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第5章 学園編、試験に夏休み。夏休み前半戦
幻想、世界の仕組みを少しだけ知る
しおりを挟む友人はどこか切なげに瞳を揺らした。潤んだ茶色の瞳は陽光をきらりと差し込んで、とても美しかった。
「起きろ。ここに居ては駄目だ。」
そう言った友人は、俺を後ろへと思いっきり突き飛ばした。
ベンチの座面があったはずなのに、押された背中は穴に吸い込まれるように落ちて行く。遠退いていく友人は、穏やかに柔らかく微笑んだ。
手を伸ばしても、どんどんと遠ざかっていく。
1人だけ、暗闇へと落ちた。
はっと、急激に意識が覚醒する。眩しい日差しが、直に目に入って思わず顔を顰めた。
透き通る青空に、薄く広がる白い曇。
雲は一方向にだけ、吸い込まれるように流れていく。
俺の立っている床までも、天井と同じ風景が流れていた。少しつま先を動かすと、波紋が微かに広がっていく。床に雲が歪んだのを見ると、どうやら僅かな水が張られているようだった。
水鏡のように、上の景色を映している。
「……ここは?」
「幻想遺跡の最奥だよ」
幼い声が突然背後から聞こえて、ハッと振り返った。さっきまで人の気配なんかしなかったのに……。
「数百年ぶりの人間だったから、沢山遊んでもらおうと思ったのに……。あーあ。邪魔されちゃった……」
ニヤリと片方だけ口角を上げて、子供に相応しくない笑い方をする幼い少年。邪魔されたとは言葉にしていても、どこか愉快そうな雰囲気だ。
ベルベットの椅子に優雅に足を組んで座る、10歳くらいの少年は、真っ白な髪をサラリと揺らしてクスっと笑った。
「こんにちは、ヒズミ。ぼくの名前はカプリス。」
豪華な金で出来たひじ掛けに右肘をついて、頬杖をしている。
貴族令息が着るような、黒色のフリルが沢山あしらわれた上着に半ズボン。ゴシック調の豪華な衣装がお人形のように整った容姿に、とても似合っている。
「随分と強い魂に好かれていたね? あの魂だって、ヒズミに会えて嬉しそうだったから、上手く夢に繋ぎ止めると思ったのになぁ……。夢の中で、ヒズミと幸せでいれば良かったのに……」
少年の少し高い声が、あまりにも近くから聞こえて俺は右横へとばっ!と顔を向けた。先ほどまで優雅に正面の椅子に座っていた少年が、手の触れ合いそうな距離で立っていた。
椅子も、瞬き1つの間に消えている。
クスクスっと笑う姿は人間のように見えるけど、得体がしれない不気味な、奇妙な雰囲気がある。驚いた俺の様子を見て、美しいサファイヤブルーの瞳が、いたずらっ子のように細められる。
「まあ、いいや。……幻想の試練を乗り越えて偉いね、ヒズミ。」
近づいてきたカプリスは、そう言うと俺の頭をよしよしと撫でた。深い青色の瞳が俺を射貫く。視線を合わせるために、カプリスは宙へと浮いていた。
鏡面の床に、小さな人影ができる。
「そんなヒズミに、良いことを教えてあげる。……『魔王の復活』という、陳腐な物語の一端を……」
「っ?!」
俺は目を見開いて、掴みどころのない青色の瞳を見遣った。カプリスは、それは楽しそうにクスっと笑う。子供の無邪気さとは違う何かを含んだような、大人の揶揄う微笑みを称えていた。
「ヒズミは、『魔王』が呪いに囚われていることを知っているよね?じゃあ、これは知ってるかな?……『呪い』は『災厄』とは違う。」
災厄は、天変地異のことを言う。はっきり言ってしまえば、人間の力では防ぎようのないことだ。神や妖精、あるいは亡霊など、人間離れした者のみが起こすことのできる現象。
それが『災厄』なのだと、カプリスは説明した。日本で言う祟りに近いらしい。
「『呪い』はね、人にしかできない代物なんだよ。」
「……っ?!」
カプリスが言ったことを、頭の中で反芻する。
つまり、『魔王』の呪いは、人が生み出したものということか。
しかも、今まさに生きている人が。
死んでいる人には、呪いは出来ない。あくまでも、『魔王』は呪いに囚われていると、カプリスは口にした。
今生きている人の中で、魔王の復活を故意的に引き起こしている者がいる。
俺の中では、疑問がいくつか浮かんだ。
『魔王』はずっと、300年に一度の復活を繰り返しているのだ。そんな何千年にも渡って、生きて行くことは可能なのか?
人間ではありえないだろう。
カプリスの言う『人』とは、どういう定義なのだろうか。
それに……。
「……どうして、教えてくれるんだ?」
そう俺が呟いた瞬間、キラッとした気まぐれな青色の瞳が、暗く濁ったのが見えた。本当に一瞬のことだったが、明らかにすうっと光が陰った。
「僕たちは、双子の兄弟なんだ。何千年もの間、このダンジョンで『神具』を守ってきた。勇者になる人間に、幾度となく試練を与えてね。……何度も、何度も同じことを繰り返すんだ。」
そこで、ふとカプリスはため息を吐いた。今まで少年を装っていたカプリスが見せた、自嘲めいた溜息だった。
魔王が誕生したと分かった神は、魔王を倒すためのアイテムをこの『幻想遺跡』に隠した。しかし、実力の伴わない勇者に渡しても使いこなせない。
いかにも、ゲームのシナリオと言ったところだろうか。試練を乗りこえた強き者のみが、その神具を手に入れることができる。
その試練を与える者こそが、双子たちだった。
「もう気が狂いそうだ!……この延々と続く神からのお使いに、僕たちはいつまでも付き合っていられない。こんな窮屈な場所からは早く抜け出したいんだ。……僕たちは自由になりたい」
『魔王』が復活し、英傑が倒すと言うお決まりの、
繰り返しの陳腐な物語を、終わらせてくれないか。
カプリスの青色の瞳は、俺に縋っていると思った。ほんの僅かにでも見えた、自由への兆し。それを逃したくないという、切実な願いのこもった目だった。
「今までに見たことのない、異世界の魂がこの世界に来たから。……しかも、面白い形でその魂が存在しているから。今回の物語は少し変わるかもしれないと思ったんだよ……」
僅かな期待と、半分以上が諦めの感情が入り混じった、複雑な声音だった。
「……俺に出来得ることなら、やってみるよ」
双子たちを必ず救うとは、断言できなかった。できることを、やるしかないんだ。俺の言葉に、カプリスは強く頷いた。
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