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第四章
閑話 瀬名律樹は決意する 後編②
しおりを挟むほっと息を吐き出しながら擦り寄ってくる弓月の背を優しく撫でる。僅かに手が震えているのはさっき弓月の血を見たからか、それともこれからすることに対する緊張か。
俺は背を撫でていた手を止めた。震えを抑えるようにぎゅっと握りしめた手を見つめ、軽く深呼吸をするように息を吸い込む。そして息を吐き出すと同時に言葉を紡いだ。
「弓月は……俺のプロポーズを受け入れてくれたんだよね?」
それは不安から来た確認だった。あれが夢だったなんて思わないし、思いたくはない。けれどもしかしたら、あの場の雰囲気で断りきれなかったのかもしれないなんて不安がずっと消えなかった。
俺は元来臆病な性格でも心配性でもない。だがこと弓月に関してだけは、たとえ小さなことだったとしても不安だったり心配だったりをすぐに抱えてしまう。それがいいのか悪いのかはわからないが、俺の心臓は相変わらずうるさく鳴り響いていた。
腕の中、弓月の頭が小さく上下した。誤差にも見えたそれが肯定であってほしいと願いながら、腕の中で小さく動く形の良い頭を見つめる。ゆっくりと顔を上げた弓月の黒い瞳が俺を捉えた。吸い込まれそうなほどに綺麗で大きな瞳に映るのは不安そうな表情をしている俺の姿。
弓月がぱちりと瞬きをする。不安げな俺の姿が色素の薄い瞼の裏に隠れた。弓月、そう名前を呼ぼうとした時、今度はしっかりと弓月の頭が上下に動いた。
それは肯定だった。紛れもない、肯定。
俺のプロポーズを弓月が彼の意思で受けてくれたのだという事実に、足元から言いようのない感情が湧き上がってくる。
「なら……だから、その……」
言葉が続かない。無意識に弓月を抱きしめる腕に力が入る。耳のすぐ近くに心臓があるんじゃないかと錯覚するくらい、鼓動が大きく感じた。
声は微かに震え、頭の中には絶えずたくさんの言葉が浮かび上がってくる。本当は言いたい言葉がたくさんあるのに、喉の奥で詰まって声がすらすらと出てこない。
弓月の頭に自分の顔を寄せ、強く抱きしめる。うるさい鼓動を落ち着かせるように深呼吸を繰り返すと、弓月の甘い香りが鼻腔をくすぐった。その香りを肺いっぱいに吸い込むと、不思議なことにバクバクとうるさかった鼓動がとくとくと落ち着いていく。今だ、今しかないと頭の中で声が聞こえた。
「っ、婚約指輪と……首輪を……贈りたい、んだけど……」
時折詰まらせながらも発した言葉。やっと言えたと思いながら、弓月の頭が僅かに動いたので身体を少し離して顔を上げた。彼の傾いた頭と不思議そうな瞳に一瞬息が詰まったが、そう言えばそうだったと頬が緩む。
弓月の第二性に関する知識は一般的な中学生よりも少ない。なのにいきなりカラーだなんだって言われてもわからないだろう。緩んだ頬もそのままに、俺は弓月の細い首筋に手を添えてするりと撫でた。触り心地の良いきめ細やかで白い肌の上を指先が滑っていく。
「カラーっていうのは、Domが大事なSubに送る婚約指輪や結婚指輪みたいなもので……ほら、ここ」
「……っ」
首輪をつける場所――つまり首筋に再び軽く手を添えた。そして弓月のあまり目立たない喉仏を親指で優しく撫でた。指先に伝わるとくとくという脈が彼は生きていて、今確かにここにいるのだと思わせてくれる。
「ここに着ける、俺の大事な人だっていう証」
ゆっくりと首から手を離す。
自分でも驚くくらい穏やかな心地だった。
俺の大事な人だという証、つまりは誰にも手を出させない、何があっても必ず守って幸せにするんだという俺の決意の表れ。
投与できる抑制剤がないとわかってからの弓月は見るからに元気をなくしていた。その不安を少しでもなくせたら良いなと思っていたというのもある。けれどそれ以上に俺は弓月を大事にしたい、幸せにしたいんだという想いで動いていた。
居間を出て、台所の入り口手前の床に置いたまま放置していた紙袋のうち、大きい方を手に再び弓月の前に跪く。金色のロゴが刻まれた黒い紙袋の中から紺色の箱を取り出し、その上部と下部それぞれに手を添えて顔を上げた。
弓月の夜空のような瞳が俺を不思議そうに見つめている。その瞳を見つめ返しながら、俺は引き結んでいた唇をそっと開いた。
「弓月と、これから先……ずっと一緒にいたい。だから……」
「……!」
ああ、やっぱり声が震えてしまう。すらすらと澱みなく言葉を紡げればそれなりに格好はついただろうが、生憎俺の喉も口も緊張でからからだった。
両手の指先に力を込め、ゆっくりと箱を開けていく。隙間が大きくなっていくのに比例して、夜空のような瞳もその輝きを増していくのが見えた。
「俺と、結婚してください」
それは二度目のプロポーズだった。
本来なら婚約指輪を渡しながらするのだろうが、俺の場合は弓月のために誂えたチョーカーだ。黒色を基調とした細やかな装飾がされた小さな金色の飾りのついたシンプルなもの。弓月の髪や瞳をイメージして作った、世界に一つだけの首輪。
再び心臓の鼓動がうるさくなる。
弓月がこれを気に入ってくれるかはわからない。けれどこれが今の俺が弓月に与えられる唯一の証だった。
弓月が下を向く。やっぱり気に入らなかったのだろうか、それとも俺の気持ちが重かったのだろうか。そんな不安が湧き起こるが、今の俺には弓月の答えをじっと待つことしかできない。それがもどかしかった。
大きく深呼吸をしたらしい弓月が顔を上げた。黒色の瞳が俺を射抜き、そして小さく頭が上下に動いた。
――肯定だ。これは紛れもない、肯定。
思わず大きく開いていく瞼。きらきらとした瞳と笑顔を前に、俺は胸が高鳴るのを抑えられない。
「……俺がつけてもいい?」
その問いに、弓月が小さく頷いた。
俺は手に持っていた紺色の箱から黒色のカラーを取り出し、弓月の首元に手を伸ばした。向かい合わせの状態で首の後ろに両腕を回し、かちりと金具を留める。
なんとも言えない高揚感と多幸感が一気に全身を襲う。頬が緩むのを止められない。
「キス、してもいい?」
「……っ」
気付けばそう口にしていた。
弓月の頬に手を伸ばそうとするよりも早く、彼の手が俺の頬を優しく包み込む。そしてぐっと引き寄せられると同時に柔らかな唇が深く重なりあった。
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