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第四章
七十一話 背中の温もり
しおりを挟む「そういえば文化祭で演劇を観たんだっけ?」
簡単なプレイが終わった後、ベッドに寝転びながら律樹さんがそう言った。
お風呂もご飯も歯磨きも全て済ませてあるのでプレイ後はもう寝るだけなのだが、何となく二人して寝る気になれなくて話していると自然と文化祭の時の話題になったのである。文化祭中は律樹さんといた以外はずっと六花さんたちと一緒だったから、きっと六花さんや保科さんから何をしたのかを聞いたのだろう。案の定、六花さんから聞いたのだと律樹さんは小さくこぼした。
演劇は一つしか観ていないので、律樹さんが言っているのは恐らく人魚姫の劇のことだろう。あれは本当に色んな意味で印象的だったからよく覚えている。
俺は会話のために手に持っていたスマホにぽちぽちと文字を打ち込んでいき、それが終わるとそっと画面を持ち上げた。後ろから俺を抱きしめるような格好で寝転ぶ律樹さんが見えるようにとの配慮だったが、俺の手がゆらゆらと揺れているせいで余計見づらくなっているかもしれない。そんなことを考えていると、不意に彼の手が俺の手に重なるようにスマホを掴んだ。支えてくれただけだとわかっているのに、どきっと胸が高鳴る。
『人魚姫だったよ』
「人魚姫……ああ、和泉先生の弟のクラスの劇か」
いずみ、という名前にぴくりと反応する。その名前をつい最近どこかで聞いたような気がするなぁ……と思いながら小さく頭を動かすと、律樹さんがくすくすと笑った。
「ふふっ、擽ったい」
どうやら俺の頭が動いた拍子に、髪が彼の顔に当たったようだ。律樹さんが笑うたびに背中から小さな振動が伝わって来て、つられて俺も笑ってしまう。
「ふふっ……ええと和泉先生はね、六花姉さんの友人で俺と同じ数学の先生だよ。弟の名前は確か……和泉由紀、だったかな?弓月と同い年のうちの生徒だよ」
和泉由紀という名前に「あっ」と口を開ける。
そうだ、思い出した。確か律樹さんも出ていたあのコンテストで優勝していた人だ。言われてみればあのコンテストの最中はずっと劇中で見た透き通るようなひらひらとした衣装を身に纏っていた。
そうか、あの人魚姫は和泉由紀という人が演じていたのか。
――『ゆきちゃん』。
そんなことを思っていると、ふいに頭の中で幼い子どもの声が流れた。どこか聞き覚えのあるような高い声だったけれど、それが誰かなのかまではわからない。
突然頭の中に直接浮かぶように聞こえてきた声に目をぱちぱちと瞬かせていると、お腹に回った律樹さんの腕に力が込められた。元々彼の前面と触れ合っていた背中だったが、少しの隙間も許さないというようにぴったりとくっつく。寝る前の少し高い体温も心臓の鼓動も全てが鮮明に伝わり、胸のあたりがぽわぽわと温かくなって口元が綻んだ。
俺はどうしたのと聞くように彼の腕に手のひらを添えてぽんぽんと優しく叩く。すると後頭部にこつんと軽い衝撃と共に小さな吐息が聞こえて来た。
「……人魚姫って聞いた時、真っ先に弓月を思い出した」
いつもと同じ優しい声だったが、それはほんの少し震えていた。言葉と共に吐き出された熱い息が頸にかかり、俺はわずかに身を捩る。するとさらに腕に力が込められ、俺は顔を上げた。
「声を失くした……っていう部分しか似ていないのにね」
苦笑混じりに溢れた言葉はやっぱり小さく震えていた。その理由はわからないけれど、言葉の意味はなんとなくわかる。だって俺も同じことを思っていたから。人魚姫の劇を見ながら、時折声が出ない彼女に自分の姿を重ねていたんだ。共通点なんて『声が出ない』――ただそれだけなのに。
「弓月は……俺の前から消えないでね」
もしかして泣いているのだろうか。
俺を強く掻き抱く手が微かに震え、小さくてか細い声は今にも泣きそうに聞こえた。俺は大丈夫だよって伝えたいのに、彼に背を向けた状態では何も出来ない。
しばらくそうしていると徐々に彼の腕から力が抜けていき、すぐ近くで穏やかな寝息が聞こえてきた。緩んだ腕の中、くるりと寝返りを打って律樹さんの方を向く。いつ見ても綺麗な律樹さんの顔がすぐ近くにあってドキドキとした。
(……俺は、消えないよ)
すぅすぅと眠る穏やかなその顔にそっと優しく指先を這わせながら心の中でそう呟く。俺は悲劇のヒロインじゃなくて現実の人間だ。だから絶対に好きな人の前から何も言わずに消えるなんてことはするつもりはない。
(そりゃあ、もし律樹さんに他の人を好きになったって言われたら……その時は離れるかも、だけどさ)
でもそれは律樹さんが好きだから離れるだけだ。劇の中の彼女たちは助けた人魚と助けられた王子という関係しか持っていなかったが、俺たちには助けた助けてもらった以外にも従兄弟という関係性がある。だから例え離れたとしても完全に消えることはないだろう。
穏やかに眠る律樹さんの栗色の髪にそっと指先を通した。細くて柔らかな髪がするすると指の間を通り抜けていく。カーテンの隙間からこぼれた月の光がちょうど彼の頭の辺りを照らしていて、はらはらと指からこぼれ落ちていく髪がきらきらと輝いているようだった。
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