声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第五章

閑話 瀬名律樹とアルバム 後編

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 写真に写っていたのは二人の子ども。
 一人は顔まではっきりとわかるのに、もう一人の顔は擦れて見えない。けれど俺の脳内では、写真では見えないその子どもの顔がはっきりと浮かんでいた。

 弓月が俺の袖を引っ張っている。しかしいつものように可愛いなどと言っている余裕は、今の俺にはなかった。

「律樹?……!」

 俺の手元を覗き込んできた姉さんが驚いたように目を見開いた後、眉間に皺を寄せながら表情を険しくした。きっと今俺も同じような表情をしていることだろう。
 何故この写真がここにあるのか。
 どうしてこのタイミングだったのか。
 心臓が早鐘を打つ。頭の中で警鐘が鳴り響き、額からは球のような汗が噴き出してきた。

 幸い弓月は何も気付いていないようだ。そのことにほっとしつつも、俺たちの間に漂うお通夜のような空気は無くならなかった。様子がおかしいことに気付いた父さんが気を利かせてくたらしい。父さんが弓月を呼んでくれたお陰でソファーの周りには俺と姉さんだけになった。心の中で父さんありがとうと思いつつ、この写真をどうするべきかと内心頭を抱える。

「……ねえ、これって」

 姉さんが声を潜めながらそう呟く声を聞きながら、俺は俯き加減に前髪をくしゃりと握りしめて小さく息を吐き出した。

 ……言いたいことはわかる。俺だって同じことを思っているから、姉さんが今から何を言おうとしているのかもわかっている。けれど今それを言えば、少し距離があるとはいえ弓月の耳にも届いてしまうかもしれない。それだけはどうしても避けたかった俺は目を閉じながら静かに頭を横に振った。

「その……覚えて、ない……のよね?」
「……だろうな」

 恐らく弓月の記憶はまだ半分も戻っていない。その証拠にこの写真を見ても何も思っていなさそうだった。

 再び目を開き、手元の写真をじっと見つめる。裏面にも書かれていた通り、これは俺が八歳の頃の夏の写真だ。まだ小学生だった俺が夏休みを利用して母方の祖父母の家に遊びに行った時に撮ってもらった時のものである。裏面に『律樹八歳、夏』と走り書きをしたのは多分祖父だろう。祖父は俺や姉さん達が遊びに行く度に写真を撮ってくれ、いつ撮ったものなのかをよく裏面にメモをしていたから。

 懐かしい文字に鼻の奥がつんとするのと同時に、胸がずきんと痛んだ。ずきずきと大きくなっていく痛みに思わず胸を掻きむしるように服を鷲掴む。手が白くなるほどに強く握りしめていると、不意に姉さんがぽつりと呟いた。

「律樹が八歳ってことは……三歳、くらいだったのよね」

 この写真に写っているのは二人。一人は八歳の頃の俺、そしてもう一人は三歳くらいの小さな子ども。本当はここに姉さん達も写るはずだったのだが、この頃の俺はどうしてもこの小さな子と二人だけの写真が欲しくて我儘を言って撮ってもらったんだ。この子――従兄弟である弓月と一緒の写真が、俺は欲しかった。

 確か初めて会ったのがこの写真を撮る少し前だったと思う。突然現れた弓月たち親子に母さんも祖父さんも慌ただしくしていたけれど、末っ子の俺は自分と同じ男で自分より小さい子たちに興味津々だった。兄の総一郎の方はあまり覚えていないが、三歳の弓月は今よりもずっと表情のない大人しい子どもだったことだけははっきりと覚えている。
 夏休みの間しか祖父さんの家に居られなかった俺は、その間にどうしても幼い弓月の笑顔が見たくて昼夜問わずずっと一緒にいた。どこにいくのも一緒、何をするのも一緒、兎に角一瞬たりとも離れることはなかった。そのお陰か、僅かではあったけれど弓月は俺にだけ表情を見せてくれるようになったのだ。
 
 そうしてようやく話も出来るようになってきた頃に撮ったのがこの写真である。今は擦れて見えなくなっているが、見えなくなる前はここにぎこちないながらも可愛らしい笑みを浮かべた弓月の姿があったはずだ。

「……あのこと、言うの?」
「っ、言えるわけ……ないだろ」
「そう、よね……」

 前髪を握り締めていた手で顔を覆う。
 馬鹿なことを言ってごめんなさいと目を伏せる姉さんに、俺は何も言えなかった。

 弓月が覚えていないのならそれが一番いい。これ以上弓月に辛い記憶を思い出させるわけにはいかない――というよりも、俺自身がもうこれ以上弓月に辛い思いをして欲しくなかった。折角弓月の声もほんの僅かではあるけれど出るようになったのだ、俺は今のこの幸せを壊したくなかったんだ。

 よく母さんが言っていた。
 今から思えば、この頃の弓月の母親である規子さんはまだ正常だったのだと。自分の心も体もボロボロだったにも関わらず暴力から子どもを必死で守っていた彼女は、確かに弓月たち兄弟を本当に愛していたのだろう、と。
 だが愛だけではどうしようもないこともある。一人ではどうすることもできなくなった結果、十五年前のあの日、彼女は自分の父である俺の祖父さんに助けを求めに来たのだという。少ない期間ではあったが、祖父さんや祖母さん、それから母さんと過ごしていく中で弓月と同じように規子さんもまた一人の人間として生活できるようになっていった。

『おかあさん……わらってる……』

 規子さんの笑顔が見れた日、幼い弓月が嬉しそうにそう呟いたのを今でもはっきりと覚えている。あの時のほっとしたような、嬉しそうな表情に俺は心を打たれたのだ。本当に良かった、絵本に描かれる物語のようにハッピーエンドを迎えられたのだと俺も母さん達も喜んでいた。

 ――あの日、祖父さんが亡くなるまでは。
 
 
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