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第六章
百四十話 御守り 前編
しおりを挟む駅から通りに沿って歩いて行くと、少し先に神社のものなのだろう大きな鳥居が見えた。
今は所々にお店があるだけでお世辞にも賑わっているとは言い難いこの通りだが、年末年始や行事ごとに屋台がずらりと並び、人も多くて賑やかなんだそうだ。へえ、そうなんだと目を瞬かせていると、壱弦はふっと笑みを浮かべて懐かしむような表情で言葉を紡ぎ始めた。俺は全く覚えていないが、どうやら以前俺が壱弦と来た際には屋台が並んでいてそれなりに賑わっていたらしい。
「――で、結局りんご飴は諦めていちご飴にしたんだよ」
その時のことを思い出しているのか、壱弦がくすくすと笑う。そんな壱弦の横顔をちらりと見上げ、そうなんだと合わせて笑みを浮かべた。しかし浮かべたはずの笑みはすぐに消え失せ、俺の顔からは表情が抜け落ちていく。
誤解のないように言っておくが、壱弦の話が面白くないわけでも、楽しくないわけでもない。話してくれること自体は嬉しく思っているし、内容だって楽しい。なのにどうしてか胸の辺りが軋んだ音を立てていた。
もしかして、俺の知らない俺自身に対する拒否反応なのだろうか。もしそうだとしても今までだって何度も同じようなことがあったのに、何故今更こんな風になってしまうのかがわからない。そしてそんなふうに思い、感じてしまっている俺自身を気持ち悪いと思う。……なんで、上手く表情が繕えない。
俺は壱弦に気付かれないように、首に巻いていたマフラーに口許を埋めるようにして僅かに顔を俯かせた。
壱弦の話に耳を傾けながら歩みを進めて行くと、いつの間にか遠くに見えていたはずの大きな鳥居が目の前にあった。横でゆっくりと頭を下げる壱弦。その姿に俺も慌てて真ん中より端に寄って一礼をする。それから頭を上げて再び歩き始めた壱弦に倣って大きな鳥居を潜った途端また壱弦が歩みを止め、つられて俺も足をぴたりと止めた。
どうしたのと壱弦を見れば、彼は空――正確には首が痛くなるほどに高く大きな鳥居を見上げていた。俺も同じように見上げてみれば澄んだ青空が鳥居越しに見える。ここが神社だからなのか、この空と同じように空気も澄んでいるような気がした。
「弓月、どうかした?」
そんな不思議そうな壱弦の声が、ざりざりと砂利を踏み締める音とともに聞こえてきた。投げかけられた言葉に、上空へと向けていた視線を落とす。そしてううん、何もないよと緩く首を横に振った。
踵を返すと、ざりっと小さく音が鳴った。隣に立つ壱弦の肘あたりの服を掴み、行こうかと彼の目を見つめながら掴んだ服を軽く引く。すると壱弦の身体がびくっと小さく跳ねた。ん?と首を傾げながら顔を見上げれば、そっと逸らされてしまう視線。
「?」
「わ、わかった……うん、じゃあ、行こうか」
「……?」
……一体どうしたというのだろうか。
急に歯切れ悪くなった壱弦の様子にもう一度顔を見上げながら首を傾げる。……訳がわからない。眉尻を下げながらあははとぎこちなく笑う壱弦の腕をさっきよりも僅かに強く引っ張った。するとさっきまで無反応だった腕が動き、肘あたりの服を掴んでいた俺の手に壱弦の手が重なったかと思えば、ぎゅっと握り締められた。
「……!」
「……はっ、はぐれないように……だから」
壱弦は逸れないようにと言うが、今いる参道は人に満ちているわけでも、入り組んだ道というわけでもない。確かに土曜日ということもあってか参拝客もそれなりにいるといえばいる。だがそれでも、さっき通ってきた道よりも人は多いが混んでいるというほどではないという程度だった。
俺は内心首を傾げながら、しかし何も言わなかった。理由は簡単だ――俺の手を繋ぐ壱弦の手がかたかたと小さく震えていたから。その上その手が、冬の冷気で冷たくなっていた俺の指先よりも冷たいのだから、もう何も言えるはずがなかった。
繋いだ俺の手を引きながら、ざっざっと音を立てて歩いて行く壱弦の背をぼんやりと見つめた。
俺よりも少し高いけれども律樹さんより低い背丈、律樹さんよりも僅かに狭い背中、そして律樹さんよりも小さな手――壱弦は律樹さんよりも年下でまだまだ成長途中なのだから律樹さんよりも小さかったり狭かったりすることは当たり前だ。だというのに、無意識に二人を比較してしまっている自分にそっと溜息がもれた。
「あ、今ちょうど空いているみたいだな」
手水舎で手や口を濯ぎ、再び参道に戻ったところで壱弦がそうぽつりと言った。確かにさっきまでは二、三組並んでいたはずが、いつの間にか賽銭箱の前には誰もいない。俺たちはほんの少し歩く速度を上げた。
賽銭箱の前に辿り着いてすぐ、俺たちは揃って五円玉を賽銭箱の中に入れた。コンッ、コンコンッと五円玉が二枚箱の中に入って行く。そうして中に入ったことを確認し、目の前に垂れ下がった数本の縄が編まれた太い縄に手を添えた。壱弦が腕を動かすのに合わせて俺も腕を振る。するとカランカランと少し低めの鈴の音があたりに響き渡った。
その音を聞き届け、俺たちは幾重にも編み込まれた縄から手を離し、そして二礼二拍手を行った。
(もし……もし出来るなら、律樹さんの名前を呼びたい……あ、ごめんなさい……やっぱり律樹さんがいつまでも幸せでありますように、でお願いします)
両の掌を合わせながら目を瞑り、心の中でお祈りの言葉を紡いでいく。願い事も声には出さないように呟いた。けれどなんだかしっくり来ず、うんうんと唸りながら考えて願い事を紡ぎ直した。
祈りを終えたあとは再び一礼をした。ふと隣を見れば壱弦はまだお祈りの途中のようだ。彼は眉間に皺を寄せながら何やら真剣にお祈りをしているようだった。
(壱弦はなにを……って、合格祈願か)
もうすぐ大学受験も本番のこの時期、ここに来ている俺たちと同年代だろう人たちは皆同じ願い事をしているのだろうか。
俺も来年大学受験をすることになったらこんな風に必死に合格祈願をするのかなぁ、なんて遠い目をしていると、ようやくお祈りを終えた壱弦が一礼をして俺の方を向いた。
「お守り、見に行ってもいい?」
「ん」
俺もお守りが欲しいと言えば、壱弦が嬉しそうに顔を綻ばせた。そんなにお守りが欲しかったのかと思わず目元と口元が緩む。
踵を返し、元来た参道を再び歩いて行く。そうして社務所へと向かって行く道中、今度は手を繋がれることはなかった。
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