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第三章
四十九話 脳裏に浮かぶ人
しおりを挟む壱弦が冷たい飲み物を片手に戻ってきた後、少しの間三人で話をした。最近壱弦がよく保健室に来るだとか、そういう他愛のない話だ。暫くそうしていたが、保健委員会の人たちが来たのと同時に、外回りをするという保科さんと一緒に俺たちは保健室を後にした。
保健室を出てすぐに保科さんは逆方向へと歩いていった。残された俺と壱弦は廊下を歩きながら、次はどこに行こうかなんて話をする。話すといっても俺は頭を縦や横に振ったり、指差しをしたりしているだけなのだが、それでも壱弦には問題なく通じているようだ。
壱弦といるとなんだか胸が温かくなる。律樹さんと一緒にいる時のようなぶわあって一気に熱を帯びたり心臓が煩くなるような感じではなくて、ほわほわと熱が広がっていくような感じだ。それはきっと俺と壱弦が過去に友人だったから落ち着いたり懐かしく思っているからだろう。
でも時折、なんだか落ち着かなくなることがある。
……ほら、今もそうだ。壱弦が俺を見て笑う度に、こう胸がきゅっと締め付けられるんだ。
「弓月」
どうしてそんなにも優しい声で俺を呼ぶのだろう。ずっと仲の良い友達だったからなのかな。今の俺には壱弦しか友達がいないからよくわからないけれど、もしかしたら友人とはそういうものなのかもしれない。
けれど湧いてくるのは嬉しいという淡い気持ちだけではなかった。
「弓月?どうした?」
歩みを止めた俺に、少し先を歩いていた壱弦が振り返って首を傾げる。
俺よりも少し高い身長、俺みたいにガリガリじゃない男子高校生らしいすらりとしながらもしっかりとした長い手足。……正直、羨ましいと思う。あんなことがなければ俺も今頃――なんて、俺はまたネガティブなことを考えている。憧れていた文化祭を友達とまわっていて楽しいはずなのに、どうして俺はまたマイナス思考になっているんだろう。
なんだか昨日から少しおかしい気がする。情緒不安定気味というか、なんというか。
俺は誤魔化すように笑った。大丈夫、何もないよと精一杯の笑みを浮かべているのに、心の中は相反する感情でぐちゃぐちゃだった。
「……あ、そうだ。俺のクラスが出してる店、行くか?」
「……?」
あれ?さっきは駄目って言ってなかったっけ?と思いながら目をぱちぱちと瞬かせる。すると俺が言いたいことがわかったらしい壱弦が、少し目線を逸らしながら困ったように笑った。
「さっきは、その……都合が悪くて……でも今の時間なら、多分大丈夫だから」
焦茶色の瞳が俺を見る。視線がかち合うと同時に彼の瞳が僅かに揺れ、ほんの少し横に逸れてしまった。何かを考えているのか、それとも不安ごとでもあるのか。壱弦は俺から顔を背けながら小さく息を吐き出した。
窓ガラスから降り注ぐ太陽の光が壱弦の髪に反射して、きらきらと輝いている。元々明るい髪色だというのもあるだろうが、光が当たることによって透き通ったような色になっていた。俺はそれを綺麗だと思う。けれどそれは表情を見なければ、の話だ。
光り輝く髪とは反対に、俺から見える表情は暗い。ただの逆光でそう見えるだけなら良いのだが、なにか不安を抱えたような表情が気になって俺は彼の腕をつついた。
「っ……あ、その……別に行きたくないわけじゃないんだ。そろそろ俺も顔出さなきゃとは思ってたし……よかったら一緒に食べないか?」
壱弦の歯切れが悪いのは多分頭の中で懸命に言葉を選んでいるからなのだろう。何か事情があるんだろうなってことは表情から何となく察したが、その理由までは俺にはわからない。不安そうに揺れる焦茶色の瞳を真っ直ぐに見つめながら、俺は首を縦に動かした。
さっきまでとは違い、今度は校舎の中ではなく外を歩いていく。天気は快晴。雲もほとんどなく、爽やかな秋晴れといった感じだがそれにしては気温が高めのような気がする。時折吹く風が少し気持ちがいい。
そんな中、柔らかな風が運んでくる幾つもの香ばしい香りにお腹がぐぅと鳴った。そういえばさっき保健室を出る時には既にお昼を過ぎていたなと思い出すと同時に、再びお腹が音を立てる。音が鳴った辺りをそっと手のひらで優しく撫でてみると不意に隣から視線を感じ、俺は腹から隣へと視線を移した。
「……っ」
「……?」
一瞬あったにもかかわらず、すぐに逸らされてしまった視線。えっと逸らされた顔を覗き込むが、さらに顔を背けられた上に手で顔を覆ってしまった。俺からは壱弦がどんな表情をしているのかがわからない。けれど全身を小刻みに震わせている様子から、なんとなく彼が笑いを堪えているんだろうなってことがわかった。
途端に羞恥で顔が熱くなる。恥ずかしい。お腹が鳴ったといってもとても小さな音だったし、周りはずっと騒がしかったので聞こえていないだろうなんて思っていたのに、まさか聞こえていたなんて。咄嗟に俯いて赤くなっただろう顔を隠したが、きっとバレていることだろう。
前にもこんなことがあったような気がする。確かあれは律樹さんと会ってすぐのことで、確か……そうだ、お粥を目の前にしたらお腹が鳴ったんだ。あの時は恥ずかしいという感情を久々に思い出したせいでそのまま死んでしまいそうになるくらい恥ずかしかった。
そういえばあの時の律樹さんは笑わなかったなぁ、なんてふと思う。俺の腹の音を聞いて食欲はありそうだねって安心したように笑って――って、なんでさっきから律樹さんの事ばかり思い出してるんだよ。
律樹さんの柔らかな笑みが脳裏に浮かぶと同時に、身体がぶわりと一気に熱を帯びていく。俺は考えを吹き飛ばすようにふるふると頭を振り、黒のパーカーのフードを被った。サイズが大きめだからだろうか、ふわっと軽く被っただけなのに目元あたりまで隠れてしまう。けれど赤くなった顔を隠すにはちょうど良かった。
「っ……弓月、笑ってごめん」
「……」
「その……かわいくて、つい……」
「?」
ぽそぽそと何かを言っているんだろうなってことはわかるが、その声があまりに小さくてうまく聞き取れない。フードもそのままに隣に立つ壱弦を見上げると、眉尻を下げて笑う彼の姿があった。俺ほどではないが彼の頬もほんの少し赤らんでいる。
なんだか気まずい空気が流れ、俺たちはどちらともなく視線を逸らして歩き始めた。向かうはグラウンド付近。歩みを進めれば進めるほど食欲をそそる香りは色濃くなっていく。俺は今度こそお腹が鳴らないように、ぎゅっと腹部を抑えた。
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