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第六章
百五十二話 気持ち悪い
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※嘔吐の描写があります。苦手な方やお食事中の方はご注意ください。
朦朧とする意識の中、聞こえてきたのは必死な声。
俺と、俺の大事な人の名前を呼ぶその声に、それまで詰めていた息をそっと吐き出した。
□ ■ □
目を開けて、まず飛び込んできたのは白い天井だった。
もう何度目かもわからないその光景に、起き抜けのほとんど働いていない頭でもそこがどこだかわかる。
身体を起こそうとするが動かない。指一本すらぴくりとも動かすことができなかった。まるで全身が鉛にでもなってしまったかのようだ。
僅かではあるが唯一動く目を動かせば、横に細長い狭い視界の端に見慣れたカーテンレールとカーテンが少しだけ見えた。その景色に、やっぱりここは病院なんだと再確認する。
俺はゆっくりと瞬きをした。
まだうまく頭が働いていないのか、ぼうっとする。どうしてここにいるのかとか、それすらもうまく考えられない。なのに胸の奥がズキズキと痛んで、吐きそうだった。
今このまま吐いたら死ぬかなぁ、なんて他人事のように思う。胃に何か入っているのか、それとも空っぽなのかはわからない。けれど仰向けに寝転んだ状態で嘔吐をすればどうなるかくらい、今の俺にだってなんとなく想像がつく。
(……くるしいのは……やだなぁ……)
たっぷりと時間をかけて抱いた感想はそれだった。
開いているのか開いていないのかも定かではないほどに薄く開いた目を静かに閉じる。頭の中がぐるぐると回るような感覚に、まるで乗り物酔いをしているみたいにどんどんと嘔吐感が強まっていく。
このままだと本当に自分の嘔吐物で窒息死しそうだなんてぼんやりと考えていると、ふと遠くの方から微かに音が聞こえたような気がした。
初めは幻聴か聞き間違いか、それとも気のせいかなんて思っていたのだが、どうやらそうじゃないようだ。けれど残念ながら、俺の耳にはそれがなんの音なのかまではわからなかった。膜でも張っているみたいにぼわんぼわんとした不明瞭な音だけが耳の奥に届くだけだったから。
(あ……やばい……)
……本当に、吐きそうだ。
胃がゆっくりと、しかし確実に奇妙な動きをし始めている。胃液が逆流しようとしているのか、胃と食道の間あたりに僅かな痛みと熱を感じた。これはいよいよ現実味を帯びてきたなぁ……なんて一人思っていると、不意に頭に何かが触れた……ような気がした。しかしそれを確認しようにも、もう瞼は一ミリたりとも開きそうにない。
(……あった……かい、な……)
微かに感じる温もりに、さっきまで暴れようとしていた胃が徐々に動きを鈍くしていくのがわかった。気持ち悪さが少しずつおさまっていき、ほっとするのと同時に急速に睡魔が押し寄せてくる。俺は襲いくる睡魔に身を委ねるように、やがて再び意識を手放した。
それからどのくらい眠っていたのかは知らないが、次に目が覚めた時も俺はまだ病院にいるようだった。
今度は頭が働いていないわけでも、すぐにでも吐いてしまいそうというわけではない。だがまるっきり普通の状態かといえばそうではなく、相変わらず気持ちの悪さだけは健在だった。
ゆっくりと数回瞬きを繰り返す。するとぼやけていた視界が少しずつ鮮明さを取り戻していった。
(俺……なんで病院にいるんだっけ……?)
ここで目が覚める前、俺は確か家にいた……と思う。ええと、壱弦と出掛ける約束をして、電車に乗って出掛けて、神社に行って――そこまで考えたあたりで記憶がぶわっと一気に蘇る。
しかしたくさんの情報が一瞬のうちに頭の中に流れ込んできたせいで、ただでさえ普段通りとはいかなかった頭では処理をし切れなかったらしい。急激に強くなった吐き気に成す術もなく、気づいた時にはすでに嘔吐していた。咄嗟に身体を横に向け、耐えるように丸めながらえずく。ぐっ、う、と胃が跳ねるたびに苦しげな音が身体から鳴り、同時に胃液の酸い臭いが鼻についた。仰向けだったら確実に御陀仏だったかもなんて内心苦笑をこぼすが、現実はそうもいかない。
息が出来ない。苦しい。気持ち悪い。
頭も視界もぐるぐると回る。それが余計に吐き気を増長させているのか、胃は奇妙な動きを繰り返している。
……苦しいはずだった。なのに、本当に信じられないことなんだけどどこかでその苦しさに悦ぶ自分がいた。なんでと思うよりも先にそんな自分の存在が余計に気持ち悪く思え、俺はぐっと奥歯を噛み締める。
「――弓月!」
不意に聞こえてきたのは俺を呼ぶ声。大きな音と共に耳に入ってきたその声に、苦しさで閉じていた目を片方だけ薄く開ける。そこにひらひらと揺れるカーテンはなく、代わりに全開に開かれたドアと明るい色が見えた。
「おいっ、大丈夫か?!っ……、今先生呼んだからっ!」
「……っ」
いづる、と動かそうとした口は、新たに迫り上がってきたものによって塞がれてしまった。ひゅーひゅーと空気の漏れるような音が喉から鳴っている。
無意識に口元が歪む。苦しくなれば苦しくなるほどに、俺の中の何かが悦びを感じている。それがひどく気持ちが悪かった。その証拠にそんな気持ちの悪い感情を拒絶をするかのように、体全体が強烈な不快感を覚える。
(……きもちわるい……くるしい……)
