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元婚約者は王子の安らかな眠りを祈る 前
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■元婚約者の独白
【ユベイル視点】
俺の名前はユベイル。
孤児だったところを拾われ、十六歳になって学園に入学すると同時に王族と婚約することを決められた元一般庶民だ。
どうして孤児で庶民な俺が王族と婚約することになったのかは、正直なところ俺自身もあまり詳しい事情は知らない。わかっているのは、この国の重鎮達は俺の魔力を欲しているということだけだ。
それというのも俺の魔力がとても珍しい光属性で、魔力量も他に類を見ないほどの多さだからだと言うが、あまり実感はない。自分の魔力属性や魔力量なんて今まで気にしたこともなかったから、国のお偉いさん方が喉から手が出る程に欲していると言われても正直よくわからなかった。
学園に入ると同時にそれまでお世話になっていた孤児院から出て、学園の庶民専用の寮に入った。何らかの事情で家を出なければならなかったり、そもそも遠い所から来ていたり、俺のように家族のいない孤児だったりが入寮することのできるこの寮に貴族が入ることはない。貴族がいないということは地位なんて面倒なものも存在しないということ。だからこの寮にいる時はあまり気を張らずにいることが出来、俺はそこそこ気に入っていた。
学園に入学してすぐ、俺はあるクラスメイトと仲良くなることが出来た。
彼の名前はルーク、とても珍しい黒髪黒目の華奢で小柄な青年だ。いつも何かに怯えたような目をしているとても綺麗な人というのが、俺の彼に対する第一印象だった。
「黒髪に黒目って珍しいね」
「……っ、えっと……あの、その」
「すごく綺麗……もしかして異国から?」
そう俺がにこやかに問うと、教室が水を打ったようにしんと静まり返った。俺は鼻からその他の有象無象になんて興味はなかったから、鎮まり返ろうが何しようが別に構わない。しかし静寂と共に彼がびくりと身体を震わせたことだけは気になった。
本当に知らないの?嘘でしょう?とでも言うように見開かれた目は、窓からこぼれた太陽の光を反射してきらきらと輝いている。ぱちぱちと瞬くたびに周りで星が散っているような煌めきに、俺はやっぱり綺麗だと思った。
ルークはふるふると頭を横に振ると、困ったように眉尻を下げて微笑んだ。
「綺麗だなんて……初めて言われた……」
この瞬間、俺は恋に落ちたのかもしれない。
胸はどきどきと高鳴り、胸を突き破らんばかりの大きさで鳴り響いている。男だとか関係ない。ルークのその柔らかで可愛らしく、それでいながら少し憂いを帯びた微笑みに俺の心臓は貫かれていた。
その日から俺達はよく一緒に行動するようになった。まだこの頃はルークがこの国の王子――それも忌み嫌われている『忌み子王子』だということには気付いていなくて、どうしてこんなにもいい奴なのに周りに人がいないんだろうと疑問に思っていたものだ。
そんなある日、王宮からの遣いだと言う人が俺の前に現れた。庶民とは違い上質な衣服に身を包んだその人を見て、そんな高貴な人の遣いが俺に何のようだと首を傾げると、その人は俺に一枚の書状を渡してきた。
「……これは?」
「この場でご確認を。もし質問等があれば遠慮なくどうぞ」
「……はあ」
そう言われ、早速手渡された紙を確認していく。無意識に眉間に皺が寄っていくのがわかる。そこに書かれている内容は胸糞悪いものも多かったが、読み進めていくうちに、苛つきや驚きと同時にやっぱりという気持ちにもなった。
「……なあ、忌み子ってなんだ?」
俺が紙から視線を上げずにそう質問すると、遣いの人は一瞬言葉を詰まらせた後、淡々と答え出した。
「忌み子とは、黒髪黒目を持って生まれた者のことを指す言葉だ」
「……それだけ?」
