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第8章 乙女ゲームが始まる
俺の修行、闇へと深く沈む
しおりを挟む窓一つない研究室の部屋は、世界から切り離されたように静かだ。特殊な分厚い革壁が、魔力と音を遮断する。
俺は部屋の中心に、双剣を構えて立っていた。
「……準備はいいかい?ヒズミ君」
スキアー先生の落ち着いた声だけが、部屋に響いた。その声は近くにいるように鮮明に聞こえるのに、人の気配がまるでしない。おそらく、隠蔽魔法だろう。
「……はい」
俺は返事をしながら、何も見えない世界で神経を研ぎ澄ませた。身体の力を、極力抜いていく。
俺の目は、意図的に布で覆われて見えないようにされていた。これは、訓練の一環だ。視覚を遮られた分、嗅覚と聴覚が本能的に感覚を鋭くさせようと反応し始める。
俺は、その生命の防衛活動を、意識的に鎮めた。普段から多用している感覚に、頼ってはいけない。
……身体と心が、すぅと空気に溶け込んでいくような、それでいて1つの糸がピンッと張った、心地よい緊張感が身体を支配する。
日常で僅か約2%ほどしか機能していない、触覚。この訓練では、その触覚をより鋭敏にすることが求められる。
……もっと深く、もっと漆黒で静かな場所へ。
自分の中の闇に、静かに、深く沈んでいく。
それは、音も光もない冷たい海の底へ、力を抜いて沈んでいくようで。淀みのない闇に浸るのは、とても心地が良い。
「……いいよ。その調子」
俺を褒める声がする前に、何とはなしにスキアー先生が俺の右前にいるのが分かった。隠蔽している先生の気配を捉えられたのなら、上々だ。
生き物はそこに存在するだけで、僅かでも空気を変化させる。生命が鼓動するときの些細な空気の揺れを、俺は肌で感じ取っていた。
「……では、訓練開始」
スキアー先生の合図のあとも、室内は静寂に包まれていた。突然、針で刺されたようなチクリとした鋭い痛みを、肌で感じ取った。
「っ!!」
自分の左側から冷気を纏った魔力が放たれた。攻撃魔法の風圧で、大気が震える。周囲の温度が急速に下がった。瞬時に防御結界を最小限に発動して、攻撃を防ぐ。
パンッ!という魔力が弾かれる乾いた音が、耳に届いた。頬を冷気が掠めていくのを、暗闇の世界で感じた。おそらく氷魔法か……。
うっすらと冷気を感じながら、今度は背後から魔力が俺に向かってくる。今度の攻撃は風魔法だ。周囲の風が魔法に巻き込まれて行くのが、空気の震えで分かる。そして、その攻撃には僅かに歪さの混じっていた。
俺の身体に緊張が走る。瞬時に圧縮した闇魔法を、双剣に纏わせた。
「ぐっ……?!」
普通の攻撃魔法とは違う、どこか重苦しく淀んだ魔力。闇魔法を纏わせた双剣で、背後から向けられた通常とは異なる風魔法を、俺は振り向きざまに弾いた。
キンッ!という甲高い音と同時に、一瞬の重さが手を震わせる。
「……うん。中級の状態異常は、しっかり感知して弾けるようになったね。僕に弾き返ってきてる」
スキアー先生は褒めながらも、俺を攻撃する手を緩めない。先ほど先生が放った歪な魔力は、敵を状態異常にする魔法が付与された攻撃だ。
今、俺がスキアー先生としているのは、ただの戦闘訓練ではない。状態異常の付与された魔法を感知し、弾き返す特殊な訓練だ。
魔物は、レベルが上がっていくほど攻撃が多種多様になり、強く狡猾になっていく。特に、高レベルの魔物は敵に干渉してくる攻撃が多い。
その中の1つが、状態異常だ。
魔物が放つ状態異常は、自分を害するものへの恨み、怒り、危機感などの負の感情によって放たれる。そんな負の感情が混ざった魔力は、通常の魔法攻撃と魔力の質が違う。
状態異常が付与された攻撃は、総じて心がざわつくような、淀んだ魔力が混じっているのだ。
俺はその僅かな魔力の違いを、闇に沈めた意識で捉えて弾き返す。弾き返すタイミングが合えば、そのまま敵にカウンターとなって跳ね返る。スキアー先生はより実践的にと、通常魔法と状態異常の魔法を交え、攻撃を繰り返す。
「……それじゃあ、上級にうつるよ」
状態異常は軽微であれば、普通の防御結界でも弾くのが可能だ。しかし、魔物のレベルが高くなるにつれて、状態異常の威力が上がっていく。とくに、上級の状態異常は、通常の防御結界では防げない。
いくつかの攻撃を防いでしばらく、熱波を伴った魔力が俺の左側から放たれた。自分の間近に熱が迫った瞬間、しまったと気が付いた。
「ぐはッ!!」
防御結界をすり抜けた歪な魔力が、俺の身体に触れる。ドクンッと嫌に響く衝撃を受けて、堪らず息を詰めた。
頭の中ではゲームの警告音が鳴り響き、状態異常に掛かってしまったのだと分かる。眩暈を起こして、後ろへと身体が傾いていくのを、自分でも止められない。まるで自分のものではないかのように、全身に力が入らない。
「ヒズミ君!!」
スキアー先生が俺に駆け寄る足音が聞こえて、どさっと背中に何かぶつかる。目隠しをシュルリと解かれ、急激な明かりで眩しそうに目が眩んだ。
スキアー先生が、俺が倒れる寸前に受け止めてくれた。先生はすかさず懐から小瓶を取り出すと、蓋を口で開けて、俺の口に小瓶を無理やり捻り込んだ。
「んぐっ……!」
解毒剤独特のツンとする苦い風味が、とろりと舌に触れる。それと同時にビクッ!と身体の硬直が解けた。俺は解毒剤のポーションを飲みつつ、頭の中に浮かんだゲームのステータス画面を見て、悔しさで顔を歪める。
『状態異常:全身麻痺』
「……くそっ……」
一撃で致命傷を負う石化や全身麻痺、敵を想うがままに操る暗示、魅了。そう言った威力の強い状態異常は、実に巧妙で、気が付かないうちに仕掛けられる事が多いんだ。
俺は、それに気が付かなければならない。
全ては、英傑たちを守るために。
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