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第六章
百四十九話 隣にいてくれる人(壱弦視点)
しおりを挟む駅のホームで出会った後、俺と保科先生は一緒に昼食をとり、そして周辺を散策した。散策といっても特に理由や目的があったわけじゃない。ただ肩を並べて歩いていくだけのものだった。
歩いている最中に俺たちが会話したのは少しだけ。それもどうして俺があそこに一人で座っていたのかという話ではなく、なんてことのない他愛のない世間話ばかり。それに話したとは言っても本当に少しだけだ。もしかすると沈黙している時間の方が長かったかもしれないと思うほど少ないものだった。
「結構歩いたな」
「……そう、ですね」
……ほら、また沈黙だ。
俺も先生も元々たくさん話す方ではない。だからなにも不思議ではないし、いつも通りと言えばいつも通りだ。なのにどうして今は落ち着かないんだろう。
俺は真冬の冷気に晒されて冷たくなった手を口元に近づけ、ほうと息を吐き出した。あたたかな吐息が手に掛かり、俺はその手をそっと擦り合わせる。ほんの少しだけ温もりを取り戻した指先がじんとしていた。
「……もうこんな時間か」
駅のホームに着いてすぐ、ホームを発着する電車の情報が表示されている電光掲示板の間にある時計を見上げながら、先生はそう呟いた。つられて顔を上げれば、そこに表示されている時刻に同じことを思う。しかしそれを口には出さず、数歩先にあるベンチに座った彼の隣に、俺はそっと腰を下ろした。
多分、なんとなく察しているんだろう、と思う。
俺が今日ここに弓月とともに来ることを保科先生は知っている。瀬名先生に「弓月に告白する」という宣言した後、どうしようって相談したのが先生だった。
先生は察しがいい。もしかしたら俺が振られていることにも気付いているのかもしれない。……うん、多分気付いてる。だから今こうして俺の隣にいてくれるんだろう。
顔を上げると、夕陽が世界を赤く照らし出していた。赤く燃えるような色に染まった世界に、ぼんやりと綺麗だなんて思う。夏の頃と比べて冬である今は陽が落ちるのが早いため、四時くらいになると夕陽が眩しい。夏ならまだまだお昼だと錯覚するような時間なのに、今はしっかりと夕方だった。
それにしても、もう夕方なのかと驚いてしまう。朝はあれだけ長かったのに、昼からこっちは時間が飛んだような気分だった。
ずっと好きだった人に想いを告げる――それは想像していた以上に緊張する行為だった。その証拠に昨日の夜は気持ちが落ち着かなくて夕食もほとんど喉を通らず、眠ることもままならなかった。
振られるか振られないか。
それももちろん不安だったのだが、それ以上に俺の想いを知られることで今のこの親友という関係性まで壊れてしまうんじゃないかってことが何よりも怖かった。だからこそ今の今まで告げることが出来なかったし、告げる気もなかったんだけど……なんでかな、告白した後の結果がどうであれ、いい加減この気持ちに区切りをつけないとって思ったんだ。
その結果は、惨敗。
正直振られるとは思わなかった……と言えば嘘になる。弓月の想い人が瀬名先生だったってことも含めて、俺はなんとなく気付いていた。二人でいる時の雰囲気だとか空気だとか、それからお互いの視線だとか。気付いていたけど、多分、無意識に目を逸らしていたんだろう。
「……まだ、時間はあるか?」
「っ、え……?」
赤く色付いた景色をぼんやりと眺めていると、不意に隣に立った保科先生がそう言った。急に声を掛けられたことで肩がビクッと跳ねる。しかし彼はそれにくすりと微笑み、俺の頭に軽く手を乗せた。温もりとともに僅かな重みが乗る。ただ手が頭に乗っただけだというのに胸がきゅうと締め付けられるような心地がして、俺は内心首を傾げた。
「……ある?」
「あ、はい……あります、けど……?」
「なら、夜も一緒にどうだ?もちろん刈谷がいいなら、だけど」
「…………へ?」
たっぷりの沈黙の後、俺はぽかんとしながら気の抜けた返事を返す。夜も一緒に……ってどういうことだ?心臓の鼓動がだんだんと速く、そして大きくなっていく。
黙ってしまった俺を見て、先生は僅かに首を傾げながら「腹、減ってないか?」と言った。そこで俺はやっと夕飯のことを言っているのだと気がついた。確かに昼に食べた頃から考えればもうすぐ夕飯の時間だろう。腹の具合も空いているといえば空いている気がする。夕食のお誘いだったのかと息を吐くのと同時に、自分の心に湧いた感情に戸惑った。
「……駄目か?」
「やっ……えっと……駄目じゃ、ないけど……その……」
顔を覗き込んできた先生と至近距離で目が合う。心臓がとくとくと忙しなくて、どこか落ち着かなかった。
俺は顔を俯かせ、膝の上にある手を擦り合わせた。片手の指を握ったり擦ったり押したりと弄りながら返す言葉を考える。
「……ああ、お金のことなら気にしなくてもいい。こういう時は大人に甘えておけ」
少しの沈黙の後、先生が思い出したようにそう言った。えっと隣に座る先生を見れば、眉尻を下げながらふっと優しげな笑みを浮かべた彼が俺を見ていた。先生の髪が、輪郭が、沈みゆく眩しいほどの光を放つ夕陽に照らされながらきらきらと輝いている。あまりにも綺麗なその姿に俺はぽかんとしてしまった。
「……俺を、頼ってくれ」
俺よりも少しだけ大きな手が再び頭に乗り、そして撫でる。今度はさっきのように頭に乗せるだけじゃなく、髪の筋に沿って撫でられていく。まるで壊れものでも扱っているのかというほどにその手つきは丁寧で優しく、なんだかそわそわとした。
手だけじゃない。見つめてくる目もどこか優しい。眉尻や目尻が下がり、まるで愛おしいものでも見るかのような眼差しに心臓が大きく鼓動する。思わず自分の胸元に当てた手をぎゅっと握りしめると、大きな鼓動に合わせて手が微かに揺れた。
「……刈谷?」
「え……っ」
頬をあたたかい何かが滑り落ちていく。膝に置いた手に何かが当たった感触がして初めて、俺は自分が泣いていることを知った。一粒落ちたのを皮切りにぽとり、ぽとりと続けて落ちていく滴。気付いて、どんなに焦ったところで、涙が止まることはない。
もしかすると俺は自分が思っている以上に傷心だったのかもしれない。好きな人が想っている相手が俺じゃなかったことがこんなにもつらくて寂しいものだと知らなかった。
「……っ」
先生の腕が俺の頭に回る。頭を抱えるように回された腕が軽く俺の身体を引き寄せた。彼の肩に頭が当たる。目のあたりを覆うあたたかくて大きな手のひらにさらに泣きそうになった。
先生は何も言わない。
ただ俺の頭を抱き抱えたまま、隣にいる。
けれど俺はそのことにほっとした。だって今泣いている理由を聞かれたところで、俺は俺自身の説明をすることが出来ないから。
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