「そうだ。この国においては黒という色は特別なのだ。……悪い意味でな」
紙を見つめていた視線を上に上げると、そこにいたのは苦虫を噛み潰したような表情をした遣いだった。
何でもこの国では黒髪黒目の人間は『忌み子』として差別され、疎まれ、そして嫌悪されるのだそうだ。黒という色が悪い意味で特別だからという理由だけで、だ。全くもって意味がわからないが、この国ではそれが当然だと言う。
俺は何となく、ルークがなぜいつも怯えた目をしていたのかを理解した。……理解せざるを得なかった。
確かに孤児院でも黒という色が持つ意味を教えてもらったことがあったが、その色を持っているからといって差別したりするなんてことは一言も言っていなかったように思う。
当然黒に近い色の髪や目の子どもも孤児院にはいたが、誰も虐められることなく暮らしていたはずだ。それなのに国のトップとも言える集団が率先していじめのようなことを行なっている事実に眩暈がした。
そりゃああんな目をするようになるよなと溜息がこぼれる。
そして驚くことに、ルークは王族だった。
まああれだけ整った容姿に綺麗で美しい所作とくれば庶民でないことは確かだとは思っていたが、まさかそこまで高貴な人だとは思いもしなかった。
第三王子――確かに噂には聞いたことがある。王族や上級貴族達がこぞって隠したがる程の醜悪な少年だと。
しかし実際にはどうだ。ルークは見ての通り黒髪黒目ではあるが、とても見目の整った綺麗で愛らしい青年だ。あれのどこが醜悪なのだと、そう言った奴の胸ぐらを掴んで文句を言ってやりたくなる。
俺は遣いの人と別れ、そそくさと寮に帰って続きを読んだ。書状を読み進めていくごとに深まっていく眉間の皺。俺だってまだルークとは知り合ったばかりで知っていることは少ないが、それでもこの書状に書かれている内容には腸が煮え繰り返る思いだった。
しかし最後の辺りに目を通した時、とくんと胸が鳴り、嬉しいと言う感情が湧き上がってきたのである。
「俺が……ルークの婚約者」
不謹慎かもしれないが、好きになった相手を自分のものに出来るかもしれない喜びに思わず口元が緩む。
翌朝、登校した俺の元にルークがやってきた。
おずおずと俺の名前を呼んだ彼を席に座ったまま見上げると、相変わらず彼の目は何かに怯えるように僅かに揺れていたが、それでもしっかりと俺と目を合わせてくれている。
「その……聞いた?」
「ん?……ああ、婚約の話?」
「うん。……本当に僕でいいの?君が嫌なら……」
「ルーク」
俺が名前を呼ぶと彼はびくりと身体を震わせた。強めの語気になってしまったことは申し訳ないとは思うが、どうしてもその先の言葉を彼の口から言ってほしくはなかったのだ。ルークは何か言いたげな顔をしていたが、俺の顔を見た瞬間目を見開いて固まった。
「俺は君と婚約出来て嬉しいよ」
本当に嬉しいんだと感情を表に出そうにも、脳裏にちらつく書状に書かれていた醜い言葉の数々が邪魔をする。自分が今どんな表情をしているのかがわからない。けれど自分の中では笑っているつもりだった。
お互いが婚約者であると認識してからは授業は勿論、昼食や休憩も学校にいる間は何をするにも一緒だった。日を追うごとに増えていくルークの笑顔に俺自身も自然と笑顔になることが増え、本当に楽しくて幸せな日々を送っていた。
もう既に一年後の卒業と同時に結婚が決まっているのだから、これからもルークと共にこうして一緒に笑顔で暮らせていけるだろうと信じてやまなかった。
本当に、幸せな時間だった。
しかし現実はそう甘くはない。
このままこの幸せがずっと続いていってほしい、そう思っていた矢先のことだった。それはいとも容易く崩れ去ってしまうほどに脆いものだったのだと、俺はこの時に漸く知ることとなる。
「貴方がユベイル様ですか?」
それは最高学年である三年に上がってすぐのことだった。そう声を掛けられて振り向くと、そこにはまだ幼さの残る顔立ちの男子生徒が一人立っていた。