悦んでなんかいないのだと自分に言い聞かせるように心の中でそう唱え続ける。ぐらぐらと頭が揺れる感覚に再び嘔吐をした時、俺はまた意識を飛ばした。
朦朧とする意識の中、聞こえてきたのは必死な声。
俺と、俺の大事な人の名前を呼ぶその声に、それまで詰めていた息をそっと吐き出した。
□ ■ □
目を開けて、まず飛び込んできたのは白い天井だった。
もう何度目かもわからないその光景に、起き抜けのほとんど働いていない頭でもそこがどこだかわかる。
身体を起こそうとするが動かない。指一本すらぴくりとも動かすことができなかった。まるで全身が鉛にでもなってしまったかのようだ。
僅かではあるが唯一動く目を動かせば、横に細長い狭い視界の端に見慣れたカーテンレールとカーテンが少しだけ見えた。その景色に、やっぱりここは病院なんだと再確認する。
俺はゆっくりと瞬きをした。
まだうまく頭が働いていないのか、ぼうっとする。どうしてここにいるのかとか、それすらもうまく考えられない。なのに胸の奥がズキズキと痛んで、吐きそうだった。
今このまま吐いたら死ぬかなぁ、なんて他人事のように思う。胃に何か入っているのか、それとも空っぽなのかはわからない。けれど仰向けに寝転んだ状態で嘔吐をすればどうなるかくらい、今の俺にだってなんとなく想像がつく。
(……くるしいのは……やだなぁ……)
たっぷりと時間をかけて抱いた感想はそれだった。
開いているのか開いていないのかも定かではないほどに薄く開いた目を静かに閉じる。頭の中がぐるぐると回るような感覚に、まるで乗り物酔いをしているみたいにどんどんと嘔吐感が強まっていく。
このままだと本当に自分の嘔吐物で窒息死しそうだなんてぼんやりと考えていると、ふと遠くの方から微かに音が聞こえたような気がした。
初めは幻聴か聞き間違いか、それとも気のせいかなんて思っていたのだが、どうやらそうじゃないようだ。けれど残念ながら、俺の耳にはそれがなんの音なのかまではわからなかった。膜でも張っているみたいにぼわんぼわんとした不明瞭な音だけが耳の奥に届くだけだったから。
(あ……やばい……)
……本当に、吐きそうだ。
胃がゆっくりと、しかし確実に奇妙な動きをし始めている。胃液が逆流しようとしているのか、胃と食道の間あたりに僅かな痛みと熱を感じた。これはいよいよ現実味を帯びてきたなぁ……なんて一人思っていると、不意に頭に何かが触れた……ような気がした。しかしそれを確認しようにも、もう瞼は一ミリたりとも開きそうにない。
(……あった……かい、な……)
微かに感じる温もりに、さっきまで暴れようとしていた胃が徐々に動きを鈍くしていくのがわかった。気持ち悪さが少しずつおさまっていき、ほっとするのと同時に急速に睡魔が押し寄せてくる。俺は襲いくる睡魔に身を委ねるように、やがて再び意識を手放した。
それからどのくらい眠っていたのかは知らないが、次に目が覚めた時も俺はまだ病院にいるようだった。
今度は頭が働いていないわけでも、すぐにでも吐いてしまいそうというわけではない。だがまるっきり普通の状態かといえばそうではなく、相変わらず気持ちの悪さだけは健在だった。
ゆっくりと数回瞬きを繰り返す。するとぼやけていた視界が少しずつ鮮明さを取り戻していった。
(俺……なんで病院にいるんだっけ……?)
ここで目が覚める前、俺は確か家にいた……と思う。ええと、壱弦と出掛ける約束をして、電車に乗って出掛けて、神社に行って――そこまで考えたあたりで記憶がぶわっと一気に蘇る。
しかしたくさんの情報が一瞬のうちに頭の中に流れ込んできたせいで、ただでさえ普段通りとはいかなかった頭では処理をし切れなかったらしい。急激に強くなった吐き気に成す術もなく、気づいた時にはすでに嘔吐していた。咄嗟に身体を横に向け、耐えるように丸めながらえずく。ぐっ、う、と胃が跳ねるたびに苦しげな音が身体から鳴り、同時に胃液の酸い臭いが鼻についた。仰向けだったら確実に御陀仏だったかもなんて内心苦笑をこぼすが、現実はそうもいかない。
息が出来ない。苦しい。気持ち悪い。
頭も視界もぐるぐると回る。それが余計に吐き気を増長させているのか、胃は奇妙な動きを繰り返している。
……苦しいはずだった。なのに、本当に信じられないことなんだけどどこかでその苦しさに悦ぶ自分がいた。なんでと思うよりも先にそんな自分の存在が余計に気持ち悪く思え、俺はぐっと奥歯を噛み締める。
「――弓月!」
不意に聞こえてきたのは俺を呼ぶ声。大きな音と共に耳に入ってきたその声に、苦しさで閉じていた目を片方だけ薄く開ける。そこにひらひらと揺れるカーテンはなく、代わりに全開に開かれたドアと明るい色が見えた。
「おいっ、大丈夫か?!っ……、今先生呼んだからっ!」
「……っ」
いづる、と動かそうとした口は、新たに迫り上がってきたものによって塞がれてしまった。ひゅーひゅーと空気の漏れるような音が喉から鳴っている。
無意識に口元が歪む。苦しくなれば苦しくなるほどに、俺の中の何かが悦びを感じている。それがひどく気持ちが悪かった。その証拠にそんな気持ちの悪い感情を拒絶をするかのように、体全体が強烈な不快感を覚える。
(……きもちわるい……くるしい……)
悦んでなんかいないのだと自分に言い聞かせるように心の中でそう唱え続ける。ぐらぐらと頭が揺れる感覚に再び嘔吐をした時、俺はまた意識を飛ばした。
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