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第六章
百三十五話 途中送信の言葉 前編
しおりを挟む律樹さんの実家である瀬名の家に行ってから――さらに言えば二人の子どもが写っていたあの写真を見た時から、律樹さんの様子がおかしかった。あの写真に何があるのかなんて俺にはわからないけれど、少なくともいつもの彼とは違うことだけは確かだ。それは顔を見ていればわかる。今の律樹さんは普段の優しくて穏やかそうな表情ではなく、何か大きな不安を抱えているような暗く固い表情だったから。
思えばあの写真を見た直後から六花さんも律樹さんもすっかり黙り込んでしまった。瀬名の家にいる時も時折姉弟二人で視線を交わしたり小声で話をすることはあれど、俺や律子さん達とのやり取りは目に見えて減っていた。
それに帰宅途中、いつもなら穏やかな時間が流れているはずの車内に満ちていたのは痛いほどの静寂。今までどんなに静かだったとしても居心地が悪いなんて微塵も感じたことはなかったのに、俺はこの時初めて早くこの場を去りたいと思ってしまったほどに空気が重く感じられた。
『大丈夫?』
家に着いてすぐ、俺は律樹さんの袖を軽く引きながらそう聞いた。けれど彼は何ごともなかったかのように大丈夫だよと眉尻を下げながら笑うだけで、さっきまでの陰鬱な表情や口数が少なくなった理由を話してはくれない。
もし何も知らない人であればその言葉通りに捉えることだろう。でも少なくとも数ヶ月間とはいえ彼のことをそばで見てきた俺の目には、とても言葉通りには見えなかった。
(でももし俺が何か聞いたとして、律樹さんは教えてくれるだろうか……)
心の中でぽつりとそう呟きながら顔を俯かせる。律樹さんが誤魔化すということは多分――いやきっと俺に知られたくないことがあるからに違いない。まだたった数ヶ月しか一緒にいないけれど、それくらいは俺にだってわかる。
いつだって律樹さんは俺を大事にしてくれている。普段「俺なんか」と自分を卑下してしまう俺だが、助けてもらってから今日までの数ヶ月、律樹さんからの貰った愛情は十分過ぎる程だったという自覚はある。
……だからわかるんだ。律樹さんが俺に隠し事をする時は決まって俺にとってあまり良くないことだって。だからこそ余計に思ってしまうのかもしれない。俺のことを信じて欲しい、頼って欲しいって。
まだ不安定な部分も少なからずあるし、薬だって飲めないから面倒な部分もたくさんあるけれど、それでも俺自身以前よりも強くなったと思う。律樹さんが黙っている内容がどんなものなのかはわからない。自惚れかもしれないけれど、以前の俺なら耐えられなかったとしても今の俺ならまだ耐えられる可能性はあるんじゃないかって思うんだ。
(そう思っているのは俺だけ、なのかな……)
ソファーに座る律樹さんの横にそっと腰を下ろし、俺はテレビの画面をぼんやりと見つめる彼を見上げた。視線の先にある彼の横顔は相変わらず整っていて綺麗だ。すっと通った鼻筋も宝石のようにきらきらと輝く琥珀色の瞳も切れ長の目も、そしてきめ細やかな肌も、彼を作るすべてのものが俺にとっては憧れであり、そして愛しいと思う。
けれど俺の目にうつるその表情はやっぱり少し曇っていて、俺はその様子を眺めながら勿体無いなぁとぼんやりと思った。
膝に置いたスマホを手に取り、ホーム画面を開く。カラフルな四角が並ぶ中、俺は黄緑色のそれに指先を触れさせた。開いたのは俺が普段よく使っているメッセージアプリ。数人の名前が縦一列に並んでいる画面が表示され、俺はその一つに視線を落としながら息を吐き出した。
そう言えばまだ返せていなかったんだったと思い出すと同時に、数日前に聞いたやり取りのことを思い出して唇をきゅっと引き結ぶ。いい加減返事をしなくてはと思いつつも、指先はそこから動かず止まったままだった。
(そうだった……ああもう、どうしよう……)
俺にとって壱弦は友達だ。それ以上でもそれ以下でもない。もし本当に壱弦がずっと俺のことを好きだと思ってくれているのだとしてもそれはきっと変わることはないだろう。だって俺が恋愛的な意味で好きなのは後にも先にも律樹さんだけだから。
それなのに壱弦の想いを知ってしまった今、やっぱり俺はどうしたら良いのかがわからなくなってしまった。どうするのが正解なのか、俺のするべき行動がわからない。だからずっと考えていたというのに、それでもまだ答えは出せないでいる。
普通に考えて今じゃないかもしれないが、どうしてもこの空気感を払拭したかった俺は、画面の一番上に表示されている律樹さんの名前を指先で軽くなぞった。開かれたのは律樹さんとのトーク画面だ。今日、律樹さんがあの写真を見るまでは楽しかったのにと思わずにはいられないそのやり取りたちに、鼻の奥がツンとする。
横目でちらりと律樹さんの憂いを帯びた横顔を盗み見た後、下を向いて僅かに目を伏せた。一度、二度と瞬きと深呼吸をゆっくりと行い、意を決して画面の上に指先を置く。時折止まりながらもぎこちなく動いていく指先、そうしていつもよりも倍以上の時間を費やしながら一文字一文字丁寧にしっかりと打ち込まれた文はたった十数文字だった。
『壱弦から一緒に出掛けようって』
書いている途中、不意に律樹さんが溜息をこぼした。それに気を取られて視線を隣に向けた瞬間、俺の指先は本来の目的の位置よりも少しずれた位置に着地していた。
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