手入れの行き届いた黄色みを帯びたハニーブラウンの髪が風に揺れ、陽の光にきらきらと輝いている。意思の強そうな少し吊り目気味の赤みがかった紫色の瞳が真っ直ぐに俺を射止め、形の良い薄い唇は僅かに弧を描いていた。
紫系統の瞳を持つのは王族、もしくは先祖のどこかしらに王族の血が入っている高位のお貴族様だけである。つまり今目の前にいる人物はそのどちらかということだ。
学年毎に分かれているネクタイの色が朱色であることから彼が新入生だということがわかるが、三年の俺に一体何の用があるのだろうか。
「初めまして、ぼくはジェイクといいます」
「ジェイク……もしかして噂の第四王子様?」
「はい、そうです!ユベイル様に覚えて頂けているなんて光栄です!えへへ……うれしいなぁ」
第四王子――つまりは第三王子であるルークの弟。
ジェイクへの率直な感想は、弟だという割にあまり似ていないな、だった。当たり前だが髪や瞳の色が違うとこんなにも違うものなのかと内心思っていると、目の前で可愛らしく笑っていたジェイクがふぅ…と息を吐き出してにっこりと笑みを浮かべた。
「ユベイル様、ぼくの婚約者になりませんか?」
「…………は?」
言われた言葉が認識出来なくて――いや多分認識は出来ているんだろうが、あまりにも唐突過ぎて意味がわからずに動きが止まる。俺の聞き間違いだろうかと目を瞬かせると、目の前の彼はくすりと笑って俺の方に一歩足を踏み出した。
「あんな忌み子と婚約だなんて……可哀想なユベイル様。ユベイル様はとても優秀な方なのだから、あんな出来損ないの気持ちの悪い奴なんかではなく、ぼくと婚約した方が幸せになれるのに……ね?」
先程まで可愛らしいと思っていた笑みが途端に気持ちの悪いものに思え、俺はひくりと喉を鳴らす。
……こいつは何を言っているんだろうか。俺に兄弟がいないから本当のところはわからないが、仮にも自分の兄に向かって出来損ないだの気持ちの悪いだのを言える神経がわからない。
ねっとりとした気味の悪い笑みを浮かべたジェイクは、固まる俺の元へとまた歩みを進めて来る。俺は一歩、また一歩と後退りするが、背中に当たった硬い感触に足を止めざるを得なくなった。
「ふふ、どうして逃げるんですか?もしかして……恥ずかしいんですか?」
「……俺の婚約者は、ルークだ」
口がからからに渇いている。引き攣った喉から出たのは酷く掠れた声だった。
俺の呟くような声に彼の整った眉がぴくりと動いた。笑みに彩られていた目や口元がまるで人形のようにふっと感情をなくしていく。大きな吊り目気味の赤みがかった紫色の感情のない瞳が、俺を捕らえたまま動きを止めた。
「……っ」
体がかたかたと小刻みに震える。足が竦んで動けない。
目の前にいるのは俺よりも二つ年下の少し小柄な男子生徒一人だ。……なのに、これは一体どういうことなんだろうか。蛇に睨まれた蛙のように、俺はその場に立ち竦んだ。
「……はぁ……まあいいです。そう遠くない未来、貴方は必ずぼくの婚約者になるんですから、今日のところは一旦引きましょうか」
さっきまでの気持ち悪さを一瞬で消し去り、ふっと大人びた笑みを浮かべたジェイクはそう言ってくるりと背を向けた。その背中に慌てて声を投げかけると、きょとんとした表情の彼が頭だけで振り返る。
「どっ……どうして俺を……その……婚約者にしたいんだ?」
「……ぼくが貴方を好きだからですよ」
――直感的に、それは嘘だと思った。
彼は今嘘をついた。一瞬瞳が揺らぎ、眉間に寄った僅かな皺を俺の目は捉えていた。
しかしそれを素直に指摘するほど俺も馬鹿ではない。そうか、と小さく答えると彼は満足したようにこちらに背中を向けて去っていった。
どっどっと心臓が大きく音を立てている。足がガクガクと震えている。俺は壁に凭れ掛かりながら壁伝いにずるずるとその場にしゃがみ込んだ。立てた膝に顔を埋めて、肺に溜まっていた息をゆっくりと吐き出す。
