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教育実習三週目

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「先生……。」
「ん? どうした忘れ物?」
 体育館の入り口から入ってきたのは小池だった。鞄もラケットもどこかに置いてきたのか何も持っていない。最後の窓の鍵を閉め終わって小池の方を見ると、ゆっくりと僕の方に向かって歩いてきていた。じっと眼鏡の奥から見る目が何かを告げるように、僕の体に絡みついてきた。

「どうしたんだ小池。」
「わー先生!」
 いきなり近づいてきた小池の勢いに少しだけたじろぎ後退する。でもすぐに壁に当たってそれ以上後ろに下がることができなかった。目の前に小池が迫ってきている。僕より少し低い背なのに、何か少しだけ怖い気がした。

「わー先生……。」
 気がつけば、僕の両手首が小池に掴まれて体育館の壁に押さえられていた。驚いて何も言えない。どうしたんだ? 何を考えてる? 

『!!』
 
 口を開こうとした瞬間、顔を傾けた小池に唇を塞がれた。目の前の眼鏡の奥に、目を瞑った小池の顔が見える……。ハッとした瞬間に、思い切り顔を背けた。

「や、やめろよっ!」
 えっ? これどんな状況なの? こ、小池が? えっ? 何で? 混乱する頭と大きく肋骨を叩く心臓の音がうるさくて上手く思考が働かなかった。

「先生……好きだ。」
 いつの間にか腕が自由になっていた。小池の両手が僕の頬を包み込み、顔を覗き込まれる。僕よりも小さなはずなのに、何故か大きく見えた。

「好きなんだ。」
「やめろっ!」
 もう一度近づいてきた顔を見ながら、何も考えずに小池の肩を思い切り押して、自分から遠ざけた。心臓がバクバクいってる。呆然と立ち尽くす小池を睨みつけて、唇を拭った。小池は今、好きだと言ったのか? ……僕を?

「先生、彼女はいないって聞いた。好きな人……いるの?」
「い、い、い、いないけど、だからといって違うだろ!」
「何故?」
「…………。」

 何故かって? それは色々あるだろ? 僕と小池は先生と生徒、小池はまだ中学生だ。好きだと言われたからといって応えてやるわけにはいかない。なんと言ってやったらいい?

「俺が男だから?」
 小池の言葉を聞いて、愕然とした。男だからといって、嫌だという気持ちが一切湧いてなかった。そう気づいた途端に、治りかけていた鼓動がまた速くなってきていた。

「お、お、お前は年下だ。」
「だから?」
「未成年だ。」
「だから何?」

 小池の視線が熱く絡みつく。なんて言ったら諦めるんだ? 男だから嫌だと言えばいいのか? でも何故かそうは言いたくない自分がいた。……小池が男だから嫌なんじゃない。年下だから、まだ15歳になったかならないかの未成年だからダメなんだ。こんなの不自然すぎる。

「じ、10年。10年経ったら考えるよ。」
「10年?」

 そう、10年経ったらもう僕のことを忘れているだろう? こんな数週間一緒に過ごしただけで、小池が僕のどこを好きだというのかも分からない。思春期ってほら、思い込みで好きになったりするだろ? 恋する自分に酔っているような……小池もそうに違いない。そう考えたら、気持ちが落ち着いてきて、小池の顔をしっかりと見ることができた。

「そう10年。10年先に小池の気持ちが変わらなかったら……その時には真剣に考える。」
 
 
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