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第五章

百二十九話 初めての里帰り 前編

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 桃矢くんに会った日から二日が経過した。十二月に入り、寒さが増していく今日この頃、俺は喜びに胸を打ち震わせていた。

 高卒認定試験――正式名称、高等学校卒業程度認定試験に無事合格した俺は、これでようやく大学受験の資格を得ることができた。本音を言えばすぐにでも大学受験をしたいところではあるが、流石に今から勉強をしたところで間に合わないだろうし、そもそも大学入学共通テストの出願時期は過ぎているのでそれは叶わない。だから早ければ来年に受験できるようにこれから頑張る予定だ。

 今は仕事中でいない律樹さんに合格したよとメッセージを送ると、じゃあお祝いだねと返ってきた。お祝いなんてそんな大袈裟な……と思いながらも、やっぱりお祝いは嬉しくて自然と頬が緩む。もし希望があれば考えておいてというメッセージに頷きのスタンプを返し、俺はスマホを胸に抱きながらぼふんと事実のベッドに仰向けに倒れ込んだ。

(よかった……)

 あれだけ律樹さんを始め、保科さんや壱弦たちにも勉強を教えてもらったのだから、もし落ちていればこの先どんな顔で会えばいいのかわからなくなっていたことだろう。けれど受かった。そのことにほっと息を吐く。

 色々とお世話になった保科さんにも報告したかったが、生憎俺は彼の連絡先を知らない。でも律樹さんと同じ職場だし、もしかすると律樹さんが伝えてくれているかもしれない。仮にもし律樹さんたちが忙しくて会えていなくても、次に俺が会う時に直接伝えればいい。
 勉強を教えてくれた壱弦にもお礼も兼ねて報告をしないと――そう思って再びスマホを両手で持ちながらごろんと横を向くが、壱弦へのメッセージを入力していた指がぴたりと止まった。

 ――来週の土曜日、もし空いてたら出掛けないか?

 壱弦とのメッセージのやり取りはそれが最後だった。送られてきてからもう二日が経つというのに、俺はまだこのお誘いへの返事を出来ずにいる。

(いい加減……返事しなきゃ、だよなぁ……)

 壱弦の好きな人が俺だったのだと知ったのは偶然だった。もしかして聞き間違いかそれとも夢だったんじゃと思いもしたが、その後の彼の視線や表情でそれが本当なのだということがわかってしまった。
 でも俺は、その気持ちには応えることが出来ない。勿論壱弦のことは好きだ。けれどそれは友達としてであって、恋愛感情ではない。まだ知らなかった頃の俺なら二つ返事で了承していただろうが、知ってしまった今はそうはいかない。今までもきっと自分が気付かないうちに彼を傷つけてしまっていたかもしれないと考えると、胸がきゅっと締め付けられる。

 俺は深く息を吐き出しながら仰向けに寝転がった。スマホを持った腕を横に伸ばし、腕や手の力を抜く。天井を見上げながらゆっくりと瞬きを繰り返し、そして目を閉じた。

「合格おめでとう」

 次に目を開いた時、目の前には穏やかに微笑む律樹さんの顔があった。初めは夢を見ているのかとも思ったが、重ねられた手から伝わる温もりがこれは現実だと言っている。そんなに眠ってしまったのかと焦りながら飛び起きて時計を見るが、俺の予想に反してまだ一時間ほどしか経っていなかった。
 ……あれ?今日は律樹さんは仕事のはず……なんで律樹さんがここにいるんだ?まさかリアルな夢?
 そう首を傾げる俺に、律樹さんは楽しそうにくすくすと笑みをこぼした。

「俺がいてびっくりした?」

 こくこくと勢いよく頷くと、同じように起き上がった律樹さんがあははと笑う。目をぱちくりとさせながらそんな彼を見つめていると、不意に手が俺の頭に置かれた。

「実はね、今日は午後から休みなんだ。本当は一日休みたかったんだけど、どうしても午前中にやらないといけないことがあってね……でも午後だけでも休みを取れてよかったよ。弓月の可愛い寝顔も見れたし」
「っ……‼︎」

 髪を撫でるようにゆっくりと降りていく手。やがて頬にたどり着いたそれは俺の頬をするりと撫でた。まるで壊れものを扱うような手つき、そして甘い声音と表情に身体の奥が熱を帯びていく。心臓が鼓動を速め、耳元で大きく鳴り響いていた。

「……嬉しい?」
「……ん」

 そんなの、嬉しいに決まってる。だって平日なのに今日はこれからずっと律樹さんといられるんだから嬉しくないわけがない。

 俺は頬に添えられた彼の手に擦り寄った。俺とは違うごつごつとした手は温かくて、心地良い。

「ぐっ……ああもう……行くのやめようかな……」

 こつんと額が合わさる。律樹さんの柔らかな栗色の髪が顔に掛かって擽ったい。僅かに身を捩った時、彼が嘆くように小さな声でそう呟いた。言葉の意味がわからず、俺は律樹さんを見つめながら首を傾げる。すると頬に触れていた手が俺の腰に回り、ぎゅっと抱きしめられた。

「今日はこのまま……二人で……」

 耳元で囁かれた声に煩かった心臓がより一層大きく、そしてはやくなる。耳に届く心地良い低さの声に、お腹の奥の方がずくんと疼いた――瞬間、すぐ近くから着信を告げる電子音が鳴り響いた。驚きに肩がびくんと跳ね上がる。俺を抱きしめたままの律樹さんがぴたりと動きを止め、何かを察したように深く深く息を吐き出した。

「……」
「……」

 そのまま動かない律樹さん。それどころか俺を抱きしめる腕に力が込められていく。えっ、出ないの?という俺の視線にも気付いているだろうに、彼は俺を抱きしめたまま動こうとしなかった。そのうち着信音は鳴り止み、律樹さんがほっと息をついた。

「あ……」

 静かになったのも束の間、次は俺のスマホが着信を知らせ始めた。抱きしめられた腕の中から手を伸ばしてスマホを取ろうとするが、耳元で「出なくても良い」という律樹さんの声に動きが止まる。
 鳴り止まない着信音、おろおろとする俺。数秒の後、律樹さんがため息をこぼしながら俺を離し、俺のスマホを手に取った。

「……はい」

 とても低い声だった。不機嫌だというのがはっきりとわかるその声色に、びくっと体が跳ねる。相手は……誰なんだろうか。
 壱弦だったら……そう不安になる俺を見た律樹さんが困ったように笑いながら、俺にスマホを手渡してきた。恐る恐る通話口に耳を当てると聞こえてきたのは俺の思っていたものとは違う声だった。

 
 
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