彼奴は駄目だと本能が訴えている。
頭がガンガンと痛み、俺はぎゅっと目を閉じた。
【ユベイル視点】
俺の名前はユベイル。
孤児だったところを拾われ、十六歳になって学園に入学すると同時に王族と婚約することを決められた元一般庶民だ。
どうして孤児で庶民な俺が王族と婚約することになったのかは、正直なところ俺自身もあまり詳しい事情は知らない。わかっているのは、この国の重鎮達は俺の魔力を欲しているということだけだ。
それというのも俺の魔力がとても珍しい光属性で、魔力量も他に類を見ないほどの多さだからだと言うが、あまり実感はない。自分の魔力属性や魔力量なんて今まで気にしたこともなかったから、国のお偉いさん方が喉から手が出る程に欲していると言われても正直よくわからなかった。
学園に入ると同時にそれまでお世話になっていた孤児院から出て、学園の庶民専用の寮に入った。何らかの事情で家を出なければならなかったり、そもそも遠い所から来ていたり、俺のように家族のいない孤児だったりが入寮することのできるこの寮に貴族が入ることはない。貴族がいないということは地位なんて面倒なものも存在しないということ。だからこの寮にいる時はあまり気を張らずにいることが出来、俺はそこそこ気に入っていた。
学園に入学してすぐ、俺はあるクラスメイトと仲良くなることが出来た。
彼の名前はルーク、とても珍しい黒髪黒目の華奢で小柄な青年だ。いつも何かに怯えたような目をしているとても綺麗な人というのが、俺の彼に対する第一印象だった。
「黒髪に黒目って珍しいね」
「……っ、えっと……あの、その」
「すごく綺麗……もしかして異国から?」
そう俺がにこやかに問うと、教室が水を打ったようにしんと静まり返った。俺は鼻からその他の有象無象になんて興味はなかったから、鎮まり返ろうが何しようが別に構わない。しかし静寂と共に彼がびくりと身体を震わせたことだけは気になった。
本当に知らないの?嘘でしょう?とでも言うように見開かれた目は、窓からこぼれた太陽の光を反射してきらきらと輝いている。ぱちぱちと瞬くたびに周りで星が散っているような煌めきに、俺はやっぱり綺麗だと思った。
ルークはふるふると頭を横に振ると、困ったように眉尻を下げて微笑んだ。
「綺麗だなんて……初めて言われた……」
この瞬間、俺は恋に落ちたのかもしれない。
胸はどきどきと高鳴り、胸を突き破らんばかりの大きさで鳴り響いている。男だとか関係ない。ルークのその柔らかで可愛らしく、それでいながら少し憂いを帯びた微笑みに俺の心臓は貫かれていた。
その日から俺達はよく一緒に行動するようになった。まだこの頃はルークがこの国の王子――それも忌み嫌われている『忌み子王子』だということには気付いていなくて、どうしてこんなにもいい奴なのに周りに人がいないんだろうと疑問に思っていたものだ。
そんなある日、王宮からの遣いだと言う人が俺の前に現れた。庶民とは違い上質な衣服に身を包んだその人を見て、そんな高貴な人の遣いが俺に何のようだと首を傾げると、その人は俺に一枚の書状を渡してきた。
「……これは?」
「この場でご確認を。もし質問等があれば遠慮なくどうぞ」
「……はあ」
そう言われ、早速手渡された紙を確認していく。無意識に眉間に皺が寄っていくのがわかる。そこに書かれている内容は胸糞悪いものも多かったが、読み進めていくうちに、苛つきや驚きと同時にやっぱりという気持ちにもなった。
「……なあ、忌み子ってなんだ?」
俺が紙から視線を上げずにそう質問すると、遣いの人は一瞬言葉を詰まらせた後、淡々と答え出した。
「忌み子とは、黒髪黒目を持って生まれた者のことを指す言葉だ」
「……それだけ?」
「そうだ。この国においては黒という色は特別なのだ。……悪い意味でな」
紙を見つめていた視線を上に上げると、そこにいたのは苦虫を噛み潰したような表情をした遣いだった。
