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4:噂話
しおりを挟む俺、牧原聡には恋人がいる。
恋人は平凡顔な俺とは違ってまるで人形のように美しく整った造形の顔をしており、性格は少々嫉妬深いところもあるがとても優しくさっぱりとしていて、まさに非の打ち所がない恋人だといえるだろう。
ただし性別が俺と同じ男であることを抜いたなら、の話である。
付き合う前や付き合ってしばらくは、これほど綺麗な顔立ちの人を恋人と言ってもいいのだろうかとか、そもそも男同士で付き合う事について色々と沢山悩んだりしたものだが、最近はもう好きならそれでいいのではないかと思い始めていた。こんな風に考えられるようになるなんて、あの頃の自分が聞いたら腰を抜かすほどに驚く事だろう。
そんな風に思えるようになった頃、俺の耳にまさに青天の霹靂とも呼べるようなとある噂が耳に入ってきたのだ。
俺がその噂を知った時には既に大分広まった後だったようで、クラスだけではなく学校中の生徒が知っているのではないかと思うくらい、誰に聞いても知っているような状態だった。
「なあなあ、牧原!お前って確か鈴木と仲良かったよな?」
突然クラスメイトの一人にそう聞かれ、その勢いの良さと声の大きさに驚きつつも曖昧に頷けば、きらきらと期待に満ちた眼差しが幾つもこちらに向けられている事に気付いた。一体なんだというのだろうか。
意味がわからずに僅かに眉を顰めるが目の前の相手はそれに気づかないらしく、興奮で少し頬を赤くした彼は、俺の机の上に両の掌をバンッと叩きつけて身を乗り出してきた。振動で机が揺れたせいで机の脚が俺の足に当たり思わず顔が歪んだが、当の本人は全く気付いてはいないようだ。
「姫と鈴木が付き合ってるって本当か!?」
「……は?」
鈴木とは鈴木真央のことであっているだろうか?
俺と仲が良い鈴木は真央以外にはいないので実際真央のことなのだろうが、その真央がどうしたというのだろうか。聞こえてはいたはずなのに聞こえた言葉が認識できない状態、恐らくだが、どうやら俺の脳がそれ以上の理解を拒んでいるようだ。
「えっと……もう一回言ってくれ」
「あ、うん。ええと……姫と鈴木が付き合っているのは本当なのか?」
姫――俺の通う高校には一人、そう呼ばれている人がいる。校内一綺麗で可愛く清楚なイメージのあるその人は『姫』と呼ばれ、高嶺の花として一部の生徒からは崇められることもあるくらい人気があるらしい。
俺自身、その『姫』とは一言二言くらいは言葉を交わしたことがあるが、聞いていて心地の良い澄んだ声の綺麗な人という印象だ。大和撫子という言葉がとても似合う黒髪黒目の美少女で、彼女がそこにいるだけで空間が華やかになるような錯覚を覚えるほど華のある人だった。
そんな彼女は名前までも可愛らしく、姫川風香というらしい。姫川さんだから『姫』と呼ばれているのだと知って納得した。
男なら誰しも「こんな彼女が欲しい」と思う理想の彼女像があると思うが、彼女はそんな彼女像を具現化したような理想の女の子なのだという。
そんな高嶺の花の姫川さんに恋人が出来たという噂が立ち、その相手が事もあろうか俺の恋人であるはずの鈴木真央だと言うのだ。もしこれが本当だとしたら俺は真央にとって何だったのかという問題にもなる。ただ今それを口に出す事は出来ないので、表面上は曖昧に笑うに留めたが、内心は悲惨な程パニック状態だった。
「えっと……ごめん、俺は知らないかな」
「いや、こっちこそ答えてくれてありがとうな」
なんとか上部を取り繕いながら謝罪をすると、クラスメイトからは困ったような笑顔と共に返答に対する感謝が返ってきた。一瞬気まずい空気になった気がしたが、相手の方が汲み取ってくれたようで要件が済んだら早々に離れて行ってくれたので助かった。
一人になると、途端に頭と心は再び混乱を極め始めた。
真央が女の子、それも姫川さんと付き合っているという噂話は自分でも思う以上に衝撃だったのだと思う。頭の中はぐるぐるとそればかりが回っていて、正直言って情緒も思考もぐちゃぐちゃだ。今は教室にいるので必死で内に留めてはいるが、いつ外に現れてもおかしくないくらいにはぐちゃぐちゃだった。
付き合い始めてからずっと考えなかったわけではない。こんなに顔が整った綺麗な奴がどうして男の俺なんかを選ぶのか、綺麗で可愛い女の子から告白されれば男の俺なんかすぐに捨てられてしまうのではないか、正直な話何度も何度も考えた。だが、いざそれを目の前に事実として叩きつけられると、途端に目の前が真っ暗になったような感覚になるのだ。
俺は男で、姫川さんは女の子。
