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第五章

九十五話 何度も見る夢

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※このお話には暴力表現が含まれますので、苦手な方はご注意ください。



 動かない俺の身体の上に乗った兄が手を伸ばす。俺の方へと伸びてきた手が首筋に触れ、そして俺の首を両手で包み込んだ。

(あ……まただ……)
 
 この光景は何度も見た。俺はきっと今から首を絞められる。
 途中の場面は幾らか変わることはあっても、この場面だけはどうしてか絶対に変わることなく訪れた。まるでこの時間を味わえとでもいうように、スロー再生の如く、ゆっくりと。

(苦しいのは……いやだなぁ……)

 首に回った指に徐々に力が入っていく。あまり目立たない喉仏の下に置かれた親指が器官を圧迫していき、苦しさが増していった。そうしてやがて酸素が取り込めなくなり、俺の頭がぼーっとし始めるのだ。
 
 身体はすでに暴力によってぼろぼろだ。今は服に隠れていて見えないが、肌は元の肌色が見えないほどに色が変色しているはずだ。度重なる日常的な暴力に身体の再生機能が追いついていないのだろう。少し動くだけでも鈍い痛みが身体中を襲う。
 もう動くだけの体力も力も残されていない。それなのに『今の俺』の意思とは関係なく、夢の中の俺の身体は必死にその手を退けようともがいていた。
 首に巻き付いた兄の指を剥がそうと爪を立て、指に力を入れるが出来ない。……当たり前だ、俺の力では兄の力になんて叶うわけがない。だから抵抗したって意味がないのに、それでも夢の中の俺は必死に抗っている。しかし案の定、兄の手や俺の首に小さくて細かな引っ掻き傷が出来るだけだった。

「――、――!」
 
 酷く耳鳴りがする。ドクドクという鼓動とキーンという甲高い音だけが耳を支配している。だからだろうか、目の前の兄の口が動いているのはわかるが、声は全く聞こえなかった。

(はは……なんて言ってるのか、聞こえないって)

 いつもなら意識が遠退きそうになった瞬間に場面が変わるのに、なぜか今日はブラックアウトも場面が切り替わることもなく、ずっと苦しいままの状態が続いている。今までこんなことはなかった。どうしてと思いながら考えようとしても、酸欠の頭は霞が掛かったかのようにぼんやりとして働かない。

(夢の中で死んだらどうなるのかな……?)

 夢から覚めるのか、それとも違う夢を見るようになるのか。できれば前者であって欲しいなと思う。もし後者ならばこんな苦しい夢じゃなくてもっと楽しくて綺麗な夢が見たいなぁ。

 目が霞み、指の先がじんじんと痺れ出す。
 足の先から徐々に感覚がなくなってきたような気がする。そうしているうちに今度は頭の奥が冷たくなっていった。
 
 身体から力が抜けていく。首や兄の手を掻いていた指が動きをなくし、小さく震えながらゆっくりと兄の手の上を滑っていく。緩慢な動きで瞬きをすると、苦しさに浮かんでいた涙が目の端からこぼれ落ち、やがて耳を伝って地面へと吸い込まれていった。
 
 人間は死ぬ間際に今までの人生の様々な情景や記憶が脳裏に浮かぶことがあるらしい。まるでくるくると回転しながら内側に描かれた影絵を煌びやかに写し出す走馬灯のように思い出すのだそうだ。
 霞んでいく視界、様々な光景が脳裏に浮かぶ。流れていくように変化していく映像。きっとこれは一瞬のことなんだろう。けれど俺にはとても長い時間のように思えた。
 忙しなく切り替わっていく記憶の中に見えたのは、誰かの後ろ姿。閉じかけていた瞼を押し上げると、そこに兄はいなかった。真っ黒な俺や兄の髪とは違う、光に当たればキラキラと輝く柔らかそうな栗色の髪がふわりと揺れる。愛おしそうに細められた琥珀色の瞳に、俺は思わず名前を呼んでいた。

 ――りつきさん。

 この夢の中の俺が彼を知っているはずがない。
 だからこれはきっと今の俺の記憶だ。

「りつ……き……さ……」

 気道を塞がれているせいで音になっていたかどうかはわからない。けれどその名前を口にした時、腹の奥底からなんとも言えない満足感や充足感が一気に湧き上がってくるのがわかった。

「――なに、笑ってんだよ……?」
「……っ」
「っ……ついに頭がおかしくなったのか?」

 動揺で一瞬緩んだ手にまた力が入っていく。苦しい。無意識に顎が上を向く。
 今俺の首を絞めているのは兄のはずだ。なのにどうして律樹さんの姿に見えるのだろう。これは……俺の願望なんだろうか。

「っ、おい!笑うな……っ!」

 苦しいのに、笑みが溢れる。
 俺は律樹さんになら何をされてもいいと本気で思っている。俺が生まれてきたことに、俺の人生に意味をくれた律樹さんだったら、俺は今ここで彼の手によって命を落としたとしても構わない。

「り……き、さ……す……」
 
 ――大好きだよ、律樹さん。

 意識がブラックアウトする寸前、俺はそう呟いた。目の前にある律樹さんの端正な顔が驚きの表情に変わっていく。
 ああ、もう駄目だ。そう思って目を閉じると、さっきまでの苦しさが嘘のように消えていった。お腹の上にあった重みも首の圧迫感も手の感触もない。代わりにあるのは固く冷たいけれど俺を安心させてくれる大事なものの感触だけ。
 そのつるりとした表面を指先でなぞると、バクバクと跳ねていた心臓が徐々に落ち着きを取り戻していく。目を開けなくてもわかるそれに、俺はずっと強張らせていた身体を弛緩させた。

 ゆっくりと目を開いていく。真っ暗ではあったが、小さく開いたカーテンの隙間から溢れる月の光が室内を淡く照らしていた。

「……」

 口を開いて声を出そうとしても、やっぱり声は出ない。これが現実かと小さく息を吐き出すと同時に、俺の身体は温もりに包まれていた。


 
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