何でもこの国では黒髪黒目の人間は『忌み子』として差別され、疎まれ、そして嫌悪されるのだそうだ。黒という色が悪い意味で特別だからという理由だけで、だ。全くもって意味がわからないが、この国ではそれが当然だと言う。
俺は何となく、ルークがなぜいつも怯えた目をしていたのかを理解した。……理解せざるを得なかった。
確かに孤児院でも黒という色が持つ意味を教えてもらったことがあったが、その色を持っているからといって差別したりするなんてことは一言も言っていなかったように思う。
当然黒に近い色の髪や目の子どもも孤児院にはいたが、誰も虐められることなく暮らしていたはずだ。それなのに国のトップとも言える集団が率先していじめのようなことを行なっている事実に眩暈がした。
そりゃああんな目をするようになるよなと溜息がこぼれる。
そして驚くことに、ルークは王族だった。
まああれだけ整った容姿に綺麗で美しい所作とくれば庶民でないことは確かだとは思っていたが、まさかそこまで高貴な人だとは思いもしなかった。
第三王子――確かに噂には聞いたことがある。王族や上級貴族達がこぞって隠したがる程の醜悪な少年だと。
しかし実際にはどうだ。ルークは見ての通り黒髪黒目ではあるが、とても見目の整った綺麗で愛らしい青年だ。あれのどこが醜悪なのだと、そう言った奴の胸ぐらを掴んで文句を言ってやりたくなる。
俺は遣いの人と別れ、そそくさと寮に帰って続きを読んだ。書状を読み進めていくごとに深まっていく眉間の皺。俺だってまだルークとは知り合ったばかりで知っていることは少ないが、それでもこの書状に書かれている内容には腸が煮え繰り返る思いだった。
しかし最後の辺りに目を通した時、とくんと胸が鳴り、嬉しいと言う感情が湧き上がってきたのである。
「俺が……ルークの婚約者」
不謹慎かもしれないが、好きになった相手を自分のものに出来るかもしれない喜びに思わず口元が緩む。
翌朝、登校した俺の元にルークがやってきた。
おずおずと俺の名前を呼んだ彼を席に座ったまま見上げると、相変わらず彼の目は何かに怯えるように僅かに揺れていたが、それでもしっかりと俺と目を合わせてくれている。
「その……聞いた?」
「ん?……ああ、婚約の話?」
「うん。……本当に僕でいいの?君が嫌なら……」
「ルーク」
俺が名前を呼ぶと彼はびくりと身体を震わせた。強めの語気になってしまったことは申し訳ないとは思うが、どうしてもその先の言葉を彼の口から言ってほしくはなかったのだ。ルークは何か言いたげな顔をしていたが、俺の顔を見た瞬間目を見開いて固まった。
「俺は君と婚約出来て嬉しいよ」
本当に嬉しいんだと感情を表に出そうにも、脳裏にちらつく書状に書かれていた醜い言葉の数々が邪魔をする。自分が今どんな表情をしているのかがわからない。けれど自分の中では笑っているつもりだった。
お互いが婚約者であると認識してからは授業は勿論、昼食や休憩も学校にいる間は何をするにも一緒だった。日を追うごとに増えていくルークの笑顔に俺自身も自然と笑顔になることが増え、本当に楽しくて幸せな日々を送っていた。
もう既に一年後の卒業と同時に結婚が決まっているのだから、これからもルークと共にこうして一緒に笑顔で暮らせていけるだろうと信じてやまなかった。
本当に、幸せな時間だった。
しかし現実はそう甘くはない。
このままこの幸せがずっと続いていってほしい、そう思っていた矢先のことだった。それはいとも容易く崩れ去ってしまうほどに脆いものだったのだと、俺はこの時に漸く知ることとなる。
「貴方がユベイル様ですか?」
それは最高学年である三年に上がってすぐのことだった。そう声を掛けられて振り向くと、そこにはまだ幼さの残る顔立ちの男子生徒が一人立っていた。
