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第五章

百二十二話 好きな人の好きな人 中編(桃矢視点)

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 ――好きな人の一番になりたかった。
 僕はただ好きな人の『好きな人』になりたかっただけだった。そうして好きな人をずっと見続けているうちに気付いたのは、彼の見ている先が僕以外の人だったってことだ。
 壱弦の視線の先には必ず弓月がいる。僕はずっと壱弦を見てきたから、弓月を見る壱弦の表情にすぐにピンときた。そして同時に絶望し、少なからず嫉妬の炎に燃えてしまった。



 弓月が泣きそうな顔で僕を見ている。いつから起きていたのかなんて僕にはわからない。もしかしてさっきの告白も懺悔も全て聞かれていたのだろうか。
 何とも言えない感情が湧き起こり、僕は目を伏せて右手でくしゃりと前髪を掻いた。

「もう……なんで……」
「ん」

 息を吐き出すように零した言葉に応えるように、弓月が微かな声をあげた。声というのも怪しい「ん」という小さな音だったが、確かに僕の耳には届いていた。けれどもその小さな音だけでは何が言いたいのかなんてわからないし、判断がつかない。本当は目を開けて頭を上げて様子を見るべきなのだろうが、やっぱり勇気が出なくて僕はさらに強く目を閉じた。

 また小さく音が鳴る。掠れた小さなその声は本当に小さく、集中していなければ聞き逃してしまいそうなほどだ。
 
 弓月はどうして声が出なくなったのだろう。やっぱり僕の所為……なんだろうか。昔読んだ物語の中に魔法で声が出なくなってしまったお姫様がいたが、ここは現実世界、魔法なんてものは存在しない。だから必ず魔法以外の原因が存在するはずだ。
 それがわかっているからこそ、僕にはその掠れた微かな声が僕を責めているように聞こえて仕方がなかった。お前があの時あんなことをしなければこんな声にはなっていないんだと、そう言っているように聞こえて思わず耳を塞ぎたくなる。弓月がそんなことを言うとは思えないが、心の中にある罪悪感がそんな妄想をしてしまうんだ。
 
「弓月がこれ見て、だって」
「……なんなんだよ……もう……」

 衣擦れの音が聞こえ、弓月の微かな声は聞こえなくなった。代わりにすぐ近くから聞こえてきたのは壱弦の声。どんな感情を抱いているのか判断しにくい声色に胸がつきりと痛む。
 僕は前髪の上から当てていた手を再び握り締めた。僅かに開いた瞼の下から声の聞こえた方へと瞳を動かすと、そこには何とも言い難い随分と複雑そうな表情をした壱弦がいた。

 ……まあ、その表情をされるのも当たり前なのかもしれない。だってこれまでの僕はずっと壱弦にあまりいい態度をとっていなかった。好きな人の一番になれないとわかった時から僕はきっと諦めて、投げやりになっていたんだ。それに彼の好きな人を隠れて痛めつけていたのだから、僕自身をよく思わなくなっていただろう壱弦が嫌悪感を覚えるのも無理はない。
 好きな人の『好きな人』になりたかった。けれどもう僕は『好きな人』にも『友達』にすらもなれないのかもしれない。自業自得とはいえ、やっぱり目の当たりにするとつらいなぁ…と思った。

「……ほら、これ」
「……スマホ?」
 
 僅かに視線を落とした先、差し出された壱弦の手には一台のスマホが握られていた。持ちやすく設計された色付きのケースにピッタリと入ったそのスマホは勿論僕のものではないし、確か壱弦のスマホは薄い透明のケースに入っていたはずだから彼のものでもないだろう。
 
 僕はまさかと思って弓月に目を向けた。
 僕が知っている弓月はスマホなんてものは持っていなかったはずだ。何故ならあの家族は弓月と他の人が関わることをよく思っておらず、どんなに彼が望んだとしても与えなかったから。だからこれが弓月のスマホであるはずがない。そう思っていたのに、弓月は僕と目があった瞬間に小さくこくりと頷いたのだ。

「……そっ……か」

 あの頃、僕たちが当たり前のように持っていたそれを弓月はいつも眩しそうに見つめていた。高校に入ってからはクラスメイトのほとんどが持っている中で持っていない弓月は少数派で、連絡先を聞かれるたびに困ったような表情をして謝っていたっけ。
 でも……そうか。今は自分のスマホを持っているんだね。

 良かったと思うのと同時に目の奥がじんわりと熱くなった。多くは知らないが、弓月はあの家を出ることが出来たんだなぁということだけは察することが出来た。そう思うとやっと止まったはずの涙がまた溢れ出し、僕の頬を濡らしていく。その様子に目の前に座った弓月があわあわと慌て出した。それがなんだか何もなかったあの頃の光景に重なり、僕の涙腺はますます緩んでいく。

「っ……これ……どうすれば、いい?」

 涙を隠すように下を向き、僕は平静を装いながらスマホを受け取ってそう聞いた。けれど声は震えているし、言葉も時々詰まっているからきっと泣いていることなんてすぐに気付かれてしまうだろう。それでも加害者である僕が泣くのはなんだか駄目なような気がして、必死に泣いていることを隠していた。

「……ほら、これを読んで欲しいんだってさ」
「これ……」
「弓月が、お前に伝えたいことを書いたらしい。……じゃあ、俺たちは下に飲み物を取りに行ってくるから」

 そう言って壱弦が、次いで弓月が立ち上がり、ゆっくりと僕の近くを歩いていく。そのゆっくりな足音の後に、ぱたんとこの部屋唯一の扉が閉まる音がした。
 扉を挟んだ向こう側からとん、とんと階段を下りる音が聞こえていたが、途中からそれすらも聞こえなくなり、部屋の中が静寂に包まれる。静けさ特有のキーンとした甲高い耳鳴りのような音が耳を打ち、僕はそっと溜息をついた。

 手元に残された弓月のスマホ。そこに表示されている画面は恐らくメモ帳のアプリだろうか。画面の半分ほどが埋まるくらいの文章量に、僕は無意識に口元を歪めていた。

 一文字目に視線を合わせる。そうして右へと視線を動かしていき、入力された無機質な文字たちを読んでいく。心の中で声に出しながら読んでいくうちに、僕の涙腺はまた崩壊していた。


 
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