なのに、体温はほんのりと温かい。肌触りの良い毛並みと温かさに、寂しさに埋もれそうになった心がほっと息を吐いた気がした。
「……モルン。ありがとう」
「キュキュっ!」
小さく鳴いてしきりに身体を寄せるモルンに、『ここに居るよ』と言われているようで、思わず笑みが零れた。
モルンは優しいな……。
お皿に乗る最後の一粒となったライチの皮を剥き、指先でそっと左手でモルンに手渡す。夏に収穫してマジックバッグに保存しておいたライチは、新鮮な果汁を俺の指先に滴らせた。
勿体ないなぁと、お行儀が悪いとは分かりつつ滴る透明な甘露を舐めとろうとして口元に指先を近づけた。その瞬間、ふいに左手を取られて、指先に柔らかな感触が押し当てられる。
しっとりとした感触が指先を這うのに、思わずビクッと身体が跳ねる。
「っ?!!」
指先から手首まで滴っていた果汁を、ソファ近くに跪いたソルが、チロリと赤い舌を出して舐めとり、最後にはチュッと音を立てて吸い取ったのが見えた。
皮膚の薄い敏感な手首の内側を吸われて、熱が瞬時に上がって堪らずに身震いした。
「ンっ!……ソ、ル……。くすぐったい……」
思わず身じろぎをして逃れようとする俺の手を、ソルは逃がさないとばかりに指先で絡めとる。手首に口付けを落としているのを見せつけるようにして、ソルは琥珀色の瞳で俺を射貫いた。
風呂上りのソルは金色の前髪に水滴が滴り、開けたシャツの隙間からは鎖骨がチラつく。壮絶な色気を放つソルに、目を奪われてしまった。
「……またオレのいない間に、モルンにライチをあげてたの?モルンばっかり、かまい過ぎじゃない?」
俺を責めるようなソルの低い声には、拗ねたような不機嫌さが混じっている。凄まじい色気とは裏腹に、『かまってほしい』という可愛らしい嫉妬が言外に見えて、堪らずクスっと微笑んでしまった。
俺が笑ったのを不本意だと、ぶすくれるソルの柔らかでしっとりと濡れた黄金の髪を、ソルに捕らえられている反対の手で撫でつける。
「……ソルもライチ食べるか?モルン特製じゃない、普通のライチならたくさん___ンっ?!」
モルンが俺の右肩から離れていく、トンっという小さな衝撃に、ほんの少しだけ気を取られた隙を突かれた。
ソファに座る俺に覆い被さるように、話の途中でソルの唇に言葉を塞がれた。あまりに突然で、ぽかんと開いていた唇から、ソルがするりと舌を入れてくる。
ちろりと俺の舌を絡め取ると、甘く吸われて背中からゾクリと粟立つ。自然と交換するように、口に流れ込んできたソルの魔力は、ほのかに甘い。その甘さをずっと味わいうと、ふわりと心地が良くなるのに、身体の奥からは熱を持ち始めて、そわっと動いて落ち着かない。
「ンんっ……、ふぁっ……」
何度か角度を変えて、ライチの甘さが残る口の中を貪られる。自分自身が食べられているような感覚に、頭がフワフワしてきたところで、そっとソルの唇が離れた。
全身からぶわっと熱が吹き上がって、顔まで一気に上って来る。
「……すごく甘いね……。ごちそうさま」
ぺろりと口の端を親指で拭って舐めとりながら、ソルは目を細めた。さっきまで嫉妬して可愛らしいなんて思っていた青年は、余裕で獲物を弄ぶ強者のような雰囲気を纏っていた。
俺は息も絶え絶えで呆けたまま、ふわふわの思考でソルを見上げた。
トロリとした蜜色に変化した宝石が悪戯気に細められて、美しい美青年はしてやったりという表情で俺を見降ろしている。俺よりも精神年齢が年下のはずなのに、どうしてこうも俺を翻弄するのが上手いんだ……。
「……もう、食べたいなら用意したのに……」
自分でも耳まで真っ赤になっていることに気が付いて、恥ずかしくて居た堪れなくなり逃げるように左に首を振る。ライチの味見をしたいなら、そう言ってくれれば良いものを……。
無防備になった右耳に、そっとソルの唇が落とされた。
「……耳まで真っ赤。……可愛い、ヒズミ」
耳元で囁かれた、クスッと笑う低い声に全身が甘く戦慄いた。そんな良い声で囁かないでくれ!!
内心で焦っている俺を他所に、ソルは俺の膝裏に腕を回すとソファに腰を下ろした。俺を自分の足の間に降ろして、後ろから抱えるようにして座る。最近、ソルはこの体勢がお気に入りだ。右肩に頭を乗せるソルの、風魔法で乾かされた黄金の髪が肩口に当たってくすぐったい。
「ソル、くすぐったい……」
「んー?」
ソルはくすぐったさに身動ぐ俺にお構いなしに、グリグリと頭を擦り付ける。2人きりのとき、どうにもソルは甘々だ。
俺とソルは晴れて恋人同士になったものの、学園生活は何ら変わったことはない。
ここは貴族たちも通う学園だから、表立って恋人同士がイチャつくことはしない。まあ、影でひっそりとキスしているカップルは、見たことがあるけど……。俺は恥ずかしくて出来そうもないしな。
だから、付き合う前と変わらず、ちょっと肩を組み合ったり、ハイタッチするぐらいのスキンシップしか取っていない。
……そう、表向きの学園内であればな……。
「オレにもかまってよ。……かまってくれないと、嚙んじゃうよ?」
先ほどとは打って変わって、耳元で囁く甘えるような優しい声に、なんという魔性だと内心で舌を巻く。首筋に、ソルの吐息が当たってあと少しで肌に歯を立てられてしまいそうだと喉が鳴った。
甘える可愛い声を出しているのに、本当に食べられてしまいそうで、獲物にされた俺はぞくっと肌が粟立った。
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