手入れの行き届いた黄色みを帯びたハニーブラウンの髪が風に揺れ、陽の光にきらきらと輝いている。意思の強そうな少し吊り目気味の赤みがかった紫色の瞳が真っ直ぐに俺を射止め、形の良い薄い唇は僅かに弧を描いていた。
紫系統の瞳を持つのは王族、もしくは先祖のどこかしらに王族の血が入っている高位のお貴族様だけである。つまり今目の前にいる人物はそのどちらかということだ。
学年毎に分かれているネクタイの色が朱色であることから彼が新入生だということがわかるが、三年の俺に一体何の用があるのだろうか。
「初めまして、ぼくはジェイクといいます」
「ジェイク……もしかして噂の第四王子様?」
「はい、そうです!ユベイル様に覚えて頂けているなんて光栄です!えへへ……うれしいなぁ」
第四王子――つまりは第三王子であるルークの弟。
ジェイクへの率直な感想は、弟だという割にあまり似ていないな、だった。当たり前だが髪や瞳の色が違うとこんなにも違うものなのかと内心思っていると、目の前で可愛らしく笑っていたジェイクがふぅ…と息を吐き出してにっこりと笑みを浮かべた。
「ユベイル様、ぼくの婚約者になりませんか?」
「…………は?」
言われた言葉が認識出来なくて――いや多分認識は出来ているんだろうが、あまりにも唐突過ぎて意味がわからずに動きが止まる。俺の聞き間違いだろうかと目を瞬かせると、目の前の彼はくすりと笑って俺の方に一歩足を踏み出した。
「あんな忌み子と婚約だなんて……可哀想なユベイル様。ユベイル様はとても優秀な方なのだから、あんな出来損ないの気持ちの悪い奴なんかではなく、ぼくと婚約した方が幸せになれるのに……ね?」
先程まで可愛らしいと思っていた笑みが途端に気持ちの悪いものに思え、俺はひくりと喉を鳴らす。
……こいつは何を言っているんだろうか。俺に兄弟がいないから本当のところはわからないが、仮にも自分の兄に向かって出来損ないだの気持ちの悪いだのを言える神経がわからない。
ねっとりとした気味の悪い笑みを浮かべたジェイクは、固まる俺の元へとまた歩みを進めて来る。俺は一歩、また一歩と後退りするが、背中に当たった硬い感触に足を止めざるを得なくなった。
「ふふ、どうして逃げるんですか?もしかして……恥ずかしいんですか?」
「……俺の婚約者は、ルークだ」
口がからからに渇いている。引き攣った喉から出たのは酷く掠れた声だった。
俺の呟くような声に彼の整った眉がぴくりと動いた。笑みに彩られていた目や口元がまるで人形のようにふっと感情をなくしていく。大きな吊り目気味の赤みがかった紫色の感情のない瞳が、俺を捕らえたまま動きを止めた。
「……っ」
体がかたかたと小刻みに震える。足が竦んで動けない。
目の前にいるのは俺よりも二つ年下の少し小柄な男子生徒一人だ。……なのに、これは一体どういうことなんだろうか。蛇に睨まれた蛙のように、俺はその場に立ち竦んだ。
「……はぁ……まあいいです。そう遠くない未来、貴方は必ずぼくの婚約者になるんですから、今日のところは一旦引きましょうか」
さっきまでの気持ち悪さを一瞬で消し去り、ふっと大人びた笑みを浮かべたジェイクはそう言ってくるりと背を向けた。その背中に慌てて声を投げかけると、きょとんとした表情の彼が頭だけで振り返る。
「どっ……どうして俺を……その……婚約者にしたいんだ?」
「……ぼくが貴方を好きだからですよ」
――直感的に、それは嘘だと思った。
彼は今嘘をついた。一瞬瞳が揺らぎ、眉間に寄った僅かな皺を俺の目は捉えていた。
しかしそれを素直に指摘するほど俺も馬鹿ではない。そうか、と小さく答えると彼は満足したようにこちらに背中を向けて去っていった。
どっどっと心臓が大きく音を立てている。足がガクガクと震えている。俺は壁に凭れ掛かりながら壁伝いにずるずるとその場にしゃがみ込んだ。立てた膝に顔を埋めて、肺に溜まっていた息をゆっくりと吐き出す。
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