154 / 201
第8章 乙女ゲームが始まる
隠しきりたい思い、片思いって切ないな……
しおりを挟む初夏が過ぎた今は、夏真っ盛りだ。眩しい陽射しで地面から波打つ熱波が揺らぐ。そんな熱い室外でも訓練できるのは、体感温度を自動調整してくれるアトリ特製の魔道具のおかげだ。先ほどまで金属の交わる音が響き訓練場は、休憩時間の和気あいあいとした雰囲気で包まれていた。
日差しを遮る葉影の下で、英傑6人がベンチに座って涼みながら笑い合っているのを、離れた俺はぼんやりと眺めていた。容姿端麗な彼らが集まるその場は、あそこだけ別世界なんだよな……。
思考の海に潜っていた俺は、周囲の音が聞こえなくなったような、そんな錯覚に陥っていた。
「……____、おい、ヒズミ?」
ポンっと左肩を叩かれて、ふと我に返る。ビクッと身体が反射的に跳ねて、俺は勢いよく声がしたほうへと振り返った。そこには目を見開いた姿のガゼットが立っていた。
「あっ……。すまない、ガゼット。ぼうっとしてた……。えっと、何だったっけ?」
何かガゼットが質問していたようだけど、内容の大半が頭に入っていない。首を傾げて聞き返す俺を、ガゼットは顔を顰めて見つめてきた。
「……ヒズミ、最近ぼうっとしていることが多くないか?……根詰め過ぎると良くないぞ。研究棟と図書館に、籠りきりなんだって?」
ガゼットに言われて、俺は僅かに瞼を伏せた。最近は一日の中でも、ソルと顔を合わせる時間が最小限になっていた。お互いに訓練で忙しいのもあるけど……。
「僕もそう思うよ……。最近、ソレイユもヒズミと顔を合わせることが少ないって嘆いてた……。」
心配気に眉を寄せて、リュイが俺の顔を覗き込む。友人2人を心配させるほど、今の俺は頼りないようだ。
「……大丈夫。ちょっと暑さに当てられただけだ」
そっと、木陰に佇む美しい花々を背に、俺は友人たちと他愛もない会話をする。
午前の訓練が終わり、防音、魔力遮断の施された一室で、俺は膝に両手をついて肩を上下させていた。額からは汗が噴き出して、無機質な石床に落ちていく。全力疾走したときの息苦しさと、魔力を消費し過ぎた反動で眩暈を起こしたところで、スキアー先生に左肩を支えられた。
「……ここまでにしよう……。少し調子が悪いみたいだね?」
そんな日もあるさと、気軽な様子で肩を竦めつつ、スキアー先生が俺を支えて歩き出す。続き部屋にあるソファに、俺をそっと横たえた。
「……すみません……」
俺は力の入らない身体でソファに仰向けになりながら、洗浄魔法で汗を処理した。先生は冷やしたタオルを俺の額に乗せると、お茶を淹れて来ると背を向ける。俺はぼんやりした視界で見送ると、自分の右腕で両目を覆った。
ひんやりとした額の冷たさに、俺の頭が回り始めた途端、自分の情けなさに下唇を噛み締める。最近は、この訓練だけじゃない。心が乱れていることは、自分が一番良く分かっていた。
「……いつもの静かな水面を思わせる、闇とは違うね。……まあ、ヒズミ君みたいに最初から澄んだ闇を持つ人は、珍しいけど」
闇魔法は、精神面の揺らぎが影響しやすい属性だ。心の揺らぎは、闇の水面に波紋を作って感覚を鈍らせてしまう。
スキアー先生が近づいて、ローテーブルの上にトンッとグラスを置く。シナモンが香るアイスミルクティーが入ったグラスの中で、氷が揺蕩う音が聞こえた。
「……ありがとう、ございます。いただきます」
身体がほんの少し怠いけど、動かせるほどになったところで身体を起こした。ミルクティーの入ったグラスのストローに口をつける。ひんやりとした液体が、すぅっと身体の中を通っていく感覚が心地よい。
先生は向かい側のソファに腰を下ろすと、くつろいだ様子で自分のグラスに入った紅茶を飲む。ふうっと一息つくと、ゆっくりとした口調で俺に問いかける。
「……男子会でもしようか?お菓子もお茶も、いっぱいあるよ?」
女子会ならぬ、ね?とスキアー先生がウィンクして、茶目っ気を交えながら焼き菓子の載った小皿を俺に差し出してくれた。
ぼさぼさの髪やよれた服、好奇心旺盛な研究者の姿に隠れているけど、スキアー先生の生徒を想う心はいつも温かい。今だって、無理に話を聞き出そうとはしない。
先生が出すお茶には、必ずシナモンが入っている。心を落ち着かせるためのスパイスなのだと、最近になって知った。小皿に乗っている焼き菓子も、過激甘党の先生の口には合わない。つらい訓練が終わったご褒美にと、スキアー先生が俺のために用意してくれている。
俺は小さな焼き菓子を一つ、口に頬張った。ほんのりと優しい甘さが、今日はすこぶる心に沁みた。
「……先生は、してはいけない恋を、したことがありますか?」
じんわりとした優しさに、俺は自然と言葉が零れていた。先生は静かに微笑み、お茶を飲みつつ黙って話しの続きを促す。俺は俯きながら、零れる言葉を紡いでいく。
「……俺が好きになった人には、想い人がいます。……それは、最初から決められた運命みたいなもので……。彼がその想い人と結ばれれば、確実に幸せになれるんです」
