自分とアイツ、俺とオマエ

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遭遇3 〜侑〜

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 駅名を告げると、タクシーの運転手は黙って車を走らせ始めた。男の右に座り、窓の外を見て、後ろに流れていく街灯や家の光を眺めていた。

「お前、名前は?」
 静かな声が左から聞こえる。見も知らぬ奴と一緒にタクシーに乗ったことを少しだけ後悔する。でも、名前の一部だけなら……いっか。

「侑」
「漢字は?」
「人偏《にんべん》に有限《ゆうげん》の有。」
「へぇ、かっこいいな。」

 右肘を窓ガラスの境にかけ、手で支えていた頬を外して男を見た。カッコいいって言った? 可愛いじゃなくて? 

 初めて見るような気がする男の顔は、額から両脇に流れるような癖のある髪から、濃い眉毛が覗いていた。少しだけ細めの二重の瞼がこちらを見ていた。

「アンタの名前は?」
「ジュン。漢字は、純粋の純だ。」
「ぷっ! ふはっ、ふふふふっ。」

 思わず笑ってしまった。この人に「純」は似合わない。親がいるのかどうかもわからないけど、きっと育て方を間違ったとガッカリしてるに違いない。

「笑うな、コラ。どうせ似合わないとでも思ったんだろ。」
「あはっ、ははははっ。」
 頭を拳でコツンと叩かれる。暫くは笑いを止めることができなかった。

「ね、いくつなの?」
「26。」
 笑いを抑えてこちらから質問したけど、今度は驚かされた。

「うそっ! 30は超えてると思った!」
 自分の言葉に、純が顰めっ面になった。

「この髭を生やしてからそんなんばっかだな。お前は? いくつ?」
「21。」
 何だか気軽に話している自分がいる。親戚のお兄ちゃんと話しているみたい。

「3年だよな? あぁ、俺あそこの卒業生だから。経済学部。お前は?」
 少し見上げなくてはならない顔。自分よりは遥かに体格がいい。でも、5歳年上とは思えないぐらい、構えないで話をしている自分がいる。

「文学部。」
「ぜっんぜん見えねぇな。経済だとばかり思ってた。」
「本好きだし。」
 今度は自分が顰めっ面になる番。純は本なんか全然読まなそう。

「本なんて読んだの……何年前だ?」
 ほらね? この人が本を読んでる姿なんて想像できない。予想が当たって、だんだんと面白くなってきた。


 そんな話をしている間に、車は駅のロータリーに滑り込んでいた。純がお金を払ってくれて外へ出る。自分も後に続いた。

「送ってくれてありがと。」
 向かい合わせに立って顔を見上げる。純はまた左手を口元に持ってきていた。

「……送らなくて、いいのか?」
「大丈夫。あなたに家、知られたくないしね。つけてこないでよ?」
「バカやろっ。そんなことするか!」
 妙に焦ったような物言いに、笑いが込み上げる。だんだんと可愛い熊さんに見えてきた。ツキノワグマ。黒いから。

「じゃあ、先に帰って?」
「俺はここからは電車。」
「じゃあ、さようなら。」

 純が歩き出し、改札口を通り抜けるのを確認する。その途端に、こちらを向いてカードを持つ手を挙げた。こちらもちょっとだけ手を上げて応える。

『ふふっ……変なヤツ。』

 帰ったら何を食べよう? お腹が空いた。ご飯はあるからお肉でも焼いて……。何だか少しだけ気分が良くなって、体の向きを変え、アパートのある方に歩き出している自分がいた。


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