たったそれだけの事実が俺に重くのしかかっている。同性である男よりも異性である女の子を選ぶのは当たり前というよりも自然の摂理だと思っているからこそ、もしかしたら俺は身を引くべきかもしれない。いや、そもそも根本的な話、真央の中では俺とは付き合っていないことになっているのかもしれない。
悪い方向への思考ほど止まらないものだ。
俺はどんどん深みにはまっていく度に気分が落ち込んでいく。そんな自分を隠すように席を立った。しかし席から一番近い教室後方の扉を開けようとした手は、突然聞こえてきた声にぴたりと動きを止めた。
「……姫川さんと鈴木くんってやっぱり付き合ってるのかなあ?」
声の聞こえてきた方――右隣の少し低い位置に目を向けると、そこには腕を組みながら首を傾げている市原がいた。
視線を扉に戻しながら、どうだろうなと言いかけた言葉を飲み込み、思わず二度見をしてしまったのは男子高校生の性だろうか。
二度見した先には、組んだ腕の上にたわわな胸が乗り、シャツの上のボタンが外れているからか胸の谷間がしっかりと見えてしまっているのである。うっかり直視してしまったせいで熱くなる顔を背けながら、急いで脱いだジャケットを市原のその小さな肩にそっと掛けた。市原は一瞬不思議そうな顔で俺を見上げていたが、俺の行動の理由に気が付いたようで、みるみる内に表情は喜色に染まっていく。
「………!まっきー!!」
「えっ、ちょ、いっ、市原……?!」
「まっきーありがとう!そんな優しいところも大好き!」
(むっ、胸が……!)
俺の腕に、豊満な胸をこれでもかというくらい当てながら擦り寄ってくる彼女は、とても小柄で可愛らしい。姫川とはまた違う可愛らしさに、俺は顔が熱くなるのがわかった。
教室後方で戯れる俺たちを暖かい目で見つめるクラスメイトになんだか気恥ずかしくなって、俺は市原をくっつけたまま廊下に出たが、それはすぐに後悔することになる。
市原の衝撃で忘れていたが、廊下にはあの二人がいたんだった。
「……まっきー、こっち」
「え?……あ、おい……!」
市原に腕を引かれ、二人がいる方とは逆方向に向かう。だけど俺は後ろ髪を引かれる思いで、ちらりと背後を伺った。振り向く時、何故か真央がこっちを見ていた気がしたからだ。
「……真央……?」
――なんでそんな顔してんだよ……?
俺の呟きが聞こえたのか、一階に続く階段の踊り場で市原はふと足を止めた。長い睫毛に縁取られたぱっちりとした大きな目が、俺を不安そうに見つめている。
「私、正直に言うと姫川さんと鈴木くんが付き合っていようとなかろうと、そんなことには全然興味がないの。だって誰が付き合っていようと私には関係ないもの。私は、私の大好きなまっきーが笑っているならそれでいいの」
「……市原」
未だ握られた左手に、少しだけ力が添えられた。
「でもね、まっきー?まっきーがそんな悲しそうな顔をするのなら話は別。……私はあの二人を、許せなくなる」
最後の言葉を小さく呟くように言い、市原は俯いた。俺はどう答えたらいいのかわからなくて、自分よりも大分低い位置にある綺麗な形の頭にそっと右手を乗せた。妹にするみたいにぽんぽんと優しく撫でるように叩いて、ありがとうと言う。
こんな自分をこんなにも想ってくれている子がいることに、俺は小さな勇気を貰った。
「……弥生!牧原くん!」
「透子ちゃん!?」
長い黒髪を揺らしながら階段を駆け下りて来たのは藤透子だった。
驚いたように彼女の名前を呼ぶ市原とは親友という仲だそうで、小学校の頃からよく一緒にいる。膝に手をついて上がる息を整える藤の頬は赤らんでいて、自慢の髪の毛もどこかぼさっとなっていた。
「え?え、なんで?なんで透子ちゃんが?」
「……っもう!二人してHRをサボるからでしょ?!……はぁ、お陰で私が探しに来る羽目になったじゃない」
目を白黒させて混乱する市原の頭を軽く叩き、腰に手を当てて呆れたように俺たちを見る藤はやはり凛々しい委員長様だった。
――というより、チャイムがなったことに気付かなかった俺たちって一体……。
同じことを思っていたらしい市原と目が合い、お互い同時に噴き出した。お互いがお互いに必死すぎて、周りの音が聞こえていなかったなんて……笑うしかない。
「さ、行きましょう?先生が心配して待ってるわよ」
呆れたように笑いながら先に階段を登っていく藤。それを茫然と見ていると、不意にくいっと服の袖を引かれて視線を向けた。
「まっきー、大丈夫よ。……ほら、私達も行きましょ!」
「……ああ」
真剣な表情を笑顔に変え、俺の腕をぐいぐい引っ張っていく市原の小さなはずの背中が今はとても大きく見えた。
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