攻略対象者は、聖女と恋に落ちる。その強い絆が、魔王を封印するためには必要なはず。そして、聖女と結ばれた攻略対象者はだれでも幸せになれる。
愛しい人と永遠の愛を誓って、平和な世界で末永く暮らす。この世界はヒロインである聖女と結ばれれば、幸せになる未来が確約されているのだ。
「もしも、彼が想い人と結ばれなかったら、不幸な未来が待っているかもしれない……」
ソルは愛しい人と結ばれなければ、最悪の場合、絶望したソルへと古からの呪いが移って、次代の魔王になってしまう。人を襲う魂を失った人形に。
カランっと、グラスの中の氷が音を立てて崩れた。
「……最初から分かっていたことなんです。彼が、その人を好きになることは……。それでも___ 」
俺は日本から転生して、前世でこの乙女ゲーム『聖女と紋章の騎士』のシナリオを知っていた。どれだけ想いを寄せても、攻略対象者は聖女しか目に映らなくなる。
……それでも、俺はソルを好きになってしまった。
「……気が付いたら、彼のことが好きで……。自覚してしまったら、もう引き返せなくなっていた……」
本能的に抑えていた自分は、ある意味正しかったのだ。自覚したら、もう抑えきれない。コップから溢れた水が戻らないように、ただ流れて下に墜ちていく。
「俺は、彼には幸せになってほしい。……それに彼の想い人は、俺にとって家族みたいに大切な人で。……2人の恋が成就することは喜ばしくて、幸せを願わなくてはいけないのに……」
足の間で組んでいた両手に、独りでにギュッと力がこもった。
妹のアヤハも、目に入れても痛くないほどに可愛い、大切な存在だ。この世界でただ一人の家族。幸せに暮らしてほしい。本心からそう思っている。
それなのに。
「___どうして、俺じゃないんだろうって……。俺のほうが、彼とずっと一緒にいたのに……」
今なら、俺を刺したあの女の子の気持ちが、痛いほどよく分かってしまう。
___俺のほうが、先に好きだったのに。
この鉛のように重く、ドロリとした淀んだ感情。黒く沈んでいく感情のまま、彼女のように……。
「……自分の手で、大切な家族を手にかけてしまうのではないかと、ぞっとしたんです」
やり場のない淀んだ感情が、自分の中に巣食っている。その気持ち悪さに、眩暈がする。
冷たさを感じさせるモノクルのガラス越しには、穏やかな焦げ茶色の瞳が見えた。こちらを非難する色はない。肯定も否定もしない、ただ穏やかなスキアー先生の瞳に、言葉は朗々と流れていく。
「……彼の傍に、一番近くに居たいのに……。今はただ苦しい……」
アヤハとソルが、微笑み合っている姿を見ると胸が軋む。俺がソルの傍に居ない未来を、見せつけられているようだった。喉が渇いて引き攣るような痛みと、冷たい氷柱が心臓を突き刺して抉る痛みを感じる。
いっそのこと溢れる思いを、ソルに伝えてしまおうかとも思った。でも、ソルを混乱させるだけだと気がついた。
ソルは、俺のことを友人としてしか見ていない。
そんな相手に、突然恋情を吐き出されたら、どう思うだろうか?嫌悪される場合もある。……優しいソルは、俺を突き放すことはしないだろう。
それでも、今の唯一無二の相棒のような関係が壊れてしまうことは確かだった。最悪、今の関係が壊れてしまうと考えると、告白なんてできるはずもなかった。それが、俺にはどうしても怖い。
俺はソルが離れて行くことが、堪らなく怖くて、嫌なんだ。
「離れたくないのに、傍にいると苦しいなんて……。片思いって、こんなにも……」
自分の胸元に下がった、琥珀色の宝石をぎゅっと右手で握りしめる。ソルから貰った、俺だけの宝物。この宝石に隠れて触れることだけが、今の俺に許された愛を示す仕草。
……こんなにも、痛いのか。
してはいけない恋で、一生告げられない想いだと分かっているのに。膨らんでいくばかりの恋情は、行き場を失ってただ胸に溜まり続ける。
溢れる感情のままに、脈絡のない俺の話を、スキアー先生は黙って見守るように聞いてくれた。
98
お気に入りに追加
6,044
あなたにおすすめの小説
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
罪人の僕にはあなたの愛を受ける資格なんてありません。
にゃーつ
BL
真っ白な病室。
まるで絵画のように美しい君はこんな色のない世界に身を置いて、何年も孤独に生きてきたんだね。
4月から研修医として国内でも有数の大病院である国本総合病院に配属された柏木諒は担当となった患者のもとへと足を運ぶ。
国の要人や著名人も多く通院するこの病院には特別室と呼ばれる部屋がいくつかあり、特別なキーカードを持っていないとそのフロアには入ることすらできない。そんな特別室の一室に入院しているのが諒の担当することになった国本奏多だった。
看護師にでも誰にでも笑顔で穏やかで優しい。そんな奏多はスタッフからの評判もよく、諒は楽な患者でラッキーだと初めは思う。担当医師から彼には気を遣ってあげてほしいと言われていたが、この青年のどこに気を遣う要素があるのかと疑問しかない。
