ある時、ある場所で

もこ

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1年前、「minori's coffee」で(真人)

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「よう。真人、準備はできてるか?」
「はい。お願いします。」
俺は箕田さんの車に乗り込んだ。大きな旅行用のバッグには、新しく新調した下着や靴下、スラックスなどを詰め込み、後部座席に乗せた。俺は春に免許を取ったが、まだ自分の車は持っていない。こんな車に乗れたらいいな。

今日は、「ミノ・カフェ」にコーヒーを降ろすついでに、箕田さんが俺を迎えに来ていた。箕田さんの車はダークグリーンのオフロード車。昔よく見かけたような気がする。年季が入っているが、中は綺麗でコーヒーの香ばしい香りが染み付いているようだった。

「箕田さん…母さんと付き合ってたというのは本当ですか?」
車が走り出すとすぐに、聞いてみたいことを口にした。母さんより男どうし。話してもらえるかもしれない。箕田さんの運転はとても穏やかだった。
「ああ。だいぶ前だな。お前が生まれる前…。」

「えっ?そんなに昔?」
驚いて箕田さんの横顔を見る。少なくとも俺が生まれてからだと思ってたのに…。次になんて言おうとしていたのか忘れてしまった。
「プロポーズもしたんだ。でもありえないって。他に好きな人ができて、身篭ったって言われて身を引いたよ。結婚を祝福するつもりでね。」

「…はあ…。」
父さんのこと?…誰なんだ?
「でも、結婚しなかった。真人を産んでしばらくして、中古で出ていた店を買い取って商売を始めた。」
それは聞いた。俺が1歳になる前。ばあちゃんがしばらく店を手伝いに来ていたはずだ。祖父母にも借金をしていて、それはもうすぐ完済するはず…。

「諦めきれなくてね。当時凝っていたコーヒー豆を無理やり押し付けながら、ずっと様子を見ていたんだ。」
「今でも…好きなんですか?」
前を向いて運転をしている横顔を見ながら聞いてみたが、箕田さんの表情はかわらなかった。

「まあ、そう…でもないかな?今はただ惰性で友だちやってるような気がするよ。」
箕田さんは少しだけ微笑んでいた。どんなリアクションをとるべき…?

「ただね、真人の名前…一文字俺と一緒なんだ。真臣の『まさ』。何となく嬉しくてね。父親は俺じゃなくとも、そんな年代だろ?暫くは父親だと思って過ごして欲しい。俺も息子ができたような気がするからさ。」
赤信号で止まり、こちらを向いた箕田さんは、優しそうな表情をしていた。

「はい…よろしくお願いします。」
何と言ったら良いか分からずに、とりあえずそう呟いた。

「minori's coffee」は写真で見るより大きな建物だった。一階の店舗の他にも結構部屋はあるかもしれない。俺は初めて入るログハウスに少しだけ緊張しながら扉をくぐった。



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