だが、接していくうちに違和感が生まれだんだんと大きくなる。彼が異常なのだと知るのに長い時間はかからなかった。
研修医×病弱な大病院の息子
腐男子(攻め)主人公の息子に転生した様なので夢の推しカプをサポートしたいと思います
たむたむみったむ
BL
前世腐男子だった記憶を持つライル(5歳)前世でハマっていた漫画の(攻め)主人公の息子に転生したのをいい事に、自分の推しカプ (攻め)主人公レイナード×悪役令息リュシアンを実現させるべく奔走する毎日。リュシアンの美しさに自分を見失ない(受け)主人公リヒトの優しさに胸を痛めながらもポンコツライルの脳筋レイナード誘導作戦は成功するのだろうか?
そしてライルの知らないところでばかり起こる熱い展開を、いつか目にする事が……できればいいな。
ほのぼのまったり進行です。
他サイトにも投稿しておりますが、こちら改めて書き直した物になります。
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい
戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。
人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください!
チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!!
※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。
番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」
「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824
僕はただの妖精だから執着しないで
ふわりんしず。
BL
BLゲームの世界に迷い込んだ桜
役割は…ストーリーにもあまり出てこないただの妖精。主人公、攻略対象者の恋をこっそり応援するはずが…気付いたら皆に執着されてました。
お願いそっとしてて下さい。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
多分短編予定
その男、有能につき……
大和撫子
BL
俺はその日最高に落ち込んでいた。このまま死んで異世界に転生。チート能力を手に入れて最高にリア充な人生を……なんてことが現実に起こる筈もなく。奇しくもその日は俺の二十歳の誕生日だった。初めて飲む酒はヤケ酒で。簡単に酒に呑まれちまった俺はフラフラと渋谷の繁華街を彷徨い歩いた。ふと気づいたら、全く知らない路地(?)に立っていたんだ。そうだな、辺りの建物や雰囲気でいったら……ビクトリア調時代風? て、まさかなぁ。俺、さっきいつもの道を歩いていた筈だよな? どこだよ、ここ。酔いつぶれて寝ちまったのか?
「君、どうかしたのかい?」
その時、背後にフルートみたいに澄んだ柔らかい声が響いた。突然、そう話しかけてくる声に振り向いた。そこにいたのは……。
黄金の髪、真珠の肌、ピンクサファイアの唇、そして光の加減によって深紅からロイヤルブルーに変化する瞳を持った、まるで全身が宝石で出来ているような超絶美形男子だった。えーと、確か電気の光と太陽光で色が変わって見える宝石、あったような……。後で聞いたら、そんな風に光によって赤から青に変化する宝石は『ベキリーブルーガーネット』と言うらしい。何でも、翠から赤に変化するアレキサンドライトよりも非常に希少な代物だそうだ。
彼は|Radius《ラディウス》~ラテン語で「光源」の意味を持つ、|Eternal《エターナル》王家の次男らしい。何だか分からない内に彼に気に入られた俺は、エターナル王家第二王子の専属侍従として仕える事になっちまったんだ! しかもゆくゆくは執事になって欲しいんだとか。
だけど彼は第二王子。専属についている秘書を始め護衛役や美容師、マッサージ師などなど。数多く王子と密に接する男たちは沢山いる。そんな訳で、まずは見習いから、と彼らの指導のもと、仕事を覚えていく訳だけど……。皆、王子の寵愛を独占しようと日々蹴落としあって熾烈な争いは日常茶飯事だった。そんな中、得体の知れない俺が王子直々で専属侍従にする、なんていうもんだから、そいつらから様々な嫌がらせを受けたりするようになっちまって。それは日増しにエスカレートしていく。
大丈夫か? こんな「ムササビの五能」な俺……果たしてこのまま皇子の寵愛を受け続ける事が出来るんだろうか?
更には、第一王子も登場。まるで第二王子に対抗するかのように俺を引き抜こうとしてみたり、波乱の予感しかしない。どうなる? 俺?!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる